【完結】「ラヴェラルタ辺境伯令嬢は病弱」ってことにしておいてください

平田加津実

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第7章 『死の森』の奥地に残されたもの

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 泣きながら硬い岩に必死に文字を刻みつけた、辛い思いが蘇る。

 あの日、ベレニスのパーティと他二組がこの場で野営をしていた。
 そこへ、魔獣の大群が押し寄せてきたのだ。
 どのパーティも実力者揃いだったが、魔獣たちは数で人間を圧倒した。

 ラウルは、ベレニスを援護する矢を放った直後、魔獣の爪に引き裂かれた。
 アンナは魔力切れを起こして倒れたところを魔獣に囲まれ、救出に向かったものの間に合わなかった。

 十九人いた腕利きの冒険者のうち八人が犠牲となり、生き残った者の多くが怪我を負った。
 しかし、誰よりも多く魔獣を倒しながらも、ベレニスだけは全くの無傷だった。

 きっと、もっとうまく戦えたはず。
 そうしたら二人を、みんなを死なせずにすんだのに——。

 自分のものではない無念と後悔が胸を締め付ける。

 ヴィルジールの足元にぽたりと水滴が落ちて、乾いた土の色が変わった。

「お……おい、どうした」
「悪い。ちょっと、降ろしてくれないか」
「ああ」

 言われた通りに、ヴィルジールが屈もうとすると「待って。やっぱり、降ろすな!」と思い直す。

 このまま降ろされたら、彼に泣き顔を見られてしまう。

 今は岩壁を向いているせいで確認できないが、さっき、こちらに向かって走って来るオリヴィエとアロイスの姿を見たし、今はそれ以上の人の気配がする。
 多くの仲間が、こちらに注目しているはずだ。

「なんだよ。どっちだよ」
「だめ! 降ろすな!」

 呆れたような、それでいて優しい口調に反発する。

 まるで駄々っ子のようだが、どうしていいか分からない。
 うつむいたら涙が落ちるから、岩の頂のその上の空を眺める。
 空に浮かぶ白い雲が溶けたように滲んで見えた。

「泣いてるのか?」
「……泣いてない」
「だが……」
「泣いてないって言ってるだろ! 泣いてるのはベレニスだ! 俺は泣いてない」

 嘘じゃない。
 泣いているのはベレニスだ。

 最強であるはずの俺が『死の森』で泣くなんて、士気に関わる。
 俺は決して弱い部分は見せちゃいけない。

「ああ、そうかい」

 彼は少し怒ったような口調で言うと、ベルトの上で支えていたマルクの両足を払いのけた。

「うわっ!」

 いきなり足場を失い、マルクはとっさに身体をひねって両手を伸ばした。
 ヴィルジールの首に両腕を回せば落下することはないと判断したのだが、払いのけられた両足が膝裏ですくい上げられ、身体がふわりと浮いた。
 頭を後ろから押さえ込まれ、彼の肩口に顔を押し当てられる。

「記憶に引きずられたんだな。よくあることだ」

 すぐ耳元で、慰めるような声がする。
 彼の首に両手を回してしまったから、彼に抱きついているような体勢だ。
 それどころか、これは、お姫様抱っこというものではないだろうか。

「な、なっ……何するんだよ! 放せ!」

 あまりの恥ずかしさに彼の腕から脱出しようともがいたが、どうやら全力で身体強化しているらしく、びくともしない。
 それなのに、なだめるように髪を撫でる手は優しい。

 いつの間に、こんな繊細な魔力制御ができるようになったんだろう……。
 なんて、感心している場合じゃないっ!

「放せって言ってるだろ! くそっ、はーなーせー!」 

 自分の方が強力な身体強化が使えるから、本気を出せば彼の腕から逃れることはできる。
 しかし、そのためには、彼の腕の骨をばきばきに折らなくてはならない。
 指一本でヴィルジールを昏倒させた術を使うことも頭をよぎったが、それもできなかった。

 彼が、心配してくれていることが分かるから——。

「辛いよな」

 彼の言葉に実感がこもった。

 彼もまた、過去の記憶に引きずられ、その罪の重さに苛まれてきた一人。
 似たような境遇の彼だけが、この苦しみを真に理解できるのだろう。

 もしかすると彼は、今、俺が泣いていることにも責任を感じているかもしれない。

「もう……なんなんだよ」

 マルクは抵抗することを諦めた。

 彼の肩に額を預けると、それだけで心が落ち着いてくる。
 が、それは僅かな時間だった。

「何やってるんだよ! マルクを下ろせ!」

 今にも強力な攻撃魔術を仕掛けてきそうな殺気をみなぎらせて、セレスタンが駆け寄って来る。
 オリヴィエとアロイス、他数名は二人の様子をほぼ最初から見守っていたのだが、後から駆けつけたセレスタンはヴィルジールがマルクを抱き上げている衝撃的な場面からしか見ていない。
 全身から放電しているかと思うほどに激昂していた。

 けれど、長兄が「そこは踏むな! 回り込んでこい!」と命ずると、律儀に遠回りして大岩の前にやってきた。

「マルクを下ろせって言ってるだろう!」

 天才魔術師が、火花が散る人指し指でヴィルジールの顔を指差した。

「やれやれ……。相変わらず過保護なことだ」

 ヴィルジールは大きなため息をつくと、腕の中の少年を地面に下ろした。
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