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20 出立
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ジョシュアが旅に出るまでの日々、レイナールは彼と睦み合った。言葉を交わせば、「行かないで」「ひとりにしないで」と縋りついてみっともなく泣いてしまいそうだった。
肉体の交わりは、レイナールから意味ある言葉を奪い去ってしまうから、都合がよかった。
身体は毎日軋んだし、快楽は過ぎれば苦痛に転じるということを嫌というほど身をもって実感したが、それでも後悔はなかった。
そして、ジョシュアが帝国へと旅立つその日がやってきた。
朝早くに起きて出立する彼に合わせ、レイナールも身支度を整えた。鏡に映る自分に向かって、「泣くな、泣くな……」と言い聞かせ、笑顔の練習をする。引きつっていたが、見なかったふりをして、部屋を出る。
朝食もそこそこに、ジョシュアは馬車の準備をさせる。赤い軍服は、冬の朝の冷たい空気に溶け込まず、はっきりと目立っていた。
この背中を見るのも、今日で最後かもしれない。
縁起でもない考えが脳裏をよぎり、ぶるぶると頭を振って追い出した。
「レイ」
馬車に荷物を積み込んだジョシュアに呼ばれ、アルバートには背を押された。住み込みで働いている三人以外の使用人たちも、ほぼ全員が揃って見送りに出ていて、マリベルを始め、女性の中には、泣いている者も多かった。アンディは黙って怖い顔をしているし、カールは足下を睨みつけ、涙を堪えている様子だった。
「はい。ジョシュア様」
辛い役目に向かう男を、自分だけでも冷静に見送らなければならない。レイナールは、ジョシュアにこの家のことを頼まれたのだ。少し緊張しているのに気がついたのか、ジョシュアは微かに笑った。
「レイ。餞別をくれないか?」
「餞別、ですか」
何も持たずに出てきたために慌てたレイナールに、ジョシュアは欲しいものを告げた。
「お前が育てている、雪割草。そろそろ咲くだろう? 花を見たことがないから」
ジョシュアは忘れているのだろうか。雪割草を誰かに贈ることは禁忌だと、話をしたのに。
レイナールは首を横に振って、拒絶した。無理を言うつもりはなかったようで、「そうか」と笑うだけだった。
「お前に似た花だろうから、見てみたかったんだが」
雪割草と自分が似ているのは、裏表のある伝承だけだ。国元にあれば希望の象徴、他国に移れば不幸をもたらす。「あなたの死を望みます」という不吉な花言葉の花を、これから死地に赴くジョシュアに渡すことは絶対にできない。
「ジョシュア様。花は差し上げられませんが……」
レイナールは彼に抱きついた。バランスを崩したジョシュアの耳元に、
「愛しています。どうか、旅はゆっくりと」
と、囁いた。
帝国に着くまでを最大限引き延ばして、時間稼ぎをしている間に、救う手立てを思いつくかもしれない。わずかな望みを賭けるしかないレイナールは、願ってはいけないことだけれど、御者や馬車を引く馬が病気になったり怪我をしたりして、足止めをしてくれないかと思ってしまう。
白い雪割草とは真逆の、黒い存在に落ちていきそうな自分を止められない。
ジョシュアはレイナールのことを抱き返すと、同じように囁いてくれた。
「俺も、愛している。だから、どうか」
どうか、幸せに。
その言葉に込められた諦念を、感じ取ってしまう。
最後に腕の力が強められたかと思うと、ジョシュアはレイナールを解放した。
「では、行ってくる」
片手を挙げて馬車に乗り込んでいく主人を、全員が頭を下げて見送る。見れば、アルバートですら頭を下げていた。国のために命を捨てに行く当主に、最大限の敬意を表している。
レイナールも、深く頭を下げた。馬が一声いななき、蹄の音が遠ざかっていく。
完全に聞こえなくなっても、レイナールはなかなか頭を上げられなかった。
「レイ」
アルバートに肩を叩かれるが、それでもまだ、ジョシュアの去って行った方向に敬礼の状態を保った。
「っく」
地面へと落ちる涙を見ても、アルバートは何も言わなかった。レイナールは気の済むまでひとしきり泣いたあと、頬を袖で拭いながら、家の中に入る。
玄関で振り向くと、轍がずっと続いている。追いかけたい衝動に駆られたが、ぐっと耐えて、自分の部屋に戻る。
「あ……」
支度をしているときは気がつかなかった。
恐る恐る指を伸ばして触れると、枯れ果てるまで流したと思っていた涙が、再び目に溢れていく。
「咲いたんだ……」
開花の時期にはまだ少し早く、愛するジョシュアのために、健気に咲いた花一輪。
白い雫のような形の花。雪の大地の中に咲く花。
