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「……あの、殿下?」
王家の紋章が刻まれた、最高級の馬車の中。
ふかふかの座席に沈み込みながら、私は恐る恐る口を開いた。
「なんだい?」
隣に座るキース様が、優雅に足を組みながら微笑む。
距離が近い。
なぜか対面席ではなく、隣に座っている。
しかも、私の腰に自然と腕が回されているのは気のせいだろうか。
いや、気のせいではない。
ガッツリとホールドされている。
「えっと、その……わたくし、罪人として連行されているのですよね?」
「そうだね」
「でしたら、この扱いは少々……その、手厚すぎませんか? 普通、罪人は後ろ手に縛られて、藁の敷かれた荷馬車に乗せられるものでは?」
私の問いに、キース様はきょとんとした顔をした。
「君は縛られたいのか?」
「いいえ! そういう趣味はありません!」
「だろうね。僕も、君の柔肌に縄の跡がつくのは我慢ならない」
「は、はあ……」
会話が噛み合わない。
いや、キース様のことだ。
きっとこれは、精神的な拷問の一種なのだろう。
「優しくして油断させておいて、あとで突き落とす」という高度な心理戦に違いない。
恐ろしい人だ。
私は身震いしながら、話題を変えることにした。
最も重要な確認事項についてだ。
「と、ところで殿下。先ほどの宣言、間違いありませんわよね?」
「宣言?」
「婚約破棄ですわ! わたくしと殿下の婚約は、これで白紙……ですよね?」
私は息を呑んで返答を待つ。
もしここで「嘘だよ」なんて言われたら、私の完璧な計画が水の泡だ。
キース様は、私の顔をじっと見つめた。
その碧眼が、妖しく光る。
「ああ、間違いないよ。ミュール・アークライトとキース・フレイ・オルコットの婚約は、今この瞬間をもって破棄された」
「っ……!!」
やったーーー!!
私は心の中でサンバを踊った。
ついに、ついに成し遂げたのだ!
長かった。
この日のために、夜な夜な鏡の前で悪役顔の練習をし、リナのドレスをリメイクし(破いたと言い張り)、美味しいお菓子を開発し(嫌がらせと言い張り)てきた甲斐があった。
これで私は自由の身。
そしてリナは、次期王妃への道を歩み始めるのだ。
「おめでとう、リナ! ありがとう、殿下!」
感極まって、つい言葉が漏れてしまった。
「……君は、そんなに嬉しいのかい?」
キース様の声が、少し低くなる。
おっと、いけない。
今はまだ「悲嘆に暮れる悪役令嬢」を演じなければならないのだった。
私は慌てて扇子を取り出し(なぜか馬車に常備されていた)、顔を覆った。
「う、嬉しいわけ……ありま……せんわ……ううっ」
嘘泣きを試みる。
しかし、喜びが抑えきれず、どうしても口角が上がってしまう。
「くっ……(笑いを堪えている)」
「泣いているのか?」
「はい……悲しくて……(嬉しくて)……」
キース様が、そっと私の肩を引き寄せた。
「そうか。君を悲しませるのは本意ではないが……これは必要な手順なんだ」
「手順?」
「ああ。君を『アークライト家の令嬢』という立場から解放し、僕の……いや、何でもない」
キース様は言葉を濁し、窓の外へ視線をやった。
「とにかく、婚約は破棄された。君はもう、公爵家の人間としても、王太子の婚約者としても振る舞う必要はない」
「はい! 謹んで追放をお受けします!」
私は元気よく答えた。
「それで、追放先はどちらになりますか? やはり北の果ての極寒の地でしょうか? それとも、魔物が出るという噂の西の荒野?」
私の予想では、北の修道院が有力だ。
あそこなら、静かに読書をして暮らせるし、リナへ手紙を書く時間もたっぷりある。
しかし、キース様は首を横に振った。
「いいや。もっと過酷な場所だ」
「か、過酷……?」
ゴクリ、と喉が鳴る。
北の果てより過酷な場所とは、一体どこなのか。
「そこは、外部との連絡が一切遮断され、逃げ出そうとしても逃げられない『檻』のような場所だ」
「ひえっ……」
「君はそこで、来る日も来る日も、ある一人の男の相手をさせられることになる」
「男の相手!?」
なんてことだ。
強制労働施設か何かなのだろうか。
私の想像の中で、屈強な看守に鞭で打たれながら、重い石を運ぶ自分の姿が浮かび上がった。
「そんな……わたくし、体力には自信がありません……」
「大丈夫だよ。体力を使うのは『夜』だけだから」
「よ、夜!?」
「昼間は、そうだな。僕の……じゃなかった、その男の執務室で、お茶を飲んでいればいい」
「は?」
キース様の説明は、どこか要領を得ない。
過酷なのか、楽なのか、よく分からない。
「あの、その『男』というのは、まさか……」
「ん?」
「典獄(てんごく)……牢屋の主のような方ですか?」
「ふっ……くくく」
キース様が肩を震わせて笑い出した。
「そうだな。ある意味、君を一生閉じ込めておきたいと願っている『牢屋の主』かもしれないね」
「笑い事ではありませんわ!」
私は抗議したが、キース様は楽しそうに笑うばかりだ。
やはり、この男はサディストだ。
私の怯える顔を見て楽しんでいるに違いない。
「安心したまえ、ミュール。その場所には、君が好きなものを全て用意させてある」
「私が好きなもの?」
「ああ。ふかふかのベッドに、最新のロマンス小説、それに最高級の茶葉と菓子職人」
「……え?」
「それに、君が欲しがっていた、リナ嬢の等身大肖像画も手配済みだ」
「なんですって!?」
私は思わず身を乗り出した。
リナの肖像画!
