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147 若者たちの諍い
しおりを挟むその疑問を問いただそうとすると、グステルの眉間にはどうしても深いしわがよる。
「……聞きましたよイザベル様……あの……ヘルムート様のご実家ハンナバルト家には、行儀見習いのために滞在なさっていらっしゃるとか…………」
言い終えた瞬間、なんだか意味が分からな過ぎてグステルはつい無言。
この話を、さきほど入浴中につきそってくれた双子の婦人たちに聞いたときは、グステルはつるつるのバスタブの中でひっくり返って頭を打って、おぼれ死ぬかと思ったのである。
そんな馬鹿な、である。
いろいろ思うところがありすぎる。
いや、イザベルは子爵家の娘。ヘルムートの侯爵家で侯爵夫人から淑女教育を受けるという話は世間一般的にいえば、ありえなくもない。
若い娘が、名門貴族や名高い夫人に手ほどきを受けることは名誉なことであるし、他家と婚姻を結ぶときにもそれはステータスとなり、有利に働くことだろう。
行儀見習いに入ること自体が、その家と縁をつなぐことにもなりうるわけで、貴族界隈ではありふれた話ではある……──が。
グステルは目の前のイザベルを見て、さらに言葉を失くす。
イザベルは、ヘルムートに対して腕組みでふんぞりかえり、非常に偉そうな態度。なんなら睨んでるし、嘲笑っている。
これが……行儀見習いに入っている娘の、お世話になっている家の令息に対する態度だろうか……?
グステルは、なんだか心配過ぎて頭が痛くなってきた。
いやいやいや……ぜんぜん行儀見習いの効果出てないような……? え? ちょっと待って、これは、ヘルムート様のご母堂様にもかなり迷惑かけてしまっているのでは……と。
グステルは不安過ぎて全身に冷や汗。せっかく風呂に入ったというのに、身が芯から凍る思いである。
「ちょ……お、お嬢様、お願いです……ヘルムート様を睨むのやめて……」
自分がいない間に、どうして両家がそんなことになったのかが非常に謎な事態である。
が、イザベルは、ふんっと鳴らしてそっぽを向く。
「うるさいわねぇ、いいのよ、それはただの建前なんだから」
「た、建前……?」
グステルが悲壮な顔を怪訝に歪めると、令嬢は「そ」と、すました顔で茶を口に運ぶ。
「本当は、ここにいるのはユキのためなんだもの」
その言葉には、グステルが虚を突かれたように瞳を瞬く。どういうことだと思わずヘルムートを見ると、かたわらの青年は優しい目で頷いた。
二人の説明はこうだった。
グステルが令嬢にユキを預けてシュロスメリッサを発ったあと。
しばらくすると、それまで元気だったユキがしだいに食事をとらなくなっていった。
イザベルはその時の不安を思い出したのか、表情を曇らせて語る。
「もちろん食事内容は以前と何も変えていなかったの。それなのに、ユキはだんだん食が細くなっていって……しまいには、水以外まったく口をつけなくなっちゃったの……」
先ほどまで高慢にふるまっていたイザベルが、泣きそうな顔でそう言うもので。彼女の隣に移動してきていたグステルは、令嬢によりそいながらも、驚いて正面の席に座る青年のほうを見た。
彼の腕のなかには、話の主役たる愛猫。
このユキは、性格は繊細だが、食欲は旺盛で食の好みはさしてうるさくない。
これまでは出されたものを食べなかったことなどなく、病気もしたことがない。だからこそグステルも安心してイザベルに彼をお願いしたのだが……。
イザベルは目を真っ赤にして申し訳なさそうに続けるのだ。
「でもね、かかりつけの獣医に往診に来てもらっても病気ではなさそうだっていうし、猫が好きそうなものを揃えてもぜんぜんダメで……」
聞けばいろいろと調理方法も工夫してくれたらしい。
申し訳ない気持ちで令嬢の背をさすって寄り添うと、しょんぼりと肩を落としたイザベルはため息。
「手を尽くしたけどユキは食べてくれないし、寝床からも動かないし……私、もうどうしたらいいのかわからなくなってしまって……」
