【完結】「ラヴェラルタ辺境伯令嬢は病弱」ってことにしておいてください

平田加津実

文字の大きさ
190 / 216
第10章 舞踏会の長い夜

(6)

しおりを挟む
 双頭熊の二つ目の心臓を貫いた剣を片手で引き抜きながら考える。

 俺とジョエルだけなら、魔獣を倒しながら城の外周を走った方が早く庭園にたどり着ける。
 でも、皇女殿下と侍女を連れていては無理だよなぁ。
 黒魔狼の群れはとっくに蹴散らしたから、この周辺には魔獣はいないはずだけど、庭園付近はまだ危険だろうし。

「しょうがないか。やっぱ、城の中を行く方が安全だな」

 マルティーヌは脚に強化術をかけ、動かなくなった巨大な熊を暗がりに蹴り飛ばした。
 目の届く範囲には、魔獣の姿は死骸を含めて一切なくなった。

「外には何もいませんから、安心して出てきてください」

 塔の扉の外から声をかけると、皇女を抱いたジョエルが出てくる。
 後ろから侍女もついてきたが、彼女は一歩外に出ると「ひっ」と小さな悲鳴を漏らした。
 「何もいない」と言われても、獣臭や生臭い血の臭いがあたりに充満している。
 ランプの灯りに照らされると、地面にどす黒く変色した箇所もある。
 ついさっきまで、この場所に「何か」がいたことは明らかだった。

 眉をひそめたジョエルは、毛布を引っ張り上げて、皇女を頭からすっぽりと包み込んだ。

「お城の中を抜けて参りましょう。その方が安全ですから」

 マルティーヌが言うまでもなく、彼も城内を通ることを提案した。

 使用人が使う簡素な扉から城の中に入る。
 中に人の気配はなく、大人三人の足音だけが響いている。

「マルティーヌお姉さま。怖いわ」

 ジョエルが抱いた毛布の塊がもごもご言う。
 会ってほんのわずかな時間にも関わらず、皇女にすっかり懐かれてしまった。
 マルティーヌは毛布の丸い部分にそっと手を置いた。

「大丈夫ですよ。もう城の中に入りましたから。ここには魔獣はいません」

 しかし、城内では人と遭遇する可能性が高い。
 その意味では危険だ。

 第四王子の側近が抱きかかえている毛布は、明らかに子どもの形をしているし、舞踏会で注目を集めた美貌の令嬢の豪華なドレスには血が飛び散っている。
 皇女の侍女は黒髪を隠すために、エプロンを頭からかぶっているが、身につけている衣服はこの国のものとは明らかに違う。
 そんな三人が、この非常事態に避難もせずに城内を歩いているのだから、明らかに怪しい。

 城内を熟知しているジョエルが、標的視術を駆使して人の姿を探しながら前を歩く。
 うまくやり過ごせる時は良いが、遭遇を避けられないこともあった。

「左前方の扉から人が……三人出てきます」

 まっすぐな通路だから逃げ隠れする場所はない。
 マルティーヌは右手の手袋を外しながら「分かった」と答えた。

「三、二……」

 ジョエルの合図でマルティーヌが走り出す。
 扉から出てきたのは、騎士風の屈強な男たち。
 彼らは、こちらに駆け寄ってくる血まみれの令嬢にぎょっとなった。

「いやぁぁぁっ!」
「どうなさいましたっ!」
「あっちに……狼の魔獣が」

 その言葉を聞いた男たちに緊張が走った。

 令嬢は彼らの目の前にたどり着くと、「あぁ……」と力尽きたように床にへたり込んだ。

「怪我をされているのですか?」
「大丈夫ですか。さあ、部屋の中へ」

 慌てた男たちが、令嬢を助け起こそうと手を伸ばす。
 その直後、彼らは微かなうめき声を上げた。
 そして、がくりと膝をつき、そのまま床に崩れ落ちた。

「ええっ? 今、何が起こったのですか?」

 レナータは、目の前で起きた事態が理解できなかった。

 マルティーヌの言動が、すべて演技であることは分かっている。
 しかし、彼女が男たちに何かをしたようには見えなかった。

「さっきも倒れている人をご覧になったでしょう? 今、この城では原因不明の熱病が流行っているようなのです」
「……まさか」

 彼女はジョエルの説明に納得がいかない。

 確かに、ここに来るまでに、真っ赤な顔で意識を失っている人を何人か見かけた。
 けれど、今、目の前で昏倒した彼らを見る限り、明らかに熱病とは違う。
 彼らはつい先ほどまで、全く健康だったのだ。

「ね……ねぇ、何があったの?」

 ジョエルの腕の中の毛布がもぞもぞと動く。

「姫さま、お静かに。他に人がいるかもしれませんので」

 侍女がそう諭すと、不満そうな雰囲気は伝わってくるが、静かになった。

「まあ。皆さん、どうなさったのかしら? こんな場所で寝ていては風邪をひきますわ」

 マルティーヌが棒読みの台詞を吐きながら、男たちを次々と元の部屋に引きずっていく。
 そして扉をばたんと締めて振り返り「これで大丈夫ですわ」と花のような笑顔を見せた。

「この先の突き当たりを左に曲がれば、ホールに出られます」

 ジョエルがそう説明しながら、人の姿がないか標的視術で確認しようとしたとき、彼の視界の上部から突然人間が降ってきた。

「ええっ、上からっ? すごい速度で近づいてきます!」
「まさか、魔獣?」
「違います。人間ですっ!」
「誰?」

 謎の人影は、着地と同時にかなりの速度で移動を始めた。
 しかし、まっすぐ走ってはいない。
 障害物を乗り越え、時には物陰に身を隠すような動作を見せながらも、凄まじく速い。
 人間離れした動きに、ジョエルの声が緊迫感を帯びる。

「無理ですっ! 確認する時間がありません。右から正面! 来ますっ!」

 敵か味方か——?
 敵なら一瞬で落とすしかないけど。

 マルティーヌはそう考えて床を蹴り、一気に通路の突き当たりに迫った。
 正面の壁を駆け上がって速度を殺し、体をひねって相手の前に着地する。

 相手の目には、鮮やかなエメラルドグリーンに進路を塞がれたように見えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

神様の忘れ物

mizuno sei
ファンタジー
 仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。  わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。

ヒロインですが、舞台にも上がれなかったので田舎暮らしをします

未羊
ファンタジー
レイチェル・ウィルソンは公爵令嬢 十二歳の時に王都にある魔法学園の入学試験を受けたものの、なんと不合格になってしまう 好きなヒロインとの交流を進める恋愛ゲームのヒロインの一人なのに、なんとその舞台に上がれることもできずに退場となってしまったのだ 傷つきはしたものの、公爵の治める領地へと移り住むことになったことをきっかけに、レイチェルは前世の夢を叶えることを計画する 今日もレイチェルは、公爵領の片隅で畑を耕したり、お店をしたりと気ままに暮らすのだった

悪役顔のモブに転生しました。特に影響が無いようなので好きに生きます

竹桜
ファンタジー
 ある部屋の中で男が画面に向かいながら、ゲームをしていた。  そのゲームは主人公の勇者が魔王を倒し、ヒロインと結ばれるというものだ。  そして、ヒロインは4人いる。  ヒロイン達は聖女、剣士、武闘家、魔法使いだ。  エンドのルートしては六種類ある。  バットエンドを抜かすと、ハッピーエンドが五種類あり、ハッピーエンドの四種類、ヒロインの中の誰か1人と結ばれる。  残りのハッピーエンドはハーレムエンドである。  大好きなゲームの十回目のエンディングを迎えた主人公はお腹が空いたので、ご飯を食べようと思い、台所に行こうとして、足を滑らせ、頭を強く打ってしまった。  そして、主人公は不幸にも死んでしまった。    次に、主人公が目覚めると大好きなゲームの中に転生していた。  だが、主人公はゲームの中で名前しか出てこない悪役顔のモブに転生してしまった。  主人公は大好きなゲームの中に転生したことを心の底から喜んだ。  そして、折角転生したから、この世界を好きに生きようと考えた。  

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

ゲームの悪役パパに転生したけど、勇者になる息子が親離れしないので完全に詰んでる

街風
ファンタジー
「お前を追放する!」 ゲームの悪役貴族に転生したルドルフは、シナリオ通りに息子のハイネ(後に世界を救う勇者)を追放した。 しかし、前世では子煩悩な父親だったルドルフのこれまでの人生は、ゲームのシナリオに大きく影響を与えていた。旅にでるはずだった勇者は旅に出ず、悪人になる人は善人になっていた。勇者でもないただの中年ルドルフは魔人から世界を救えるのか。

不倫されて離婚した社畜OLが幼女転生して聖女になりましたが、王国が揉めてて大事にしてもらえないので好きに生きます

天田れおぽん
ファンタジー
 ブラック企業に勤める社畜OL沙羅(サラ)は、結婚したものの不倫されて離婚した。スッキリした気分で明るい未来に期待を馳せるも、公園から飛び出てきた子どもを助けたことで、弱っていた心臓が止まってしまい死亡。同情した女神が、黒髪黒目中肉中背バツイチの沙羅を、銀髪碧眼3歳児の聖女として異世界へと転生させてくれた。  ところが王国内で聖女の処遇で揉めていて、転生先は草原だった。  サラは女神がくれた山盛りてんこ盛りのスキルを使い、異世界で知り合ったモフモフたちと暮らし始める―――― ※第16話 あつまれ聖獣の森 6 が抜けていましたので2025/07/30に追加しました。

処理中です...