10 / 14
10.ウゥルペース・アウレア
しおりを挟む
教皇と対面し、オリガは珍しく緊張していた。
ウゥルペース・アウレア教は近隣諸国一帯に強い影響力を持つ。ドヴァトリーニ王国をはじめとして、国教として定めている国が多い。ドヴァトリーニ王国では、政教分離がなされているが、教会の影響力は無視できない。
教皇のひとことで、数百万もの信者が動くことを考えると、いかなオリガとて身がすくむ。
しかし、優しそうなおじいさんにしか見えぬが。オリガは少し首をかしげる。いや、わらわのおじいさまも、普段は柔和でおっとりしておるではないか。オリガは決して油断せぬよう己を戒める。
「それで、本日はどのような? 明後日の結婚式についてですかな?」
教皇の声は穏やかであたたかい。
「先ごろ我が国に光の力を使う者が現れました。我が国の教会司教より、聖女の認定を受けました」
テオドールがパメラから送られてきた、聖女認定証を教皇に渡す。
「おお、それはめでたいことです。光の力の使い手は年々減っておりますからな」
「聖女は一度、こちらに巡礼をしたいと望んでおります」
「それはぜひ、歓迎しますよ」
教皇は両手を広げて歓迎の意を表す。
「ところが不穏なうわさを聞きつけまして。聖女がけがれを受けるのではと、ためらっております」
「それはそれは、けがれとは穏やかではありませんな」
「私どもの調べによると、これらの司教や司祭、なにやらよからぬことをしているようです」
テオドールは名前の一覧を記した紙を渡すが、教皇は受け取らない。テオドールは机の上に紙を置いた。
「よからぬことと言うと?」
「聞くところによりますと、それらの者は信者の子どもらに手をつけているようです」
「馬鹿げた流言ですな」
「根も葉もないうわさであればよかったのですが……。たまたま昨日、我々も目撃したのです。これは教皇のお耳に入れる必要があると思い、急遽このような形を取らせていただきました」
教皇はトントンと、名前の記載された紙を指で叩いた。
「証拠は?」
「残念ながら、公の場で証言する者はいないでしょう。それはここでの生活を捨てると同義。生半可な覚悟でできることではありません」
教皇はトントントントンと指で机を叩き続ける。
「これは、確かに捨ておけん。事実だとしたら許し難き蛮行。神のお膝元で、神の僕たる司祭がなんということを……」
「失礼ですが、教皇。このような些事、わたくしの方で処理しておきます」
後ろに控えていた司教がスッと近寄ると、教皇の持つ紙に手を伸ばす。いかにも切れ者といった怜悧な雰囲気の司教だ。教皇はしばしためらったのち、紙を司教に渡した。
「少々お時間をいただきますが、きちんと対応いたしますので、ご安心ください」
司教がなだめすかすような口調で告げる。ワガママな王族のお戯れにつき合っているんだぞ、そういう風にオリガには聞こえた。オリガは膝の上で拳をきつく握りしめる。
「ダメです。それでは遅すぎます。時間なんてありません。今すぐ、その名前の者を隔離してください」
オリガの訴えを聞き、司教は目を細めると、にこやかに微笑む。
「何を子供のようなことをおっしゃいますやら。物事はそのように単純ではありません。大人のことは大人に任せておきなさい、お嬢さん」
オリガは机のふちをつかんだ。
「子どもが被害者なのです。子どもの私が主張して何が悪いのですか? どうか聞いてください。売り物の陶器が割れたとか、そういう話ではないのですよ。陶器なら作り直せばいい、お金で解決ができます。でも、子どもの尊厳が踏みにじられたら、その子の心はもう治らないのです。心は作りなおせない。今、どこかで子どもが傷つけられようとしているのに、黙って見ているおつもりですか?」
司教は、やれやれという風に肩をすくめて首をふる。司教が口を開こうとしたとき、それを教皇が遮った。
「私が誓いましょう。神の御名によって、すみやかにこの者らを隔離しましょう。そして調べた上でしかるべき対応をする。私が今誓えるのはここまでです」
司教は不満のようだが、口をつぐんだ。教皇は、部屋の外で護衛をしている宗教騎士のひとりを呼ぶ。
