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「……はぁ、お腹いっぱい。ボス、私、もう一歩も動けません。このままこの絨毯の上で、一生を終えても後悔はありませんわ」
アストレア公爵邸のサロン。
メリルは高級なクッキーの空箱を抱えたまま、ソファでだらしなく手足を伸ばしていた。
その姿には、かつての「可憐な男爵令嬢」という面影は、微塵も残っていない。
「だらしないですよ、メリル。あなたは私の『第一秘書』なのですから、せめて人の形を保ちなさいな。それに、一生を終えるにはまだ早すぎますわ。あなたには、もっと重要な『プロジェクト』が残っていますもの」
私は手元の書類から顔を上げ、ソファでとろけている彼女に冷ややかな、しかし慈悲深い視線を向けた。
「プロジェクト……? 新しい取引先の開拓ですか? それとも王子の藁布団を、さらにチクチクする素材に取り替える極秘任務ですか?」
「いいえ。あなたの『終身雇用先』の確保……つまり、結婚ですわ」
その瞬間、メリルが「ごふっ」という変な声を上げて飛び起きた。
クッキーの粉が絨毯に舞うが、今はそれを咎めている場合ではない。
「け、結婚!? ボス、私をクビにするんですか!? 私、何か不手際をしましたか!? 昨日、ボスのプリンを一口だけ盗み食いしたのがバレましたか!?」
「……プリンの件は後でお説教するとして。クビではありませんわ。むしろ、アストレア家との繋がりをより強固にするための、戦略的縁談です」
私はベルを鳴らし、扉の外に控えていた人物を呼び入れた。
「失礼いたします。お呼びでしょうか、ラーニャ様」
入ってきたのは、我が公爵家の騎士団を束ねる若き副団長、ガウェインだった。
彼は身の丈二メートル近い巨躯を誇り、鋼のような筋肉を制服の下に隠し持っている。
無骨だが誠実、そして何より、王家の迷走に一切加担しなかった潔癖な男だ。
「ガウェイン。こちらが私の秘書、メリルです。メリル、彼はガウェイン。我が家の治安維持と、物理的な問題解決のスペシャリストよ」
ガウェインは無口に、しかし丁寧な所作でメリルの前に膝をついた。
その腕の太さは、メリルのウエストほどもある。
「初めまして、メリル嬢。閣下とラーニャ様から、お噂はかねがね。……食欲旺盛で、現実的な素晴らしい女性だと伺っております」
「……あ、あ、あの……。えーと……その、腕……」
メリルが呆然とした様子で、ガウェインの腕を指差した。
「腕、ですか? 不快でしたら隠しますが。日々の鍛錬で、少々太くなりすぎてしまいまして」
「……いいえ! 隠さないで! むしろもっと見せてください! なんですか、その……丸太みたいな上腕二頭筋は! あのアホ王子の、もやしみたいな腕とは大違いですわ!」
メリルはソファから滑り落ちるようにして、ガウェインに歩み寄った。
そして、恐る恐る彼の腕をツンツンと突き始める。
「硬い……! 岩のようですわ! これなら、どんな暴徒が来ても安心ですし、何より冬は暖かそうです! ボス、彼の年収と、加入している保険の種類を教えてください!」
「公爵家の副団長ですから、固定給は王子の生活費の五倍。生命保険、医療保険完備。さらに、殉職時の遺族年金も非常に手厚いですわ」
「結婚します! 私、この筋肉と結婚します!」
メリルの即答に、流石のガウェインも少し呆気にとられたようだが、彼はふっと口元を緩めた。
「……面白い方だ。私は、着飾ることにしか興味のない令嬢よりも、あなたのようにはっきりと目的を語る女性の方が、信頼できる」
「お、目的……? 私の目的は、安定した生活と美味しいご飯、そしていざという時に自分を盾にして守ってくれる分厚い大胸筋ですわ!」
「承知した。私の体は、今日からあなたの盾になろう。……もちろん、あなたが私に『美味しい食事』を作ってくれるならの話だが」
「作りますわ! 公爵家の厨房から、秘書の権限で最高級のレシピと食材を横流し……いえ、正当な手続きで調達してきます!」
目の前で、あまりに事務的で、しかし妙に熱量の高いカップルが誕生した。
愛だの恋だのというふわふわした言葉は一切ないが、そこには「相互利益」という、この世で最も強固な絆が結ばれていた。
「よかったわね、メリル。これで老後の心配もなくなったわけだわ」
「ボス! 私、今人生で一番幸せです! 王子に婚約破棄されて、本当に良かった! 筋肉は裏切らない! 筋肉は嘘をつかない!」
メリルがガウェインの腕にしがみついて叫んでいる。
これでもう、王子が何を仕掛けてきても安心だ。物理的に。
「……さて。ヒロインの幸せも確保しましたし。次は、あの王子の『最後の希望』を、木っ端微塵に粉砕しに行きましょうか」
私は、幸せそうな二人を眺めながら、次の作戦へと意識を向けた。
