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後編 悪役令嬢を待つ、末路、終末
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*ハッピーエンドが好きな方はそっ閉じ推奨。
──────────
「リーリスに何をしたっ?!」
「あっ……」
パーティの最中、声を荒らげた青年が一人の女性の腕をひねり揚げている。その手から空のグラスが落ち、高い破裂音が響き渡った。
「いたい……」
「今、リーリスに何をしたと言ってるんだっ?!」
「私は何も……」
男二人に囲まれたその女性が消え入りそうな声でそう言ったが、彼らの周囲は既にざわめきと喧騒に満ちていたため、ほとんど誰にも聞き取ることができなかった。
「あなたが常日頃からリーリス嬢に色々な嫌がらせをしていることは知っています」
「それは私ではありません」
「お前の言い訳を聞くつもりはないからな」
「今、リーリス嬢にわざとシャンパンをかけましたよね?」
「わざとではありません」
「俺は見ていたぞ」
「僕も」
男二人がそう断定すると、彼らの背に庇われた茶髪の娘がふるふるっと震えながら声を出した。目をやると彼女のオフホワイトのドレスの裾は微かにピンクに染まっていて、何かの液体──彼らの言に拠ると腕を捻られたままの令嬢の仕業らしいが──によってそうなったのだろうという推測できた。
「きっと私が悪いんです。自分の身分を弁えずにボリス様と仲良くしてしまってるから……嫌な思いをさせてしまってごめんなさい」
「リーリスは悪くないだろう」
「リーリス嬢大丈夫、怖がらないで。僕たちが守ります」
「何の騒ぎだ!」
その声で人垣がざっと左右に割れる。そこに現れたのはまばゆいばかりの金髪。身に纏う圧倒的な王子としての存在感に、誰もが息を呑む。
「ボリス様!」
その姿を目にしたリーリスの声に喜色が満ちる。彼女はサッと走り寄って彼の隣に立ち並んだ。
「──何をしている!」
「誰かにシャンパンをかけられてしまって……」
「マルクス、その手を離せ」
「しかしボリス!」
「離すんだ」
「殿下、僕たちはカサンドラ嬢が彼女にシャンパンをかけた所を目撃したんです。だから逃げられないようにとマルクスが──」
「……マルクス」
「分かったよ、離せばいいんだろ?」
マルクスが腕を離すと、カサンドラは赤くなった腕をさすりながら引っ込めた。
「何があったんだ?」
誰の耳にも届いたボリスのその声は低く、過分の怒りが含まれているように聞こえた。
「だから言ったでしょう? カサンドラ嬢がリーリス嬢に──」
「ウォード、お前には聞いていない」
「ボリス様! 私は大丈夫なのでそんなことで怒らないであげてください!」
「カサンドラ、何があった?」
カサンドラの口が一旦開きかけたが、責めるようなその強い口調にまた閉じてしまった。再びぐっと引き絞られた下唇を噛みながら僅かに震えている。
代わりに声を張ったのはリーリスだった。
「ボリス様、カサンドラ様を許してあげてください」
「許すとかそういう問題ではないだろう」
「私は大丈夫ですから……ねっ?」
「カサンドラ?」
ボリスがカサンドラの腕を掴もうと手を伸ばすと、彼女は勢いよくそれを振り払った。
「……っ!」
それが思ってもみなかった行動だったのか、目を見張るボリス。
「もう……」
ぽつり。
「もう何もかも……」
ぽつり、とその唇から言葉が雫のようにこぼれ落ちる。
「終わりなのですね──」
涙をこぼす代わりに。
「カサンドラ、何を言っている?」
「結局私は何も得られなかった……」
そう言うが早いか、カサンドラはどこからかから小さな小瓶を取りだして蓋を捻り、中身を一気に煽った。
「カサンドラっ!?」
さっと表情の変わったボリスが弾けるように飛び出して彼女に駆け寄った。そして彼女から小瓶を奪ったが既に小瓶の中身は空になっていた。彼女の喉が動いて液体を嚥下したのが分かった。
「……っ!」
カサンドラはぐうっと喉を鳴らして、胸元を抑える。その身体がぐらっと傾いたところをボリスが抱きしめるようにして受け止めた。苦しげに歪められた彼女の顔からはみるみると血の気が引いていき、目から生気が失われていった。
それを見ていた人々から悲鳴のような声が漏れる。毒だ──誰かが呟く。
カサンドラがもがくように空中に手を伸ばすと、その手をボリスは握り込んだ。それを認識してかしないでか、彼女の唇はまるでここにはいない誰かに懺悔でもするようにゆるゆると言葉を紡ぐ。
「ボリス様──私は……本当に……本当にあなたを、あなただけを愛していました。私の世界にはあなたしかいなくて……あなたはもう私の一部で……今更あなたから切り離されたら私は生きてはいられない。惹かれ合うお二人の姿を見るのはどれほどの苦痛かお分かりになりますか?
