悪役令息の継母に転生したからには、息子を悪役になんてさせません!

水都(みなと)

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第10-1話 眼鏡

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 すぐにでもリゼルを眼鏡屋に連れて行こうと思ったが、思いのほかグズられた。

 どうやら使用人たちが私がリゼルに眼鏡を掛けさせようとしていると話しているのを聞いてしまったらしい。よりによって「バカだと思われる」「可哀想」という言葉が耳に入ってしまったようだ。

 また癇癪を起して大暴れをするリゼルを「眼鏡を掛けてみて、本当に嫌だったら掛けなくていい」となんとか説得し、ムリヤリ連れ出すことができた。

 しかし、実際当日になってみるとリゼルは上機嫌で馬車に乗り込んだ。暇つぶしの道具があるわけでもないし、道中飽きてしまうかと思ったが始終機嫌よくお喋りをしている。

「あんなに嫌がっていたのに、今日はご機嫌ね」
「だって、母上と一緒に出掛けるなんて初めてじゃないか」

 新婚旅行にはリゼルを連れて行かなかったし、その後も出掛けるときは夫婦2人でか私1人だった。家族旅行を夫に提案されていたが、私が拒んだ。愚かだった。

 今となってはもう、本当に申し訳ないとしか言いようがなく私は後悔で顔を覆った。いくら継子だとはいえ、こんなにかわいい子を放っておくとか有り得ない。

「どうしたの? 母上? 気持ち悪い? おい、バカ馬! もっと優しく馬車を引け!」
「違うの、大丈夫よ。ただ、本当に今までリゼルとお出掛けしていなかったなって反省していたの。これからはたくさん一緒に出掛けましょうね」
「うん!」

 無邪気な飛びっきりの笑顔は、原作のリゼルからは見られなかったものだ。やはり幼少期の親からの愛情というものは大事だ。私の接し方でリゼルの未来は変わる。絶対に悪役令息になどさせない。

 お昼休憩を挟んで城下町の外れまでやって来た。城下町とはいえ、ここはメインストリートから離れている。人通りはない。

 教えてもらった眼鏡屋に近づくと、店の前でこの前のお爺さんが手を振っていた。

 リゼルと共に馬車を下りると、お爺さんに駆け寄って一礼した。

「アンブローズ様、先日は突然のお願いを申し訳ありませんでした。今日もいらっしゃっていただけたのですね」
「ええ、坊ちゃんのことが気になりましてね」

 リゼルが物珍しそうにアンブローズさんを指さした。

「眼鏡だ! 眼鏡掛けてる! 爺ちゃんもバカなのか?」
「こ、こら、リゼル! なんて失礼なことを! 申し訳ありません。これが私の息子、リゼルでございます。リゼル、この方が眼鏡のことを教えてくださったアンブローズ様よ」

 リゼルの頭を下げさせると、それでもまだ視線はアンブローズさんの眼鏡に向けられていた。アンブローズさんは、ほっほっほと快活に笑う。

「初めまして、リゼル坊ちゃん。確かにわしは賢くないが、それは眼鏡とは関係がない。昔から視力が弱いんじゃ。でもこの店の眼鏡を掛ければ世界が一変! お母様のキレイなお顔もはっきりと見ることができるのじゃよ」
「ふうん」

 リゼルの視力の低さは先天性のものなのだとしたら、周りの景色がぼやけて見えているのが普通のはずだ。だからこそ、それを訴えたりはしなかったのだろう。

 小さな眼鏡店はガラス窓越しにアンティークな小物が飾られているのが見える。リゼルの手を引いて、アンブローズさんと共に店内に入る。

 小さなカウンターの奥に、丸眼鏡を掛けた男性が座っていた。勝手に職人のおじさんやお爺さんが出てくると思っていたが、青年と言っていい程若そうに見えた。濃い藍色のボサボサの髪に銀のシャープな眼鏡を掛けている。

「やあ、ヴェイン殿。元気かの。この前紹介したシルヴァリー夫人とリゼル坊ちゃんじゃ」
「この度はお引き受けいただき、本当にありがとうございます。どうぞよろしくお願い致します」

