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第7章 『死の森』の奥地に残されたもの
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仲間達が全員集まる中、マルクが岩に彫り込まれた文字を指差した。
「あの一行目は『英雄ラウル ここに眠る』。二行目は『英雄アンナ 安らかに』と彫ってある。ベレニスが刻んだんだよ。その下は……読めないんだけど、多分、英雄アルマンド」
「英雄?」
オリヴィエが聞く。
「うん。当時、『死の森』で魔獣と戦って命を落とした者は、英雄と呼ばれたんだ。中には、英雄の名がふさわしくない輩も多かったけど、ここに眠る者は皆、英雄だ。この場所にたどり着けるだけの実力者だったんだから……」
「皆、ベレニスの仲間だったのか?」
「ラウルとアンナはそうだよ。アルマンドは別のパーティのリーダーだけど、面倒見の良い奴で、みんなから慕われていたよ。ここには俺が知っている限り、八人の英雄が眠っている。その後にも増えたという噂を聞いたから、実際には何人いるかは分からないけど」
マルクは説明しながら、先ほど「踏むな」と指示した、大岩の前の一帯をぐるりと指差した。
当時は、主人を亡くした剣を墓標がわりに立てたり、木の棒を組み合わせて十字架を作ったり、目印の石を置いたりしたが、四百年もたった今は、ただの草地になっている。
「そうだったのか。だったら俺たちは、志を同じくする仲間として、偉大な英雄たちに敬意を表せねばなるまい」
オリヴィエは大岩に向き直ると、まだ岩の半分以上を覆っていた蔦に手を掛けた。
彼が何をしようとしているのかを察して、仲間たちが岩の周りに集まってきた。
そして、あっという間に蔦を剥ぎ取ると、特に指示もないまま、岩の表面にこびりついた苔や泥を落とし始めた。
「あった!」
「ここにもあるぞ!」
発見された名前らしき文字は全部で十四あった。
ラウル、アンナ、アルマンド以外はどの名も読めなかったが、全員に「英雄」を表す同じ文字が冠されていた。
彼らが眠る草地は、足を踏み入れることがはばかられたため手を入れず、魔術師たちが周辺に魔除けの術を施した。
「ベレニスのパーティは五人だったろう?」
作業を見守っていたオリヴィエが思い出したように言う。
「そう。五人」
「もう一人はどうしたんだ?」
ベレニスのパーティが五人編成であり、最後に魔王に立ち向かったのが勇者ベレニスと魔導師チェスラフの二人だったことはよく知られている。
しかし、残りの三人は名前すら知られていない。
「彼……エドモンは、この場所では生き延びたよ。でも、ラウル達のひと月後に、彼も英雄になってしまった」
マルクが遠い目をする。
一つ年上の彼は、ベレニスと同じ剣士だった。
今、マルクの目から客観的に見れば、彼はベレニスの高い能力に嫉妬し、焦りを感じていたのだと思う。
ベレニスに先んじようと単独行動し、命を落とした。
「そうか」
「彼の眠る場所は全く別の場所だから、今回、立ち寄ることは難しいかな。でも、いつか……もっとこの森が静かになったら行ってみたい」
「だったら、そのときは付き合おう」
そんな話をしていると、背後からアロイスがマルクの肩を叩いた。
「マルク、これでいいか?」
手には、琥珀色の液体が四分の一ほど入ったカップを持っている。
「なにそれ。酒?」
「ここに眠るラウルという男が酒好きだったから、飲ませてやりたいとヴィルに言われたんだけど、隊には気付け用の薬酒しかなくてね。バスチアンが隠し持っていたのをくすねてきた」
「——え? な……んで……?」
「マルクが頼んだんじゃないのかい? ヴィルがそう言ってたんだけど」
「ヴィルが……?」