自らを見失い嫉妬に狂う醜い姿に成り果て、あなたに見限られて殺されるくらいならば──あなたに私への憐憫が欠片は残っているうちに……自分ごとこの醜い心を殺してしまおうと思います。
自分自身の死でしかもう、あなたを縛れないなんて惨めなものですね……それでも、私の死を踏み台にしてでも、彼女と幸せになれるものならばなればいい──愛するあなたの幸せを最後まで見届けることができなくて……二人の未来を祝福をしてあげられなくてごめんなさい──」
飲み込んだ薬のせいか彼女の声は酷く掠れていて、呪いのように吐き出したその言葉のほとんどは彼にしか届かなかったかもしれない。
カサンドラを包み込んだボリスの手から眩しいほどの光が溢れる。
「カサンドラ、カサンドラ、待って──目を閉じないで! 今毒を──」
悲痛な彼の叫びから、治癒魔法で解毒をしようとしているのだということが伝わった。しかし、王国随一と言わしめる上級魔法の使い手の彼をもってしても上手くいっている気配はなく、治癒の光が何かに弾かれ消える度に彼女の身体から力が抜けていくのが誰の目にも明らかだった。
さっきまで彼女を糾弾していたはずの青年二人は呆然とその様子を見つめる。
ボリスがカサンドラに駆け寄ってしまった為に一人取り残されたリーリスは、両手で口を覆って固まっていた──だから、彼女の手の下にある口が笑っているのか? だとか、何を呟いていたのか? だとかは誰にも分からなかったし、そもそも気にしてもいなかった。
ことり、とカサンドラのボリスに握られていない方の腕が床を打つ。
その白い肌には誰かの手の形をした赤い痕が、鮮やかに浮き上がっていて、目を背けた者もいた。
更に微かな音がして、キラキラと光る何かがよりいっそう白くなった首を伝って床に落ちたが、ボリス以外に気づく者は誰もいなかった。
誰もが突然の出来事に現実を受け止めきれず、ただその光景を黙って眺めていた。
「どうしてこんなことに……一体何があったんだ……」
ボリスが床から拾い上げたそれは、昔彼女へ贈った安物の石のペンダントだった。床に落ちた時かそれ以前からなのか、かつてはハート型だった石が半分に割れてしまっていた。
放心したように俯くボリスの頬を、つうっと一筋の涙が伝う。
やがて彼はぴくりとも動かなくなったカサンドラを抱き抱えたまま立ち上がった。
それまで息を潜めて様子を見ていた護衛たちが慌てて彼に近付こうとしたが、何かに遮られてたたらを踏んだ。
「邪魔をするな!」
低く唸るような声が彼の口から漏れ、次の瞬間護衛たちが吹っ飛んで集まっていた人の壁にぶつかった。
「触るな」
「誰にも触らせない」
「来るな」
「ボリス!」「殿下!」
「お前たちは……」
二人の青年にかける声は、怒りからなのか悲しみからなのかはわからなかったが震えていた。彼らを射抜くように見つめるボリスの目からは最早光が消えていた。
「こんなことになるとは思わなかった……」
罪悪感を軽減するためか、言い訳めいた言葉が二人のどちらからともなくこぼれる。
そこへ、それまで傍観をしていた少女の可憐な声が響いた。
「ごめんなさい! こんなことになってしまったのはきっと私のせいです……」
リーリスは青ざめた顔で呟いた。大きな瞳には大量の涙をたたえていた。
表情が抜け落ちたままのボリスが顔を向ける。
「さっき」
彼女の淡い緑の瞳がプルっと揺れて、涙がこぼれ落ちる。
「実は……見てしまったんです、カサンドラ様が飲み物に何かを入れようとするところを……! それを私に渡そうとしてきたから私、わざとカサンドラ様にぶつかったんです──何が入ってるかは分からなかったけれど、こぼしてしまえば飲まなくてよくなると思って……でも、それ、毒……だったんですね……まさか……そんな……カサンドラ様がそんなこと……信じられない……」
色を失い震える彼女の口から一方的に事の顛末が語られると、少女が怯え切る様を見ていた人々に衝撃と動揺が走った。
「そんな……リーリス嬢……!」
「リーリス、それじゃあ君があの女に殺されるところだったんじゃないか!」
