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「……ふっ、ふふふ。はーっはっはっは! そうか、そういうことだったのか!」
王宮の、もはやカーテンすら差し押さえられた自室。
ウィルフレッド王子は、月明かりだけが差し込む暗い部屋で、一人高らかに笑い声を上げていた。
その手には、先ほどゼクスが投げ捨てた金貨が一枚、大事そうに握られている。
「……殿下。夜分に失礼します。あまりに不気味な笑い声が聞こえたので、ついに発狂されたのかと確認に来たのですが」
扉の隙間から、冷徹な会計官ハンスが顔を覗かせた。
その手には「退去勧告書」という、これまた不穏な書類が握られている。
「ハンス! 遅いぞ、君も早く祝杯の準備をしろ! ああ、ワインはないから、そこらの水道水で構わん!」
「……正気を疑いますが、一応理由を伺っても?」
王子は立ち上がり、唯一残された窓枠に手をかけ、夜の街を見下ろした。
その瞳は、絶望の淵にいるはずの男とは思えないほど、キラキラと輝いている。
「ラーニャだよ! 彼女のあの芝居、見事だと思わないか!? 隣国の特使、ゼクスとかいう男をわざわざ雇い、私の目の前で親密なフリをする……。すべては、私を嫉妬させるための、あまりに回りくどい愛の儀式だったのだ!」
「…………は?」
ハンスの顔が、見たこともないほど深く絶望した。
「分からないか? 彼女は、私がメリルにうつつを抜かしたことに、それほどまでに傷ついていたのだ。だから、自分も他の男と仲良くして、私を焦らせようとした。あのアストレア家が、本気で隣国の男と組むはずがないだろう? すべては私に『君が必要だ』と言わせるための、壮大な舞台装置なのだよ!」
「殿下……。あの特使は本物ですし、彼が投げたその金貨は『施し』ですよ。それに、アストレア家はすでに、隣国との貿易協定の仮調印を済ませたと報告が入っていますが」
「フッ、ハンス。君は女心が分かっていないな。書類など、後でいくらでも破棄できる。彼女の本心は、あの去り際の、僕を一度も振り返らなかった『冷たい背中』に現れているのだ!」
「……冷たい背中、ですか」
「そう! あんなに不自然に無視をするなんて、意識している証拠ではないか! 本当にどうでもいい相手なら、鼻歌でも歌いながら去るはずだ。彼女は、必死に私の視線を振り切ろうとしていた……。ああ、愛おしいラーニャ! 君のそんな不器用なところが、私は大好きなのだ!」
王子は金貨をぎゅっと抱きしめ、うっとりと目を閉じた。
その脳内では、今頃ゼクスとビジネスライクな会話をしているラーニャが、「ああ、王子! 本当はあなたに追いかけてきてほしかったの!」と泣き崩れているシーンが再生されているのだろう。
「さらにだ、ハンス。メリルのことも分かったぞ」
「……まだ何かあるのですか」
「彼女は、スパイなのだ! あえてラーニャの懐に飛び込み、彼女の動向を私に伝えるために、敵陣に潜入したのだよ! だからこそ、あんなに不自然にラーニャの味方をしてみせたのだ。……流石は私の愛した女だ。命がけの潜入捜査とはな!」
「殿下。メリル嬢は先ほど、公爵邸の厨房で『フォアグラ三連発』を注文し、文字通り踊り狂っていたという目撃情報がありますが」
「それも演技だ! 怪しまれないように、食欲旺盛なフリをしているに決まっている! ああ、健気なメリル……。私が必ず、二人とも救い出してみせるからね!」
王子は窓の外に向かって、朗々と愛を叫んだ。
もはや、ハンスの言葉は一文字も彼の耳には届いていない。
「……ハンス様。殿下は、どうされたのですか?」
廊下で控えていた若い衛兵が、震えながら尋ねる。
ハンスは、静かに「退去勧告書」をバインダーの裏に隠した。
「……手遅れだ。彼は今、自分の作った完璧な物語の中に逃避した。……もしかしたら、このまま土の上に立たされても『これはラーニャが用意した、大地を感じるための特別な演出だ』とか言い出すかもしれんぞ」
「そ、そんな……」
「まあいい。明日の朝、彼が藁布団の上で『愛の目覚め』を歌い出す前に、私は辞表を書いてくる。君も、早めにアストレア公爵家に履歴書を送っておけ。今ならまだ、清掃員くらいには雇ってもらえるかもしれん」
ハンスは諦めきった顔で立ち去った。
暗い部屋の中、王子だけが、自分が世界で一番愛されている男だと信じ込み、幸せそうに微笑み続けていた。
真実という名の鉄槌が、彼の脳天を直撃するまで……あと、数日。
王宮の、もはやカーテンすら差し押さえられた自室。
ウィルフレッド王子は、月明かりだけが差し込む暗い部屋で、一人高らかに笑い声を上げていた。
その手には、先ほどゼクスが投げ捨てた金貨が一枚、大事そうに握られている。
「……殿下。夜分に失礼します。あまりに不気味な笑い声が聞こえたので、ついに発狂されたのかと確認に来たのですが」
扉の隙間から、冷徹な会計官ハンスが顔を覗かせた。
その手には「退去勧告書」という、これまた不穏な書類が握られている。
「ハンス! 遅いぞ、君も早く祝杯の準備をしろ! ああ、ワインはないから、そこらの水道水で構わん!」
「……正気を疑いますが、一応理由を伺っても?」
王子は立ち上がり、唯一残された窓枠に手をかけ、夜の街を見下ろした。
その瞳は、絶望の淵にいるはずの男とは思えないほど、キラキラと輝いている。
「ラーニャだよ! 彼女のあの芝居、見事だと思わないか!? 隣国の特使、ゼクスとかいう男をわざわざ雇い、私の目の前で親密なフリをする……。すべては、私を嫉妬させるための、あまりに回りくどい愛の儀式だったのだ!」
「…………は?」
ハンスの顔が、見たこともないほど深く絶望した。
「分からないか? 彼女は、私がメリルにうつつを抜かしたことに、それほどまでに傷ついていたのだ。だから、自分も他の男と仲良くして、私を焦らせようとした。あのアストレア家が、本気で隣国の男と組むはずがないだろう? すべては私に『君が必要だ』と言わせるための、壮大な舞台装置なのだよ!」
「殿下……。あの特使は本物ですし、彼が投げたその金貨は『施し』ですよ。それに、アストレア家はすでに、隣国との貿易協定の仮調印を済ませたと報告が入っていますが」
「フッ、ハンス。君は女心が分かっていないな。書類など、後でいくらでも破棄できる。彼女の本心は、あの去り際の、僕を一度も振り返らなかった『冷たい背中』に現れているのだ!」
「……冷たい背中、ですか」
「そう! あんなに不自然に無視をするなんて、意識している証拠ではないか! 本当にどうでもいい相手なら、鼻歌でも歌いながら去るはずだ。彼女は、必死に私の視線を振り切ろうとしていた……。ああ、愛おしいラーニャ! 君のそんな不器用なところが、私は大好きなのだ!」
王子は金貨をぎゅっと抱きしめ、うっとりと目を閉じた。
その脳内では、今頃ゼクスとビジネスライクな会話をしているラーニャが、「ああ、王子! 本当はあなたに追いかけてきてほしかったの!」と泣き崩れているシーンが再生されているのだろう。
「さらにだ、ハンス。メリルのことも分かったぞ」
「……まだ何かあるのですか」
「彼女は、スパイなのだ! あえてラーニャの懐に飛び込み、彼女の動向を私に伝えるために、敵陣に潜入したのだよ! だからこそ、あんなに不自然にラーニャの味方をしてみせたのだ。……流石は私の愛した女だ。命がけの潜入捜査とはな!」
「殿下。メリル嬢は先ほど、公爵邸の厨房で『フォアグラ三連発』を注文し、文字通り踊り狂っていたという目撃情報がありますが」
「それも演技だ! 怪しまれないように、食欲旺盛なフリをしているに決まっている! ああ、健気なメリル……。私が必ず、二人とも救い出してみせるからね!」
王子は窓の外に向かって、朗々と愛を叫んだ。
もはや、ハンスの言葉は一文字も彼の耳には届いていない。
「……ハンス様。殿下は、どうされたのですか?」
廊下で控えていた若い衛兵が、震えながら尋ねる。
ハンスは、静かに「退去勧告書」をバインダーの裏に隠した。
「……手遅れだ。彼は今、自分の作った完璧な物語の中に逃避した。……もしかしたら、このまま土の上に立たされても『これはラーニャが用意した、大地を感じるための特別な演出だ』とか言い出すかもしれんぞ」
「そ、そんな……」
「まあいい。明日の朝、彼が藁布団の上で『愛の目覚め』を歌い出す前に、私は辞表を書いてくる。君も、早めにアストレア公爵家に履歴書を送っておけ。今ならまだ、清掃員くらいには雇ってもらえるかもしれん」
ハンスは諦めきった顔で立ち去った。
暗い部屋の中、王子だけが、自分が世界で一番愛されている男だと信じ込み、幸せそうに微笑み続けていた。
真実という名の鉄槌が、彼の脳天を直撃するまで……あと、数日。
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