異世界配信中。幼馴染みに捨てられた俺に、神々(視聴者)がコメントしてくるんだが。

葉月

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恐怖 ユリアナ視点

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「――ユリアナ、居る?」

 張りつめた空気の中に、不意に落とされたその声は、静謐な礼法室に澄んだ鐘の音のように響きわたった。

 振り向けば、扉の隙間から顔を覗かせたのは――パウラ。
 私と同じく聖堂十二宮に選ばれた友人でありながら、淑女教育というものに関しては、まるで風に散った花弁ほどの興味も示さない少女である。

 案の定、彼女は場の空気など気にも留めず、スカートの裾をはためかせながらずかずかと踏み込んできた。

「Ms.パウラ! 貴方は何度申し上げればわかるのですか!」

 クィレル先生の声が、ぴしゃりと空気を叩いた。
 普段は完璧なまでに整った口調のはずが、頬を真紅に染め、金切り声に近い悲鳴を上げている。
 先生の手に握られた指示棒が小刻みに震えていた。

 私は軽くため息をつき、椅子から静かに立ち上がる。

「パウラ、クィレル先生がお怒りよ。ほんの少しでいいから、ご自分の立場を思い出してみてはいかがかしら?」

 微笑を浮かべながらも、声色には優しい戒めを含ませる。
 貴族教育を受けた娘らしい落ち着きを取り繕うのは、もはや習慣になっていた。

 ――守らなければならない人がいる。

 その事実が、私の背筋を常に伸ばし続けている。
 王城の中で、どこまでが味方で、どこからが敵かなど誰にも分からない。
 だから私は、優等生の仮面を外せない。
 ほんの一瞬の綻びが、あの人の命を奪いかねないのだ。

 自分を偽ることを選んだのは、弱さゆえではない。
 あの人を守りたいと願う、どうしようもないほど切実な想いゆえだった。

「そんなことより、あたし、面白い話を聞いちゃったんだよね~」

 まるで無邪気な少女のような声だった。
 だが私は知っている。パウラがこうして突然すっとぼけた態度を取るとき――必ず腹の底に何かを隠している。

 彼女はわざとらしいほどに目を瞬かせて、こちらを覗き込む。
 これは、村の子どもが悪戯を企むときの仕草そのものだ。

「ねぇ、聞きたい?」

 クィレル先生が背後で烈火のように怒り狂っているにもかかわらず、パウラは蚊帳の外とばかりに問いかけてくる。

 私は、これ以上先生の怒りを買うわけにはいかなかった。
 監視の目が潜む王城で、余計な注目は命取りだ。

「……興味がないわ」

 できるだけ優雅に、しかし冷ややかに返して席へ腰を下ろす。

「そっかぁ、残念だなあ」

 声色は軽い。
 だがその軽さが、逆に警鐘のように胸を締めつける。

「せっかくさ、あたしの知り合いが“面白い新人冒険者”の話をしてくれたから……。鳥籠の淑女になっちゃったユリアナに聞かせてあげようと思ったんだけど――まあ、興味ないならいいよね。
 コルネ村のロイドの話なんて――」

 ――ガタン。

 思考より先に身体が動いた。
 椅子が大きく鳴って、教室の空気が震える。
 気づけば私は、テーブルに両手を叩きつけるようにして立ち上がり、パウラのターコイズブルーの瞳を真っ直ぐに射抜いていた。

 胸の奥に秘していた名前を――彼女は何気なく、しかし確実に突きつけてきたのだ。

「……興味がないんじゃなかったの?」

 パウラは唇の端を上げ、勝ち誇ったように囁いた。
 その声音には、私の胸を揺らす鍵を握っているという自覚が、あまりにも露骨に含まれていた。

「……っ」

 その名を耳にした瞬間、胸の奥で何かがざわめき、形を成さないまま膨れ上がった。
 パウラはその変化を見逃さない。ゆるりと腕を組み、観察するような歩調で近づいてくる。

 私は喉の奥で、せり上がる声を必死に押し殺した。
 ――落ち着きなさい。
 ここは王城。
 壁の向こうにも天井の影にも、どんな目が潜んでいるか分からない。
 軽はずみな反応ひとつで、ロイドを危険に晒すことになる。