マルクスとウォードはまるで息を吹き返したかのように叫ぶと、彼女に駆け寄り彼女を両側から支える様に立った。そして、震える手にハンカチを手渡し、安心させるように肩に手を置いた。
だが、彼らが糾弾する相手はもういない。
それでも彼女の独白は続く。
それは誰を責める訳でもなく酷く芝居じみてるいるようにも思えるが、その真意は分からない。
「きっと……カサンドラ様はそれほどまでに追い詰められてたんです。私がいなくなればボリス様の心を取り戻せると思って……きっとだからこんなことを……カサンドラ様、ごめんなさい……ひっく……ごめんなさい」
胸に手を当て、涙を流したまま悲しげに目を伏せるリーリス。大舞台の女優でさえこれほどまでには注目を集めまい。少しの音でも聞き漏らすまいとしてか、依然として会場内は静まり返ったままだった。
だが、彼女を守るように立つ彼ら二人ばかりはそうではなかったらしい。熱に浮かされたような目でリーリスを見つめながら励ますように言った。
「何を言ってるんだ、リーリスのせいじゃないだろ!?」
「そうですよ! 少なくともこの事態は君のせいじゃ……ひっ」
空気を鋭く飲み込む音が聞こえて、周囲の目もそこへ至る。
カサンドラを抱きかかえたままのボリスの虚ろな目が三人へ向けられていた。三人の目もまた、ボリスに縫い付けられていた。
そこにあったのは怒りですらなかった。
膨れ上がる絶望と、全てに対する悪意。
──消えろ。
「っ!?」
何が起こったのか分からないまま、気づいた時にはあちらこちらに数多の人が折り重なっていた。
悲鳴をあげる暇などなかった。瞬く間もなかったのだ。自分の身に何が起こったのか理解できる者など誰もいなかった。
円の中心に近い場所にいた者ほど、強く酷く吹き飛ばされ血まみれで、手足があらぬ方へ曲がっているのがほとんどだった。
それでも、僅かに意識がある人間からは呻き声がもれる。
──ぞわり。
何か、おぞましいものがその場を支配する──それは身が焼けるほどの熱量を持った純粋な悪意。
──消えてしまえ。
──たった一人の人との未来にだけ、この世界もこの力も存在する意味があったのに。
彼は語る言葉もなくその凶暴なまでの力を全身に纏わせた。
そういえば、と消えかけている誰かの意識がつかの間浮上して取り留めのない思考の海を漂った。
王族の始祖──建国の祖は強大な魔力の持ち主だという言い伝えがあった。その魔力により山脈が密集した地帯で山をいくつか削り土地を整え、人が住みやすい平坦で肥沃な国土を造ったのだという。
今もその名残でこの国は四方を山に囲まれている。他国からは攻められ難く平和であるものの、やや利便性には欠けるのだと聞いたのは年寄りの昔話だったか、あまり熱心に聞いてなかった歴史の授業だったか……。
全てを生み出す力は反転すれば全てを滅する力にもなろう。否──滅する方が幾分容易いかもしれない。何もかも消しさればいいだけなのだから。
そして、時々王族には先祖返りとも言えるほどの魔力を内包して生まれてくる者がいるそうだ。その時代により、魔王を倒したり他国との戦争を収めたりしたという英雄譚が言い伝えられている。
今代の王子がそれであったかどうかは今となっては確かめる術はなく分からないが──もうそれらの英雄譚が語られることはなくなるのだろう。どうせ語り継ぐ人も継がれる先もおしなべてなくなってしまうのだから。
この国は今から紛れもなく終末を迎えるのだから──。
既に薄れていた彼の意識はそこでふっつり途切れた。
翌日、決して小さいとは言えない一国の消失に近隣諸国は湧いていた。
国一つがその存在の欠片も残さずに丸ごと消えてしまい生き残りが一人も望めなかったため、憶測だけが飛び交い各国の新聞の紙面を賑わした。
曰く、未曾有の大災害に見舞われたのだとか。
曰く、どこかの国が攻め入って一晩で焼き尽くしてしまったのだとか。
曰く、天から堕ちた流星によって消え去ったのだとか。
曰く、ある大型の魔法研究の暴走により消滅してしまったのだとか──そんなことばかりがまことしやかに囁かれていた。