「これらの者を今すぐ宮殿に連れてくるように。それぞれ見張りをつけた上で、別々の部屋に入れて待たせておきなさい」
騎士は紙の名前を見ると、記憶したのか紙は教皇に返して出ていった。
「さあ、それでは今日はここまでです。明後日の結婚式でお会いしましょう」
教皇は落ち着いた口調で言うと、安心させるようにオリガを見てうなずいた。
◇◇
「これでよかったのじゃろうか」
宮殿を出て、オリガはポツリとつぶやいた。
「初動としては十分だと思う。あとは教皇の動きを見て、できることをやるだけだ。聖女パメラの巡礼を口実にすれば、私たちで調査もできるし、滞在も延ばせる。ここでしばらく新婚旅行をしてもいい。父上の許可はとっている」
テオドールの言葉にオリガは顔を赤らめた。すっかり後回しにしていたが、いよいよ明後日にはテオドールと結婚するのだ。
できればスッキリした気分で式を挙げたいものじゃ、茜色の空を見ながらオリガは密かに願った。
◇◇
その夜、オリガはテオドールの腕の中で目を覚ました。
宿を取り囲む人の気配。ベッドを出ようとして、テオドールに止められる。
「オリガ、ここは聖域に近い。暴力はいけない。ましてや血を流すのは禁忌だ」
オリガは絶望した。たいていのことを腕力で解決してきた己は、力を封じられるとただの無力な公爵令嬢だ。テオドールを守れない。
「オリガ、いくら教皇庁とはいえ、一国の王子を手荒には扱えない。流れに身を任せよう」
テオドールの言葉に、オリガは渋々うなずく。
しばらくすると、扉が叩かれハリソンが宗教騎士を部屋に入れる。
「ドヴァトリーニ王国第一王子テオドール殿下で間違いないでしょうか?」
「ああ」
テオドールは淡々と答える。
「教皇がお呼びです。礼拝堂までご足労いただけますか?」
「分かった。すぐ支度する。オリガ」
テオドールはしがみついているオリガを優しく叩く。
「いやじゃ。絶対に離れない」
オリガは更に力を強くして、テオドールに絡みついた。木に登った猿のようなまぬけな格好だが、気にしている場合ではない。
「オリガ」
テオドールが困った顔でオリガを見下ろす。
「オリガ・ロッセリーニ公爵家令嬢でしょうか。お望みであればご同行いただくよう、教皇から指示を受けております」
オリガはテオドールにしがみついたまま、頷いた。
「行く」
◇◇
騎士団に連れられて、三人は宮殿に連なる円形の礼拝所へと入っていった。中心にある黄金の狐像の周りに、教皇や司祭、そして怯え切った子どもたちが座っている。三人は教皇の隣に座らされた。
「ようこそいらっしゃいました。それでは断罪を始めましょう」
先ほどオリガを子ども扱いした司教が大きく両手を広げて、皆を見回す。
「誰しも罪があるといいますが、今日はたくさんの罪人がいますね。神の前で罪を懺悔しましょうね」
司教が子どもに言い含めるように、ゆっくりと話す。
「もっとも重い罪は、神に仕える身でありながら、無垢な子どもを醜い欲望のはけ口にした者です。除籍処分の上、教皇庁から追放が妥当でしょう」
いいのではないか、オリガは思った。
「次に重い罪は、この事態を招いた教皇です。職務怠慢で教皇を辞任、司教からやり直しが適当ではないでしょうか」
オリガは首をひねった。オリガにはよく分からなかった。教皇をいきなり辞任に追い込むのはやりすぎではないだろうか。
「次、子どもたち。哀れな被害者です、その通りです。ですが考えてみてください。ひとりひとりがすぐに大きな声で抵抗していれば? もしくは親に相談していれば? そうすれば次の犠牲者は出なかったかもしれない。それに、子どもたちから誘ったという証言もある」
「あなたはさっきから何を言っているのですか? 子どもたちには何の罪もありません。あなたが言っているのは、悪をなす側の勝手な屁理屈です。論理のすり替えです。そんな言い分がまかり通るわけがないでしょう」
オリガはたまりかねて、大声で反論する。
「まあ、それならそれで構いません。私にとっては些細な違いです。さあ、次の段階に進みますよ。世界を統べる新教皇の誕生です。ええ、私ですとも。私こそが新しい世界を導くにふさわしい、そのやる気のない老人よりははるかに」
