乃愛の場合

なかむ

文字の大きさ
上 下
7 / 9

第7話 ふにゃぁん。

しおりを挟む
今日から、メイドの研修が始まる。 
真希ちゃんとの同居を決めてから1週間ほど経つ。 

もう、真希ちゃんとの生活は、楽しくて仕方ない。こんなに楽しいなら、もっと早く一緒に住めばよかったね、と私が言うと……。 

「私が、どれだけ我慢してたと思ってるんですかっ!?ことあるごとに、喉元まで出かかるのを飲み込んでたんですよ!!」 

と、唇を尖らせてソッポを向いていた。 

一緒に出かけるときは、腕を組んで歩く。殆どずっと。……さすがに大学内では、しないけど。 

別々に出かけるときには、お出かけのハグをする。ただいまのやつもする。 
私が一人で出かける時は、真希ちゃんが結構グズる。時間ギリギリまでベッタリだ。 

私も部屋にいる時は、ついつい真希ちゃんに萌えちゃったりして、抱きしめちゃったり、頭をぐしゃぐしゃ撫でちゃったりする。真希ちゃんも真希ちゃんで、ほぼ私に抱きついていたり、しなだれかかってたりすする。 

………………なんだか、付き合い始めたばっかりのカップルみたいだ。 

私は、もちろんレズっ気とかはない。 
イチャイチャべたべたはしているけど、裸で抱き合って寝てたりもするけど。 
でも、最後の一線は超えてないし、キスとかもしていない。 

たぶん、真希ちゃんの中でのケジメみたいなもんなのかなあ、と思う。 

御存知の通り、私は結構その場の雰囲気に流されやすいので、真希ちゃんに押し倒されちゃったら……「それはそれでイイかも」とか思っちゃいそうだ。 

真希ちゃんの事は、大好きだ。クラクラするほど可愛いとか思うし、間近で顔を覗きこまれたりすると、めっちゃドキドキする。言わないけど。 

ずっと、一緒にいられたらいいなあ、と漠然と思うこともある。言わないけど。 

きっと、真希ちゃんは、私のために受け入れてくれちゃいそうだから。 

こんな気持ちに今までの男に感じたことはない。 
でも、これが恋なのか愛なのか?ただ、過激な友情なのか? 
まるでわからない……。 

自分の気持がわからないのに、真希ちゃんに甘え過ぎちゃう訳にはいかない、って思う。 

「そろそろ、時間ですか?」 
「あっ、そうだね。そろそろ、支度しなきゃね」 

物凄く名残り惜しそうに真希ちゃんが私から離れる。私がソファから立ち上がって、着替えようとシャツを脱ぐと。 

「ふぁー!やっぱ、我慢できなーいっ!」 
「こ、こら、真希ちゃん!?着替えできないじゃん!」 

ブラを着けただけの背中に真希ちゃんが飛びついてきた。むき出しの肌に頬ずりしてる。 

「ほら、こうしてるだけだからぁ。先輩は支度して」 
「もぉー、しょうがないなぁ……」 

背中に張り付いているカワイイ生き物の所為で、少し手間取りながら部屋着の七分丈のレギンスを脱ぐ。 

「うふふ、乃愛先輩の背中きもちいーぃ♪」 
「はいはい、洗面台に行くよー」 

脱いだ服を片手に下着姿で、背中にピットリくっついた真希ちゃんを引きずるように洗面台に向かった。 

洗顔にメイクとヘアセット……まぁ慣れたもんで、半ばオートパイロットのようなもんだ。 
楽しそうに真希ちゃんは私の背中に抱きついて、その様子を眺めている。 

今日は、汐留で母が勤めている人材派遣会社の研修初日だ。 
メイドの勤め先が決まったからといって、いきなりお屋敷に行くということはない。何年も別のところで務め上げた立派な経験者ならともかく、新卒採用なんだしね。 

派遣会社の研修が2ヶ月ほどあって、問題がなければ竜堂家の方で数ヶ月の試用期間を経て、正規採用と相成るわけ。なので、私は、派遣会社の社員だから給料も会社から受け取る。竜堂家は会社の方との契約。 

だから、変なヤツを竜堂家に送り込む訳にはいかない。何と言っても相手は、日本有数の財閥で各界への影響力はとてつもない。 

とは言っても、他の新卒者よりは、私の研修内容は少ない。 
どうしてかというと……まぁ、小さい頃から母に色々と仕込まれている、からなんだけど……。 

ウチの実家──篠原の家は、侍従職に着くものが多い。別に、代々どこかの家に仕える家系という訳ではないが、秘書、メイド、補佐職、護衛……変わったところでは宮内庁とか、何でかそういう系統の職につく。 

私が竜堂本家の派遣を命じられたのも、たまたま「向こうの提示する条件」に適合しただけだ。 

代々仕える家柄で、有名なところといえば、その竜堂本家なら総執事の二階堂家。真希ちゃんの実家は分家筋だけど、悟桐本家でいえば当主の筆頭秘書の風祭家とか。 

その辺の「従臣として有名な家柄」とは、ウチはだいぶ違う。 
それぞれ仕える主人は、多少の縁故やコネはあっても殆どがバラバラだ。 
「仕えるあるじは、自分で決めろ」という空気が、ウチの親族の間にはある。暗黙的なお約束だね。 

もちろん、親戚の中には。普通のサラリーマンとかもいるし、自分で起業とかしてる人もいる。 

私も、両親に何か命じられたことはない。むしろ、自由放任だ。私のひどい男性遍歴とか……知ってるんだろうか??うう……なるべくならバレてないと、いいなぁ……。 

ともかく「このくらいは必要最低限の技能と教養」という母の躾は、他所の家に比べると結構厳しいものがあった気がする。まあ、おかげで、家事全般はひと通りこなせる。レストランやホテルで接客のバイトとかでも、ずいぶん重宝がられて時給にプラスもついた。真希ちゃんも「ありがたいっ!!」と言ってくれてるしね。 

そういう訳で、2ヶ月の間、日帰りで何日かおきに研修センターに通うのだ。 
真希ちゃんは一緒の時間が減って不満気だけど、研修センターに通うのに便利という理由でココに居候している訳で、痛し痒しという感じなのかもしれない。 

数日前に派遣会社から届いた案内メールによると、初日の今日はオリエンテーションと健康診断ということみたいだ。ソコから先は、しばらく基礎講習が続くようだ。母の話によると、基礎といっても「知っておかねばならない派遣先の基礎知識」ということらしい。その講義を受ける研修生は、私を入れて五名いるようだ。竜堂財閥関係に今回派遣される予定の新卒者だそうだ。 

……と、いうところで概ね首から上の支度は済んだ。 

真希ちゃんを、ちらっと見るとニコニコしながら私の肩にアゴを乗せている。 

──寝室に行って着替え始めるまで、ぴったりくっついてるつもりなのね。 

寝室のクローゼットを開けて、黒いスーツと白のブラウスを出す。いわゆるリクルートスーツをベッドの端に置く。 
さて、そろそろ真希ちゃんに離れてもらわないとね……。 

そうっと肩のところにスリスリしている真希ちゃんのアゴの下に手を回して、こちょこちょっとくすぐる。真希ちゃんは、まるで猫か犬のように、うっとり目を細めると、ふにゃんと力が抜けていく。 

「はにゃぁ………………ハッ!?騙されませんよっ、先輩!毎度毎度その手には乗りませんっ」 

そう言うと、慌ててぎゅうっと私にしがみついてきた。 
くっ……成長するのね……。仕方ない……別の手でいく。 

くるっと身体を回して、真希ちゃんの身体を抱きしめる。 

「ふわわっ!?せ、せんぱい……!?」 

驚いた真希ちゃんに追い打ちをかけるように、まっすぐ真希ちゃんの瞳を見つめる。 
ボッと音が聞こえそうなくらい、真希ちゃんが一気に真っ赤になる。ゆっくり、顔を近づける。 
──くそ、めちゃくちゃカワイイじゃないかっ!ここで堪えないと、ミイラ取りがミイラになってしまうっ。 

頬と頬を合わせるようにして抱きしめると、更に真希ちゃんの力が抜け………… 

ふうっ────! 

「ひゃああん!」 

ぼすっと音をたてて、真希ちゃんは背後のベッドに崩れ落ちる。私が耳に吐息を吹き込んだからだ。 

「……もう、着替えるからねっ」 

くすくすっと軽く笑って、ブラウスの袖に手を通す。 

「……はううう…………ず、ずるい……ですっ……のあ…先輩の……いじわるぅ……」 

腕で真っ赤に染まった顔を隠して、荒い呼吸でぴくぴく震えている。くくっ……可愛いーっ! 

「なるべく、早く帰ってくるから。ね?」 
「……やくそく……ですよ……?」 

身体を起こして、唇を尖らせて念押しされる。こんな真希ちゃんの潤んだ瞳で切実に訴えられたら……イチコロだ。 

「わかったわ……これで約束ね」 

手早く着替え終わった私は、さっと真希ちゃんのアゴに手を添えると、おでこに軽くキスをした。 

「ふゅううっ………………」 

湯気を立ててオーバーヒートを起こした真希ちゃんは、そのまま上体が前に倒れこんでしまう。 

私はバッグを手にすると玄関に向かって歩き出しながら、うずくまるように動けなくなった真希ちゃんに声をかける。 

「それじゃ、いってきます」 

「………………ふにゃぅ…………」 

丸まったままの真希ちゃんから、たぶん「いってらっしゃい」的な鳴き声がした。 

      ★ ★ ★ 

汐留の研修センターのさほど広くもない一室で、オリエンテーションを受けている。 
この派遣会社の中でも、セレブなお宅に一流の使用人として派遣し最高のサービスを提供する専門の部署があり、特別専任サービス部というんだそうだ。 

派遣先が竜堂関連ということで一緒に講習を受ける5人のメンバーも、別に同じ職場というわけではないみたいで、特に自己紹介とかいったものはなかった。 
とりあえず、この派遣会社の社員としての心構えなどの訓示やら、今後のカリキュラムの説明やらを受けた。私は、基礎的なマナーとか礼儀作法やある程度必要な職能は一通り出来るので、他のメンバーよりは比較的少ない。 

少ない……とは、言っても……結構、多いぞ?これ。 

お茶やお酒の知識、和装の着付け、エステ、護衛術、応急処置、薬物処方、サバイバル、英会話……などなど。大半は“いざという時の為”の講習なんだけど。かと言って、本当に“いざっていう時”が来て「うろ覚えで、できません」等とは口が裂けても言えないのだから、適当に覚えるわけにもいかない。 

竜堂家で試用期間が始まっても、どうやらスキルアップの講習は延々と続くらしい。「たとえ、使う機会のない技術でも、万が一にでも、それを求められた時に最高の結果を出さねば、一流とはいえない」と、いうのがウチの社の“特別専任サービス部”のポリシーなんだそうだ。 

これは、年末辺りから、かなりハードなスケジュールになりそうな気がする。かなり気を引き締めていかないと。 

基本的に、研修中の講師は、ウチの会社の教育担当かベテラン社員が受け持つ。外部のプロを呼ぶ場合もあるみたいだ。今日の場合だと美容技術の講師は「クローディア・葉山」という業界屈指のプロだそうだ。名前からしてハーフの人なんだろうか?勝手に金髪のモデルさんかハリウッド女優みたいな人を、イメージしてしまう。 

私が竜堂家の関係者──たとえば、上司にあたるような人と顔を合わせるのは、研修の後期の頃になるようだ。 

本日のスケジュールは、まず健康診断と身体測定、それから竜堂一族と財閥グループの概要や歴史などの派遣先の基礎知識の講習、そして夕食に併せてマナーや給仕の実技講習、1時間ほど各自の個人講習、そして最後が美容技術講習と、みっちりだ。 

オリエンテーションが終わり、一旦10分程休憩ということになった。 


同じビル内にある提携クリニックで健康診断やら身体測定。 
身体測定は、派遣先の家によっては、専用の制服……メイド服や執事服がオーダー品なところもあるので、事前に採寸しておく、という意味合いもある。 

私は身長160cm B88 W59 H90のEカップだった。体重?体重は……服の採寸には必要ないでしょ!? 

そして、次の講習は、竜堂一族と龍胆財閥の基礎知識というやつだ。 

もともと、竜堂家はその祖をたどると室町時代の公家筋に繋がる。もっとも、直系ではない。嫡男ではない三男坊が、出入りの商人の若者と組んで始めた海運業で大儲けをして、新たに商家を起こしたのが始まりとされている。“竜堂”姓を名乗るようになったのは、数代後のことだ。商号が“相州龍胆屋”で、後世に「龍胆財閥」と称することになる。つまり、竜堂の家名よりも、龍胆の商号のほうが古いのだ。 

家名と商号が同音異字なのか、初代“竜堂”を名乗った経緯までは講義の話題にはのぼらなかった。 

プロジェクターで映しだされている家系図は現在の時制に下る。 

竜堂本家の当主「竜堂剛」38歳。各界でも一目置かれる経済界の若手リーダーの一人だ。私でも、テレビの経済ニュースとかで何度か見たことがある。財界の感覚で38歳は「若手=まだまだヒヨっ子」というだけで、私の印象は、格好いいけどクールで怖そうなオジ様、という感じだ。寡黙で口数は少なく迫力のある人物だが、見た目に反して近しい者の間では、口で言わないだけでとても優しい気遣いの人だという評判なんだそうだ。 

妻の「碧衣」30歳。彼女の母がイギリスの貴族で父が日本人のハーフ。日本人の父親は貴族の家の婿。つまり、彼女は生粋の貴族のお姫様。とはいえ、父親の里帰りや長期滞在、日本に留学していたりで、ほぼ日本人とかわらない。日本語は堪能。ただし、家事全般には全く疎い。 

長男「北斗」9歳。私立悟桐学苑初等部3年。学業、スポーツなど全般において優秀。すでに社交界の間でも噂にのぼる程、容姿も優れている。まぁ、あの両親だもんね。金髪碧眼のかなりの美少年だ。 

長女「瀬梨華」6歳。私立悟桐学苑初等部1年──── 

──そう、この子が、私の本当の意味で、仕える“あるじ”。 

事前に知らされていた話では、この女の子は……並外れて問題児なのだそうだ。写真を見る限りでは、蜂蜜色の柔らかいブロンドに藍色の吸い込まれそうな瞳の超美少女なのだけれど。実態は、ワガママで凶暴。何人の教育係や侍女が辞めていったか。 

つまり、竜堂家のコネを使っても、この悪名高いお嬢様の側付きになるような奇特な人は殆どいなくなってしまい、専門の各派遣会社のベテランから中堅どころも既に敗退したのだそうだ。 

そうなってくると、竜堂家の方でも要求レベルが下がってきて、最終的には「娘の話し相手になるような女性。できれば、娘と少しでも歳の近い方が望ましい。経験、経歴は一切不問」となって派遣会社の方の一定の基準を満たしていれば十分という、何ともな処まで下がってしまったのだ。 

それでも、なかなか長続きする侍女は見つからず。見つかったとしても、高待遇に目が眩んで「お嬢様」を甘く見ていた輩が大半だったのだ。 

とうとう、白羽の矢が立ったのが「私」というわけで……まあ、会社としては「篠原の娘さんに少し期待」というのと「もう、ダメ元でもいいから万一アタリだったらいいな」くらいの人選なんじゃないか、と思う。 

ただ噂には背びれ尾びれが付いたり、あるコトないコトが盛られたりするのは世の常。 
私も、別れた男に結構なヒドい捨て台詞を吐き捨てられた事は度々あったりするし……その男の界隈で、私は相当なビッチになっているかもしれない。 


なので、このお嬢様に余計な先入観を持つのはやめておこう。なるべくフラットに。ナチュラルに。 
さて……どんな怪物お嬢様なのやら。 
しおりを挟む

処理中です...