悪役を演じて婚約破棄したのに、なぜか溺愛モードの王子がついてきた!

ちゃっぴー

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「はあ……」

星降る離宮の庭園、バラが咲き誇るガゼボ(西洋風あずまや)の下で、私は重いため息をついた。

「どうしました、お姉様? ため息なんてつくと、幸せが逃げちゃいますよ?」

向かいの席で、リナが心配そうに覗き込んでくる。

彼女の手には、私のために剥いた桃の皿がある。

「ありがとう、リナ。でもね、逃げているのは幸せじゃなくて、『悪役としての威厳』な気がするの」

「威厳?」

「ええ。ここに来てからもう二週間よ」

私は自分の二の腕をムニムニと摘んだ。

「見て、この健康的な肌ツヤ。毎晩のフルコースと、お昼寝と、エステのおかげで、肌年齢が5歳は若返った気がするわ」

「素晴らしいことじゃないですか! お姉様は世界一美しいです!」

「違うのよ! 私が目指していたのは、頬がこけて目がぎらついた、不幸のどん底にいる悪女なの! こんなプルプルの肌じゃ、誰も同情してくれないわ!」

私はテーブルに突っ伏した。

誤算だ。

完全に誤算だった。

キース様の「過酷な追放(という名の溺愛)」プランのせいで、私は以前より健康的で、精神的にも満たされてしまっている。

これでは、いつかリナが王妃になって私を呼び戻そうとした時、国民が納得しない。

『あれ? あの悪役令嬢、追放先でバカンス楽しんでなかった?』と後ろ指をさされてしまう。

「私は……失敗したのかしら」

ポツリと漏らす。

「悪役になりきれなかった。中途半端なまま、ただの穀潰しとして一生を終えるのね……」

「ミュール」

ふいに、頭上から影が落ちた。

顔を上げると、キース様が立っていた。

いつものように、仕事の合間を縫って(サボって)ティータイムに参加しに来たらしい。

「殿下……」

「何を悩んでいるんだい? 君が穀潰しなら、僕は喜んでそのスポンサーになるよ」

「そういう問題じゃありません。……私、自分の存在意義を見失っているんです」

私は真剣な眼差しで訴えた。

「殿下、正直に答えてください。私の演技、どこが悪かったんでしょうか? ドレスを破いた時? それとも断罪の舞踏会での高笑いの音程?」

キース様は私の隣に座り、紅茶を一口飲んだ。

そして、困ったような、それでいて愛おしむような目で私を見た。

「ミュール。君はまだ、自分が『悪役』になろうとしていたと思っているのかい?」

「思っているも何も、事実です! 私は妹を虐げ、婚約者を裏切った……」

「いいや、違うね」

キース様が私の言葉を遮る。

「君は最初から、悪役になんてなれていなかったよ」

「……え?」

なれていなかった?

