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146 晩餐のさや当て
しおりを挟む目の前にはとても美味しそうな白身魚のムニエル、熱々のシチュー。パイやパンもこんがりときつね色。フルーツたちもみずみずしくテーブルの上から彼女の食欲を誘っている、のに。
グステルはどうしても、食欲よりも先にため息が出てしまう。
現在、実家の街邸に単身乗り込んでいったはずの兄が非常に心配で、食べる気力が湧かないのである。
背を丸めて食卓に着いたグステルは、弱ったカラスのような顔で茶をすする……。
「……挨拶だけしてすぐに帰っていらっしゃいって言っておいたのに……遅い……。ああ、絶対何かやらかしている予感がします……!」
あんな大男をつかまえて『帰っていらっしゃい』もないが……。
そう漏らすグステルの表情は、子を心配する母親そのもの。しかも“子”はとびきりの問題児。とびこんでいった先も結構な悪党の巣である。
彼女が食卓に額が付きそうなほどうなだれて心配するのもしかたがないが……すると、今度は別の男がグステルを困らせるのだ。
「ステラ、きっと大丈夫です。そんなに心配しないで……」
グステルの傍らから慰めるように声をかけてきたのは、ヘルムート。
「フリード様には人を付けていますから」
そう彼女を励ました男は、このそこそこ広い食堂の、十名は着席できそうな食卓で、ぴったりグステルの隣に陣取っている。おかげでただでさえ三名で食事をするには広いテーブルが、いっそうだだっ広く見えた……。
ヘルムートは心配そうにグステルの顔を覗き込む。が、当のグステルは、彼の端正な顔がわずかに距離を詰めてきただけで、うっ、と、顔を赤らめて身構える。その額には、入浴後で血色がよくなっただけではない汗が、じんわりと玉になってにじむ。
どうやら、彼女は先ほどの入浴室でのいろいろをまだ引きずっているらしい。これは割り切った性格の彼女にしてはとても珍しいことだった。
グステルは明らかにヘルムートを意識した顔で、ぎこちなく彼から目を逸らす。
「あ、あの、ヘルムート様、あ、あんまり見ないで……」
グステルは、そう言って手のひらを持ち上げ彼の視線を遮った。
しかし隠そうとも、彼女の頬の紅潮は、すぐに額や耳にまで伝わって行き。それが細い指の隙間から見えたヘルムートは、きれいなバラ色に染まったグステルを惚れ惚れと眺めた。
彼女はずっと、彼に一線を引いていた。
『私の精神は還暦過ぎでときめきとは無縁』
『あなたは本来天敵ですし』などなど。
多少の揺らぎは垣間見えても、その壁はとても頑なで。ヘルムートはずっともどかしかった。
愛するだけで満足するには、彼はまだ若すぎる。
やはり、愛し愛される関係になりたいのである。
しかしこの再会を経て、どうやら彼は、多少なりと彼女の心に響く存在になりつつあるらしい。それが確信できた男は、幸せでならない。
常に冷静で、自分に対しても年長者としての態度を崩さぬようにと務めていた彼女が、頬を染めて自分から目を逸らすなんて。可愛らしすぎるにもほどがある。とてもではないが、今はそばから離れることなどできそうになかった。──妹ラーラとした約束も……この時ばかりは彼の頭からはすっかり締め出されていた。
おまけにさらに彼を歓喜させたのが、彼女が彼との幼い日の出会いを思い出してくれたこと。
こうして改めて彼女と向き合う時間が訪れると、ヘルムートは、それが嬉しくて嬉しくて。
できれば隣に座るだけでなく、今すぐグステルを抱きしめてしまいたかった。
そうしてこそ、長年幼い彼女の失踪に痛めた心も癒され、彼女を再び街で見つけた時の感動も伝えられるような気がした。
──そして、そうでなければ。
今、彼が彼女に対して感じているこの熱もきっと治まりはしないだろう。
まさに喉から手が出そうなほどに狂おしい気持ちで、彼はそれを渇望していた。
──が。
それを許さぬ者が、やはりそこへ冷酷に水をさすのだ。
「……私の前でいちゃつくの、やめてくれる?」
しらっと抑揚のない声で二人の間に差し込まれたセリフに、ヘルムートがグッと奥歯を噛む。鋭く食卓の向こう側を見ると、彼と目が合った娘は嘲笑うような表情。
(はん! そうはさせないわよ! ユキに続いてステラまで取られてたまるもんですか!)
悪役そのものという顔で、自分を恨めしそうに見る令息を笑う令嬢は、もちろんイザベル。
二人は睨み合い、ぶつかり合った敵意のせいで、部屋の中の温度がスッと冷える、が。
ヘルムートを意識し過ぎ、暴れん坊の兄を心配過ぎているグステルは、彼らの無言のさや当てには気がつかなかった。
イザベルは、もう一度ヘルムートを鼻で笑って、素知らぬ顔でグステルに呼び掛ける。
「ちょっとぉステラ、あんたも馬鹿なこと言ってないでさっさと食べなさいよ。心配心配って……まったく、あんたの兄は赤ちゃんなの? それより私の近況を聞きなさい!」
「あ……は、はい……」
高慢に呼ばれたグステルはハッとして令嬢のほうへ顔を向けた。彼女も内心助かったと思っているようで。隣に座ったヘルムートから、さっと身を離してイザベルのほうに向きなおる姿には、ヘルムートがひどくがっかりした顔。
それをまたイザベルが(ざまあみろ)とばかりに笑うもので──夕食の給仕についてくれている双子の婦人たちが、顔を寄せ合って笑いをかみ殺している。……どうやら彼女たちもまた、なかなかいい性格をしているようだ。
と、グステルの視線を勝ち取ったイザベルが高慢に言う。
「だいたい、あんたが次期公爵の妹とか、ホントふざけてるわ」
今更にその秘密を明かされたイザベルは、不服そうに頬を膨らませている。
ただし、どうやらそれは、グステルが自分よりも遥かに地位のある家の娘だったということに対してというよりは、そんなに大事なことを親友である自分にだまっていたなんて……という不満のようで。
唇を尖らせていつものように睨まれたグステルは、あはは、と苦笑い。
だが、彼女はどうやら事情を知っても自分に対する態度を一切変えない娘には喜んでいるようで。それを感じたヘルムートも、このやりとりには口を出さなかった。
「あの、まあ……私のことはいいのですが……」
グステルは、食堂の端に立っている双子の婦人たちをチラリと見た。
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