王子、おひとり様で残りの人生をお楽しみください!

ちゃっぴー

文字の大きさ
26 / 28

26

しおりを挟む
「……ちょっと、メリル。動かないでくださいな。せっかくの最高級シルクが、あなたの食欲による腹圧で弾け飛んでしまいますわよ」

アストレア公爵邸、控室。
純白のウェディングドレスに身を包んだメリルは、鏡の前で必死に息を止めていた。
……もっとも、その理由は緊張ではなく、式直前に「景気づけ」と言って食べた特大ミートパイにあるのだが。

「だ、だってボス! これから一時間も誓いの言葉だの指輪の交換だの、何も食べられない時間があるんですよ!? これくらい貯金……いえ、貯食しておかないと、祭壇の前で倒れてしまいますわ!」

「倒れるのは空腹のせいではなく、単なる食べ過ぎですわ。……見てください、あなたの隣に立つ予定の、あの『動く要塞』を」

私が指さした先には、新郎衣装に身を包んだガウェインが、直立不動で立っていた。
しかし、彼の燕尾服は今にもはち切れんばかりにパンパンだ。
特に肩周りと腕周りは、裁縫師が「これ以上は布の物理的限界です」と泣きながら仕立てた特注品である。

「ガウェイン様……! 今日も一段と、筋肉がドレスアップされていますわ! その胸板の厚み、聖書を三冊重ねても足りませんわね!」

「メリル嬢。……いや、今日からはメリル。君も、実に美味し……失礼、美しい。まるで、採れたての白アスパラガスのような輝きだ」

「まあ! アスパラガスだなんて、私の一番好きな野菜ですわ! 一生、あなたのマヨネーズになります!」

「…………」

私は扇子で顔を覆った。
この、情緒という言葉を辞書から抹殺したようなカップルが、今日この国の「愛の象徴」になろうとしている。
……まあ、あのアホ王子の「真実の愛」という名の妄想よりは、一兆倍ほど健全ですけれど。

式は、公爵家が所有する大聖堂で執り行われた。
参列したのは、アストレア家の関係者と、かつてメリルに恩を売られた……失礼、彼女の胃袋外交によって懐柔された貴族たちだ。

「……健やかなるときも、病めるときも、そして筋肉が衰えるときも、あなたは彼女を愛し、守ることを誓いますか?」

神父様も、どこか困惑気味に誓いの言葉を読み上げる。

「誓います。この腕がある限り、彼女に空腹という苦痛を味わわせることはありません。たとえ戦場にあっても、私は最高級の獲物を仕留め、彼女の食卓へ届けましょう」

ガウェインの誓いは、もはや騎士の叙任式か狩猟の決意表明のようだった。

「……では、健やかなるときも、家計が苦しいときも、あなたは彼を愛し、支えることを誓いますか?」

「誓います! 彼の筋肉を維持するためのプロテイン代は、私の秘書給与とボーナスで全力で賄います! そして、彼が仕留めた獲物は、骨の髄まで美味しく調理して差し上げますわ!」

メリルの誓いには、一切の迷いも、そして一切のロマンスもなかった。
あるのは、徹底した「相互互助」の精神だけだ。

「……指輪の交換を」

ガウェインの太い指に、特注の巨大な指輪がはめられる。
メリルの指には、宝石よりも「換金性の高さ」を重視した金貨三枚分ほどの重みがある指輪が贈られた。
その瞬間、会場からはこれまでにないほどの拍手が沸き起こった。

「ボス! やりましたわ! 私、ついに筋肉の永久就職先を確保しました!」

披露宴会場に移動するなり、メリルはドレスの裾を捲り上げてビュッフェコーナーへと突撃した。

「メリル、行儀が悪いですわよ。せめてゼクス様への挨拶を済ませてからになさいな」

私が窘めるが、彼女の耳にはすでに「ローストビーフの切り落とされる音」しか届いていない。

「いいんですよ、ラーニャ嬢。彼女のあの、欲望に忠実な姿こそが、この国の新しい活力を象徴している。……見てください、ガウェイン閣下も、彼女が取ってきた肉を幸せそうに頬張っている」

いつの間にか隣にいたゼクス様が、可笑しそうにグラスを傾けた。
彼は今日、私のフィアンセとして、そしてアストレア家のビジネスパートナーとして堂々と出席している。

「全く。私の秘書が、まさかこれほどまでの『食いしん坊ヒロイン』として歴史に名を残すことになるとは。……あ、ゼクス様。あちらのケーキ、一つ確保しておいてくださる? メリルが全部食べてしまう前に」

