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【第一章】おなかいっぱい食べたいな
3. チャリティーパーティー
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シュバイン子爵だけではなく、他の貴族にも孤児を売りつけたい。孤児院長はそう思ったのだろう。孤児院でチャリティーパーティーが開かれることになった。裕福な貴族、危ない趣味を持っている人が呼ばれているみたい。
今日は、新しいワンピースを着ている。院長が買ってくれた、薄い水色のワンピース。
「役割をわかっているな」
それだけ言われた。それで、十分だった。かわいくして、ちゃんと売れないと、みんなが飢えちゃうんだ。
エラが着るのを手伝ってくれた。こういうワンピースは、後ろにボタンがついているから、ひとりじゃ着れない。
「サブリナ、いいの? その人、変態なんでしょう? イベント会場でおしっこもらしちゃいなよ」
「本当にイヤだったら、そうするかもしれないけど」
そんなこと、できるわけないって、アタシもエラも知ってる。それに、そういうのを喜んじゃう変態だったら、もっとひどいことになっちゃうし。夢の中には色んな変態がいたもん。
エラとふたりで鏡を見る。
「サブリナ、本当にかわいいね」
「うん、ホントにかわいい。目立っちゃうね」
鏡の中で、エラと目が合う。エラの目が真っ赤だ。アタシは、泣かない。今日は、絶対泣かないって決めてる。
「アタシ、がんばる」
エラが後ろからギュッと抱きしめてくれた。鏡の中の美幼女な自分をしっかりと目に焼きつける。この見た目は、武器にもなるんだもん。使わなきゃ。
エラが部屋から出て行ってから、枕の下に隠してあった号外を読み直す。もう何度も読んで、すっかり覚えてしまってるけど。
「アタシの武器は、かわいさと未来の知識」
そして、もうひとつある。色んな新聞社から出ている号外の中で、たったひとり公正な記事を書いてくれた記者。彼に招待状を送ってある。
「来てくれるかな」
来てくれるといいな。彼ならきっと、見抜いてくれる。今日の茶番の裏側を。
気合を入れて、会場に向かう。途中でボビーたちに会った。ボビーたちは、着飾ったアタシを見て目を丸くする。
「サブリナ、大丈夫か?」
「大丈夫じゃないけど、なんとかする。みんなもがんばってね」
「おお、なんとかやってみる」
ボビーたちは会場には入らず、孤児院の本館に向かう。見た目がよくて売れそうな孤児だけが、会場に入るんだ。
ボビーたちと別れ、最後の確認をしに台所に行った。何かにとりつかれたように働く料理長がいた。
「スティーヴさん、料理長」
こっそり呼びかけると、料理長がいそいそとやってくる。
「サブリナじゃないか。どうしたんだい?」
「猫ちゃん触っていいか、聞きにきたの」
「それは本人、じゃなかった、猫ちゃんに聞いておくれ。触られていやじゃなかったら、触らせてくれるだろう」
「それもそっか。あの、ちょっとお腹が減ったから、なにか食べるものもらえないかな」
「おお、いいとも。今日は凝った料理はないんだけどね。パーティーで出すのは乾きものだけなんだ」
お皿にクラッカーやチーズ、果物なんかが盛り付けられている。
「スープはないんだ。料理長のスープ、大好きなんだけど」
しょぼんとした顔をすると、料理長は両手をこすりあわせて満面の笑みを見せる。
「昨日の残りが少しあるよ。温めてあげよう。少し待ってなさい」
鍋を火にかける料理長を見ながら、そーっと並べられているワインに近づく。コルクをはずし、ポケットから紙包みを出し、白い粉をワインに入れた。
「こらっ」
「ひっ」
振り返ると料理長が怖い顔をしている。全身から血の気が引いた。
料理長はワインボトルを取り上げるとお盆の上に載せる。
「子どもは酒に近づいちゃダメ。酒は、毒だぞ。絶対に飲んだらダメだぞ」