司教は教皇を指差した。
「教皇は手ぬるいのですよ。世界で最も大きな力を手にしておきながら、なんら有効に使おうとしない。宝の持ち腐れです。私ならその力で悪を糾弾し、善なるものだけの世界を作れるのに。さあ、教皇の証である指輪を渡してください。手荒なまねはしたくないですからね」
教皇は司教を見上げた。
「そなたは、いったいいつから、そのような邪な考えにとりつかれたのだ? 民のために善をなすとまっすぐ燃えていたではないか」
「いつからでしょう。分かりませんね。ただ、そうですね。虚しくなっていったのですよ。ここで祈っても届かない、世界はいつも泣き声であふれている。私にもっと力があれば、悪をこらしめ、正しく世界を導いていけるのに、とね」
司教は悲しみに満ちた顔を向ける。
「どうです、オリガさん、私の手を取りませんか? あなたも世直しがお好きなのでしょう? 新教皇の力とあなたの武力を組み合わせて、より良い世界を作りましょう。大きな枠組みを作ってしまえば、仕組みで弱き者たちを救えるのです。全体を底上げすれば、救える人数が増えるのです」
「お前は、お前の言ってることは、正しいようで、どこかおかしい。私は、わらわはそなたの手など取らぬ」
「分かっていただけなくて残念です。だが時間はたっぷりありますから、ゆっくり考え直してもらいましょう。さあ、指輪を渡してください。私が教皇となり、祈りに答えぬ神の代わりとなって世界を統治するのだから」
教皇はため息をつき、厳しい目を司教に向けると
「残念だよ。目をかけて、育ててきたのに。そなたたち、司教を捕らえよ」
宗教騎士に命じる。目の前の事態に混乱して手をこまねいていた騎士たちは、司教を捕らえようと動く。
「さあ、指輪を渡せ。この子の命が惜しいのならな」
司教は震えている子どもを引き寄せると、首に短剣を当てる。子どもの目から涙がひと粒こぼれ落ちた。
オリガは動けなかった。この部屋に入ってから感じていた圧力が、どんどんと重みを増し、体を床に押しつけられているのだ。これは、この力は神のもの。
「バカな。お前に神の代理が務まるものか。分からぬのか? ここはこんなに神の気配が強いの……に……」
オリガの意識は暗転した。
◇◇
この猫がお前の元に戻りたいと言う
だからお前を呼んだ
お前もここにいればよい
モーとフー? 呼んでみればいい
テオドール? 人の男はダメだ
俺は人の男は嫌いだ
司教は男ばかり? そうだ意味が分からん
初めに来たやつか? あれは女だぞ
祈るのは女にしろと言っておけ
帰るのか、それならそれでもいい
ただし、お前の一部を俺に食わせろ
そうだな、この間あの男を蹴った足がいいな
あれはなかなかおもしろかった
いいさ、ゆっくり悩め
時間はたっぷりある
決めたか
そこまでして帰りたいか
ではよこせ
お前の体を食わせろ
食わせろ食わせろ食わせろ
熱い
痛い
熱い
気が狂う
テオドール
たすけて
◇◇
「……ガ、オリガ、オリガ」
「テ……オドール。泣いているのか? どこか痛いのか?」
「オリガ」
オリガを抱きかかえ、髪に顔を埋めていたテオドールは、ガバリと顔を上げる。オリガの目をのぞき込むと、深く口づけした。
「テオドール……息が、できな……痛っ」
オリガは絶叫した。
「オリガ、どこが痛い、教えてくれ」
「足、足が……。狐に、食われた……」
テオドールはさっとオリガの足に目をやる。足首から先を失って血を流すオリガの右脚を見て、テオドールは真っ青になって叫ぶ。
「ウゥルペース・アウレア! 私の足を捧げる。オリガの足を返してくれ」
テオドールは止める間もなく騎士から剣を奪い、自分の足に突き立てようとする。
「やめろ!」
オリガが叫んだとき、黄金の狐が眩い閃光を放った。
「男の足はいらん。女の足は気に入った。代わりに俺の足をやろう。大事にしろ」
オリガの失った足首の先に、フワリとオリガの足が戻った。
「足が戻った。わらわの足じゃが、妙な色じゃ……」
「俺の色だ。ありがたく思え」
狐が言い、テオドールがものすごくイヤな顔をする。