肥沃であった大地を手に入れんとする各国で戦争が起きる寸前ではあったが、それも先んじて移住しようとした人々によって制止された。
何人たりとも、その地で生きていくのは無理だろうという結論に達したのだ。
土地は根深く目に見えない何かに汚染されていて作物も育たたないばかりか、家畜も人も数日をそこで過ごすと気が触れてしまうのだ。
まるでこの土地全部が呪われているようだ、と立ち去る前に誰かがこぼした。
程なくして、かつては国であったその広大な大地は、魔境として国際条約にて全ての人の立ち入りが禁止され、どこの国の国土にも含めず、ただ放置されることになった。
そしてその後もどんな偉大な魔術師をもってしても、最新の魔道具をもってしてもこの大地に染み込んだ呪いを消し去ることはできなかったという──未来永劫に。
──────────
*タイトル回収用後編。
*中編として王子サイドもヒロインサイドも一応書いたけれども、この結末には蛇足な気がしてゴリゴリ削りました。その為、色々と情報量少なくて読まれた方は不完全燃焼かもです。ごめんなさい!(土下座)
──────────
「リーリスに何をしたっ?!」
「あっ……」
パーティの最中、声を荒らげた青年が一人の女性の腕をひねり揚げている。その手から空のグラスが落ち、高い破裂音が響き渡った。
「いたい……」
「今、リーリスに何をしたと言ってるんだっ?!」
「私は何も……」
男二人に囲まれたその女性が消え入りそうな声でそう言ったが、彼らの周囲は既にざわめきと喧騒に満ちていたため、ほとんど誰にも聞き取ることができなかった。
「あなたが常日頃からリーリス嬢に色々な嫌がらせをしていることは知っています」
「それは私ではありません」
「お前の言い訳を聞くつもりはないからな」
「今、リーリス嬢にわざとシャンパンをかけましたよね?」
「わざとではありません」
「俺は見ていたぞ」
「僕も」
男二人がそう断定すると、彼らの背に庇われた茶髪の娘がふるふるっと震えながら声を出した。目をやると彼女のオフホワイトのドレスの裾は微かにピンクに染まっていて、何かの液体──彼らの言に拠ると腕を捻られたままの令嬢の仕業らしいが──によってそうなったのだろうという推測できた。
「きっと私が悪いんです。自分の身分を弁えずにボリス様と仲良くしてしまってるから……嫌な思いをさせてしまってごめんなさい」
「リーリスは悪くないだろう」
「リーリス嬢大丈夫、怖がらないで。僕たちが守ります」
「何の騒ぎだ!」
その声で人垣がざっと左右に割れる。そこに現れたのはまばゆいばかりの金髪。身に纏う圧倒的な王子としての存在感に、誰もが息を呑む。
「ボリス様!」
その姿を目にしたリーリスの声に喜色が満ちる。彼女はサッと走り寄って彼の隣に立ち並んだ。
「──何をしている!」
「誰かにシャンパンをかけられてしまって……」
「マルクス、その手を離せ」
「しかしボリス!」
「離すんだ」
「殿下、僕たちはカサンドラ嬢が彼女にシャンパンをかけた所を目撃したんです。だから逃げられないようにとマルクスが──」
「……マルクス」
「分かったよ、離せばいいんだろ?」
マルクスが腕を離すと、カサンドラは赤くなった腕をさすりながら引っ込めた。
「何があったんだ?」
誰の耳にも届いたボリスのその声は低く、過分の怒りが含まれているように聞こえた。
「だから言ったでしょう? カサンドラ嬢がリーリス嬢に──」
「ウォード、お前には聞いていない」
「ボリス様! 私は大丈夫なのでそんなことで怒らないであげてください!」
「カサンドラ、何があった?」
カサンドラの口が一旦開きかけたが、責めるようなその強い口調にまた閉じてしまった。再びぐっと引き絞られた下唇を噛みながら僅かに震えている。
代わりに声を張ったのはリーリスだった。
「ボリス様、カサンドラ様を許してあげてください」
「許すとかそういう問題ではないだろう」
「私は大丈夫ですから……ねっ?」
「カサンドラ?」
ボリスがカサンドラの腕を掴もうと手を伸ばすと、彼女は勢いよくそれを振り払った。
「……っ!」
それが思ってもみなかった行動だったのか、目を見張るボリス。