しかも等身大!
それは私が先月、高名な画家に依頼しようとして「さすがに気持ち悪いですよ」とエヴァン様に止められた幻の逸品ではないか。
「ど、どうしてそれを……」
「言っただろう? 君のことなら何でも知っていると」
キース様は、こともなげに言う。
「罪人には飴と鞭が必要だからね。精神的に追い詰めるためには、まずは甘やかすことも重要なんだ」
「なるほど……!」
さすがは次期国王。
その深謀遠慮には恐れ入る。
快適な環境を与えておいて、リナに会えない寂しさを増幅させる作戦か。
なんと残酷な処遇だろう。
「分かりました。その『過酷な追放生活』、受けて立ちます!」
私は拳を握りしめた。
リナの肖像画があるなら、どんな辛い労働(お茶飲み係?)にも耐えられる気がする。
「良い返事だ」
キース様は満足そうに頷くと、窓の外を流れる景色に目を細めた。
「もうすぐ着くよ。君と僕の、愛の……いや、償いの場所へ」
「はい!」
私は大きく頷いた。
馬車は王都の石畳を抜け、郊外へと進んでいく。
その行き先が、王都から馬車でほんの三十分程度の場所にある、王家所有の豪華な離宮だということに、私が気づくのはもう少し先の話である。
王家の紋章が刻まれた、最高級の馬車の中。
ふかふかの座席に沈み込みながら、私は恐る恐る口を開いた。
「なんだい?」
隣に座るキース様が、優雅に足を組みながら微笑む。
距離が近い。
なぜか対面席ではなく、隣に座っている。
しかも、私の腰に自然と腕が回されているのは気のせいだろうか。
いや、気のせいではない。
ガッツリとホールドされている。
「えっと、その……わたくし、罪人として連行されているのですよね?」
「そうだね」
「でしたら、この扱いは少々……その、手厚すぎませんか? 普通、罪人は後ろ手に縛られて、藁の敷かれた荷馬車に乗せられるものでは?」
私の問いに、キース様はきょとんとした顔をした。
「君は縛られたいのか?」
「いいえ! そういう趣味はありません!」
「だろうね。僕も、君の柔肌に縄の跡がつくのは我慢ならない」
「は、はあ……」
会話が噛み合わない。
いや、キース様のことだ。
きっとこれは、精神的な拷問の一種なのだろう。
「優しくして油断させておいて、あとで突き落とす」という高度な心理戦に違いない。
恐ろしい人だ。
私は身震いしながら、話題を変えることにした。
最も重要な確認事項についてだ。
「と、ところで殿下。先ほどの宣言、間違いありませんわよね?」
「宣言?」
「婚約破棄ですわ! わたくしと殿下の婚約は、これで白紙……ですよね?」
私は息を呑んで返答を待つ。
もしここで「嘘だよ」なんて言われたら、私の完璧な計画が水の泡だ。
キース様は、私の顔をじっと見つめた。
その碧眼が、妖しく光る。
「ああ、間違いないよ。ミュール・アークライトとキース・フレイ・オルコットの婚約は、今この瞬間をもって破棄された」
「っ……!!」
やったーーー!!
私は心の中でサンバを踊った。
ついに、ついに成し遂げたのだ!
