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【第二章】時を制する少女
玲子んちの屋敷にて
しおりを挟む当日──。
会社の物流部門の倉庫に赴くと、約束どおり白い軽トラが置いてあり、守衛さんがニコニコして俺を待っていた。
「開発部の人だね? これがそうだよ。しかし、さすが……だね」
「さすが、って?」
摩訶不思議なことを言われ、首をかしげつつも、俺は軽トラのドアを開けた。
「うなぁ────っ!」
いざ乗り込もうとして、俺は運転席の扉だけでなく、自分の口もぱっかりと開けてしまった。
「あんにゃろぅー。どうりですんなりナナと同乗する許可を出したはずだ」
そのクルマは運転席と助手席のあいだを鉄格子で仕切るという、屈辱の仕様を施された特注の軽トラだった。
「あのバカ。俺を猛獣かなんかだと言いたいのか? ちゅうよりこんな物に金を掛けやがって。守衛のオジサンも驚くワな」
これだから金持ちの考えはよく理解できねえっていうんだ。
守衛さんに向かって丁寧に頭をさげたナナは黒髪を風に泳がせて助手席のあるドアへ回り込み、嬉々として乗り込んできた。
「どうしたんです? 早く行きましょうよ。コマンダー」
ナナは軽トラの形態をよく知らないから、楽しげにドアを閉めているが。
ったくよ。左のバックミラーが見難くって仕方ねえじゃないか。
とか文句の一つも垂れたくなるが、それでもナナと二人きりだ。田吾と電車で行くよりは遥かにマシだ。
道路は郊外に向けて順調だし、渋滞も無く晴れ渡った青空は爽快だった。
「えーっと。この十字路を右折してください。6分23秒後、角にラーメン屋さんがありますのでそこを左折です」
「お前、玲子の家に行ったことあんの?」
「いいえ。初めてお邪魔すんるです」
「なんでそんなに詳しいんだよ。だいたいアルトオーネだって初めてだろう」
「あ、はい。初めてです。えっと。えっと……地図で調べています」
何かをごまかすような気配を感じたが、
「にしても6分23秒は怪しげだな。車の速度をもとにしないと距離から時間は出ないぜ。そこからだと鉄格子がじゃまでスピードメーターが見えないだろう?」
ほんと。なんで鉄格子なんだ。
「あ、はい。見えませんけど……。ワタシには解るんです」
「ま。アンドロイドなんだから速度計みたいなのモノもあるんだろな」
実際はそんなモノより、とんでもない物を装備していたんだが、それは後々(のちのち)でわかる。今はお待ち願おう。
少々して──。
「おおぉ。だいたいそれぐらいでラーメン屋が見えてきた。カーナビ要(い)らずだな」
やっぱアンドロイドはカーナビ付きに限るな。便利なもんだ。
「あ。ユウスケさん速度を落としてください。小さなお子さんが角から飛び出しますから」
「まさか。それも地図に書かれていたのか?」
疑問をもたげた、その直後。
「うぉーーっと。あぶねえな。マジで子供が飛び出してきたぜ」
ナナから先に注意されていたので難なく直前で停止できたが、ぼんやりしていたらえらいことになっていた。
「よかったですね」と明るい顔で俺を見遣ってから、
「これも地図に書かれていたんです」と締めくくりやがった。
「……………………」
どこの書店で買ったのか、ここは聞くべきかな。
さらにおかしな事を口にするナナ。
「あ~。この公園。よくユウスケさんと遊びに来たところだぁ。懐かしいなぁ」
「はぁ~~~?」
こいつは何をトチ狂ってんだ。俺の実家の近くではあるが、なんでお前と遊ばなきゃならん。
「おかしなこと言うなよな。俺とは出会って2ヶ月も経ってないぜ。それ以前は衛星イクトの裏側だろ。こんなところでお前と遊んだ記憶は無いぞ」
どこか変なのはいつものことだがなんだか気になる。もしかして記憶回路の故障かもしれん。
「ナナ。記憶デバイスのメンテナンスしなくていいのか? データに文字化けでもあるんじゃね?」
「あははは。大丈夫です。冗談ですって」
「ならいいけどさ」
靴の中に小石が混じったような違和感を抱きつつも、とにかく軽トラを走らせていたら、
「はい。ここからは一本道(いっぽんみち)です。このまま、あの丘を登ると見えてきます。玲子さんのお屋敷ですよ」
まじかよ。俺の実家からクルマで小一時間ほどの所じゃねえか。
まさかここの高級住宅街に住んでいたとはな。
昔からこの辺はお金持ちの集まった町だったのだが、俺んちとは格式が違うので近寄りもしなかった。にしても灯台下暗しとはこのことだな。
「ユウスケさんも初めてなんですか? 玲子さんのお屋敷」
「いちいち『お屋敷』って言うなよ。人間はな。家がデカければエライてなもんじゃねんだ」
そうさ。俺だってもういい加減大人なんだ。そんじょそこらの屋敷ではもう驚かねえぜ。どの程度なのか見極めてやろうじゃねえか。
「でも、すっごいお屋敷でビックリしましたよ……あ、ビックリするそうですよ」