あのアホ王子が、今頃「メリルは僕を助けに来てくれる」と信じているかと思うと、可笑しくて仕方がなかった。
アストレア公爵邸のサロン。
メリルは高級なクッキーの空箱を抱えたまま、ソファでだらしなく手足を伸ばしていた。
その姿には、かつての「可憐な男爵令嬢」という面影は、微塵も残っていない。
「だらしないですよ、メリル。あなたは私の『第一秘書』なのですから、せめて人の形を保ちなさいな。それに、一生を終えるにはまだ早すぎますわ。あなたには、もっと重要な『プロジェクト』が残っていますもの」
私は手元の書類から顔を上げ、ソファでとろけている彼女に冷ややかな、しかし慈悲深い視線を向けた。
「プロジェクト……? 新しい取引先の開拓ですか? それとも王子の藁布団を、さらにチクチクする素材に取り替える極秘任務ですか?」
「いいえ。あなたの『終身雇用先』の確保……つまり、結婚ですわ」
その瞬間、メリルが「ごふっ」という変な声を上げて飛び起きた。
クッキーの粉が絨毯に舞うが、今はそれを咎めている場合ではない。
「け、結婚!? ボス、私をクビにするんですか!? 私、何か不手際をしましたか!? 昨日、ボスのプリンを一口だけ盗み食いしたのがバレましたか!?」
「……プリンの件は後でお説教するとして。クビではありませんわ。むしろ、アストレア家との繋がりをより強固にするための、戦略的縁談です」
私はベルを鳴らし、扉の外に控えていた人物を呼び入れた。
「失礼いたします。お呼びでしょうか、ラーニャ様」
入ってきたのは、我が公爵家の騎士団を束ねる若き副団長、ガウェインだった。
彼は身の丈二メートル近い巨躯を誇り、鋼のような筋肉を制服の下に隠し持っている。
無骨だが誠実、そして何より、王家の迷走に一切加担しなかった潔癖な男だ。
「ガウェイン。こちらが私の秘書、メリルです。メリル、彼はガウェイン。我が家の治安維持と、物理的な問題解決のスペシャリストよ」
ガウェインは無口に、しかし丁寧な所作でメリルの前に膝をついた。
その腕の太さは、メリルのウエストほどもある。
「初めまして、メリル嬢。閣下とラーニャ様から、お噂はかねがね。……食欲旺盛で、現実的な素晴らしい女性だと伺っております」
「……あ、あ、あの……。えーと……その、腕……」
メリルが呆然とした様子で、ガウェインの腕を指差した。
「腕、ですか? 不快でしたら隠しますが。日々の鍛錬で、少々太くなりすぎてしまいまして」
「……いいえ! 隠さないで! むしろもっと見せてください! なんですか、その……丸太みたいな上腕二頭筋は! あのアホ王子の、もやしみたいな腕とは大違いですわ!」
メリルはソファから滑り落ちるようにして、ガウェインに歩み寄った。
そして、恐る恐る彼の腕をツンツンと突き始める。
「硬い……! 岩のようですわ! これなら、どんな暴徒が来ても安心ですし、何より冬は暖かそうです! ボス、彼の年収と、加入している保険の種類を教えてください!」
「公爵家の副団長ですから、固定給は王子の生活費の五倍。生命保険、医療保険完備。さらに、殉職時の遺族年金も非常に手厚いですわ」
「結婚します! 私、この筋肉と結婚します!」
メリルの即答に、流石のガウェインも少し呆気にとられたようだが、彼はふっと口元を緩めた。
「……面白い方だ。私は、着飾ることにしか興味のない令嬢よりも、あなたのようにはっきりと目的を語る女性の方が、信頼できる」
「お、目的……? 私の目的は、安定した生活と美味しいご飯、そしていざという時に自分を盾にして守ってくれる分厚い大胸筋ですわ!」
「承知した。私の体は、今日からあなたの盾になろう。……もちろん、あなたが私に『美味しい食事』を作ってくれるならの話だが」
「作りますわ! 公爵家の厨房から、秘書の権限で最高級のレシピと食材を横流し……いえ、正当な手続きで調達してきます!」
目の前で、あまりに事務的で、しかし妙に熱量の高いカップルが誕生した。
愛だの恋だのというふわふわした言葉は一切ないが、そこには「相互利益」という、この世で最も強固な絆が結ばれていた。
「よかったわね、メリル。これで老後の心配もなくなったわけだわ」
「ボス! 私、今人生で一番幸せです! 王子に婚約破棄されて、本当に良かった! 筋肉は裏切らない! 筋肉は嘘をつかない!」
メリルがガウェインの腕にしがみついて叫んでいる。
これでもう、王子が何を仕掛けてきても安心だ。物理的に。
「……さて。ヒロインの幸せも確保しましたし。次は、あの王子の『最後の希望』を、木っ端微塵に粉砕しに行きましょうか」
私は、幸せそうな二人を眺めながら、次の作戦へと意識を向けた。
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