「もう……」
ぽつり。
「もう何もかも……」
ぽつり、とその唇から言葉が雫のようにこぼれ落ちる。
「終わりなのですね──」
涙をこぼす代わりに。
「カサンドラ、何を言っている?」
「結局私は何も得られなかった……」
そう言うが早いか、カサンドラはどこからかから小さな小瓶を取りだして蓋を捻り、中身を一気に煽った。
「カサンドラっ!?」
さっと表情の変わったボリスが弾けるように飛び出して彼女に駆け寄った。そして彼女から小瓶を奪ったが既に小瓶の中身は空になっていた。彼女の喉が動いて液体を嚥下したのが分かった。
「……っ!」
カサンドラはぐうっと喉を鳴らして、胸元を抑える。その身体がぐらっと傾いたところをボリスが抱きしめるようにして受け止めた。苦しげに歪められた彼女の顔からはみるみると血の気が引いていき、目から生気が失われていった。
それを見ていた人々から悲鳴のような声が漏れる。毒だ──誰かが呟く。
カサンドラがもがくように空中に手を伸ばすと、その手をボリスは握り込んだ。それを認識してかしないでか、彼女の唇はまるでここにはいない誰かに懺悔でもするようにゆるゆると言葉を紡ぐ。
「ボリス様──私は……本当に……本当にあなたを、あなただけを愛していました。私の世界にはあなたしかいなくて……あなたはもう私の一部で……今更あなたから切り離されたら私は生きてはいられない。惹かれ合うお二人の姿を見るのはどれほどの苦痛かお分かりになりますか?
自らを見失い嫉妬に狂う醜い姿に成り果て、あなたに見限られて殺されるくらいならば──あなたに私への憐憫が欠片は残っているうちに……自分ごとこの醜い心を殺してしまおうと思います。
自分自身の死でしかもう、あなたを縛れないなんて惨めなものですね……それでも、私の死を踏み台にしてでも、彼女と幸せになれるものならばなればいい──愛するあなたの幸せを最後まで見届けることができなくて……二人の未来を祝福をしてあげられなくてごめんなさい──」
飲み込んだ薬のせいか彼女の声は酷く掠れていて、呪いのように吐き出したその言葉のほとんどは彼にしか届かなかったかもしれない。
カサンドラを包み込んだボリスの手から眩しいほどの光が溢れる。
「カサンドラ、カサンドラ、待って──目を閉じないで! 今毒を──」
悲痛な彼の叫びから、治癒魔法で解毒をしようとしているのだということが伝わった。しかし、王国随一と言わしめる上級魔法の使い手の彼をもってしても上手くいっている気配はなく、治癒の光が何かに弾かれ消える度に彼女の身体から力が抜けていくのが誰の目にも明らかだった。
さっきまで彼女を糾弾していたはずの青年二人は呆然とその様子を見つめる。
ボリスがカサンドラに駆け寄ってしまった為に一人取り残されたリーリスは、両手で口を覆って固まっていた──だから、彼女の手の下にある口が笑っているのか? だとか、何を呟いていたのか? だとかは誰にも分からなかったし、そもそも気にしてもいなかった。
ことり、とカサンドラのボリスに握られていない方の腕が床を打つ。
その白い肌には誰かの手の形をした赤い痕が、鮮やかに浮き上がっていて、目を背けた者もいた。
更に微かな音がして、キラキラと光る何かがよりいっそう白くなった首を伝って床に落ちたが、ボリス以外に気づく者は誰もいなかった。
誰もが突然の出来事に現実を受け止めきれず、ただその光景を黙って眺めていた。
「どうしてこんなことに……一体何があったんだ……」
ボリスが床から拾い上げたそれは、昔彼女へ贈った安物の石のペンダントだった。床に落ちた時かそれ以前からなのか、かつてはハート型だった石が半分に割れてしまっていた。
放心したように俯くボリスの頬を、つうっと一筋の涙が伝う。
やがて彼はぴくりとも動かなくなったカサンドラを抱き抱えたまま立ち上がった。
それまで息を潜めて様子を見ていた護衛たちが慌てて彼に近付こうとしたが、何かに遮られてたたらを踏んだ。
「邪魔をするな!」
低く唸るような声が彼の口から漏れ、次の瞬間護衛たちが吹っ飛んで集まっていた人の壁にぶつかった。
「触るな」
