王子、おひとり様で残りの人生をお楽しみください!

ちゃっぴー

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「……ラーニャ、待て! 行くな! まだ終わっていない、僕たちの物語はここから……!」

床に這いつくばりながら、ウィルフレッド王子がなおも私のドレスの裾を掴もうと手を伸ばす。
その執念だけは認めて差し上げてもよろしくてよ。
不潔ですので、絶対に触れさせませんけれど。

「いい加減になさい。往往しいですわよ、王子」

私が冷たく言い放ったその時、会場の重厚な扉が再び勢いよく開かれた。
現れたのは、夜の闇をそのまま纏ったような漆黒の外套に身を包んだ男。
隣国の特使、ゼクス・エルダール様だ。

「……随分と賑やかなお別れ会のようですね。少々、迎えが早すぎましたか?」

ゼクス様は、騒然とする会場など気にも留めない様子で、真っ直ぐに私のもとへ歩み寄ってきた。
その一歩一歩が、地を這う王子とは比較にならないほど優雅で、威圧感に満ちている。

「ゼクス様。……迎え? 約束は一時間後だったはずですが」

「仕事の早いパートナーを待たせるのは、私の流儀に反するものでして。……さあ、行きましょうか、ラーニャ嬢」

彼はごく自然な動作で、私の前に跪いた。
そして、王子の目の前で、私の指先に恭しく唇を寄せる。

「な……ななな、何をしている貴様ぁっ! そ、その手、その唇を離せ! ラーニャは私の、私だけの婚約者……」

「『元』、でしょう? 聞こえていましたよ、先ほどの素晴らしい断罪劇。……いや、一方的な自滅劇でしたか」

ゼクス様は立ち上がると、ゴミを見るような冷徹な視線を王子へと向けた。
その瞳には、一国の王子に対する敬意など微塵も存在しない。

「貴様……どこの馬の骨だ! ラーニャ、騙されるな! そいつはきっと、君の財産目当ての詐欺師か、僕を嫉妬させるために君が雇った役者に違いない!」

「……役者、ですか。フッ、面白い冗談だ」

ゼクス様は低く笑い、懐から一枚の金貨を取り出した。
それを、足元で震える王子の目の前に、ポイと放り投げる。

「なっ……なんだ、これは!」

「現在のあなたの『価値』ですよ。……それだけあれば、今夜のパンくらいは買えるでしょう? これ以上の見苦しい真似は、王家の尊厳を泥に塗るだけだ。大人しく引っ込んでいなさい」

「き、貴様ぁ……っ!」

王子が激昂して立ち上がろうとしたが、ゼクス様の後ろに控えていた隣国の護衛兵たちが、音もなく一歩前へ出た。
その圧倒的な武威に、王子は「ひぃっ」と短い悲鳴を上げて再び尻餅をつく。

「ラーニャ様、見てください! 本物のイケメンです! 本物の、仕事ができる大人の男ですよ! あのアホ王子とは、細胞の作りからして違います!」

横でメリルが、両手を合わせて拝むような仕草をしていた。
食べ物の時と同じくらい、彼女の目が輝いている。

「メリル、落ち着きなさい。……ゼクス様、そんな挑発をしては、外交問題になりませんこと?」

「問題ありません。我が国は、『無能』とは取引しない方針ですので。……さあ、馬車が待っています。今夜は、最高のワインと商談を用意させました」

「商談、いい響きですわね。……行きましょうか」

私はゼクス様が差し出した腕に、迷いなく手を添えた。
王子の叫び声を背中で聞き流しながら、私たちは悠然と会場を歩き出す。

「ラーニャ! 嘘だと言ってくれ! 君は僕と、あの噴水の前で『一生一緒にいよう』って約束したじゃないか! あの七歳の時の約束を忘れたのかぁぁ!」

「……七歳の時の口約束を今の今まで信じていられたなんて、ある種のリスペクトを禁じ得ませんわね」

私は振り返ることなく、扉を閉めた。

夜風に当たりながら、私たちは公爵家の紋章が入った馬車へと乗り込む。
馬車が動き出すと同時に、ゼクス様はくつろいだ様子で足を組んだ。

「……さて。邪魔者は消えました。ラーニャ嬢、例の『新流通網』の独占契約書ですが……少し、私に有利な条項を付け加えても?」

「あら、エスコートの代償にしては、少々お高いのではありませんかしら?」

「いいえ。これは『未来の王妃』への、先行投資ですよ」

「……王妃? どこの国の話ですの?」

「決まっているでしょう。私の隣ですよ」

ゼクス様は不敵に微笑んだ。
隣でメリルが「きゃー! 言ったー! ボス、これ内定ですか!? 永久就職ですか!?」と騒ぎ立てる。

「メリル、黙りなさい。……ゼクス様、私はそんなに安い女ではありませんわよ?」

「分かっています。だからこそ、落としがいがある。……ふふ、楽しい夜になりそうだ」

王子のいない馬車の中。
そこには、愛だの恋だのという甘っちょろい言葉よりも、ずっと刺激的で強固な「信頼」と「野心」が渦巻いていた。
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