 私が一礼する横で、リゼルはキョロキョロと店内を見まわしていた。

 ヴェインと呼ばれた青年は立ち上がり、眼鏡の蔓を持ち上げながらカウンターから身を乗り出した。リゼルをまじまじと見つめる。

「目が悪いのか?」
「俺はバカじゃない!」

 条件反射で言い返すリゼルを慌てて窘める。

「そんなことは言っていないでしょう。申し訳ありません。正確に測ったわけではないのですが、近視だと思います」

 ヴェインは、じとっとした目で今度は私の方をまじまじと見つめる。

「子供に眼鏡を掛けさせたがるなんて酔狂な親だと思ったが、眼鏡の知識が有るのか?」
「知識と言う程ではありませんが……偏見はないつもりです。眼鏡は視力が弱い者にとって大事な道具です。眼鏡によって息子が心無いことを言われるかもしれませんが、必ず私が守ります。ですからどうか、この子に合う眼鏡を作ってやってください」

 眼鏡の奥の瞳としばらく見つめ合った。ふとヴェインが下を向き、肩を震わす。

「やっと……」
「え?」
「やっと女にも眼鏡の良さがわかる者が現れたか! そうだ、眼鏡は文明の利器だ。不自由な部分を補助する。薬などと同じと言っても過言ではない。それをバカな巷の人間どもは誰もわからん。目が悪いことを頭のせいにし、眼鏡を掛けるのはバカの証だと言う。それこそが愚かな考えだと何故に気づかぬ。視力の低下という神が与えた試練を眼鏡によって打ち破ることができるのだ!」

 天を仰ぎながら饒舌に話す彼に、私もリゼルも呆気に取られた。アンブローズさんが私に耳打ちする。

「ちょっと変わったやつなんじゃが、悪いやつではない。腕は保証するぞ」
「は、はあ……」

 眼鏡に対する偏見が普通の世界で眼鏡屋を営んでいるなんて、それこそ変わり者でないと務まらない。それほど眼鏡を愛しているんだろう。彼は前世でいうところのオタクなのだ。

 高らかに笑っていたヴェインだったが、急に咳き込み始めた。アンブローズさんが慌てて駆け寄り、背中を擦る。

「ヴェイン殿は喘息持ちなのじゃから、ギャンギャン騒ぐもんじゃない」
「問題ない。あんたは心配し過ぎだ」
「心配もするだろう。腕は良いが、寝食を忘れて仕事に打ち込むからの。ほら、新しい薬を持ってきた。しっかり飲むんじゃぞ」
「わかったわかった」

 アンブローズさんが懐から取り出した布袋をヴェインに渡していた。

「アンブローズさんは、薬屋さんなのですか?」

 布袋を受け取りながら、ヴェインが呆れたように私を見た。

「知らなかったのか? この爺さんは貴族の間でも知られた薬師だぞ」
「そ、そうだったのですか! 不勉強で大変失礼いたしました」
「いいや、そんなすごいもんじゃないわい。だが、薬が入用とあればなんなりとお申しつけを。熱にも咳にも腹痛にも効く薬を調合しよう。入用とあらば毒薬もご用意いたしますぞ」
「毒薬!?」

 ほっほっほと笑ったアンブローズさんに、ヴェインが肩を竦めた。なんだ、冗談か。

「それより、このヴェイン殿の方が貴族の顧客も抱える凄腕じゃからな」
「え!? 貴族にも眼鏡を掛ける人が?」
「秘密裏に依頼をしてくる貴族もいる。眼鏡に偏見があるくせに、やはり便利なことには代えられないらしい。腹の立つやつらだ」
「それでも作ってやっているんじゃろう?」
「なければ不便だと言うのだから仕方ないだろう」

 少し変わった人かも知れないが、良い人には違いなさそうだ。この人にならリゼルの目を任せられる。きっと良い眼鏡を作ってくれるはずだ。心強い。
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