「はーい」
「まったく、今の子どもは油断も隙もありゃしない。いくらお腹が減ってるからって、ワインを飲もうとするなんてな」
料理長は大げさにため息を吐きながら鍋のところに戻ると、お椀にスープを入れてくれた。
「ほら、ワインなんかより、スープの方がいいだろ」
「うん。ありがとう。料理長のスープ、だーいすき」
「はっはっは。素直な子はおじさんも大好きだよ」
料理長は上機嫌でワインやクラッカーを運び出していった。
本当はそんなにお腹はすいてなかったけど、急いでスープを飲む。うまくいきますように。
この前また、おばあちゃんの夢を見たんだ。
「サブリナ、覚えておきな。このクンツェの実は相手の恋心を知りたいときに使うんだ。よく熟して黄色になるまで待つんだよ」
「これもすりつぶして天日で干せばいいんだよね」
「そうだ。だが、気をつけるんだよ。酒に混ぜると、効果が強くなってしまう。普段は心の奥底にしまっている、どす黒いものまでベラベラしゃべっちまうからね。恋人の知りたくないことまで知るハメになるよ」
「わかった、気をつけるね」
おばあちゃん、ありがとう。今日パーティーに来る人の、どす黒いものを全部聞いてくるからね。見守っていてね。
いよいよだわ。アタシの切り札。時間通りに来てくれるといいけれど。孤児院の裏口でじっと待つ。あれかな。違った。あ、きっとあれだ。あ、違った。犬の散歩してる普通の人だ。あれ、目があった? お兄さんが犬と一緒に近づいて来る。
「こんにちは。孤児院でパーティーがあると聞いてやってきました」
「犬も?」
あ、しまった。ビックリして、挨拶もできなかった。
「この子は相棒のネイト。いつも一緒なんだ。いい子だから、庭で待たせていてもいいかな?」
「あ、うん。でも、庭には猫もいるけど」
「大丈夫。ネイトは誰とでも仲良くなれるから。ほら、ね」
黒犬のネイトが、ひとなつっこくアタシの手の平をペロペロなめた。すごくくすぐったい。
「ネイトは悪い人には絶対なつかないんだ。だから、君はいい人だね。ええっと、俺はジョー。君が手紙をくれた人? 孤児院の裏口に、料理人っぽい恰好で来てって、おかしな指示が書いてあったけど」
ジョーさんは黒髪で、黒犬ネイトとよく似た色合い。黒ぶちメガネの向こうから黒色の目がのぞいている。とてもかしこそう。それに、黒は安全な色。
アタシは手を伸ばしてジョーさんと握手する。大きな手、長い指。この指で、アタシの号外を書いたのね。
「こんにちは。アタシはサブリナ。お兄さんが来てくれて嬉しい。今日のチャリティーパーティーは訳アリなの。今日起こることをしっかり見て、新聞に書いてほしいの」
「うーん、それはネタ次第だからなあ。約束はできないよ。俺はまだ駆け出しだから、編集長を納得させられないと、新聞には載らないんだ」
「うん、大丈夫。ジョーさんは、すご腕の記者になる人だから」
「え?」
「こっちに来て。エプロンつけて。お盆持ってウロウロしててね。約束よ、何も飲まないでね。絶対だよ」
「おい、君、ちょっと」
ジョーさんを会場の裏口から中に押し込む。ネイトはアタシのことをじっと見て、しっぽをパタンと振った。
「ネイト、ジョーさんはいい人だよね? できる人だよね?」
ネイトがまたしっぽをパタンと振る。手の平をペロッとしてくれた。大丈夫って言ってるみたい。
「ここで待っててね。猫と仲良くしてね」
ネイトはペタンと腹ばいになると、クワッとあくびをして、両足に頭を乗せて目をつぶった。
ネイトの頭をひとなでして、会場の表口に回る。いよいよ戦いが始まる。
表口から会場の中に入ると、もう人がたくさんいた。身なりのいい、背の高い貴族男性たち。その中で、心細そうな顔をしている見た目のいい孤児。女の子だけじゃなく、男の子もいる。みんな、ちゃんとした服装で、いつになく清潔。みんなのところにいくと、不安そうな女の子にギュッと手を握られた。
「こわいよ」
「なんとかするから。今日はがんばろうね」