彼……いや、四百年前の魔王は、いつも『魔王の目』を通して、ベレニスのパーティの様子を見ていたのだという。
その頃、パーティのメンバーは五人全員揃っており、魔獣たちと死闘を繰り広げながらも、充実した日々を送っていた。
ラウルは魔獣を倒す度に、口癖のように「酒が飲みてぇ!」と言っていたから、それを憶えていたのだろう。
あぁ、俺の他にも、彼らのことを憶えていた人がいる。
わざわざ酒を用意させて、その死を悼んでくれるんだ。
ヴィルジールとは思えない気遣いに驚くとともに、ぐっと胸が熱くなる。
「俺が頼んだんじゃないよ。でも、それかして」
カップを受け取ると、たぷんと揺れた酒の水面を見つめる。
『ああ、酒が飲みてぇ!』
『よっしゃぁ! これでエール一杯追加だ!』
魔獣に矢を命中させては嬉しそうに叫ぶ、彼の声と笑顔を思い出す。
ラウルは責任感が強く生真面目だったから『死の森』の中では、一切酒を口にしなかった。
その分、物資の補給などで町に下りたときに、倒した魔獣の頭数と同じだけの酒を飲むことを楽しみにしていたのだ。
彼が命を落としたあの頃は、魔王を倒したら酒をたらふく飲むのだと息巻いており、一ヶ月近く酒を絶っていたはずだ。
そして、勝利の美酒を味わうことなくこの世を去った。
もう四百年と一ヶ月以上、彼は酒を飲んでいない。
「ラウル」
懐かしい名を呼びながら、彼が眠っていると思われる場所の前に膝をつく。
「あの後、チェスラフと二人で魔王討伐を成し遂げたんだよ。だから、四百年も経ってしまったけど一緒に祝杯を上げよう。少ししかなくて申し訳ないけど、飲んでくれ」
カップを傾け、香り高い琥珀色の液体をゆっくりと草の上に注ぐ。
ふわりと甘い香りが漂い、細く尖った雑草が上下に揺れて、雫を土に落としていく。
最後の一滴は、葉の根元に丸く止まってしまったから、指で弾き落とした。
「久しぶりの酒は美味いかい?」
マルクはそう笑ってカップを地面に置くと、体一つ分右にずれた。
「あの一行目は『英雄ラウル ここに眠る』。二行目は『英雄アンナ 安らかに』と彫ってある。ベレニスが刻んだんだよ。その下は……読めないんだけど、多分、英雄アルマンド」
「英雄?」
オリヴィエが聞く。
「うん。当時、『死の森』で魔獣と戦って命を落とした者は、英雄と呼ばれたんだ。中には、英雄の名がふさわしくない輩も多かったけど、ここに眠る者は皆、英雄だ。この場所にたどり着けるだけの実力者だったんだから……」
「皆、ベレニスの仲間だったのか?」
「ラウルとアンナはそうだよ。アルマンドは別のパーティのリーダーだけど、面倒見の良い奴で、みんなから慕われていたよ。ここには俺が知っている限り、八人の英雄が眠っている。その後にも増えたという噂を聞いたから、実際には何人いるかは分からないけど」
マルクは説明しながら、先ほど「踏むな」と指示した、大岩の前の一帯をぐるりと指差した。
当時は、主人を亡くした剣を墓標がわりに立てたり、木の棒を組み合わせて十字架を作ったり、目印の石を置いたりしたが、四百年もたった今は、ただの草地になっている。
「そうだったのか。だったら俺たちは、志を同じくする仲間として、偉大な英雄たちに敬意を表せねばなるまい」
オリヴィエは大岩に向き直ると、まだ岩の半分以上を覆っていた蔦に手を掛けた。
彼が何をしようとしているのかを察して、仲間たちが岩の周りに集まってきた。
そして、あっという間に蔦を剥ぎ取ると、特に指示もないまま、岩の表面にこびりついた苔や泥を落とし始めた。
「あった!」
「ここにもあるぞ!」
発見された名前らしき文字は全部で十四あった。
ラウル、アンナ、アルマンド以外はどの名も読めなかったが、全員に「英雄」を表す同じ文字が冠されていた。