そんな。

あんなに練習したのに。

「君がリナ嬢のドレスを破いた(フリをした)時、君は泣きそうな顔で針仕事道具を隠し持っていた」

「うっ」

「君がお茶会で『塩マカロン』を出した時、君は万が一リナ嬢が喉を詰まらせないよう、最高級の紅茶を一番飲みやすい温度で用意していた」

「うぐっ」

「そして舞踏会の日。君は僕に婚約破棄を言い渡された時……ガッツポーズをする前に、リナ嬢の方を見て『ごめんね』と口パクで言っていたのを、僕は知っている」

「見……見てたんですか……」

恥ずかしい。

穴があったら入りたい。

私の悪事は、全て、完全に、完璧にバレていたのだ。

「君は悪役なんかじゃない。ただの、不器用で、妹想いで、嘘が下手くそな女の子だ」

キース様が、そっと私の手に自分の手を重ねた。

その手は温かく、大きかった。

「だから、君がここで『悪役としての罰』を受ける必要なんて、最初からなかったんだよ」

「じゃあ……なんで……」

「なんで、ここに閉じ込めているか?」

キース様が顔を近づける。

碧い瞳が、私の全てを見透かすように光る。

「僕が、君と一緒にいたかったからだ」

「……っ!」

心臓が、大きく跳ねた。

ドクン、と音が聞こえるようだ。

「リナ嬢を守るために悪女を演じる君も魅力的だったけど……僕はね、そんな君が、演技をやめて素直に笑っている顔が見たかったんだ」

「素直に……」

「そう。カビパン(偽)をかじって『しょっぱい』と泣く顔も、家庭菜園で泥だらけになって怒る顔も、僕の膝の上で恥ずかしがる顔も」

キース様の指先が、私の頬を撫でる。

「全部、僕だけのものにしたかった。……これはただの、僕の独占欲だよ」

甘い。

言葉の一つ一つが、砂糖菓子のように甘く、そして重い。

いつもなら「変態王子!」と茶化して逃げるところだ。

でも、今の私は動けなかった。

彼の瞳があまりにも真剣で、そして真っ直ぐだったから。

「ミュール。君は悪役令嬢なんかじゃない」

キース様が囁く。

「君は、僕が愛したただ一人の女性だ」

時が止まった気がした。

風の音も、小鳥のさえずりも消えて、目の前の彼の顔だけが鮮明に見える。

胸が熱い。

顔が熱い。

これは、演技じゃない。

私の心臓が、勝手に暴走している。

(な、なによこれ……)

私は戸惑った。

私は、リナを王妃にするために身を引いたのだ。

それなのに、こんなふうに王太子に愛されてしまったら、計画が台無しじゃないか。

でも。

彼の言葉が、嬉しくてたまらない自分がいる。

「お姉様」

横から、リナの静かな声がした。

ハッと我に返り、リナを見る。

彼女は怒っていなかった。

いつもなら「離れろ泥棒猫!」と杖を振り回すはずなのに、今はただ静かに、少しだけ寂しそうに微笑んでいた。

「……そろそろ、諦めたらどうですか?」

「あ、諦めるって……何を?」

「『自分は幸せになってはいけない』という、お姉様の変な思い込みです」

リナが私のもう片方の手を握る。

「私は王妃になんてなりたくありません。私がなりたいのは、お姉様が世界一幸せに笑っている姿を、一番近くで見守る『妹』です」

「リナ……」

「だから、観念してください。お姉様はもう、逃げられないんですよ。……この、愛が重すぎる男と、妹から」

リナの言葉に、キース様が満足そうに頷く。

「そういうことだ。覚悟を決めたまえ、ミュール」

二人に手を握られ、私は逃げ場を失った。

物理的にも、心理的にも。

「……ずるいわ、二人とも」

私は俯き、小さく呟いた。

目頭が熱くなる。

自分が悪役になれなかったことへの敗北感。

そして、それ以上に込み上げてくる、安堵感。

(私は、ここにいていいんだ)

そう思えた瞬間、張り詰めていた糸がプツリと切れた気がした。

「……分かったわよ」

私は顔を上げ、涙目で二人を睨みつけた。

「百歩譲って、悪役引退は認めるわ。……でも!」

「でも?」

「調子に乗らないでよね! 私が完全にデレると思ったら大間違いなんだから!」

精一杯の強がり。

それが私の、最後の砦だった。

キース様とリナは顔を見合わせ、そして同時に吹き出した。

「ふっ、あはは! 可愛いなぁ、もう」

「さすがはお姉様。往生際が悪くて最高です!」

「笑うなーッ!」

バラの咲き誇る庭園に、三人の笑い声が響き渡る。

私の「悪役令嬢」としてのキャリアは、ここで完全に終了した。

そして、ここから始まるのは。

ただの「愛されすぎて困っている元公爵令嬢」の物語……になるはずだった。

そう、あの知らせが届くまでは。

「……殿下!! 緊急事態です!!」

血相を変えたエヴァン様が、庭園に駆け込んでくるまでは。

「王都で……王都で、『謎の奇病』が流行り始めました! リナ様、至急王城へお戻りください!」

平穏な日々の終わりは、いつだって唐突にやってくるものだ。

私の「のんびり追放ライフ」の第2章は、こうして幕を閉じたのである。
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