「うん」
男子も女子も、手をつないだ。そうしないと、大人たちの視線の中で、立っていられない気がした。
お盆を持った給仕が会場の中を回る。大人たちの手にワイングラスがいきわたった。ジョーさんは見事に給仕になりすましている。ジョーさんをチラッと見ると、少し気持ちが落ち着く。ペンは剣より強いって言うもん。きっと見届けてくれる。
孤児院長が咳払いした。
「本日はお忙しい中、当孤児院のチャリティーパーティーに起こしいただき、誠にありがとうございます」
院長は流れるように挨拶をする。孤児院が心ある貴族の寄付によって成り立っていること。少ない予算ながらも、教育に力を入れていて、孤児たちは読み書きもできること。働いて自立できるようになることが、院長と孤児たちの希望であること。
「特に優秀な子どもたちをお披露目いたします。子どもたちに働き口を与えていただけないでしょうか」
院長は深々とお辞儀をした。貴族たちからパラパラと拍手が起こる。
「それでは、ウォルフハート王国の繁栄と皆様の益々のご健勝、そして孤児院の成長を願って、乾杯」
「乾杯」
大人たちが、特に院長とシュバイン子爵がワインを飲み干すのを、しっかりと見届ける。やった。まだまだ先は長いけど、第一関門突破だ。
チカチカッと何かが光った。なんだろう。目を凝らすと、誰かの指輪が光っている。ヘビ型の指輪の目の部分だ。持ち主と目が合った。氷のような銀色の瞳。手足が冷たくなった。
「ぶはーっ、なかなかうまいワインですなー」
誰かが大声で言う。貴族らしくない口ぶり。会場中の人が、その人を見る。トマトのように赤い髪の男性が、ワインをおかわりしている。早速、薬が効いているみたい。
会場が少し暑くなった気がする。急に目の前が暗くなった。ネットリとした声が振ってくる。
「君、かわいいねえ。おなまえなんですか?」
「うっ」
香水と口臭が混ざり合って、鼻が曲がりそう。見上げると、視界からはみ出るぐらいの巨体。家紋がブタだから、ブタ子爵とこっそり呼ばれているシュバイン子爵だ。
「うわ、サブリナです」
「ふがっ、かわいいねえ。実に愛らしいねえ。ピンク色の髪というのがいいじゃないか」
「おえっ、あわっ、ありがとうございます」
おえって言っちゃった。大丈夫かな。うん、聞こえてなかったみたい。ふがふがの鼻息でかきけされたんだ。
「サブリナちゃんか。なまえもかわいいねえ。どうだいサブリナちゃん。うちの子にならないかい?」
「はやっ、はわ、はははいい」
勢いあまって、はいって言ってしまった。あわわ。落ち着け、アタシ。聞かなきゃいけないことがあるんだから。目だけ動かして、ジョーさんが近くにいるか確認する。いた、シュバイン子爵の後ろにいる。さすが。
「あああ、あの。シュバイン子爵閣下は、前にこの孤児院からアルマを養子縁組されましたよね? アルマは元気ですか?」
シュバイン子爵は首を傾げる。首とアゴにいっぱいしわができて、肉がたわわに揺れた。おえー。いや、おえーと思ってる場合じゃない。集中しなきゃ。
「アルマ、アルマ。ああ、あの子か。あの子はもう育ってしまってね。興味がそそられないんだ。やっぱり女の子は、サブリナちゃんぐらい小さい子が一番」
「き」
きもーと言いそうになって、慌てて手で口をふさぐ。
シュバイン子爵が顔を近づけてくる。生温かい鼻息が髪にかかる。臭い。イヤだ、気持ち悪い。
すると、アタシの気持ちを代弁するような大声が後ろから聞こえてきた。
「うわっ、気持ち悪い。シュバイン子爵ってあれですか。幼女趣味ですか?」
「な、なんだ君はいきなり。失敬だな」
「ああ、失礼しました。礼儀がなってないことで有名なアッフェン男爵です。以後、お見知りおきを。いや、やっぱいいです。幼女趣味とか、人の道にもとりますからな。おえー」
うわー、トマト髪のおじさん、じゃなかった、アッフェン男爵、ありがとうございます。でも、薬が効きすぎでーす。どうしよう。