「誰にも触らせない」
「来るな」
「ボリス!」「殿下!」
「お前たちは……」
二人の青年にかける声は、怒りからなのか悲しみからなのかはわからなかったが震えていた。彼らを射抜くように見つめるボリスの目からは最早光が消えていた。
「こんなことになるとは思わなかった……」
罪悪感を軽減するためか、言い訳めいた言葉が二人のどちらからともなくこぼれる。
そこへ、それまで傍観をしていた少女の可憐な声が響いた。
「ごめんなさい! こんなことになってしまったのはきっと私のせいです……」
リーリスは青ざめた顔で呟いた。大きな瞳には大量の涙をたたえていた。
表情が抜け落ちたままのボリスが顔を向ける。
「さっき」
彼女の淡い緑の瞳がプルっと揺れて、涙がこぼれ落ちる。
「実は……見てしまったんです、カサンドラ様が飲み物に何かを入れようとするところを……! それを私に渡そうとしてきたから私、わざとカサンドラ様にぶつかったんです──何が入ってるかは分からなかったけれど、こぼしてしまえば飲まなくてよくなると思って……でも、それ、毒……だったんですね……まさか……そんな……カサンドラ様がそんなこと……信じられない……」
色を失い震える彼女の口から一方的に事の顛末が語られると、少女が怯え切る様を見ていた人々に衝撃と動揺が走った。
「そんな……リーリス嬢……!」
「リーリス、それじゃあ君があの女に殺されるところだったんじゃないか!」
マルクスとウォードはまるで息を吹き返したかのように叫ぶと、彼女に駆け寄り彼女を両側から支える様に立った。そして、震える手にハンカチを手渡し、安心させるように肩に手を置いた。
だが、彼らが糾弾する相手はもういない。
それでも彼女の独白は続く。
それは誰を責める訳でもなく酷く芝居じみてるいるようにも思えるが、その真意は分からない。
「きっと……カサンドラ様はそれほどまでに追い詰められてたんです。私がいなくなればボリス様の心を取り戻せると思って……きっとだからこんなことを……カサンドラ様、ごめんなさい……ひっく……ごめんなさい」
胸に手を当て、涙を流したまま悲しげに目を伏せるリーリス。大舞台の女優でさえこれほどまでには注目を集めまい。少しの音でも聞き漏らすまいとしてか、依然として会場内は静まり返ったままだった。
だが、彼女を守るように立つ彼ら二人ばかりはそうではなかったらしい。熱に浮かされたような目でリーリスを見つめながら励ますように言った。
「何を言ってるんだ、リーリスのせいじゃないだろ!?」
「そうですよ! 少なくともこの事態は君のせいじゃ……ひっ」
空気を鋭く飲み込む音が聞こえて、周囲の目もそこへ至る。
カサンドラを抱きかかえたままのボリスの虚ろな目が三人へ向けられていた。三人の目もまた、ボリスに縫い付けられていた。
そこにあったのは怒りですらなかった。
膨れ上がる絶望と、全てに対する悪意。
──消えろ。
「っ!?」
何が起こったのか分からないまま、気づいた時にはあちらこちらに数多の人が折り重なっていた。
悲鳴をあげる暇などなかった。瞬く間もなかったのだ。自分の身に何が起こったのか理解できる者など誰もいなかった。
円の中心に近い場所にいた者ほど、強く酷く吹き飛ばされ血まみれで、手足があらぬ方へ曲がっているのがほとんどだった。
それでも、僅かに意識がある人間からは呻き声がもれる。
──ぞわり。
何か、おぞましいものがその場を支配する──それは身が焼けるほどの熱量を持った純粋な悪意。
──消えてしまえ。
──たった一人の人との未来にだけ、この世界もこの力も存在する意味があったのに。
彼は語る言葉もなくその凶暴なまでの力を全身に纏わせた。
そういえば、と消えかけている誰かの意識がつかの間浮上して取り留めのない思考の海を漂った。
王族の始祖──建国の祖は強大な魔力の持ち主だという言い伝えがあった。その魔力により山脈が密集した地帯で山をいくつか削り土地を整え、人が住みやすい平坦で肥沃な国土を造ったのだという。