「ウゥルペース・アウレアだと! ホンモノなのか? おお、おお、神よ、我に力を与えたまえ。新教皇となり世界を正しく導きましょう」
司教が奇妙に光る目で黄金の狐ににじりよる。
「新教皇は女にしろ。これからずっと女だ。司教も司祭も全部女」
「それはあまりにも横暴じゃ」
「ではよきにはからえ」
黄金の狐は動かぬただの銅像に戻った。
オリガは足を引きずりながら、呆然としている司教に近づくと、おもむろに一発腹を殴る。
「お前のような屁理屈こね野郎は一度痛い目に合った方がいい。司教や司祭たちはどうでもいいが、よくも子どもたちの傷を土足で踏んでくれたのう」
オリガは今度は顔を殴る。
「わらわもな、正しきことをなすため、力がほしいと願う。だがの、お前とわらわは違う。わらわは力を己で身につけようとする。お前のように、手っ取り早く他から力を奪おうとはせぬよ。お前はお前の力で人を助けよ、まずそこからじゃろう」
オリガは次に背中を踏んだ。痛みがなくなったので、狐に返してもらった利き足で踏んだところ、おかしな感触があった。
「む、なんじゃ、おかしな感じがしたぞ」
ギャー 悲鳴を上げながら、司教が床をゴロゴロ転げ回る。
「しまった。やりすぎたか。おい、まだ死ぬなよ」
ベリベリッと祭服を突き破り、背中に木が生えた。木はぐんぐん伸びると、司教の頭上で実をつける。
「リンゴじゃの。わらわは絶対に食べぬぞ」
そこにいる全員がうなずいた。
ウゥルペース・アウレア教は近隣諸国一帯に強い影響力を持つ。ドヴァトリーニ王国をはじめとして、国教として定めている国が多い。ドヴァトリーニ王国では、政教分離がなされているが、教会の影響力は無視できない。
教皇のひとことで、数百万もの信者が動くことを考えると、いかなオリガとて身がすくむ。
しかし、優しそうなおじいさんにしか見えぬが。オリガは少し首をかしげる。いや、わらわのおじいさまも、普段は柔和でおっとりしておるではないか。オリガは決して油断せぬよう己を戒める。
「それで、本日はどのような? 明後日の結婚式についてですかな?」
教皇の声は穏やかであたたかい。
「先ごろ我が国に光の力を使う者が現れました。我が国の教会司教より、聖女の認定を受けました」
テオドールがパメラから送られてきた、聖女認定証を教皇に渡す。
「おお、それはめでたいことです。光の力の使い手は年々減っておりますからな」
「聖女は一度、こちらに巡礼をしたいと望んでおります」
「それはぜひ、歓迎しますよ」
教皇は両手を広げて歓迎の意を表す。
「ところが不穏なうわさを聞きつけまして。聖女がけがれを受けるのではと、ためらっております」
「それはそれは、けがれとは穏やかではありませんな」
「私どもの調べによると、これらの司教や司祭、なにやらよからぬことをしているようです」
テオドールは名前の一覧を記した紙を渡すが、教皇は受け取らない。テオドールは机の上に紙を置いた。
「よからぬことと言うと?」
「聞くところによりますと、それらの者は信者の子どもらに手をつけているようです」
「馬鹿げた流言ですな」
「根も葉もないうわさであればよかったのですが……。たまたま昨日、我々も目撃したのです。これは教皇のお耳に入れる必要があると思い、急遽このような形を取らせていただきました」
教皇はトントンと、名前の記載された紙を指で叩いた。
「証拠は?」
「残念ながら、公の場で証言する者はいないでしょう。それはここでの生活を捨てると同義。生半可な覚悟でできることではありません」
教皇はトントントントンと指で机を叩き続ける。
「これは、確かに捨ておけん。事実だとしたら許し難き蛮行。神のお膝元で、神の僕たる司祭がなんということを……」
「失礼ですが、教皇。このような些事、わたくしの方で処理しておきます」
後ろに控えていた司教がスッと近寄ると、教皇の持つ紙に手を伸ばす。いかにも切れ者といった怜悧な雰囲気の司教だ。教皇はしばしためらったのち、紙を司教に渡した。
「少々お時間をいただきますが、きちんと対応いたしますので、ご安心ください」