「不愉快だ。帰る」
「みなさーん、幼女趣味のブタ子爵がお帰りでーす」
ドシンドシン。シュバイン子爵が歩くたびに、お盆の上のワイングラスがカタカタ揺れる。すっかり静かになった会場をシュバイン子爵の足音だけが響いた。
「いやはや、これは。とんでもない場に居合わせてしまった。これは喜劇か、はたまた悲劇か。シュバイン子爵家のアルマに話を聞く必要があるだろうな」
ヘビの指輪を持つ男性が言うと、周りの貴族が慌てて同意するように頷く。
「孤児院長、よもやとは思うが、孤児を人身売買しているのか。幼い子どもに無体を働くなど、アッフェン男爵が言うように、それは人の道にもとる行いであるが」
「いや、そんな。まさか。人身売買など滅相もない。適材適所でございます」
「ふむ、適材適所とは?」
「孤児たちはタダ乗り族。生涯にわたって税金の恩恵を受けるだけで、返すことのできない役立たず。高く売れるうちに、売ってあげるのが孤児院にとっても、国にとっても最善ではありませんか」
院長の発言に、会場は騒然となった。
「語るに落ちたな院長。パイソン公爵家の名によって、そなたを捕える。司法によって正しく裁かれるがよい。院長の罪が明らかになり、新しい院長を任命するまで──」
ヘビの指輪を持つパイソン公爵は、ゆっくりと会場を見渡した。パイソン公爵の目が一点で止まる。
「アッフェン男爵に仮の孤児院長になってもらおう。これほど腹の中をあらわにする貴族は他に知らぬ。彼なら大それた悪事は働かんだろうし、働いたとしてもすぐに明らかになるだろうからな。皆、それでよいな?」
「はっ」
「えっ、オレー?」
貴族たちが恭しく従い、アッフェン男爵は叫んだ。大騒ぎの中、院長はパイソン公爵家の護衛によってとらえられた。
「皆の者、今日のことは口外せぬように。王家から通達があるまで、沈黙をつらぬくのだ」
「はっ」
「ええー、なにがなんだかー」
アッフェン男爵だけが状況を把握できていない。パイソン公爵はすっとジョーさんに近寄ると、何事かをささやいた。ジョーさんが一瞬固まって、すぐに小さく頷く。なんだろう。気になったけど、子どもたちは大人たちによって会場を追い出されてしまった。
今日は、新しいワンピースを着ている。院長が買ってくれた、薄い水色のワンピース。
「役割をわかっているな」
それだけ言われた。それで、十分だった。かわいくして、ちゃんと売れないと、みんなが飢えちゃうんだ。
エラが着るのを手伝ってくれた。こういうワンピースは、後ろにボタンがついているから、ひとりじゃ着れない。
「サブリナ、いいの? その人、変態なんでしょう? イベント会場でおしっこもらしちゃいなよ」
「本当にイヤだったら、そうするかもしれないけど」
そんなこと、できるわけないって、アタシもエラも知ってる。それに、そういうのを喜んじゃう変態だったら、もっとひどいことになっちゃうし。夢の中には色んな変態がいたもん。
エラとふたりで鏡を見る。
「サブリナ、本当にかわいいね」
「うん、ホントにかわいい。目立っちゃうね」
鏡の中で、エラと目が合う。エラの目が真っ赤だ。アタシは、泣かない。今日は、絶対泣かないって決めてる。
「アタシ、がんばる」
エラが後ろからギュッと抱きしめてくれた。鏡の中の美幼女な自分をしっかりと目に焼きつける。この見た目は、武器にもなるんだもん。使わなきゃ。
エラが部屋から出て行ってから、枕の下に隠してあった号外を読み直す。もう何度も読んで、すっかり覚えてしまってるけど。
「アタシの武器は、かわいさと未来の知識」
そして、もうひとつある。色んな新聞社から出ている号外の中で、たったひとり公正な記事を書いてくれた記者。彼に招待状を送ってある。
「来てくれるかな」
来てくれるといいな。彼ならきっと、見抜いてくれる。今日の茶番の裏側を。
気合を入れて、会場に向かう。途中でボビーたちに会った。ボビーたちは、着飾ったアタシを見て目を丸くする。
「サブリナ、大丈夫か?」
「大丈夫じゃないけど、なんとかする。みんなもがんばってね」
「おお、なんとかやってみる」
ボビーたちは会場には入らず、孤児院の本館に向かう。見た目がよくて売れそうな孤児だけが、会場に入るんだ。
ボビーたちと別れ、最後の確認をしに台所に行った。何かにとりつかれたように働く料理長がいた。
「スティーヴさん、料理長」
こっそり呼びかけると、料理長がいそいそとやってくる。
「サブリナじゃないか。どうしたんだい?」
「猫ちゃん触っていいか、聞きにきたの」
「それは本人、じゃなかった、猫ちゃんに聞いておくれ。触られていやじゃなかったら、触らせてくれるだろう」
「それもそっか。あの、ちょっとお腹が減ったから、なにか食べるものもらえないかな」
「おお、いいとも。今日は凝った料理はないんだけどね。パーティーで出すのは乾きものだけなんだ」
お皿にクラッカーやチーズ、果物なんかが盛り付けられている。
「スープはないんだ。料理長のスープ、大好きなんだけど」
しょぼんとした顔をすると、料理長は両手をこすりあわせて満面の笑みを見せる。
「昨日の残りが少しあるよ。温めてあげよう。少し待ってなさい」
鍋を火にかける料理長を見ながら、そーっと並べられているワインに近づく。コルクをはずし、ポケットから紙包みを出し、白い粉をワインに入れた。
「こらっ」
「ひっ」
振り返ると料理長が怖い顔をしている。全身から血の気が引いた。
料理長はワインボトルを取り上げるとお盆の上に載せる。
「子どもは酒に近づいちゃダメ。酒は、毒だぞ。絶対に飲んだらダメだぞ」
「はーい」
「まったく、今の子どもは油断も隙もありゃしない。いくらお腹が減ってるからって、ワインを飲もうとするなんてな」
料理長は大げさにため息を吐きながら鍋のところに戻ると、お椀にスープを入れてくれた。
「ほら、ワインなんかより、スープの方がいいだろ」
「うん。ありがとう。料理長のスープ、だーいすき」
「はっはっは。素直な子はおじさんも大好きだよ」
料理長は上機嫌でワインやクラッカーを運び出していった。
本当はそんなにお腹はすいてなかったけど、急いでスープを飲む。うまくいきますように。
この前また、おばあちゃんの夢を見たんだ。
「サブリナ、覚えておきな。このクンツェの実は相手の恋心を知りたいときに使うんだ。よく熟して黄色になるまで待つんだよ」
「これもすりつぶして天日で干せばいいんだよね」
「そうだ。だが、気をつけるんだよ。酒に混ぜると、効果が強くなってしまう。普段は心の奥底にしまっている、どす黒いものまでベラベラしゃべっちまうからね。恋人の知りたくないことまで知るハメになるよ」
「わかった、気をつけるね」
おばあちゃん、ありがとう。今日パーティーに来る人の、どす黒いものを全部聞いてくるからね。見守っていてね。
いよいよだわ。アタシの切り札。時間通りに来てくれるといいけれど。孤児院の裏口でじっと待つ。あれかな。違った。あ、きっとあれだ。あ、違った。犬の散歩してる普通の人だ。あれ、目があった? お兄さんが犬と一緒に近づいて来る。
「こんにちは。孤児院でパーティーがあると聞いてやってきました」
「犬も?」
あ、しまった。ビックリして、挨拶もできなかった。
「この子は相棒のネイト。いつも一緒なんだ。いい子だから、庭で待たせていてもいいかな?」
「あ、うん。でも、庭には猫もいるけど」
「大丈夫。ネイトは誰とでも仲良くなれるから。ほら、ね」
黒犬のネイトが、ひとなつっこくアタシの手の平をペロペロなめた。すごくくすぐったい。
「ネイトは悪い人には絶対なつかないんだ。だから、君はいい人だね。ええっと、俺はジョー。君が手紙をくれた人? 孤児院の裏口に、料理人っぽい恰好で来てって、おかしな指示が書いてあったけど」
ジョーさんは黒髪で、黒犬ネイトとよく似た色合い。黒ぶちメガネの向こうから黒色の目がのぞいている。とてもかしこそう。それに、黒は安全な色。
アタシは手を伸ばしてジョーさんと握手する。大きな手、長い指。この指で、アタシの号外を書いたのね。
「こんにちは。アタシはサブリナ。お兄さんが来てくれて嬉しい。今日のチャリティーパーティーは訳アリなの。今日起こることをしっかり見て、新聞に書いてほしいの」
「うーん、それはネタ次第だからなあ。約束はできないよ。俺はまだ駆け出しだから、編集長を納得させられないと、新聞には載らないんだ」
「うん、大丈夫。ジョーさんは、すご腕の記者になる人だから」
「え?」
「こっちに来て。エプロンつけて。お盆持ってウロウロしててね。約束よ、何も飲まないでね。絶対だよ」
「おい、君、ちょっと」
ジョーさんを会場の裏口から中に押し込む。ネイトはアタシのことをじっと見て、しっぽをパタンと振った。
「ネイト、ジョーさんはいい人だよね? できる人だよね?」
ネイトがまたしっぽをパタンと振る。手の平をペロッとしてくれた。大丈夫って言ってるみたい。
「ここで待っててね。猫と仲良くしてね」
ネイトはペタンと腹ばいになると、クワッとあくびをして、両足に頭を乗せて目をつぶった。
ネイトの頭をひとなでして、会場の表口に回る。いよいよ戦いが始まる。
表口から会場の中に入ると、もう人がたくさんいた。身なりのいい、背の高い貴族男性たち。その中で、心細そうな顔をしている見た目のいい孤児。女の子だけじゃなく、男の子もいる。みんな、ちゃんとした服装で、いつになく清潔。みんなのところにいくと、不安そうな女の子にギュッと手を握られた。
「こわいよ」
「なんとかするから。今日はがんばろうね」
「うん」
男子も女子も、手をつないだ。そうしないと、大人たちの視線の中で、立っていられない気がした。
お盆を持った給仕が会場の中を回る。大人たちの手にワイングラスがいきわたった。ジョーさんは見事に給仕になりすましている。ジョーさんをチラッと見ると、少し気持ちが落ち着く。ペンは剣より強いって言うもん。きっと見届けてくれる。
孤児院長が咳払いした。
「本日はお忙しい中、当孤児院のチャリティーパーティーに起こしいただき、誠にありがとうございます」
院長は流れるように挨拶をする。孤児院が心ある貴族の寄付によって成り立っていること。少ない予算ながらも、教育に力を入れていて、孤児たちは読み書きもできること。働いて自立できるようになることが、院長と孤児たちの希望であること。
「特に優秀な子どもたちをお披露目いたします。子どもたちに働き口を与えていただけないでしょうか」
院長は深々とお辞儀をした。貴族たちからパラパラと拍手が起こる。
「それでは、ウォルフハート王国の繁栄と皆様の益々のご健勝、そして孤児院の成長を願って、乾杯」
「乾杯」
大人たちが、特に院長とシュバイン子爵がワインを飲み干すのを、しっかりと見届ける。やった。まだまだ先は長いけど、第一関門突破だ。
チカチカッと何かが光った。なんだろう。目を凝らすと、誰かの指輪が光っている。ヘビ型の指輪の目の部分だ。持ち主と目が合った。氷のような銀色の瞳。手足が冷たくなった。
「ぶはーっ、なかなかうまいワインですなー」
誰かが大声で言う。貴族らしくない口ぶり。会場中の人が、その人を見る。トマトのように赤い髪の男性が、ワインをおかわりしている。早速、薬が効いているみたい。
会場が少し暑くなった気がする。急に目の前が暗くなった。ネットリとした声が振ってくる。
「君、かわいいねえ。おなまえなんですか?」
「うっ」
香水と口臭が混ざり合って、鼻が曲がりそう。見上げると、視界からはみ出るぐらいの巨体。家紋がブタだから、ブタ子爵とこっそり呼ばれているシュバイン子爵だ。
「うわ、サブリナです」
「ふがっ、かわいいねえ。実に愛らしいねえ。ピンク色の髪というのがいいじゃないか」
「おえっ、あわっ、ありがとうございます」
おえって言っちゃった。大丈夫かな。うん、聞こえてなかったみたい。ふがふがの鼻息でかきけされたんだ。
「サブリナちゃんか。なまえもかわいいねえ。どうだいサブリナちゃん。うちの子にならないかい?」
「はやっ、はわ、はははいい」
勢いあまって、はいって言ってしまった。あわわ。落ち着け、アタシ。聞かなきゃいけないことがあるんだから。目だけ動かして、ジョーさんが近くにいるか確認する。いた、シュバイン子爵の後ろにいる。さすが。
「あああ、あの。シュバイン子爵閣下は、前にこの孤児院からアルマを養子縁組されましたよね? アルマは元気ですか?」
シュバイン子爵は首を傾げる。首とアゴにいっぱいしわができて、肉がたわわに揺れた。おえー。いや、おえーと思ってる場合じゃない。集中しなきゃ。
「アルマ、アルマ。ああ、あの子か。あの子はもう育ってしまってね。興味がそそられないんだ。やっぱり女の子は、サブリナちゃんぐらい小さい子が一番」
「き」
きもーと言いそうになって、慌てて手で口をふさぐ。
シュバイン子爵が顔を近づけてくる。生温かい鼻息が髪にかかる。臭い。イヤだ、気持ち悪い。
すると、アタシの気持ちを代弁するような大声が後ろから聞こえてきた。
「うわっ、気持ち悪い。シュバイン子爵ってあれですか。幼女趣味ですか?」
「な、なんだ君はいきなり。失敬だな」
「ああ、失礼しました。礼儀がなってないことで有名なアッフェン男爵です。以後、お見知りおきを。いや、やっぱいいです。幼女趣味とか、人の道にもとりますからな。おえー」
うわー、トマト髪のおじさん、じゃなかった、アッフェン男爵、ありがとうございます。でも、薬が効きすぎでーす。どうしよう。
「不愉快だ。帰る」
「みなさーん、幼女趣味のブタ子爵がお帰りでーす」
ドシンドシン。シュバイン子爵が歩くたびに、お盆の上のワイングラスがカタカタ揺れる。すっかり静かになった会場をシュバイン子爵の足音だけが響いた。
「いやはや、これは。とんでもない場に居合わせてしまった。これは喜劇か、はたまた悲劇か。シュバイン子爵家のアルマに話を聞く必要があるだろうな」
ヘビの指輪を持つ男性が言うと、周りの貴族が慌てて同意するように頷く。
「孤児院長、よもやとは思うが、孤児を人身売買しているのか。幼い子どもに無体を働くなど、アッフェン男爵が言うように、それは人の道にもとる行いであるが」
「いや、そんな。まさか。人身売買など滅相もない。適材適所でございます」
「ふむ、適材適所とは?」
「孤児たちはタダ乗り族。生涯にわたって税金の恩恵を受けるだけで、返すことのできない役立たず。高く売れるうちに、売ってあげるのが孤児院にとっても、国にとっても最善ではありませんか」
院長の発言に、会場は騒然となった。
「語るに落ちたな院長。パイソン公爵家の名によって、そなたを捕える。司法によって正しく裁かれるがよい。院長の罪が明らかになり、新しい院長を任命するまで──」
ヘビの指輪を持つパイソン公爵は、ゆっくりと会場を見渡した。パイソン公爵の目が一点で止まる。
「アッフェン男爵に仮の孤児院長になってもらおう。これほど腹の中をあらわにする貴族は他に知らぬ。彼なら大それた悪事は働かんだろうし、働いたとしてもすぐに明らかになるだろうからな。皆、それでよいな?」
「はっ」
「えっ、オレー?」
貴族たちが恭しく従い、アッフェン男爵は叫んだ。大騒ぎの中、院長はパイソン公爵家の護衛によってとらえられた。
「皆の者、今日のことは口外せぬように。王家から通達があるまで、沈黙をつらぬくのだ」
「はっ」
「ええー、なにがなんだかー」
アッフェン男爵だけが状況を把握できていない。パイソン公爵はすっとジョーさんに近寄ると、何事かをささやいた。ジョーさんが一瞬固まって、すぐに小さく頷く。なんだろう。気になったけど、子どもたちは大人たちによって会場を追い出されてしまった。
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