今もその名残でこの国は四方を山に囲まれている。他国からは攻められ難く平和であるものの、やや利便性には欠けるのだと聞いたのは年寄りの昔話だったか、あまり熱心に聞いてなかった歴史の授業だったか……。
全てを生み出す力は反転すれば全てを滅する力にもなろう。否──滅する方が幾分容易いかもしれない。何もかも消しさればいいだけなのだから。
そして、時々王族には先祖返りとも言えるほどの魔力を内包して生まれてくる者がいるそうだ。その時代により、魔王を倒したり他国との戦争を収めたりしたという英雄譚が言い伝えられている。
今代の王子がそれであったかどうかは今となっては確かめる術はなく分からないが──もうそれらの英雄譚が語られることはなくなるのだろう。どうせ語り継ぐ人も継がれる先もおしなべてなくなってしまうのだから。
この国は今から紛れもなく終末を迎えるのだから──。
既に薄れていた彼の意識はそこでふっつり途切れた。
翌日、決して小さいとは言えない一国の消失に近隣諸国は湧いていた。
国一つがその存在の欠片も残さずに丸ごと消えてしまい生き残りが一人も望めなかったため、憶測だけが飛び交い各国の新聞の紙面を賑わした。
曰く、未曾有の大災害に見舞われたのだとか。
曰く、どこかの国が攻め入って一晩で焼き尽くしてしまったのだとか。
曰く、天から堕ちた流星によって消え去ったのだとか。
曰く、ある大型の魔法研究の暴走により消滅してしまったのだとか──そんなことばかりがまことしやかに囁かれていた。
肥沃であった大地を手に入れんとする各国で戦争が起きる寸前ではあったが、それも先んじて移住しようとした人々によって制止された。
何人たりとも、その地で生きていくのは無理だろうという結論に達したのだ。
土地は根深く目に見えない何かに汚染されていて作物も育たたないばかりか、家畜も人も数日をそこで過ごすと気が触れてしまうのだ。
まるでこの土地全部が呪われているようだ、と立ち去る前に誰かがこぼした。
程なくして、かつては国であったその広大な大地は、魔境として国際条約にて全ての人の立ち入りが禁止され、どこの国の国土にも含めず、ただ放置されることになった。
そしてその後もどんな偉大な魔術師をもってしても、最新の魔道具をもってしてもこの大地に染み込んだ呪いを消し去ることはできなかったという──未来永劫に。
──────────
*タイトル回収用後編。
*中編として王子サイドもヒロインサイドも一応書いたけれども、この結末には蛇足な気がしてゴリゴリ削りました。その為、色々と情報量少なくて読まれた方は不完全燃焼かもです。ごめんなさい!(土下座)
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王子と主人公の付き合いが途切れてしまった事情が分からないと、この結末は理解できない。
これだと、主人公が自害して王子に呪いをかけたともとれるし、
なんとなくですが王子はヒドインとは何も無く、側近2人が籠絡されて近くに侍らす状況になったのかな?
それと馬鹿2人はヒドインの三文芝居に酔い、運命の2人のお膳立てをしようと、婚約者を悪役令嬢に仕立て上げたっていうのが正解かなと。
王子が婚約者との交流を避けていたのも、馬鹿2人が暴走して彼女を害する危険性があったから?
なんとなく王子は水面下で、馬鹿2人の解任を進めていたから、婚約者の父親が婚約破棄はできないと言ったのかな?父親の表情云々でそうかなと。
今回婚約者の心が限界を迎えていなければ、王子の問いかけに答えてハッピーエンドを迎えられたかもですが、今回は彼の問いかけに彼女を気遣う様子を悟る事無く自死。
馬鹿2人と大根女優のくだらない三文芝居が始まり、周辺の輩は罪悪感から彼女を悪に仕立て上げようとする芝居に、違和感ありまくりであったとしても同調。愛する人を失い、彼女を悪と叫ぶバカどもに失望して膨大な魔力の暴走が起こり、跡形もなく消し去ったって感じですかね?
匂わせがたくさんあったので、この完結で正解だと思います。読者の想像にお任せスタイルだと、ハッピーエンド希望者は色々考えられるので。
アッサリしていて濃い内容だったので面白かったです。