あの人が、自分に似ていると言ってくれた花――……。
レイナールは声を上げて泣いた。
泣いて、泣いて、今度こそすべてを出し尽くしたとき、ジョシュアのために何ができるのかを考えて、行動しなければならないと、立ち上がった。
肉体の交わりは、レイナールから意味ある言葉を奪い去ってしまうから、都合がよかった。
身体は毎日軋んだし、快楽は過ぎれば苦痛に転じるということを嫌というほど身をもって実感したが、それでも後悔はなかった。
そして、ジョシュアが帝国へと旅立つその日がやってきた。
朝早くに起きて出立する彼に合わせ、レイナールも身支度を整えた。鏡に映る自分に向かって、「泣くな、泣くな……」と言い聞かせ、笑顔の練習をする。引きつっていたが、見なかったふりをして、部屋を出る。
朝食もそこそこに、ジョシュアは馬車の準備をさせる。赤い軍服は、冬の朝の冷たい空気に溶け込まず、はっきりと目立っていた。
この背中を見るのも、今日で最後かもしれない。
縁起でもない考えが脳裏をよぎり、ぶるぶると頭を振って追い出した。
「レイ」
馬車に荷物を積み込んだジョシュアに呼ばれ、アルバートには背を押された。住み込みで働いている三人以外の使用人たちも、ほぼ全員が揃って見送りに出ていて、マリベルを始め、女性の中には、泣いている者も多かった。アンディは黙って怖い顔をしているし、カールは足下を睨みつけ、涙を堪えている様子だった。
「はい。ジョシュア様」
辛い役目に向かう男を、自分だけでも冷静に見送らなければならない。レイナールは、ジョシュアにこの家のことを頼まれたのだ。少し緊張しているのに気がついたのか、ジョシュアは微かに笑った。
「レイ。餞別をくれないか?」
「餞別、ですか」
何も持たずに出てきたために慌てたレイナールに、ジョシュアは欲しいものを告げた。
「お前が育てている、雪割草。そろそろ咲くだろう? 花を見たことがないから」
ジョシュアは忘れているのだろうか。雪割草を誰かに贈ることは禁忌だと、話をしたのに。
レイナールは首を横に振って、拒絶した。無理を言うつもりはなかったようで、「そうか」と笑うだけだった。
「お前に似た花だろうから、見てみたかったんだが」
雪割草と自分が似ているのは、裏表のある伝承だけだ。国元にあれば希望の象徴、他国に移れば不幸をもたらす。「あなたの死を望みます」という不吉な花言葉の花を、これから死地に赴くジョシュアに渡すことは絶対にできない。
「ジョシュア様。花は差し上げられませんが……」
レイナールは彼に抱きついた。バランスを崩したジョシュアの耳元に、
「愛しています。どうか、旅はゆっくりと」
と、囁いた。
帝国に着くまでを最大限引き延ばして、時間稼ぎをしている間に、救う手立てを思いつくかもしれない。わずかな望みを賭けるしかないレイナールは、願ってはいけないことだけれど、御者や馬車を引く馬が病気になったり怪我をしたりして、足止めをしてくれないかと思ってしまう。
白い雪割草とは真逆の、黒い存在に落ちていきそうな自分を止められない。
ジョシュアはレイナールのことを抱き返すと、同じように囁いてくれた。
「俺も、愛している。だから、どうか」
どうか、幸せに。
その言葉に込められた諦念を、感じ取ってしまう。
最後に腕の力が強められたかと思うと、ジョシュアはレイナールを解放した。
「では、行ってくる」
片手を挙げて馬車に乗り込んでいく主人を、全員が頭を下げて見送る。見れば、アルバートですら頭を下げていた。国のために命を捨てに行く当主に、最大限の敬意を表している。
レイナールも、深く頭を下げた。馬が一声いななき、蹄の音が遠ざかっていく。
完全に聞こえなくなっても、レイナールはなかなか頭を上げられなかった。
「レイ」
アルバートに肩を叩かれるが、それでもまだ、ジョシュアの去って行った方向に敬礼の状態を保った。
「っく」
地面へと落ちる涙を見ても、アルバートは何も言わなかった。レイナールは気の済むまでひとしきり泣いたあと、頬を袖で拭いながら、家の中に入る。
玄関で振り向くと、轍がずっと続いている。追いかけたい衝動に駆られたが、ぐっと耐えて、自分の部屋に戻る。
「あ……」
支度をしているときは気がつかなかった。
恐る恐る指を伸ばして触れると、枯れ果てるまで流したと思っていた涙が、再び目に溢れていく。
「咲いたんだ……」
開花の時期にはまだ少し早く、愛するジョシュアのために、健気に咲いた花一輪。
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あの人が、自分に似ていると言ってくれた花――……。
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