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第10章 舞踏会の長い夜
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ジョエルはこの日初めて、標的視術で王太子の姿を捉えることができた。
彼は足を組んで何かに腰掛けており、虚ろな目で前を見ていた。
身につけているのは、舞踏会の時と同じ赤味がかった紺色の豪華な衣装。
肩に赤いマントをかけており、その長い裾は椅子の背もたれのような部分に被せられて角ばって視える。
「いたの? どこにっ!」
「あ…………ぁ、あ……」
彼は喘いでいるだけで、なかなか言葉が出てこない。
視線と同じ場所を指差し、がたがたと震えている。
「ジョー、しっかりしろ! 王太子がいたんだろ、違うのか?」
「い……ま、した。いました! 方角も、距離も……あの魔力と同じ場所ですっ!」
「あそこに……いるのか。王太子が?」
そこは王の玉座が置かれた謁見の間だという。
王とは?
玉座とは?
やはり、王太子が——。
「分かった。すぐに行こう。ロランとジョーはついて来い! コンスタン、ジル、ジュストはこのまま待機して皇女殿下を守れ! 万一、クレマンとマチューの隊が戻って来たら、謁見の間に向かうよう伝えてくれ! いいな!」
マルティーヌは言い終わる前に駆け出した。
着替える間などなかったし、サーヴァの部下の目もある。
裾に銀糸の薔薇の刺繍が輝く鮮やかな色のドレスを翻し、二人の男に先行する。
「ジョー! 最短ルートはどこだ!」
「リーヴィたちと合流しますか? 最も近いのは別の入り口ですが」
マルティーヌは一瞬考えたが、いちばん近い場所にいる兄たちより、到着はどうしても遅れる。
彼らはおそらく、合流できるかどうかが不明のマルティーヌを待たない。
これまでの数々の実戦経験から、一点突破より別方向からの援護を期待しているだろう。
それに、やはりサーヴァの存在が気になる。
「最短だ! 本隊とは別行動を取る」
「では、先ほどロランが出て来た通路をとりあえず真っ直ぐ行ってください!」
「了解!」
超人的な身体能力を魔力で底上げしたマルティーヌとロランに、ジョエルが少し遅れながらも必死でついてくる。
「その……先、左ですっ!」
城内を熟知した彼の指示で、目的地まであと僅かに迫った時、進行方向の通路の真ん中に倒れている人を発見した。
「誰か、いる」
マルティーヌが足を止めた。
腹部を両手で押さえ、こちらに足を投げ出すように倒れているその人は、顔が見えないから男か女か判然としない。
グレーの長い衣が腹部を中心に赤く染まっている。
大理石の床や淡いクリーム色をした壁にも、赤い色が飛び散っていた。
魔獣に襲われたのではない。
明らかに人の手によって害されていた。
「大丈夫ですかっ!」
駆け寄ろうとしてはっとする。
その人物の少し手前に白い布が落ちていた。
あれは……修道女が身につけるウィンプル?
そうだ、このグレーの修道服は——。
戸惑っていると、先にその人物の正体に気づいたジョエルが、血相を変えて追い越していく。
「聖女さまっ! どうされたのですか! 誰が、こんなことを……」
駆けつけたジョエルが上半身を抱き起こすと、老女は微かに目を開いた。
筋張った痩せた手がすがるように伸ばされ、彼の腕をきつく掴む。
「あれ……を、そ、外に出しては……ダメ」
「あれ? あれって何?」
マルティーヌが聖女の顔を覗き込んで聞き返す。
「あれ」とはきっと、『死の森』から持ち出された石の椅子を指すのだろう。
聖結界術ではセレスタンを上回る使い手である聖女なら、椅子の隠蔽は可能なはずだ。
しかし、彼女が傷を負うことによって結界を維持できなくなり、魔力が噴出した。
そう考えると、彼女の言葉と、今引き起こされた事態の辻褄が合う。
しかし、聖女はマルティーヌの問いには答えず、振り絞るように言葉を続ける。
「お……願い、彼……を助け……て」
「彼って誰? 誰を助ければいいの?」
「…………フ」
「——え?」
聖女の声はほとんど聞き取れなかった。
けれど、口の動きはよく知る名のように感じた。
「……チェス……フ……」
彼女はもう一度、かすれ声で名を紡ぐ。
「今、チェスラフって言った?」
「チェスラフだって!」
マルティーヌとロランが同時に驚きの声を上げた。
チェスラフはベレニスの仲間であった魔道士だ。
そして、この国で現在も信仰されるチェスラフ聖教の教祖でもある。
彼女はチェスラフ聖教の最高位である聖女。
信仰の対象である聖者チェスラフについては誰よりも詳しいはずだ。
彼女の言う『チェスラフ』は何を指すのだろう。
大聖堂にある聖者像?
それとも、宗教的な何かを比喩している?
いや、助けてと言うからには同じ名の人間?
まさか、チェスラフの生まれ変わりも、今の世に存在する——?
マルティーヌはちらりとロランの顔を見た。
ベレニスの仲間だった剣士エドモンの生まれ変わりである彼も、同じことを思ったのか小さく頷いた。
「聖女さま、チェスラフってまさか……」
しかし聖女は「彼を……」とうわごとのように言うばかりだ。
そして力なく咳き込むと、紫色をした荒れた唇の端から、血がこぼれ落ちた。
「聖女……さま?」
それは、いつか見た光景だった。
彼は足を組んで何かに腰掛けており、虚ろな目で前を見ていた。
身につけているのは、舞踏会の時と同じ赤味がかった紺色の豪華な衣装。
肩に赤いマントをかけており、その長い裾は椅子の背もたれのような部分に被せられて角ばって視える。
「いたの? どこにっ!」
「あ…………ぁ、あ……」
彼は喘いでいるだけで、なかなか言葉が出てこない。
視線と同じ場所を指差し、がたがたと震えている。
「ジョー、しっかりしろ! 王太子がいたんだろ、違うのか?」
「い……ま、した。いました! 方角も、距離も……あの魔力と同じ場所ですっ!」
「あそこに……いるのか。王太子が?」
そこは王の玉座が置かれた謁見の間だという。
王とは?
玉座とは?
やはり、王太子が——。
「分かった。すぐに行こう。ロランとジョーはついて来い! コンスタン、ジル、ジュストはこのまま待機して皇女殿下を守れ! 万一、クレマンとマチューの隊が戻って来たら、謁見の間に向かうよう伝えてくれ! いいな!」
マルティーヌは言い終わる前に駆け出した。
着替える間などなかったし、サーヴァの部下の目もある。
裾に銀糸の薔薇の刺繍が輝く鮮やかな色のドレスを翻し、二人の男に先行する。
「ジョー! 最短ルートはどこだ!」
「リーヴィたちと合流しますか? 最も近いのは別の入り口ですが」
マルティーヌは一瞬考えたが、いちばん近い場所にいる兄たちより、到着はどうしても遅れる。
彼らはおそらく、合流できるかどうかが不明のマルティーヌを待たない。
これまでの数々の実戦経験から、一点突破より別方向からの援護を期待しているだろう。
それに、やはりサーヴァの存在が気になる。
「最短だ! 本隊とは別行動を取る」
「では、先ほどロランが出て来た通路をとりあえず真っ直ぐ行ってください!」
「了解!」
超人的な身体能力を魔力で底上げしたマルティーヌとロランに、ジョエルが少し遅れながらも必死でついてくる。
「その……先、左ですっ!」
城内を熟知した彼の指示で、目的地まであと僅かに迫った時、進行方向の通路の真ん中に倒れている人を発見した。
「誰か、いる」
マルティーヌが足を止めた。
腹部を両手で押さえ、こちらに足を投げ出すように倒れているその人は、顔が見えないから男か女か判然としない。
グレーの長い衣が腹部を中心に赤く染まっている。
大理石の床や淡いクリーム色をした壁にも、赤い色が飛び散っていた。
魔獣に襲われたのではない。
明らかに人の手によって害されていた。
「大丈夫ですかっ!」
駆け寄ろうとしてはっとする。
その人物の少し手前に白い布が落ちていた。
あれは……修道女が身につけるウィンプル?
そうだ、このグレーの修道服は——。
戸惑っていると、先にその人物の正体に気づいたジョエルが、血相を変えて追い越していく。
「聖女さまっ! どうされたのですか! 誰が、こんなことを……」
駆けつけたジョエルが上半身を抱き起こすと、老女は微かに目を開いた。
筋張った痩せた手がすがるように伸ばされ、彼の腕をきつく掴む。
「あれ……を、そ、外に出しては……ダメ」
「あれ? あれって何?」
マルティーヌが聖女の顔を覗き込んで聞き返す。
「あれ」とはきっと、『死の森』から持ち出された石の椅子を指すのだろう。
聖結界術ではセレスタンを上回る使い手である聖女なら、椅子の隠蔽は可能なはずだ。
しかし、彼女が傷を負うことによって結界を維持できなくなり、魔力が噴出した。
そう考えると、彼女の言葉と、今引き起こされた事態の辻褄が合う。
しかし、聖女はマルティーヌの問いには答えず、振り絞るように言葉を続ける。
「お……願い、彼……を助け……て」
「彼って誰? 誰を助ければいいの?」
「…………フ」
「——え?」
聖女の声はほとんど聞き取れなかった。
けれど、口の動きはよく知る名のように感じた。
「……チェス……フ……」
彼女はもう一度、かすれ声で名を紡ぐ。
「今、チェスラフって言った?」
「チェスラフだって!」
マルティーヌとロランが同時に驚きの声を上げた。
チェスラフはベレニスの仲間であった魔道士だ。
そして、この国で現在も信仰されるチェスラフ聖教の教祖でもある。
彼女はチェスラフ聖教の最高位である聖女。
信仰の対象である聖者チェスラフについては誰よりも詳しいはずだ。
彼女の言う『チェスラフ』は何を指すのだろう。
大聖堂にある聖者像?
それとも、宗教的な何かを比喩している?
いや、助けてと言うからには同じ名の人間?
まさか、チェスラフの生まれ変わりも、今の世に存在する——?
マルティーヌはちらりとロランの顔を見た。
ベレニスの仲間だった剣士エドモンの生まれ変わりである彼も、同じことを思ったのか小さく頷いた。
「聖女さま、チェスラフってまさか……」
しかし聖女は「彼を……」とうわごとのように言うばかりだ。
そして力なく咳き込むと、紫色をした荒れた唇の端から、血がこぼれ落ちた。
「聖女……さま?」
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