司教がなだめすかすような口調で告げる。ワガママな王族のお戯れにつき合っているんだぞ、そういう風にオリガには聞こえた。オリガは膝の上で拳をきつく握りしめる。
「ダメです。それでは遅すぎます。時間なんてありません。今すぐ、その名前の者を隔離してください」
オリガの訴えを聞き、司教は目を細めると、にこやかに微笑む。
「何を子供のようなことをおっしゃいますやら。物事はそのように単純ではありません。大人のことは大人に任せておきなさい、お嬢さん」
オリガは机のふちをつかんだ。
「子どもが被害者なのです。子どもの私が主張して何が悪いのですか? どうか聞いてください。売り物の陶器が割れたとか、そういう話ではないのですよ。陶器なら作り直せばいい、お金で解決ができます。でも、子どもの尊厳が踏みにじられたら、その子の心はもう治らないのです。心は作りなおせない。今、どこかで子どもが傷つけられようとしているのに、黙って見ているおつもりですか?」
司教は、やれやれという風に肩をすくめて首をふる。司教が口を開こうとしたとき、それを教皇が遮った。
「私が誓いましょう。神の御名によって、すみやかにこの者らを隔離しましょう。そして調べた上でしかるべき対応をする。私が今誓えるのはここまでです」
司教は不満のようだが、口をつぐんだ。教皇は、部屋の外で護衛をしている宗教騎士のひとりを呼ぶ。
「これらの者を今すぐ宮殿に連れてくるように。それぞれ見張りをつけた上で、別々の部屋に入れて待たせておきなさい」
騎士は紙の名前を見ると、記憶したのか紙は教皇に返して出ていった。
「さあ、それでは今日はここまでです。明後日の結婚式でお会いしましょう」
教皇は落ち着いた口調で言うと、安心させるようにオリガを見てうなずいた。
◇◇
「これでよかったのじゃろうか」
宮殿を出て、オリガはポツリとつぶやいた。
「初動としては十分だと思う。あとは教皇の動きを見て、できることをやるだけだ。聖女パメラの巡礼を口実にすれば、私たちで調査もできるし、滞在も延ばせる。ここでしばらく新婚旅行をしてもいい。父上の許可はとっている」
テオドールの言葉にオリガは顔を赤らめた。すっかり後回しにしていたが、いよいよ明後日にはテオドールと結婚するのだ。
できればスッキリした気分で式を挙げたいものじゃ、茜色の空を見ながらオリガは密かに願った。
◇◇
その夜、オリガはテオドールの腕の中で目を覚ました。
宿を取り囲む人の気配。ベッドを出ようとして、テオドールに止められる。
「オリガ、ここは聖域に近い。暴力はいけない。ましてや血を流すのは禁忌だ」
オリガは絶望した。たいていのことを腕力で解決してきた己は、力を封じられるとただの無力な公爵令嬢だ。テオドールを守れない。
「オリガ、いくら教皇庁とはいえ、一国の王子を手荒には扱えない。流れに身を任せよう」
テオドールの言葉に、オリガは渋々うなずく。
しばらくすると、扉が叩かれハリソンが宗教騎士を部屋に入れる。
「ドヴァトリーニ王国第一王子テオドール殿下で間違いないでしょうか?」
「ああ」
テオドールは淡々と答える。
「教皇がお呼びです。礼拝堂までご足労いただけますか?」
「分かった。すぐ支度する。オリガ」
テオドールはしがみついているオリガを優しく叩く。
「いやじゃ。絶対に離れない」
オリガは更に力を強くして、テオドールに絡みついた。木に登った猿のようなまぬけな格好だが、気にしている場合ではない。
「オリガ」
テオドールが困った顔でオリガを見下ろす。
「オリガ・ロッセリーニ公爵家令嬢でしょうか。お望みであればご同行いただくよう、教皇から指示を受けております」
オリガはテオドールにしがみついたまま、頷いた。
「行く」
◇◇
騎士団に連れられて、三人は宮殿に連なる円形の礼拝所へと入っていった。中心にある黄金の狐像の周りに、教皇や司祭、そして怯え切った子どもたちが座っている。三人は教皇の隣に座らされた。
「ようこそいらっしゃいました。それでは断罪を始めましょう」
先ほどオリガを子ども扱いした司教が大きく両手を広げて、皆を見回す。
「誰しも罪があるといいますが、今日はたくさんの罪人がいますね。神の前で罪を懺悔しましょうね」