「おや。あなたも意外と、彼女の影響を受けているのではありませんか?」

「……ビジネスには糖分が必要ですの。それだけですわ」

私が言い訳をしていると、会場の中央で、メリルが大きなウェディングケーキを前に、ガウェインの腕にしがみついていた。

「皆様! 私は今日、宣言しますわ! 愛とは、分かち合うケーキの量のことです! そして、それを守るための筋肉です! 皆様も、アストレア家の下で、しっかり食べて、しっかり働いて、私のように幸せになりましょう!」

メリルの、あまりに実利的で扇動的なスピーチに、会場の貴族たちが「おおおー!」と拳を突き上げた。
そこには、かつての「悪役令嬢」や「悲劇のヒロイン」というレッテルなど、どこにも存在しなかった。
あるのは、自分の人生を自分の足で、そして自分の顎で切り拓いた女たちの、勝ち鬨(どき)だけだ。

「……ふふ。本当に、騒々しい式ですわね」

私は、幸せそうに口いっぱいにケーキを詰め込むメリルと、それを愛おしそうに眺めながら筋肉を誇示するガウェインを眺めた。

「最高に、合理的な幸せですよ。……さて、次は我々の番ですな、ラーニャ」

ゼクス様の囁きに、私は少しだけ頬を染め、しかし不敵に微笑んでみせた。

「あら。私の式は、もっと高くつきますわよ? 覚悟しておきなさいな、ゼクス様」

「望むところだ。私の全資産を注ぎ込んでも、お釣りが出るほど楽しませてもらうよ」

王子のいない、しかし最高に美味しい食事と笑いに満ちた結婚式は、夜が更けるまで続いた。
辺境の塔で「僕の結婚式は、もっと幻想的で、空から妖精が舞い降りるはずだったのに……」と一人で藁を編んでいる男のことなど、もはや誰も思い出してはいなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私を選ばなかったくせに~推しの悪役令嬢になってしまったので、本物以上に悪役らしい振る舞いをして婚約破棄してやりますわ、ザマア~

あさぎかな@コミカライズ決定
恋愛
乙女ゲーム《時の思い出(クロノス・メモリー)》の世界、しかも推しである悪役令嬢ルーシャに転生してしまったクレハ。 「貴方は一度だって私の話に耳を傾けたことがなかった。誤魔化して、逃げて、時より甘い言葉や、贈り物を贈れば満足だと思っていたのでしょう。――どんな時だって、私を選ばなかったくせに」と言って化物になる悪役令嬢ルーシャの未来を変えるため、いちルーシャファンとして、婚約者であり全ての元凶とである第五王子ベルンハルト(放蕩者)に婚約破棄を求めるのだが――?

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

村娘になった悪役令嬢

枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。 ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。 村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。 ※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります) アルファポリスのみ後日談投稿しております。

愛のない貴方からの婚約破棄は受け入れますが、その不貞の代償は大きいですよ?

日々埋没。
恋愛
 公爵令嬢アズールサは隣国の男爵令嬢による嘘のイジメ被害告発のせいで、婚約者の王太子から婚約破棄を告げられる。 「どうぞご自由に。私なら傲慢な殿下にも王太子妃の地位にも未練はございませんので」  しかし愛のない政略結婚でこれまで冷遇されてきたアズールサは二つ返事で了承し、晴れて邪魔な婚約者を男爵令嬢に押し付けることに成功する。 「――ああそうそう、殿下が入れ込んでいるそちらの彼女って実は〇〇ですよ? まあ独り言ですが」  嘘つき男爵令嬢に騙された王太子は取り返しのつかない最期を迎えることになり……。    ※この作品は過去に公開したことのある作品に修正を加えたものです。  またこの作品とは別に、他サイトでも本作を元にしたリメイク作を別のペンネー厶で公開していますがそのことをあらかじめご了承ください。

悪役令嬢は永眠しました

詩海猫(8/29書籍発売)
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」 長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。 だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。 ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」 *思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m

私が嫌いなら婚約破棄したらどうなんですか?

きららののん
恋愛
優しきおっとりでマイペースな令嬢は、太陽のように熱い王太子の側にいることを幸せに思っていた。 しかし、悪役令嬢に刃のような言葉を浴びせられ、自信の無くした令嬢は……

田舎娘をバカにした令嬢の末路

冬吹せいら
恋愛
オーロラ・レンジ―は、小国の産まれでありながらも、名門バッテンデン学園に、首席で合格した。 それを不快に思った、令嬢のディアナ・カルホーンは、オーロラが試験官を買収したと嘘をつく。 ――あんな田舎娘に、私が負けるわけないじゃない。 田舎娘をバカにした令嬢の末路は……。

婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい

恋愛
婚約者には初恋の人がいる。 王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。 待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。 婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。 従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。 ※なろうさんにも公開しています。 ※短編→長編に変更しました(2023.7.19)

処理中です...