102 / 192
101 この世は黒で溢れている
しおりを挟む──グステルがエドガーの前で着替をしてしまったのは、ただのうっかりである。
単に子供と一緒に着替えているくらいの感覚だったから、ということもあるが……少し考え事をしていた。
ロイヒリンは公爵家と長年取引をしているとあって、公爵家の人間たちとは親しく、彼の一行に混じったグステルたちは、ここまでは危なげなくくることができた。
とはいえ、さすがのグステルも緊張はする。
最近のメントライン家は、使用人の入れ替わりが激しいということだったが、それでも全員が入れ替わったわけではないだろう。
きっと、昔からいて、グステルの顔を知るものもいるはず。
そんな者たちへの対策として、グステルも変装はしてきた。
母から借りた黒いウィッグ、吊り目を垂れ目に見せる化粧、そして眼鏡をかけて、帽子を深々とかぶった。
けれどもやはり、顔は見られないほうが無難。
ロイヒリンに持たされた商品の箱で顔を隠し、できるだけ人の視線を掻い潜るように歩いたが。そのせいでずっと気持ちは張り詰めていた。
そうしてやっと人目のないところにたどり着いたとき、それがほんの少し緩んでしまう出来事があった。
茂みの中から引っ張り出した黒いメイド用のワンピース。
それを手にしたとき、しっとりしたその色を見て──ふっと思い出してしまった。
今はそばにいない、同じ色の、綺麗な黒髪の青年を。
(…………どうなさっているのかしら……)
その顔を思い出すとき、最近グステルの胸はいつも締め付けられるように痛んだ。
正直、会いたかった。
今すぐにでも。
しかし、そんな自分にグステルは痛恨。
(……っあああぁ……もうダメだわ私……っ)
離れたことで、自分の気持ちがより鮮明になってしまったようだ。
ヘルムートが心配だ。彼が家族とちゃんと再会できたのかとても気になるし、それどころか、道中トラブルはなかったか、ご飯を食べていたか、ちゃんと寝ているかといった彼の仔細までが気になって胸がざわめく。
おまけに彼女は彼と別れるとき、『戻るのを待つ』と約束した。それなのに、こうして約束を反故にして、さっさと行動を起こしてしまった自分。きっと怒られるだろうなぁ……と思うと──。
グステルは、頭を抱えて叫びたい衝動に駆られてしまうのだ。
(う……きっと悲しませてしまうだろうなぁ……)
こうしてグステルがことを急いだのには理由がある。……が、きっとあの見た目に反して情に脆く、しょっちゅうひっそり泣いているらしい彼は、また心を痛めるだろう。……そう思うと、居た堪れず胸がズキズキと痛んだ。
そのせいで嫌われてしまうだろうかと考えると、自業自得だとは思いつつ、悲しくも、辛い。
……ただ……実際には。
彼女はもっとヘルムートを悲しませ、激怒されそうなこと──エドガーの前で生着替え──を、この直後にしてしまうのだが……。そこは悶々としすぎて気がつかなかった。
グステルはそんな自分に呆れて、エドガーに気づかれないようにため息をついた。
(……本当にもう……どうかしてる……)
彼女には、これまで通り、なんでもしたたかにやっていけると自信があったはずだった。
それなのに、そばに彼がいないのだと思うと、ついこうしてやるせなくため息をついている有様。
こんなときに……と、あまり考えないようにしようとは思っているのに。明らかに、グステルの心の一部のどこかがあの青年に占拠されてしまっている。恥ずかしくて堪らなかった。
(いや、)と、グステルは、鋭い眼差しで手元のメイド服を見据える。
(うだうだするな! さっさと目的を果たしてヘルムート様に会いに行けばいいだけのことよ!)
自分を一喝。口を真一文字に結び、気持ちを引き締め直すように、気合一発、潔く服を脱いだ。
彼の髪の色──この世のどこにでも存在する黒を目にするたびに恋しがっていては、キリがなさ過ぎる。
──会いに行こう。
とにかく今はそれしかこの堪らない気持ちをなだめる方法はないと思った。
グステルは心を決し、メイド服を戦闘服のような気持ちで身に纏い、これから乗り込む実家を睨み上げた。
その巨大な居城はまるで、ヘルムートと自分との間を分かつ障害のように思える。グステルの心に炎が灯る。
(……覚悟なさいませ。お父様……娘が今からお迎えにあがりますからね……!)