 そう理解しているのに、心だけが暴れ馬のように跳ねまわり、手綱が握れなかった。

「……た、ただ驚いただけよ。村の名前が出たから。深い意味はないわ」

 取り繕うように微笑んだつもりだったが、声音の震えは自分でも隠しきれていなかった。

 パウラは、その震えに気づいた瞬間、猫が獲物の息づかいを楽しむように唇の端を上げた。

「ふぅん……まあ、そういうことにしておこっかな?」

 くるりと踵を返し、窓辺へ歩いていく。
 差し込む陽光を受けて揺れる青髪は、湖面の光のようにきらめいた。

「――でね、その新人冒険者だけど」

 彼女はわざとらしく言葉を切る。
 静寂が一瞬、教室の空気を薄く張りつめさせた。

「いきなり黄金等級の冒険者と練習試合したらしいのよ。しかも互角に打ち合って、ギルドマスターにまで腕を認められたんだって。
 その結果――異例中の異例、紅等級スタートなんだとか」

「っ……!」

 胸が強く脈打つ。

 ありえない。
 ロイドは剣を握ったことすらないはず。
 そんな彼が冒険者になったと聞いただけでも信じがたいのに、紅等級――?

 理解が追いつかない。
 追いつかないのに、心は誰よりもそれを信じようとしてしまう。

「うそ……」

 とうとう声が漏れた。
 抑えきれず、零れ落ちてしまった。

 パウラは振り返り、片眉をほんのわずかに持ち上げる。

「ちなみにね、この話をあたしにしてくれたのって――ハヴィスなのよね」

「……っ!」

 名前を聞いた刹那、血の気が引いた。
 気配が変わる。
 さきほどまでの動揺ではなく、鋭い緊張が背筋を走る。

 私の反応を確認すると、パウラは悪戯が成功した子どものように柔らかく笑った。
 そこに悪意はない。
 あるのは――ほんの少しの好奇心と、私をからかう軽やかな愉しみ。

 パウラにとって私は、手の届く位置にいる“遊び相手”にすぎないのだ。

「Ms.ユリアナ……そしてMs.パウラ。どうやら、淑女としての作法を一から叩き込む必要があるようですね」

 凛とした声が教室に落ちる。
 いつもなら、その声音だけで額に浮かぶ青筋を想像し、どう逃げ切るか――ただそれだけを考えるのが常の私であった。
 だが、この瞬間ばかりは淑女教育など、塵ほどの重みもなかった。

 胸の内を占めていたのは、ただひとつ。

 ――ハヴィス。

 彼がなぜ、ロイドの動向を把握しているのか。
 パウラからハヴィスという名を聞いたとき、世界の色が一瞬で変わった気がした。

 どうして?
 なぜ、彼が?

 問いは鋭い刃のように胸の奥をかすめ、呼吸を浅くする。

 ――まさか、気付かれている?
 私の気持ちに、ハヴィスが……?

 次の瞬間、私は自分の考えをかき消すように首を振った。

 ――そんなはずはない。

 この数ヶ月。
 私は、彼らが望む“ユリアナ”を寸分違わず演じ続けてきた。
 完璧な仮面。
 微笑みも、仕草も、言葉遣いも。
 誰にも隙を見せず、誰にも悟られぬよう、丹念に磨き上げてきたはずだ。

 気付かれているはずがない。

 ――そう思いたかった。

 だが胸の奥のざわめきは、静まるどころか、ますます濃くゆらめいていく。
 クィレル先生の説教など、遠い雨音のようにしか聞こえなかった。


 ◆


「ひどい目に遭ったわね」

 礼法室の扉を閉じると同時に、パウラが煙のような長い溜息を吐き出した。
 二時間。
 ――あのクィレル先生の説教を、二時間。
 一体誰の軽口のせいでそんな拷問を受けたのか、本人はこれっぽっちも自覚していないらしい。

 けれど、今日は普段のように神経をすり減らす時間ではなかった。
 耳に落ちる言葉は砂粒のように軽く、手のひらをすり抜けるだけだった。

 胸の奥では別の音が鳴り響いていたからだ。

 ――なぜ、ハヴィスがロイドを探っているのか。

 パウラが聞いたという話。
 そして、それを“パウラに”伝えた人物が他ならぬハヴィスだったという事実。

 偶然ではない。
 確実に、私に聞かせるための導線だった。

 では、なぜそんな回りくどいことを?
 何を確かめたいのか。
 何を暴こうとしているのか。

 胸の奥で薄い氷がひび割れる。
 ――まさか。
 ハヴィスは、私のついている嘘に気付いている……?

