王子、おひとり様で残りの人生をお楽しみください!

ちゃっぴー

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「……静かですわね。あのアホ王子の絶叫が聞こえない夜というものが、これほどまでに平穏だとは」

アストレア公爵邸、月の光が降り注ぐバルコニー。
私は一人、手元のシャンパングラスを傾けていた。
王都の喧騒は遠く、聞こえるのは夜風が木々を揺らす音だけ。
ようやく、私の人生から「無能の介護」という不毛な業務が完全消滅したのだ。

「おや、独り占めですか? 美味しい酒と、この素晴らしい静寂を」

背後から響いた、低く心地よい声。
振り返るまでもない。この、理知的な冷たさと微かな熱を帯びた声の主は、隣国の特使ゼクス様だ。

「ゼクス様。……お疲れではありませんの? 王宮との戦後処理、相当な激務だったはずですが」

「私を誰だと思っているのですか。あのような機能不全に陥った組織を解体し、再編するのは、私にとってはただのパズル遊びのようなものですよ」

ゼクス様は私の隣に立ち、手にしたグラスを軽く私のものに当てた。
澄んだクリスタルの音が、夜気に溶けていく。

「それにしても、ラーニャ嬢。あなたは本当に恐ろしい女性だ。一国の第一王子を物理的、経済的、そして精神的に完膚なきまでに叩きのめし、最後には『チクチクする藁』まで用意するとは」

「あら、あれは最高級の嫌がらせ……失礼、真心を込めたプレゼントですわ。彼が望んでいた『特別な物語』のエンディングを演出して差し上げただけですもの」

「ふふ、全くだ。……さて、無駄話はこれくらいにしましょうか。私はビジネスマンですからね。本題に入らせていただきたい」

ゼクス様はグラスをバルコニーの縁に置き、真剣な眼差しで私を射抜いた。
その瞳には、特使としての冷徹な計算ではなく、一人の男としての、強烈な「欲」が宿っている。

「ラーニャ・フォン・アストレア。私はあなたという『才能』を、この腐りかけた国に埋もれさせておくのは、世界の経済的損失だと判断しました」

「……随分と大きな話ですわね。具体的には?」

「我が国、エルダール帝国へ来ませんか。……もちろん、ただのゲストとしてではありません。私の『共同経営者』として。あるいは、私の国そのものの経済を統括する『最高執行責任者』として、です」

私は扇子をバサリと閉じ、少しだけ目を細めた。

「それは、隣国の特使からの引き抜き(ヘッドハンティング)かしら?」

「いいえ。……もっと個人的で、独占的な提案です。ラーニャ嬢、私と『永久的な業務提携』を結びませんか?」

ゼクス様が一歩、距離を詰める。
彼の纏う、高級な煙草と香水の香りが私の鼻腔を掠めた。

「永久的な業務提携……? それはつまり」

「世間一般ではそれを『結婚』と呼びます。ですが、私はあなたに、愛だの恋だのという、あのアホ王子が好んだ不安定な感情を押し付けるつもりはありません。私が提供するのは、強固な資産、絶対的な安全、そしてあなたという知性が思う存分暴れ回れる、広大な市場です」

ゼクス様は、懐から小さな、しかし重厚な輝きを放つ指輪ケースを取り出した。
中には、最高純度の魔石が埋め込まれた、実用的かつ洗練されたデザインの指輪。

「私はあなたという『未来』に投資したい。私の隣で、共に世界を買い叩き、合理的な楽園を作り上げませんか? 対価として、私のすべて……私の権力、私の財産、そして私の『心』という名の不確定要素さえも、すべてあなたの管理下に置くことを誓いましょう」

あまりに熱烈な、しかし徹底的にビジネスライクなプロポーズ。
私は思わず、くすりと笑い声を漏らしてしまった。

「……ふふ。ゼクス様。あなたは本当に、女心の掴み方を間違えていらっしゃいますわね。普通、そこは『君を愛している』の一言で済ませるものですわよ?」

「私に言わせれば、言葉だけの愛ほど安っぽいものはありません。私は、具体的な数字と、契約の条項で私の誠意を示したい」

「……合格ですわ」

私は差し出された指輪を手に取り、自らの指にはめた。
月の光に照らされた魔石が、怪しく、しかし美しく輝く。

「この契約、受けて立ちますわ。ただし、私の報酬は高くつきますわよ? エルダール帝国の純利益の三割、および私の決定に対する拒否権の剥奪。……これらを認められますかしら?」

「……フッ。やはり、あなたは最高だ。三割と言わず、五割でも差し上げましょう。その代わり、私のプライベートな時間も、すべてあなたの管理下に置いていただきますが?」

「ふふ、独占禁止法に触れない程度に、可愛がって差し上げますわ」

私たちが不敵な笑みを交わし、顔を近づけたその時。

「ボス! ゼクス様! 大変です、夜食のピザが焼き上がりましたわよ! 今夜はエビとマヨネーズの贅沢仕様ですわ!」

バルコニーの扉が勢いよく開き、メリルが大きな皿を抱えて乱入してきた。
その後ろには、山のようなコーラを片手で持ったガウェインが、これ以上ないほど真面目な顔で立っている。

「……メリル。空気というものを読みなさいな」

「空気? そんなものよりピザの匂いですよボス! ほら、ゼクス様も指輪なんていじってないで、このチーズの伸びを見てください! これこそが真実の愛の形ですわ!」

「……はぁ。ゼクス様、申し訳ありません。私の部下は、情緒よりも食欲を優先するように教育してしまいましたの」

ゼクス様は一瞬呆然としたが、すぐに声を上げて笑い出した。

「いいえ、素晴らしい。……合理的だ。愛よりもピザ。実に信頼できる。……よし、ラーニャ嬢。契約の第一歩として、この『エビマヨのピザ』を共に完食しようではありませんか」

「喜んで。……ただし、私の分にマヨネーズを多めにかける権限を認めなさいな」

私たちは、月の下で、あまりにも騒がしく、しかし最高に建設的な「祝宴」を始めた。
王子が辺境の塔で冷めたスープを啜っている頃、私たちは未来という名のピザを、思う存分頬張っていたのである。
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