司教が子どもに言い含めるように、ゆっくりと話す。
「もっとも重い罪は、神に仕える身でありながら、無垢な子どもを醜い欲望のはけ口にした者です。除籍処分の上、教皇庁から追放が妥当でしょう」
いいのではないか、オリガは思った。
「次に重い罪は、この事態を招いた教皇です。職務怠慢で教皇を辞任、司教からやり直しが適当ではないでしょうか」
オリガは首をひねった。オリガにはよく分からなかった。教皇をいきなり辞任に追い込むのはやりすぎではないだろうか。
「次、子どもたち。哀れな被害者です、その通りです。ですが考えてみてください。ひとりひとりがすぐに大きな声で抵抗していれば? もしくは親に相談していれば? そうすれば次の犠牲者は出なかったかもしれない。それに、子どもたちから誘ったという証言もある」
「あなたはさっきから何を言っているのですか? 子どもたちには何の罪もありません。あなたが言っているのは、悪をなす側の勝手な屁理屈です。論理のすり替えです。そんな言い分がまかり通るわけがないでしょう」
オリガはたまりかねて、大声で反論する。
「まあ、それならそれで構いません。私にとっては些細な違いです。さあ、次の段階に進みますよ。世界を統べる新教皇の誕生です。ええ、私ですとも。私こそが新しい世界を導くにふさわしい、そのやる気のない老人よりははるかに」
司教は教皇を指差した。
「教皇は手ぬるいのですよ。世界で最も大きな力を手にしておきながら、なんら有効に使おうとしない。宝の持ち腐れです。私ならその力で悪を糾弾し、善なるものだけの世界を作れるのに。さあ、教皇の証である指輪を渡してください。手荒なまねはしたくないですからね」
教皇は司教を見上げた。
「そなたは、いったいいつから、そのような邪な考えにとりつかれたのだ? 民のために善をなすとまっすぐ燃えていたではないか」
「いつからでしょう。分かりませんね。ただ、そうですね。虚しくなっていったのですよ。ここで祈っても届かない、世界はいつも泣き声であふれている。私にもっと力があれば、悪をこらしめ、正しく世界を導いていけるのに、とね」
司教は悲しみに満ちた顔を向ける。
「どうです、オリガさん、私の手を取りませんか? あなたも世直しがお好きなのでしょう? 新教皇の力とあなたの武力を組み合わせて、より良い世界を作りましょう。大きな枠組みを作ってしまえば、仕組みで弱き者たちを救えるのです。全体を底上げすれば、救える人数が増えるのです」
「お前は、お前の言ってることは、正しいようで、どこかおかしい。私は、わらわはそなたの手など取らぬ」
「分かっていただけなくて残念です。だが時間はたっぷりありますから、ゆっくり考え直してもらいましょう。さあ、指輪を渡してください。私が教皇となり、祈りに答えぬ神の代わりとなって世界を統治するのだから」
教皇はため息をつき、厳しい目を司教に向けると
「残念だよ。目をかけて、育ててきたのに。そなたたち、司教を捕らえよ」
宗教騎士に命じる。目の前の事態に混乱して手をこまねいていた騎士たちは、司教を捕らえようと動く。
「さあ、指輪を渡せ。この子の命が惜しいのならな」
司教は震えている子どもを引き寄せると、首に短剣を当てる。子どもの目から涙がひと粒こぼれ落ちた。
オリガは動けなかった。この部屋に入ってから感じていた圧力が、どんどんと重みを増し、体を床に押しつけられているのだ。これは、この力は神のもの。
「バカな。お前に神の代理が務まるものか。分からぬのか? ここはこんなに神の気配が強いの……に……」
オリガの意識は暗転した。
◇◇
この猫がお前の元に戻りたいと言う
だからお前を呼んだ
お前もここにいればよい
モーとフー? 呼んでみればいい
テオドール? 人の男はダメだ
俺は人の男は嫌いだ
司教は男ばかり? そうだ意味が分からん
初めに来たやつか? あれは女だぞ
祈るのは女にしろと言っておけ
帰るのか、それならそれでもいい
ただし、お前の一部を俺に食わせろ
そうだな、この間あの男を蹴った足がいいな
あれはなかなかおもしろかった