「ずいぶんと深刻な顔をしているね。何か心配事でもあったのかな?」

「――!」

 突き当たりを曲がった瞬間、空気が一変した。
 そこに立っていたのは、いちばん会いたくなかった人物だった。

 ハヴィス=リーデン。
 公爵家の嫡男にして、女神の寵を受けた聖堂十二宮の一角。

「ハヴィス!」

 パウラが弾かれたように笑顔で駆け寄る。
 その明るさとは対照的に、私の足は一瞬、床に貼り付いたように動かなかった。

 胸の内で、あの日の言葉がざらりと蘇る。

 ――ユリアナに自覚させるためにも、早めに手を打った方がいいかもしれないね。

 肩に力が入り、背筋がひやりと凍る。
 それでも顔だけは取り繕い、私は乾いた喉を押し開いて歩みを進めた。

 この人は、一体何を企んでいるのだろう。
 笑っているのに、目だけが笑っていない――そんな気配が、指先までじんと冷たくさせた。
 パウラの声は明るく響いているのに、私の耳には遠い鐘の音のように聞こえる。

「あんた毎日王城に来てるけど、暇なの?」
「パウラは相変わらず辛辣だね」
「で、何しに来たの?」
「……君たちの様子を見に来たんだよ。陛下にも気にかけるよう言われているからね。それに――」

 ハヴィスの視線が、刃物の糸のように細く私へ向けられた。

「僕はいずれ聖堂十二宮の誰かと婚約することになる。相手はパウラかもしれないし、ユリアナかもしれない。ご機嫌伺いは重要だろ?」
「げっ……あたしはあんたみたいなカオナシはパス。ユリアナにあげるわ」
「ははっ……振られたか」

 ハヴィスは苦笑した。
 だが、その微笑みは、どこか底を見せない深い湖のようで――
 私の胸の奥に、さらなる不安の影を落とした。

「……なにか?」

 無言のまま、逸らすことなく私を見据えるハヴィスに、とうとう耐えきれず声を発してしまった。
 背筋を伝う冷や汗が、衣の内側でじっとりと肌に貼りつく。

「君の元恋人――ロイドくんだっけ。……頑張っているみたいだよ」
「……そう」
「あれ、あまり嬉しそうじゃないね? てっきりユリアナは喜んでくれると思っていたんだけど」
「今の私は女神様の愛子であり、聖堂十二宮の一人。農民とでは釣り合わないわ」

 努めて平然を装ったつもりだった。
 けれど、ハヴィスの瞳がふっと翳る。その空洞めいた視線には温度がなく、覗き込めば底へ引きずられそうな静謐な怖さがあった。
 その一瞬だけで、心臓がきゅっと縮む。

 ――でも、退くわけにはいかない。

「……そっか。なら良かった。伝えるのが少し心苦しくもあったからね」
「……?」
「今朝、街道沿いでモンスターの群れが現れたのは知ってるかい?」

 知るはずがない。
 この王城は、籠のように外界を遮断する。
 それを誰より理解しているはずの彼が、私に“知らないと分かっている質問”をする。
 その意図が、薄氷のような不快感となって胸に広がる。

 私は、興味などないとでも言うように首を横に振った。

「冒険者が対応に当たったんだけど、死傷者も多かったらしい。……その中に、ユリアナと同郷のロイドくんの名前があったから、少し心配したんだ。でも――僕の杞憂だったみたいだね」

 その瞬間、思考が白く弾けた。

「――――っ!」

 気づけば私は、ハヴィスの両腕を掴んでいた。
 姿勢は前へ、視線は食い入るように。
 自分でも驚くほど必死な声音で、

「ロイドは……無事なの……?」

 と、問う寸前だった。
 ――その刹那。

 ハヴィスの口角が、ゆるりと上がった。

 ぞくり、と背を撫でられたような寒気。

「ウソ……だよ」
「……!」

 足元が揺らいだ。
 喉の奥がぎゅっと閉まり、呼吸が掠れる。
 ロイドを失うかもしれないという恐怖だったのか、それとも――
 この男が平然と“私の心を試した”ことへの、得体の知れない恐怖だったのか。

 震えを悟られまいと、私はゆっくりと、彼の腕から指を解いた。

「安心したかい?」
「……別に」

 取り繕う言葉とは裏腹に、胸の奥で鼓動が荒々しく暴れ続けていた。
 ハヴィスにはその音まで聞こえているのではないか――そんな錯覚に囚われるほど、彼の視線は深く、冷たく、粘着質に私を射抜いていた。
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