彼らが眠る草地は、足を踏み入れることがはばかられたため手を入れず、魔術師たちが周辺に魔除けの術を施した。
「ベレニスのパーティは五人だったろう?」
作業を見守っていたオリヴィエが思い出したように言う。
「そう。五人」
「もう一人はどうしたんだ?」
ベレニスのパーティが五人編成であり、最後に魔王に立ち向かったのが勇者ベレニスと魔導師チェスラフの二人だったことはよく知られている。
しかし、残りの三人は名前すら知られていない。
「彼……エドモンは、この場所では生き延びたよ。でも、ラウル達のひと月後に、彼も英雄になってしまった」
マルクが遠い目をする。
一つ年上の彼は、ベレニスと同じ剣士だった。
今、マルクの目から客観的に見れば、彼はベレニスの高い能力に嫉妬し、焦りを感じていたのだと思う。
ベレニスに先んじようと単独行動し、命を落とした。
「そうか」
「彼の眠る場所は全く別の場所だから、今回、立ち寄ることは難しいかな。でも、いつか……もっとこの森が静かになったら行ってみたい」
「だったら、そのときは付き合おう」
そんな話をしていると、背後からアロイスがマルクの肩を叩いた。
「マルク、これでいいか?」
手には、琥珀色の液体が四分の一ほど入ったカップを持っている。
「なにそれ。酒?」
「ここに眠るラウルという男が酒好きだったから、飲ませてやりたいとヴィルに言われたんだけど、隊には気付け用の薬酒しかなくてね。バスチアンが隠し持っていたのをくすねてきた」
「——え? な……んで……?」
「マルクが頼んだんじゃないのかい? ヴィルがそう言ってたんだけど」
「ヴィルが……?」
彼……いや、四百年前の魔王は、いつも『魔王の目』を通して、ベレニスのパーティの様子を見ていたのだという。
その頃、パーティのメンバーは五人全員揃っており、魔獣たちと死闘を繰り広げながらも、充実した日々を送っていた。
ラウルは魔獣を倒す度に、口癖のように「酒が飲みてぇ!」と言っていたから、それを憶えていたのだろう。
あぁ、俺の他にも、彼らのことを憶えていた人がいる。
わざわざ酒を用意させて、その死を悼んでくれるんだ。
ヴィルジールとは思えない気遣いに驚くとともに、ぐっと胸が熱くなる。
「俺が頼んだんじゃないよ。でも、それかして」
カップを受け取ると、たぷんと揺れた酒の水面を見つめる。
『ああ、酒が飲みてぇ!』
『よっしゃぁ! これでエール一杯追加だ!』
魔獣に矢を命中させては嬉しそうに叫ぶ、彼の声と笑顔を思い出す。
ラウルは責任感が強く生真面目だったから『死の森』の中では、一切酒を口にしなかった。
その分、物資の補給などで町に下りたときに、倒した魔獣の頭数と同じだけの酒を飲むことを楽しみにしていたのだ。
彼が命を落としたあの頃は、魔王を倒したら酒をたらふく飲むのだと息巻いており、一ヶ月近く酒を絶っていたはずだ。
そして、勝利の美酒を味わうことなくこの世を去った。
もう四百年と一ヶ月以上、彼は酒を飲んでいない。
「ラウル」
懐かしい名を呼びながら、彼が眠っていると思われる場所の前に膝をつく。
「あの後、チェスラフと二人で魔王討伐を成し遂げたんだよ。だから、四百年も経ってしまったけど一緒に祝杯を上げよう。少ししかなくて申し訳ないけど、飲んでくれ」
カップを傾け、香り高い琥珀色の液体をゆっくりと草の上に注ぐ。
ふわりと甘い香りが漂い、細く尖った雑草が上下に揺れて、雫を土に落としていく。
最後の一滴は、葉の根元に丸く止まってしまったから、指で弾き落とした。
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マルクはそう笑ってカップを地面に置くと、体一つ分右にずれた。
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