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第10章 舞踏会の長い夜
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双頭熊の二つ目の心臓を貫いた剣を片手で引き抜きながら考える。
俺とジョエルだけなら、魔獣を倒しながら城の外周を走った方が早く庭園にたどり着ける。
でも、皇女殿下と侍女を連れていては無理だよなぁ。
黒魔狼の群れはとっくに蹴散らしたから、この周辺には魔獣はいないはずだけど、庭園付近はまだ危険だろうし。
「しょうがないか。やっぱ、城の中を行く方が安全だな」
マルティーヌは脚に強化術をかけ、動かなくなった巨大な熊を暗がりに蹴り飛ばした。
目の届く範囲には、魔獣の姿は死骸を含めて一切なくなった。
「外には何もいませんから、安心して出てきてください」
塔の扉の外から声をかけると、皇女を抱いたジョエルが出てくる。
後ろから侍女もついてきたが、彼女は一歩外に出ると「ひっ」と小さな悲鳴を漏らした。
「何もいない」と言われても、獣臭や生臭い血の臭いがあたりに充満している。
ランプの灯りに照らされると、地面にどす黒く変色した箇所もある。
ついさっきまで、この場所に「何か」がいたことは明らかだった。
眉をひそめたジョエルは、毛布を引っ張り上げて、皇女を頭からすっぽりと包み込んだ。
「お城の中を抜けて参りましょう。その方が安全ですから」
マルティーヌが言うまでもなく、彼も城内を通ることを提案した。
使用人が使う簡素な扉から城の中に入る。
中に人の気配はなく、大人三人の足音だけが響いている。
「マルティーヌお姉さま。怖いわ」
ジョエルが抱いた毛布の塊がもごもご言う。
会ってほんのわずかな時間にも関わらず、皇女にすっかり懐かれてしまった。
マルティーヌは毛布の丸い部分にそっと手を置いた。
「大丈夫ですよ。もう城の中に入りましたから。ここには魔獣はいません」
しかし、城内では人と遭遇する可能性が高い。
その意味では危険だ。
第四王子の側近が抱きかかえている毛布は、明らかに子どもの形をしているし、舞踏会で注目を集めた美貌の令嬢の豪華なドレスには血が飛び散っている。
皇女の侍女は黒髪を隠すために、エプロンを頭からかぶっているが、身につけている衣服はこの国のものとは明らかに違う。
そんな三人が、この非常事態に避難もせずに城内を歩いているのだから、明らかに怪しい。
城内を熟知しているジョエルが、標的視術を駆使して人の姿を探しながら前を歩く。
うまくやり過ごせる時は良いが、遭遇を避けられないこともあった。
「左前方の扉から人が……三人出てきます」
まっすぐな通路だから逃げ隠れする場所はない。
マルティーヌは右手の手袋を外しながら「分かった」と答えた。
「三、二……」
ジョエルの合図でマルティーヌが走り出す。
扉から出てきたのは、騎士風の屈強な男たち。
彼らは、こちらに駆け寄ってくる血まみれの令嬢にぎょっとなった。
「いやぁぁぁっ!」
「どうなさいましたっ!」
「あっちに……狼の魔獣が」
その言葉を聞いた男たちに緊張が走った。
令嬢は彼らの目の前にたどり着くと、「あぁ……」と力尽きたように床にへたり込んだ。
「怪我をされているのですか?」
「大丈夫ですか。さあ、部屋の中へ」
慌てた男たちが、令嬢を助け起こそうと手を伸ばす。
その直後、彼らは微かなうめき声を上げた。
そして、がくりと膝をつき、そのまま床に崩れ落ちた。
「ええっ? 今、何が起こったのですか?」
レナータは、目の前で起きた事態が理解できなかった。
マルティーヌの言動が、すべて演技であることは分かっている。
しかし、彼女が男たちに何かをしたようには見えなかった。
「さっきも倒れている人をご覧になったでしょう? 今、この城では原因不明の熱病が流行っているようなのです」
「……まさか」
彼女はジョエルの説明に納得がいかない。
確かに、ここに来るまでに、真っ赤な顔で意識を失っている人を何人か見かけた。
けれど、今、目の前で昏倒した彼らを見る限り、明らかに熱病とは違う。
彼らはつい先ほどまで、全く健康だったのだ。
「ね……ねぇ、何があったの?」
ジョエルの腕の中の毛布がもぞもぞと動く。
「姫さま、お静かに。他に人がいるかもしれませんので」
侍女がそう諭すと、不満そうな雰囲気は伝わってくるが、静かになった。
「まあ。皆さん、どうなさったのかしら? こんな場所で寝ていては風邪をひきますわ」
マルティーヌが棒読みの台詞を吐きながら、男たちを次々と元の部屋に引きずっていく。
そして扉をばたんと締めて振り返り「これで大丈夫ですわ」と花のような笑顔を見せた。
「この先の突き当たりを左に曲がれば、ホールに出られます」
ジョエルがそう説明しながら、人の姿がないか標的視術で確認しようとしたとき、彼の視界の上部から突然人間が降ってきた。
「ええっ、上からっ? すごい速度で近づいてきます!」
「まさか、魔獣?」
「違います。人間ですっ!」
「誰?」
謎の人影は、着地と同時にかなりの速度で移動を始めた。
しかし、まっすぐ走ってはいない。
障害物を乗り越え、時には物陰に身を隠すような動作を見せながらも、凄まじく速い。
人間離れした動きに、ジョエルの声が緊迫感を帯びる。
「無理ですっ! 確認する時間がありません。右から正面! 来ますっ!」
敵か味方か——?
敵なら一瞬で落とすしかないけど。
マルティーヌはそう考えて床を蹴り、一気に通路の突き当たりに迫った。
正面の壁を駆け上がって速度を殺し、体をひねって相手の前に着地する。
相手の目には、鮮やかなエメラルドグリーンに進路を塞がれたように見えた。
俺とジョエルだけなら、魔獣を倒しながら城の外周を走った方が早く庭園にたどり着ける。
でも、皇女殿下と侍女を連れていては無理だよなぁ。
黒魔狼の群れはとっくに蹴散らしたから、この周辺には魔獣はいないはずだけど、庭園付近はまだ危険だろうし。
「しょうがないか。やっぱ、城の中を行く方が安全だな」
マルティーヌは脚に強化術をかけ、動かなくなった巨大な熊を暗がりに蹴り飛ばした。
目の届く範囲には、魔獣の姿は死骸を含めて一切なくなった。
「外には何もいませんから、安心して出てきてください」
塔の扉の外から声をかけると、皇女を抱いたジョエルが出てくる。
後ろから侍女もついてきたが、彼女は一歩外に出ると「ひっ」と小さな悲鳴を漏らした。
「何もいない」と言われても、獣臭や生臭い血の臭いがあたりに充満している。
ランプの灯りに照らされると、地面にどす黒く変色した箇所もある。
ついさっきまで、この場所に「何か」がいたことは明らかだった。
眉をひそめたジョエルは、毛布を引っ張り上げて、皇女を頭からすっぽりと包み込んだ。
「お城の中を抜けて参りましょう。その方が安全ですから」
マルティーヌが言うまでもなく、彼も城内を通ることを提案した。
使用人が使う簡素な扉から城の中に入る。
中に人の気配はなく、大人三人の足音だけが響いている。
「マルティーヌお姉さま。怖いわ」
ジョエルが抱いた毛布の塊がもごもご言う。
会ってほんのわずかな時間にも関わらず、皇女にすっかり懐かれてしまった。
マルティーヌは毛布の丸い部分にそっと手を置いた。
「大丈夫ですよ。もう城の中に入りましたから。ここには魔獣はいません」
しかし、城内では人と遭遇する可能性が高い。
その意味では危険だ。
第四王子の側近が抱きかかえている毛布は、明らかに子どもの形をしているし、舞踏会で注目を集めた美貌の令嬢の豪華なドレスには血が飛び散っている。
皇女の侍女は黒髪を隠すために、エプロンを頭からかぶっているが、身につけている衣服はこの国のものとは明らかに違う。
そんな三人が、この非常事態に避難もせずに城内を歩いているのだから、明らかに怪しい。
城内を熟知しているジョエルが、標的視術を駆使して人の姿を探しながら前を歩く。
うまくやり過ごせる時は良いが、遭遇を避けられないこともあった。
「左前方の扉から人が……三人出てきます」
まっすぐな通路だから逃げ隠れする場所はない。
マルティーヌは右手の手袋を外しながら「分かった」と答えた。
「三、二……」
ジョエルの合図でマルティーヌが走り出す。
扉から出てきたのは、騎士風の屈強な男たち。
彼らは、こちらに駆け寄ってくる血まみれの令嬢にぎょっとなった。
「いやぁぁぁっ!」
「どうなさいましたっ!」
「あっちに……狼の魔獣が」
その言葉を聞いた男たちに緊張が走った。
令嬢は彼らの目の前にたどり着くと、「あぁ……」と力尽きたように床にへたり込んだ。
「怪我をされているのですか?」
「大丈夫ですか。さあ、部屋の中へ」
慌てた男たちが、令嬢を助け起こそうと手を伸ばす。
その直後、彼らは微かなうめき声を上げた。
そして、がくりと膝をつき、そのまま床に崩れ落ちた。
「ええっ? 今、何が起こったのですか?」
レナータは、目の前で起きた事態が理解できなかった。
マルティーヌの言動が、すべて演技であることは分かっている。
しかし、彼女が男たちに何かをしたようには見えなかった。
「さっきも倒れている人をご覧になったでしょう? 今、この城では原因不明の熱病が流行っているようなのです」
「……まさか」
彼女はジョエルの説明に納得がいかない。
確かに、ここに来るまでに、真っ赤な顔で意識を失っている人を何人か見かけた。
けれど、今、目の前で昏倒した彼らを見る限り、明らかに熱病とは違う。
彼らはつい先ほどまで、全く健康だったのだ。
「ね……ねぇ、何があったの?」
ジョエルの腕の中の毛布がもぞもぞと動く。
「姫さま、お静かに。他に人がいるかもしれませんので」
侍女がそう諭すと、不満そうな雰囲気は伝わってくるが、静かになった。
「まあ。皆さん、どうなさったのかしら? こんな場所で寝ていては風邪をひきますわ」
マルティーヌが棒読みの台詞を吐きながら、男たちを次々と元の部屋に引きずっていく。
そして扉をばたんと締めて振り返り「これで大丈夫ですわ」と花のような笑顔を見せた。
「この先の突き当たりを左に曲がれば、ホールに出られます」
ジョエルがそう説明しながら、人の姿がないか標的視術で確認しようとしたとき、彼の視界の上部から突然人間が降ってきた。
「ええっ、上からっ? すごい速度で近づいてきます!」
「まさか、魔獣?」
「違います。人間ですっ!」
「誰?」
謎の人影は、着地と同時にかなりの速度で移動を始めた。
しかし、まっすぐ走ってはいない。
障害物を乗り越え、時には物陰に身を隠すような動作を見せながらも、凄まじく速い。
人間離れした動きに、ジョエルの声が緊迫感を帯びる。
「無理ですっ! 確認する時間がありません。右から正面! 来ますっ!」
敵か味方か——?
敵なら一瞬で落とすしかないけど。
マルティーヌはそう考えて床を蹴り、一気に通路の突き当たりに迫った。
正面の壁を駆け上がって速度を殺し、体をひねって相手の前に着地する。
相手の目には、鮮やかなエメラルドグリーンに進路を塞がれたように見えた。
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