いいさ、ゆっくり悩め
時間はたっぷりある
決めたか
そこまでして帰りたいか
ではよこせ
お前の体を食わせろ
食わせろ食わせろ食わせろ
熱い
痛い
熱い
気が狂う
テオドール
たすけて
◇◇
「……ガ、オリガ、オリガ」
「テ……オドール。泣いているのか? どこか痛いのか?」
「オリガ」
オリガを抱きかかえ、髪に顔を埋めていたテオドールは、ガバリと顔を上げる。オリガの目をのぞき込むと、深く口づけした。
「テオドール……息が、できな……痛っ」
オリガは絶叫した。
「オリガ、どこが痛い、教えてくれ」
「足、足が……。狐に、食われた……」
テオドールはさっとオリガの足に目をやる。足首から先を失って血を流すオリガの右脚を見て、テオドールは真っ青になって叫ぶ。
「ウゥルペース・アウレア! 私の足を捧げる。オリガの足を返してくれ」
テオドールは止める間もなく騎士から剣を奪い、自分の足に突き立てようとする。
「やめろ!」
オリガが叫んだとき、黄金の狐が眩い閃光を放った。
「男の足はいらん。女の足は気に入った。代わりに俺の足をやろう。大事にしろ」
オリガの失った足首の先に、フワリとオリガの足が戻った。
「足が戻った。わらわの足じゃが、妙な色じゃ……」
「俺の色だ。ありがたく思え」
狐が言い、テオドールがものすごくイヤな顔をする。
「ウゥルペース・アウレアだと! ホンモノなのか? おお、おお、神よ、我に力を与えたまえ。新教皇となり世界を正しく導きましょう」
司教が奇妙に光る目で黄金の狐ににじりよる。
「新教皇は女にしろ。これからずっと女だ。司教も司祭も全部女」
「それはあまりにも横暴じゃ」
「ではよきにはからえ」
黄金の狐は動かぬただの銅像に戻った。
オリガは足を引きずりながら、呆然としている司教に近づくと、おもむろに一発腹を殴る。
「お前のような屁理屈こね野郎は一度痛い目に合った方がいい。司教や司祭たちはどうでもいいが、よくも子どもたちの傷を土足で踏んでくれたのう」
オリガは今度は顔を殴る。
「わらわもな、正しきことをなすため、力がほしいと願う。だがの、お前とわらわは違う。わらわは力を己で身につけようとする。お前のように、手っ取り早く他から力を奪おうとはせぬよ。お前はお前の力で人を助けよ、まずそこからじゃろう」
オリガは次に背中を踏んだ。痛みがなくなったので、狐に返してもらった利き足で踏んだところ、おかしな感触があった。
「む、なんじゃ、おかしな感じがしたぞ」
ギャー 悲鳴を上げながら、司教が床をゴロゴロ転げ回る。
「しまった。やりすぎたか。おい、まだ死ぬなよ」
ベリベリッと祭服を突き破り、背中に木が生えた。木はぐんぐん伸びると、司教の頭上で実をつける。
「リンゴじゃの。わらわは絶対に食べぬぞ」
そこにいる全員がうなずいた。
32
あなたにおすすめの小説
【完結】私を捨てた皆様、どうぞその選択を後悔なさってください 〜婚約破棄された令嬢の、遅すぎる謝罪はお断りです〜
くろねこ
恋愛
王太子の婚約者として尽くしてきた公爵令嬢エリシアは、ある日突然、身に覚えのない罪で断罪され婚約破棄を言い渡される。
味方だと思っていた家族も友人も、誰一人として彼女を庇わなかった。
――けれど、彼らは知らなかった。
彼女こそが国を支えていた“本当の功労者”だったことを。
すべてを失ったはずの令嬢が選んだのは、
復讐ではなく「関わらない」という選択。
だがその選択こそが、彼らにとって最も残酷な“ざまぁ”の始まりだった。
婚約破棄された翌日、兄が王太子を廃嫡させました
由香
ファンタジー
婚約破棄の場で「悪役令嬢」と断罪された伯爵令嬢エミリア。
彼女は何も言わずにその場を去った。
――それが、王太子の終わりだった。
翌日、王国を揺るがす不正が次々と暴かれる。
裏で糸を引いていたのは、エミリアの兄。
王国最強の権力者であり、妹至上主義の男だった。
「妹を泣かせた代償は、すべて払ってもらう」
ざまぁは、静かに、そして確実に進んでいく。
側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!