「そう、だったん、ですか……」
グステルには、この話は少なからずショックだった。
危うかったかけがえのない家族の命。それを心配して世話をしてくれた友。
環境を変えないことがユキのためだと思ったが、自分が彼をおいていったことで、ユキにもイザベルにも、大いに負担を与えてしまったのだと知って。グステルは胸がとても痛み、許しを請うようにイザベルの手を握る。
「イザベル様、本当に、本当にごめ──あれ? イ、イザベル様?」
謝ろうとしたグステルは。しかし彼女の顔を見て戸惑う。
しょんぼりしていたはずのイザベルは、いつの間にか頬を膨らませて、向かい側の席に座るヘルムートを不服そうに見ていた。
「え……?」
「──で。そこに来たのが、こいつの手先なわけよ」
憮然とした物言いにグステルはキョトン。
無遠慮に指差そうとする令嬢の、その指をつかんで下ろさせながら。示された“こいつ”こと、ヘルムートを見つめると。イザベルにスンッとした視線を送っていた青年は、彼女の視線に気が付いて静かにはにかんだ。
聞けば、どうやら彼は、ユキを心配するグステルのために、ちょくちょくイザベルの邸に人を送って愛猫の様子を見に行かせていたらしい。
まさか、ヘルムートがそんなことにまで気を回してくれていたとは思ってもみなかったグステルは目をまるくして驚いた。
と、ヘルムート。
「その、ユキさんはあなたに会えず、お寂しいのではないかと思ったので……」
「そう、それで、こいつがあんたと会わせたら元気になるんじゃないかって再三手紙をよこすからこうなったわけよ」
「こ、こうなったって……」
絶句するグステルに、腕を広げていた令嬢は平然と言う。
「だってどこの馬の骨かもわからない奴らにユキを預けるわけにはいかないじゃない? 私がしっかり監督しておかなくちゃ」
「……この方は、こちらがきちんと身分を明かして、父君の子爵にも話を通しても、まっっったく信用してくださらないのです。自分つきでないと、絶対にユキさんを連れて行かせないと食い下がってこられるので……」
「あったり前でしょう⁉ ユキは私のプリンスなんだから!」
「ええ、それで。こちらとしても、グステル様のこと以外ではあまり揉めて時間もつかいたくなかったもので、さっさと行儀見習いというていで当家にご同行いただいたわけです。ユキさんのおまけとして」
「っち! なんなのよあんた! ステラ、どう思う⁉ こいつ、この私に対して、ずっとこうなのよ⁉ これが麗しいレディに対する態度⁉ これでユキが元気になってなかったら、こいつなんて!」
「……怒鳴らないでください。ユキさんが怖がってしまうではないですか……。それと、私にとっては、グステル様以外は麗しいレディではありませんのであしからず」
「キーッッッ!」
「………………」※グステル
気の強いイザベルと、冷静だが負けてはいないヘルムート。
険悪な二人を見て、グステルは──。
とりあえず……どうやら二人とも、どっちもどっちだったんだな……と、うっすら察する。
まあ……ともかく、ユキを含めて皆元気そうなので何よりである。──と、二人に感謝しつつ一人まとめるしかないグステル。
……しかしヘルムートには気の毒なことに。
この令嬢との若干幼稚な諍いをグステルに見せてしまったことをきっかけに、彼はこの後しばらく彼女から、再び微妙に子供扱いされてしまうこととなる。
いや、子供、とまではいかなくても、これは彼女に年下であることを再認識させてしまった形で。
グステルの中で薄れかけていた、互いの年齢差への抵抗をよみがえらせる結果となった。
「ステラ! ステラ! ユキがこいつにたぶらかされて!」
「……ミス・アンドリッヒ、お疲れのグステル様にあまりなれなれしくしないでください!」
(……、……、……お二人とも、若いなぁ……)
夜にこのテンションは、精神年齢還暦過ぎ令嬢には少々きつかったようだ。
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