王子、おひとり様で残りの人生をお楽しみください!

ちゃっぴー

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「……ちょっと、メリル。動かないでくださいな。せっかくの最高級シルクが、あなたの食欲による腹圧で弾け飛んでしまいますわよ」

アストレア公爵邸、控室。
純白のウェディングドレスに身を包んだメリルは、鏡の前で必死に息を止めていた。
……もっとも、その理由は緊張ではなく、式直前に「景気づけ」と言って食べた特大ミートパイにあるのだが。

「だ、だってボス! これから一時間も誓いの言葉だの指輪の交換だの、何も食べられない時間があるんですよ!? これくらい貯金……いえ、貯食しておかないと、祭壇の前で倒れてしまいますわ!」

「倒れるのは空腹のせいではなく、単なる食べ過ぎですわ。……見てください、あなたの隣に立つ予定の、あの『動く要塞』を」

私が指さした先には、新郎衣装に身を包んだガウェインが、直立不動で立っていた。
しかし、彼の燕尾服は今にもはち切れんばかりにパンパンだ。
特に肩周りと腕周りは、裁縫師が「これ以上は布の物理的限界です」と泣きながら仕立てた特注品である。

「ガウェイン様……! 今日も一段と、筋肉がドレスアップされていますわ! その胸板の厚み、聖書を三冊重ねても足りませんわね!」

「メリル嬢。……いや、今日からはメリル。君も、実に美味し……失礼、美しい。まるで、採れたての白アスパラガスのような輝きだ」

「まあ! アスパラガスだなんて、私の一番好きな野菜ですわ! 一生、あなたのマヨネーズになります!」

「…………」

私は扇子で顔を覆った。
この、情緒という言葉を辞書から抹殺したようなカップルが、今日この国の「愛の象徴」になろうとしている。
……まあ、あのアホ王子の「真実の愛」という名の妄想よりは、一兆倍ほど健全ですけれど。

式は、公爵家が所有する大聖堂で執り行われた。
参列したのは、アストレア家の関係者と、かつてメリルに恩を売られた……失礼、彼女の胃袋外交によって懐柔された貴族たちだ。

「……健やかなるときも、病めるときも、そして筋肉が衰えるときも、あなたは彼女を愛し、守ることを誓いますか?」

神父様も、どこか困惑気味に誓いの言葉を読み上げる。

「誓います。この腕がある限り、彼女に空腹という苦痛を味わわせることはありません。たとえ戦場にあっても、私は最高級の獲物を仕留め、彼女の食卓へ届けましょう」

ガウェインの誓いは、もはや騎士の叙任式か狩猟の決意表明のようだった。

「……では、健やかなるときも、家計が苦しいときも、あなたは彼を愛し、支えることを誓いますか?」

「誓います! 彼の筋肉を維持するためのプロテイン代は、私の秘書給与とボーナスで全力で賄います! そして、彼が仕留めた獲物は、骨の髄まで美味しく調理して差し上げますわ!」

メリルの誓いには、一切の迷いも、そして一切のロマンスもなかった。
あるのは、徹底した「相互互助」の精神だけだ。

「……指輪の交換を」

ガウェインの太い指に、特注の巨大な指輪がはめられる。
メリルの指には、宝石よりも「換金性の高さ」を重視した金貨三枚分ほどの重みがある指輪が贈られた。
その瞬間、会場からはこれまでにないほどの拍手が沸き起こった。

「ボス! やりましたわ! 私、ついに筋肉の永久就職先を確保しました!」

披露宴会場に移動するなり、メリルはドレスの裾を捲り上げてビュッフェコーナーへと突撃した。

「メリル、行儀が悪いですわよ。せめてゼクス様への挨拶を済ませてからになさいな」

私が窘めるが、彼女の耳にはすでに「ローストビーフの切り落とされる音」しか届いていない。

「いいんですよ、ラーニャ嬢。彼女のあの、欲望に忠実な姿こそが、この国の新しい活力を象徴している。……見てください、ガウェイン閣下も、彼女が取ってきた肉を幸せそうに頬張っている」

いつの間にか隣にいたゼクス様が、可笑しそうにグラスを傾けた。
彼は今日、私のフィアンセとして、そしてアストレア家のビジネスパートナーとして堂々と出席している。

「全く。私の秘書が、まさかこれほどまでの『食いしん坊ヒロイン』として歴史に名を残すことになるとは。……あ、ゼクス様。あちらのケーキ、一つ確保しておいてくださる? メリルが全部食べてしまう前に」

「おや。あなたも意外と、彼女の影響を受けているのではありませんか?」

「……ビジネスには糖分が必要ですの。それだけですわ」

私が言い訳をしていると、会場の中央で、メリルが大きなウェディングケーキを前に、ガウェインの腕にしがみついていた。

「皆様! 私は今日、宣言しますわ! 愛とは、分かち合うケーキの量のことです! そして、それを守るための筋肉です! 皆様も、アストレア家の下で、しっかり食べて、しっかり働いて、私のように幸せになりましょう!」

メリルの、あまりに実利的で扇動的なスピーチに、会場の貴族たちが「おおおー!」と拳を突き上げた。
そこには、かつての「悪役令嬢」や「悲劇のヒロイン」というレッテルなど、どこにも存在しなかった。
あるのは、自分の人生を自分の足で、そして自分の顎で切り拓いた女たちの、勝ち鬨(どき)だけだ。

「……ふふ。本当に、騒々しい式ですわね」

私は、幸せそうに口いっぱいにケーキを詰め込むメリルと、それを愛おしそうに眺めながら筋肉を誇示するガウェインを眺めた。

「最高に、合理的な幸せですよ。……さて、次は我々の番ですな、ラーニャ」

ゼクス様の囁きに、私は少しだけ頬を染め、しかし不敵に微笑んでみせた。

「あら。私の式は、もっと高くつきますわよ? 覚悟しておきなさいな、ゼクス様」

「望むところだ。私の全資産を注ぎ込んでも、お釣りが出るほど楽しませてもらうよ」

王子のいない、しかし最高に美味しい食事と笑いに満ちた結婚式は、夜が更けるまで続いた。
辺境の塔で「僕の結婚式は、もっと幻想的で、空から妖精が舞い降りるはずだったのに……」と一人で藁を編んでいる男のことなど、もはや誰も思い出してはいなかった。
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