花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」
婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。
追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。
しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。
夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。
けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。
「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」
フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。
しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!?
「離縁する気か? 許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」
凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。
孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス!
※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。
【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】
婚約破棄で悪役令嬢を辞めたので、今日から素で生きます。
黒猫かの
恋愛
「エリー・オルブライト! 貴様との婚約を破棄する!」
豪華絢爛な夜会で、ウィルフレッド王子から突きつけられた非情な宣告。
しかし、公爵令嬢エリーの心境は……「よっしゃあ! やっと喋れるわ!!」だった。
婚約破棄された人たらし悪役令嬢ですが、 最強で過保護な兄たちと義姉に溺愛されています
由香
ファンタジー
婚約破棄のその日、
悪役令嬢リリアーナは――弁明すら、しなかった。
王太子と“聖女”に断罪され、すべてを失った彼女。
だがその裏で、王国最強と名高い三人の兄と、
冷静沈着な義姉が、静かに動き始めていた。
再検証によって暴かれる“聖女の嘘”。
広場で語られる真実。
そして、無自覚に人を惹きつけてしまう
リリアーナの優しさが、次々と味方を増やしていく――。
これは、
悪役令嬢として断罪された少女が、
「誰かの物語の脇役」ではなく、
自分自身の人生を取り戻す物語。
過保護すぎる兄たちと義姉に溺愛されながら、
彼女は静かに、そして確実に幸せへ向かっていく。
公爵令嬢は結婚式当日に死んだ
白雲八鈴
恋愛
今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。
「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」
突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。
婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。
そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。
その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……
生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。
婚約者とその番という女性に
『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』
そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。
*タグ注意
*不快であれば閉じてください。
【完結】断罪された悪役令嬢は、二度目は復讐に生きる
くろねこ
恋愛
公爵令嬢リリアーネ・アルフェルトは、
聖女と王国第一王子に嵌められ、
悪女として公開断罪され、処刑された。
弁明は許されず、真実を知る者は沈黙し、
彼女は石を投げられ、罵られ、
罪人として命を奪われた――はずだった。
しかし、彼女は教会の地下で目を覚ます。
死を代償に得たのは.........
赦しは選ばない。
和解もしない。
名乗るつもりもない。
彼女が選んだのは、
自分を裁いた者たちを、
同じ法と断罪で裁き返すこと。
最初に落ちるのは、
彼女を裏切った小さな歯車。
次に崩れるのは、
聖女の“奇跡”と信仰。
やがて王子は、
自ら築いた裁判台へと引きずり出される。
かつて正義を振りかざした者たちは、
自分が断罪される未来を想像すらしていなかった。
悪女は表舞台に立たない。
だがその裏側で、
嘘は暴かれ、
罪は積み上がり、
裁きは逃げ場なく迫っていく。
これは、
一度死んだ悪女が、
“ざまぁ”のために暴れる物語ではない。
――逃げ場のない断罪を、
一人ずつ成立させていく物語だ。
婚約破棄を望むなら〜私の愛した人はあなたじゃありません〜
みおな
恋愛
王家主催のパーティーにて、私の婚約者がやらかした。
「お前との婚約を破棄する!!」
私はこの馬鹿何言っているんだと思いながらも、婚約破棄を受け入れてやった。
だって、私は何ひとつ困らない。
困るのは目の前でふんぞり返っている元婚約者なのだから。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる