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しおりを挟むそうして。
若干早とちりで納得した青年従者は、ヘルムートのために彼女を連れ戻すことを一旦断念した。
そんなことをしては酷だと思った。
身分違いの恋はドラマチックなようで、現実的には叶わぬことが多くとてもつらい。
彼自身も、主人の妹ラーラに恋をしているが、現在彼女は王太子に夢中。
ラーラに優しくされても虚しいばかりなのである。
どんなに好きでも、貴族と庶民との間には大きな壁がそびえたっている。ましてや、恋敵が王太子なんて。恋敵と思うことすら不敬で憚られる。
青年は大きなため息を一つ。やるせない気持ちで主人の待つ馬車へと急いだ。
ただ今回、彼が一つよかったと思ったのは、あのステラと名乗る娘が、彼が心配したほど悪い人間ではなさそうなこと。
話してみた感触では、彼女からはヘルムートに取り入ろうという気配も、利用しようという意思も感じられなかった。
それに、彼女は使用人階級のヴィムのことも下に見ているふうもないし、彼が怒りのままに突撃してもきちんと話を聞いてくれた。
そこまでを思い返して。ヴィムはふとあることに気がつく。
(……そういえば……あの方……僕のこと『ヴィム“さん”』って呼んでくれたな……)
ヴィムは足を止めて後ろを振り返る。が、もうそこにはチェリーレッドの髪の娘の姿はない。
青年はなんとなく不思議な気分だ。
侯爵家では、ヴィムは下っ端だ。
普通なら、侯爵の嫡男ヘルムートの従者ともなれば、使用人たちの序列で言えば上位にあたる、が。彼の場合は、侯爵家にきた経緯が経緯である。
本来令息の従者は、しっかりした家柄で、経験も豊富な男が雇われるべきところ。それを、彼はヘルムートに拾われたというだけでそこに据えられている。
もちろんそのためにはヴィムも教育を受けて努力をしたが。周りからすると、もうその時点でかなり優遇されていると映るらしい。
ゆえに彼は、侯爵家では他の者らからはあまりよく思われていない。
おかげで居心地はいいとは言い難いが、それでも幼くして路上で暮らしていたヴィムにとっては、侯爵家は天国のような場所。他の者たちと喧嘩をしようとは思わなかったし、やっかみで雑に扱われようとも不平を言わなかった。
が、そうして彼が穏便に過ごしているうちに、侯爵家でヴィムはすっかり立場が弱くなった。
『ヴィム“さん”』なんて敬称で呼んでくれる人は、誰もいない。
だからこそ、グステルに『ヴィムさん』と呼ばれた青年はなんだか身がこそばゆい。
彼女は、敬愛する主人ヘルムートが、現在どんな高貴な相手よりも……あのラーラよりも、大切に大切にしている女性。
そんな人が、自分にああして丁寧に接してくれたことは、若い彼の自尊心をちょっぴり慰めてくれた。
青年はくすぐったそうに、鼻先を指でかく。
(……しかもあの人、ヘルムート様のことを『好き』だって言った……)
それを思い出すと、歩くヴィムの足取りは少し軽くなる。
身分や立場云々、先々結ばれるか否かを別としても。好きな人に好かれるなんて、ヴィムにとっては羨ましすぎる話。これは、主人にとってもかなりの吉報なのではないだろうか。
兄の恋をあまりよく思っていないらしいラーラのことを考えると少し気は重たいが、それでもヘルムートに報せれば、きっと彼はとても喜ぶはずと思うとヴィムは嬉しくなって。
急いで馬車の停車場まで戻ってきたヴィムは、勢い込んでキャビンの中を覗き込む。
「ヘルムート様! 聞いてください、あのですね──……、……あれ?」
すぐに見渡せる程度の狭い車内を見て、青年の瞳がキョトンと瞬く。
てっきりそこで休んでいるだろうと思った主人の姿が、ない。
ヴィムはすぐに近くで馬の世話をしていた御者に声をかけた。
「ん? ヘルムート様? ヘルムート様ならもうとっくに馬車を降りられたぞ。きっとエドガー様のところだろ」
年配の御者にそっけなくそう言われたヴィムは慌てた。
この宿場に着いた時、ヴィムはヘルムートを悲しませているグステルにとても怒っていた。
それで、ちょっとだけグステルに文句でも言って戻ってこようと思っていたのだが……どうやら手間取りすぎたらしい。
馬車を飛び出した時は腹立たしさのあまり失念していたが……。
あれだけエドガーの馬車に乗った娘を案じていた主人が、停車中に彼女の様子を見に降りないわけがなかった。
ヴィムはしまったと己の短慮を後悔しつつ、エドガーのもとへ走った。
まさか喧嘩になどなっていないだろうなとハラハラしながら主人の友のところへ行くと……。
その青年はあっさりと首を横に振る。……陽気な青年の隣に見知らぬ町娘がはべっているのはいつものことなのでスルーした。
「ヘルムート? いや、こっちには来てないぞ?」
「え? え? で、ではヘルムート様はどこに……」
ヘルムートが来ていないと聞いたヴィムは、戸惑って周囲を見回している。と、そんな彼にエドガーは「ああそういえば」と思い出したようにどこかを指さした。
「ははは、こちらのお嬢さんに夢中ですっかり忘れていた。さっき、あいつがステラ殿の手を引いて、向こうへ行ったのを見たぞ」
「へ?」
言われて示された方向に視線を向けると──緑の木立の向こうには一軒の宿屋。
ひっそりとした木造の建物を見てヴィムがポカンとする。と。エドガーの隣にいた町の娘がくすりと笑う。
「……ああ、あそこはいい宿ですよ。静かで雰囲気もよくて若い男女に人気があります。女将もいろいろ詮索しませんし」
そう言って娘は意味ありげにエドガーを見る。そのあだっぽい視線に、若いヴィムは怪訝そうだが……エドガーはなぜかぷっと噴き出した。
「おやおや……ははは、さてはヘルムートのやつ……嫉妬にでも駆られたのかな?」
「え……?」
ニヤつくエドガーに、ヴィムが怪訝な顔。そんな青年に、エドガーは「いいのか?」とわざとらしく問う。
その、明らかにからかってやろうという意図の透けて見える表情には、ヴィムが「な、なんですか?」と、警戒感をあらわにするが……。エドガーはそんな青年の表情すら愉快そうだった。
「おチビちゃん、俺を睨んでる場合かな? 甘え上手なラーラが、この件で俺だけに頼み事をしてるとは思い難いが……お前も彼女に何か言いつけられているのでは? 宿屋に二人きりで向かったヘルムートたちを……放っておいていいのかな?」
「……え……?」
と、エドガーの隣に寄り添っている女が、瞳を瞬くヴィムを見てくすくすと笑う。
「あら、旦那様ったら。こんな若い子に逢瀬の邪魔なんて、そんなお役目はちょっと可哀想じゃありませんこと?」
その言葉に、ヴィムは一瞬ぽかんとして──……。
「⁉︎」
ここでやっと、若者はエドガーたちが匂わせている言葉の意味を理解し、真っ赤になった。
──と同時に。彼は脳裏にむくれたラーラの顔を思い出し愕然とした。
できればヘルムートの恋路を応援したいヴィムだが、そこはきちんとラーラにも納得してもらえるよう段階を踏んでもらわねば困る。
ヴィムは、泡をくって猛然と駆け出し、エドガーが指し示した宿に向かって転がるように飛んで行く。
「へ、ヘルムート様‼︎ ちょ、ちょっと、ま、待って!」
その後ろ姿を、エドガーたちが笑って眺めている。
──その同時刻。
ヴィムと同じ人物を、同じく止めようとする者が、もう一人。
「ちょ、ちょっと待って──ヘルムート様⁉︎」
グステルは、訳もわからず唖然としてその名を呼んだ。
けれども彼女の前をいく青年は、彼女の手を取ったままずんずん先へ進み、こちらを振り返ろうともしなかった。
この急な展開に、グステルは目を白黒させている。
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