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文久3年

岩城升屋事件ってなんだっけ?(壱)

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(ほむろー。ちょっと薬草が足りないから薬研に補充してくれる?)
『うむ。さっきも3種類で良いな?』
(うん、よろしく)

 薬をすり潰す音、そして猫の足音だけが部屋に響いている。この部屋に、会話の音はない。

 だって、私とほむろのこれは、念話だから。周りには聞こえない。

(いやぁ!時間がすぎるのは早いねえ!)
『確かにそうじゃのう』

 今日もいつものように薬研を動かして薬草をすりつぶしながら、私はほむろに念話を送った。

 藤山診療所で住み込みで働き始めてから、もう1ヶ月以上が経過した。10月になって、季節もすっかり秋になっている。

(でもこれって旧暦の月なんだよね。西暦で言ったら何月だろう?)

 確か、1ヶ月先に進むんだっけ?あれ?違う?え。

『また何をわけのわからぬことを。文久3年10月は文久3年10月じゃ』

 1ヶ月以上は経過しているが、どうやらほむろには、私のいた時代の話題はいまだに理解できないようだ。

 まあ、200年後ぐらいの暦を理解しろなんて、そんな無茶ぶりは言わないけどね。

(この一ヶ月で、私の医学知識もなかなか増えたよ。この調子だと薬問屋とか開けそうな勢いだよね)
『お主、この一月で診療所の全ての薬の製法と材料を覚えたもんのう』
(これも一概に、九尾の狐の能力である"天才頭脳"のおかげだよ)
『ふん!妾に感謝するのじゃ』
(うん。5割ぐらい感謝してるかな?)

 残り5割は未だ迷惑しています。

 一ヶ月前に比べて、さらに多種多様な妖術を使えるようになって、そこそこ不自由ない生活は送れるようになった。そこは感謝してる。

 だが!五感とその他諸々が失われてる時点でもうひじょーに迷惑だから。

『最近、街ではもっぱら噂になっておるぞ。藤山診療所で絶世の美女が匿われている。どこかの深窓の姫君に違いない、とな』

 最近ほむろからよくこの噂を聞かされる。なんか街でひっそりと流れているらしいが、身に覚えは一切ない。

 美女?それ誰のこと?

(ほむろってその噂好きだよね。嘘っぱちだって何度も言ってるでしょうに)
『嘘ではないじゃろ。お主は一度鏡で自分の顔を見てみるべきじゃ』
(いや何回見ても普通の顔だよ。どう頑張っても)

 というか、まず見えないけどね。

『なぜにお主は自分の美しさを自覚せんのじゃ』
(だって、二十一世紀では普通の顔だったもん)

 本当に。

 薬学部に通ってた頃は、そこそこかわいいタヌキ顔、ってレベルで、生徒に混ざれば目立たないぐらいには平凡だったもの。

 むしろ私よりもっと美人な人とかいっぱいいたし。

 それがなんだってこっちの世界に来たらそんな美人伝説が出回ってるんだ?

 まったく………私の顔のどこにそんな美的要素があるのよ。
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