……なぁんてことをグステルは、一人、心中で気合十分に盛り上がっていたものだから。
まさかこの背後で……羞恥心のかけらもない自分の脱衣に、エドガー青年が呆れ、感心し、今にも笑い転げそうになっているなど……思いもしなかったわけである……。
104
あなたにおすすめの小説
公女様は愛されたいと願うのやめました。~態度を変えた途端、家族が溺愛してくるのはなぜですか?~
谷 優
恋愛
公爵家の末娘として生まれた幼いティアナ。
お屋敷で働いている使用人に虐げられ『公爵家の汚点』と呼ばれる始末。
お父様やお兄様は私に関心がないみたい。
ただ、愛されたいと願った。
そんな中、夢の中の本を読むと自分の正体が明らかに。
◆恋愛要素は前半はありませんが、後半になるにつれて発展していきますのでご了承ください。
前世の記憶を取り戻した元クズ令嬢は毎日が楽しくてたまりません
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のソフィーナは、非常に我が儘で傲慢で、どしうようもないクズ令嬢だった。そんなソフィーナだったが、事故の影響で前世の記憶をとり戻す。
前世では体が弱く、やりたい事も何もできずに短い生涯を終えた彼女は、過去の自分の行いを恥、真面目に生きるとともに前世でできなかったと事を目いっぱい楽しもうと、新たな人生を歩み始めた。
外を出て美味しい空気を吸う、綺麗な花々を見る、些細な事でも幸せを感じるソフィーナは、険悪だった兄との関係もあっという間に改善させた。
もちろん、本人にはそんな自覚はない。ただ、今までの行いを詫びただけだ。そう、なぜか彼女には、人を魅了させる力を持っていたのだ。
そんな中、この国の王太子でもあるファラオ殿下の15歳のお誕生日パーティに参加する事になったソフィーナは…
どうしようもないクズだった令嬢が、前世の記憶を取り戻し、次々と周りを虜にしながら本当の幸せを掴むまでのお話しです。
カクヨムでも同時連載してます。
よろしくお願いします。
死に戻ったら、私だけ幼児化していた件について
えくれあ
恋愛
セラフィーナは6歳の時に王太子となるアルバートとの婚約が決まって以降、ずっと王家のために身を粉にして努力を続けてきたつもりだった。
しかしながら、いつしか悪女と呼ばれるようになり、18歳の時にアルバートから婚約解消を告げられてしまう。
その後、死を迎えたはずのセラフィーナは、目を覚ますと2年前に戻っていた。だが、周囲の人間はセラフィーナが死ぬ2年前の姿と相違ないのに、セラフィーナだけは同じ年齢だったはずのアルバートより10歳も幼い6歳の姿だった。
死を迎える前と同じこともあれば、年齢が異なるが故に違うこともある。
戸惑いを覚えながらも、死んでしまったためにできなかったことを今度こそ、とセラフィーナは心に誓うのだった。
嫌われ皇后は子供が可愛すぎて皇帝陛下に構っている時間なんてありません。
しあ
恋愛
目が覚めるとお腹が痛い!
声が出せないくらいの激痛。
この痛み、覚えがある…!
「ルビア様、赤ちゃんに酸素を送るためにゆっくり呼吸をしてください!もうすぐですよ!」
やっぱり!
忘れてたけど、お産の痛みだ!
だけどどうして…?
私はもう子供が産めないからだだったのに…。
そんなことより、赤ちゃんを無事に産まないと!
指示に従ってやっと生まれた赤ちゃんはすごく可愛い。だけど、どう見ても日本人じゃない。
どうやら私は、わがままで嫌われ者の皇后に憑依転生したようです。だけど、赤ちゃんをお世話するのに忙しいので、構ってもらわなくて結構です。
なのに、どうして私を嫌ってる皇帝が部屋に訪れてくるんですか!?しかも毎回イラッとするとこを言ってくるし…。
本当になんなの!?あなたに構っている時間なんてないんですけど!
※視点がちょくちょく変わります。
ガバガバ設定、なんちゃって知識で書いてます。
エールを送って下さりありがとうございました!
(本編完結)無表情の美形王子に婚約解消され、自由の身になりました! なのに、なんで、近づいてくるんですか?
水無月あん
恋愛
本編は完結してます。8/6より、番外編はじめました。よろしくお願いいたします。
私は、公爵令嬢のアリス。ピンク頭の女性を腕にぶら下げたルイス殿下に、婚約解消を告げられました。美形だけれど、無表情の婚約者が苦手だったので、婚約解消はありがたい! はれて自由の身になれて、うれしい! なのに、なぜ、近づいてくるんですか? 私に興味なかったですよね? 無表情すぎる、美形王子の本心は? こじらせ、ヤンデレ、執着っぽいものをつめた、ゆるゆるっとした設定です。お気軽に楽しんでいただければ、嬉しいです。
悪役令嬢になったようなので、婚約者の為に身を引きます!!!
夕香里
恋愛
王子に婚約破棄され牢屋行き。
挙句の果てには獄中死になることを思い出した悪役令嬢のアタナシアは、家族と王子のために自分の心に蓋をして身を引くことにした。
だが、アタナシアに甦った記憶と少しずつ違う部分が出始めて……?
酷い結末を迎えるくらいなら自分から身を引こうと決めたアタナシアと王子の話。
※小説家になろうでも投稿しています
婚約破棄された悪役令嬢の心の声が面白かったので求婚してみた
夕景あき
恋愛
人の心の声が聞こえるカイルは、孤独の闇に閉じこもっていた。唯一の救いは、心の声まで真摯で温かい異母兄、第一王子の存在だけだった。
そんなカイルが、外交(婚約者探し)という名目で三国交流会へ向かうと、目の前で隣国の第二王子による公開婚約破棄が発生する。
婚約破棄された令嬢グレースは、表情一つ変えない高潔な令嬢。しかし、カイルがその心の声を聞き取ると、思いも寄らない内容が聞こえてきたのだった。
死に戻りの元王妃なので婚約破棄して穏やかな生活を――って、なぜか帝国の第二王子に求愛されています!?
神崎 ルナ
恋愛
アレクシアはこの一国の王妃である。だが伴侶であるはずの王には執務を全て押し付けられ、王妃としてのパーティ参加もほとんど側妃のオリビアに任されていた。
(私って一体何なの)
朝から食事を摂っていないアレクシアが厨房へ向かおうとした昼下がり、その日の内に起きた革命に巻き込まれ、『王政を傾けた怠け者の王妃』として処刑されてしまう。
そして――
「ここにいたのか」
目の前には記憶より若い伴侶の姿。
(……もしかして巻き戻った?)
今度こそ間違えません!! 私は王妃にはなりませんからっ!!
だが二度目の生では不可思議なことばかりが起きる。
学生時代に戻ったが、そこにはまだ会うはずのないオリビアが生徒として在籍していた。
そして居るはずのない人物がもう一人。
……帝国の第二王子殿下?
彼とは外交で数回顔を会わせたくらいなのになぜか親し気に話しかけて来る。
一体何が起こっているの!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる