乾坤一擲

響 恭也

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秀隆の婚礼と美濃の衰運

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 小牧の城は上へ下への大騒ぎとなった。ここひと月話題の中心にあった御舎弟様が天女のような美しい娘と、お日様のような明るい笑みの可愛らしい娘を、妻としますと宣言したのだ。
 そしてその妻となる娘の素性を聞いて、さらに驚愕の輪が広がっていった。
「であるか、当家と商家のつながりは深いからの。祖父も津島の商家と縁を結んでおる。今日の商家と縁を結べるのは良縁と言えよう。して、面を上げよ」
「はい」
 桔梗がその顔を上げる。信長はその面差しを見て固まった。
「帰蝶を呼べ!」
 控えていたお小姓が弾かれたように駆け出す。小半時ほどでほぼ部屋着の帰蝶が現れる。
「何用で御座りますか殿。わたくしにも対面というものが…って、えええええええええ」
 桔梗の顔を見た帰蝶が叫び声をあげる。
「父上! すぐに出ておいでなさい! すぐそこにおるのはわかっています!!」
 すさまじい剣幕で叫び出す。桔梗がす、と立ち上がりふすまを開け放つ。するとそこには妻女のおねにしがみつかれ、逃げようとぼやく油入りの老商人ではなく、山城守道三の姿があった。
 あまりの光景に場の空気が凍り付く。
 秀隆は信長に、道三は帰蝶に捕まって事情の説明を強要された。
「殿…父が生きていたこと、なぜ教えてくださらなかったのです」
 帰蝶が信長を問い詰める。普段のように言い逃れをしようとして信長が固まった。帰蝶はその双眸から滂沱の涙を流していたのである。信長は帰蝶の手を引いて隣室に消えた。そしてそのまま一刻ほど戻らなかった。
 とりあえず、木下兄弟の慌てぶりはすさまじいものだった。妹がどこかの武家に方向に上がったことは聞いていた。優しいお方で大事にされていると母から聞かされ、詳しくその奉公先を聞いていなかったことを激しく後悔していた。
 だが、妹が主筋の秀隆殿の側室に上がることを聞き、彼ら自身も秀隆の人となりをよく知るとあって、とりあえず母を連れて秀隆の屋敷に出向く段取りを考える。
 木下兄弟は小牧の城下に屋敷を賜っている。それも、今までのような小者頭の長屋ではなく、侍大将の門構えの屋敷であった。そこに母親をはじめとする一族親戚を呼び集め、同年代から年下の若者を配下に加えていた。そして彼らに支払う禄で、自分たちは相も変わらずの小者時代のような生活をしているのであったが、その実情を知った信長に褒めたたえられ、表立ってではないが、昇給の沙汰が下されている。

 信長が戻ってきたとき、すっかりと落ち着いた様子の帰蝶も連れ立っていた。若干着物が着崩れているのはご愛敬であろう。
「桔梗殿はわたくしの姪に当たるのですね」
「はい、帰蝶様。私には兄弟がおりませんでしたので、姉ができたようでうれしいです」
 この返答に信長と秀隆はお互い親指を真上に立てた拳を交わして称えあった。
「あらあら、うれしいこと」
 ころころと笑う顔はいまだ絶世の美女であった。
【どうじゃうちの嫁は。美しかろうが】
【ふ、うちのも負けておりませんぞ】
 どっかの兄弟はアイコンタクトで嫁自慢を始める。似た者兄弟であった。
 道三と帰蝶の話も終わり、清州の町に住まいがあることを白状させられ、たまに遊びに行きますということを承諾させられていた。
「わし、やっと隠居して嫁と二人きりになれたのに…」
 道三のボヤキは虚空に溶け、隣にいる妻だけが聞いていた。にっこりとほほ笑んで夫を見る目は慈愛に満ち溢れ、若い侍にもこのような嫁を娶れたら幸せに違いないと思わせる者であったという。

 永禄4年、4月。
 秀隆と桔梗の婚儀が華やかに執り行われた。お祭り好きの織田家当主の横やりで、小牧の住民に祝い酒がふるまわれる。秀隆は新たに黒田の地に築かれる新城の主となり赴任することが決まっていた。
 また内々ではあるが、木下家の縁者を招待し、あさひとの婚礼を執り行い、宴を張った。武家に嫁ぐ事への不安はあったが、正室の桔梗との仲の良さを目の当たりにし、なかも娘の幸せを喜んだのである。
そこで、織田安房守家に仕える家臣を募集したところ、なんかすごい数の応募があった。与力として木下兄弟の参加は確定しており、彼らと諮り直接会って採用を決めていったのである。
 浮野の合戦で没落した織田伊勢守家の家臣らが集い、彼らを中心に家臣団を編成する。また黒田の地は墨俣にも近く、川並衆との連絡もしやすい。というか、対美濃の最前線に立つことを意味していた。
 家臣団として麾下に集ったのは、堀尾盛豊と嫡子吉晴。元同僚ということで堀尾家に寄食していた山内一豊と弟康豊。山内家はもともとあった黒田城の城代を勤めていたため、現地の状況に明るい。
 秀隆は彼らを中核に軍を編成していった。岩倉織田家に仕えていた者を呼び集め、500の手勢を編成したのである。ほかに川並衆1000を指揮下に置いており、戦力としては兄信長に次ぐ人数である。
 当人にあまり自覚はないが、事実上織田家のナンバー2になっていたのである。

 永禄6年はこともなく過ぎていくようだった。新田を開き、街道を整え、盗賊の類は姿を消した。北伊勢での小競り合いはあったが、1000以上の兵が動くような事態は起きなかった。岩倉城が破却され、信広が沓掛へと転封となった。岩倉城下にあった集落などは秀隆に預けられた。犬山と黒田の2拠点で美濃を東西から浸食する方針が確立していた。
 美濃一色家は、斎藤の名乗りを叔父の家に残し、幕府相伴衆としての権威で何とか国をまとめ上げていた。東美濃の遠山氏は武田との兼官であり、半ば独立勢力となっている。
 実権は事実上後見の長井通利が握っており、当主見習いという実情に不満を持ち始め関係がきしみ始めている。
 菩提山城で当主交代があった。竹中半兵衛重治で、書を嗜む評判が伝わり竜興の近侍として召し出された。竜興に学問、軍略を講義しつつ、君主としての心得を説くが、自身の力不足を認められず、精一杯背伸びして力を示し、当主としてふさわしくなろうとした。それについては時が解決するものであったが、竜興は即座に力を示すことを望んだ。
 隣国の近江小谷では、15歳の浅井賢政が六角軍を破り、父を隠居させて実権を握った。その話を聞いた竜興は奮起して、自らの力を示すための出陣を要求するが、当然のように叔父に却下される。完全に子供のふるまいであったが、立場がただの子供であることを許さず、そして近づいてくる近親の斎藤飛騨守の甘言と讒言に乗せられ、家中の信頼を失ってゆくのである。
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