長かった。
この日のために、夜な夜な鏡の前で悪役顔の練習をし、リナのドレスをリメイクし(破いたと言い張り)、美味しいお菓子を開発し(嫌がらせと言い張り)てきた甲斐があった。
これで私は自由の身。
そしてリナは、次期王妃への道を歩み始めるのだ。
「おめでとう、リナ! ありがとう、殿下!」
感極まって、つい言葉が漏れてしまった。
「……君は、そんなに嬉しいのかい?」
キース様の声が、少し低くなる。
おっと、いけない。
今はまだ「悲嘆に暮れる悪役令嬢」を演じなければならないのだった。
私は慌てて扇子を取り出し(なぜか馬車に常備されていた)、顔を覆った。
「う、嬉しいわけ……ありま……せんわ……ううっ」
嘘泣きを試みる。
しかし、喜びが抑えきれず、どうしても口角が上がってしまう。
「くっ……(笑いを堪えている)」
「泣いているのか?」
「はい……悲しくて……(嬉しくて)……」
キース様が、そっと私の肩を引き寄せた。
「そうか。君を悲しませるのは本意ではないが……これは必要な手順なんだ」
「手順?」
「ああ。君を『アークライト家の令嬢』という立場から解放し、僕の……いや、何でもない」
キース様は言葉を濁し、窓の外へ視線をやった。
「とにかく、婚約は破棄された。君はもう、公爵家の人間としても、王太子の婚約者としても振る舞う必要はない」
「はい! 謹んで追放をお受けします!」
私は元気よく答えた。
「それで、追放先はどちらになりますか? やはり北の果ての極寒の地でしょうか? それとも、魔物が出るという噂の西の荒野?」
私の予想では、北の修道院が有力だ。
あそこなら、静かに読書をして暮らせるし、リナへ手紙を書く時間もたっぷりある。
しかし、キース様は首を横に振った。
「いいや。もっと過酷な場所だ」
「か、過酷……?」
ゴクリ、と喉が鳴る。
北の果てより過酷な場所とは、一体どこなのか。
「そこは、外部との連絡が一切遮断され、逃げ出そうとしても逃げられない『檻』のような場所だ」
「ひえっ……」
「君はそこで、来る日も来る日も、ある一人の男の相手をさせられることになる」
「男の相手!?」
なんてことだ。
強制労働施設か何かなのだろうか。
私の想像の中で、屈強な看守に鞭で打たれながら、重い石を運ぶ自分の姿が浮かび上がった。
「そんな……わたくし、体力には自信がありません……」
「大丈夫だよ。体力を使うのは『夜』だけだから」
「よ、夜!?」
「昼間は、そうだな。僕の……じゃなかった、その男の執務室で、お茶を飲んでいればいい」
「は?」
キース様の説明は、どこか要領を得ない。
過酷なのか、楽なのか、よく分からない。
「あの、その『男』というのは、まさか……」
「ん?」
「典獄(てんごく)……牢屋の主のような方ですか?」
「ふっ……くくく」
キース様が肩を震わせて笑い出した。
「そうだな。ある意味、君を一生閉じ込めておきたいと願っている『牢屋の主』かもしれないね」
「笑い事ではありませんわ!」
私は抗議したが、キース様は楽しそうに笑うばかりだ。
やはり、この男はサディストだ。
私の怯える顔を見て楽しんでいるに違いない。
「安心したまえ、ミュール。その場所には、君が好きなものを全て用意させてある」
「私が好きなもの?」
「ああ。ふかふかのベッドに、最新のロマンス小説、それに最高級の茶葉と菓子職人」
「……え?」
「それに、君が欲しがっていた、リナ嬢の等身大肖像画も手配済みだ」
「なんですって!?」
私は思わず身を乗り出した。
リナの肖像画!
しかも等身大!
それは私が先月、高名な画家に依頼しようとして「さすがに気持ち悪いですよ」とエヴァン様に止められた幻の逸品ではないか。
「ど、どうしてそれを……」
「言っただろう? 君のことなら何でも知っていると」
キース様は、こともなげに言う。
「罪人には飴と鞭が必要だからね。精神的に追い詰めるためには、まずは甘やかすことも重要なんだ」
「なるほど……!」
さすがは次期国王。
その深謀遠慮には恐れ入る。
快適な環境を与えておいて、リナに会えない寂しさを増幅させる作戦か。
なんと残酷な処遇だろう。
「分かりました。その『過酷な追放生活』、受けて立ちます!」
私は拳を握りしめた。
リナの肖像画があるなら、どんな辛い労働(お茶飲み係?)にも耐えられる気がする。
「良い返事だ」
キース様は満足そうに頷くと、窓の外を流れる景色に目を細めた。
「もうすぐ着くよ。君と僕の、愛の……いや、償いの場所へ」
「はい!」
私は大きく頷いた。
馬車は王都の石畳を抜け、郊外へと進んでいく。
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