「冗談こくな。確かにこの辺は金持ちの家が集まってるが、吃驚するほどの家は無いだろ。それも地図に書かれていたのか?」
「あ、はい」
バカコケ……。
ナナの冗談が俺の頭から吹き飛んだのは、丘を越えて反対側に回った辺りだった。
「おーい………………」
ずっと、塀(へい)が続いてんですけど。
あいつがセレブのお嬢様だとは聞いていたが、丘の裏にこんな敷地があったとは知らなんだぜ。
貧乏人は悲しいな。近寄ったことも無かったよ。
さらに十数分が経過して。
「いったいどこまで走れば門が出てくるんだ? しかも高っけえ塀だなぁ。もしかしてあいつは刑務所にでも住んでんのかよ」
そう言うのが精一杯の強がりだった。なにしろ玲子んちの敷地までは丘の麓から走って十数分で到達したが、門が現れたのは背の高い壁に沿って半時も走らされてからだ。ようやくでっかい鉄門の前に到着した。
「自動だぜ……」
カメラ付きの門柱の前にクルマを停車させただけで、天を突く巨大な門が後ろに開いていく。
そして息を呑む。
「なんだここ? サファリパークか?」
中に入ってまたまた仰天。鬱蒼(うっそう)と茂った森の中へと道が続いていた。
「クマとかトラとか出てこないだろうな……うお。樹齢何年だこの大木」
「すごいですね。自然がいっぱい」
「俺たちはキャンプに来たんじゃねえ……よな?」
やりたくもない森林浴をしこたまやり、走り抜けること十数分。ようやっと広い空間が目の前に開けたが、なんだろうこの込み上げる焦燥(しょうそう)めいた気分は。いつまで経っても生活感のある家が見えてこないのだ。
今、二つ目のテニスコートの脇を徐行中だ。さっきまで陸上競技ができるグランドの横を走っていた。
「この建物は?」
ナナが窓から指差す建造物。セメントの打ちっぱなしという質素な作りで妙に屋根が低く、正面の山を削った崖を背にして標的らしい物体を並べると言えば……。
「射撃場だっ!!」
マジかよ。
「あいつ、自宅に射撃場を持ってやがんのか」
銃の腕前もすごいという噂はマジなんだ。
「なら、あの建造物は何かの道場か?」
奥へ進むにつれ俺は呆れ果てて、ついでに叫んだ。
「なんだよここは! 総合スポーツセンターかよ!」
こんなところであいつはレベルアップを繰り返していたのか……。
俺はきっちり『つよくてニューゲーム』派のチート女かと思っていたが、成るべくして育った、って感じだな。
「すごいですねぇ。はて? どれが玲子さんのおうちなんでしょう? 交番行って訊いて来ましょうか?」
ナナが頓珍漢なことを言うのは仕方がない。途中からどこに向かってクルマを進めているのか、あまりの規模に圧倒され、目標を失っていたのは隠せない。
「さすがに交番まではないだろ?」
え? あんの?
ないよな。
あらためてキョロつくほどの豪邸だ。
まったくもって、貧富の差をこれほどまでに突きつけられたら人生やになるぜ。
交番は無かったが、案内板が立っていたのには驚かされた。それを頼りにようやく母屋が見えてきた。それでもまだ玄関先ではない。石畳が敷き詰めら幅広い通路が大きな庭園を突っ切っており、その先に、どか──んと広がった屋敷。城といっておこうかな。あれが玲子の自宅だというのか。開いた口が──もうこれ以上開かん。顎が外れるぜ。
ひとまず玄関に向かう通路の手前で、玲子と田吾が連れて来た男子2名と手を振っていたので、そいつらの脇へ寄ってゆるゆると停車。
「裕輔、お疲れ──」
私服の玲子は目映いほどの笑顔を振りまくが、俺はげっそりだった。
「お前さ。敷地内で遭難者とか出ない?」
渾身の冗談と嫌味のつもりだったのに、玲子はマジ顔でこう言った。
「むかし郵便屋さんが三日間迷って助けられたことがあったそうよ、でも最近はもうないわ。巡回しているもの」
「巡……回……」
恐るべし金持ちめ。
クルマが停車するや否や──。
「ナナちゃんだ! 可愛いぃぃ」
「すごい。こんな間近で見たのは初めてです。プロマイドよりも実物のほうが可愛いですね」
さっそくたかってきたな、ナナのファンどもめ。
「こらこら」
「あんたたち! 秘書課の許可なくしてナナに触ることは許さないわよ」
俺がせっかく忠告を入れようとしたのに、しゃしゃり出てきやがって。俺がナナの管理的責任を負わされたコマンダーなのだ。してから、ナナは秘書課の所有物ではない。
「わかっています。レイコ先輩」
「だいたいねー。あたしんちの敷地に入れるだけでも稀なことなのよ」
それは理解できる。サファリパークと総合スポーツセンターをどこかの樹海の中心地に作ったような屋敷は、ここしかない。
「はい。承知しています。明日、出社したら倶楽部のメンバーに報告の義務があるので後で、記者会見だけでもさせてください」
お前らは芸能レポーターか。
玲子にケチョンケチョンの連中だが、ナナに接近できるチャンスはめったにない。そんな幸運を抽選で掴んだ男子2名は、今年開発課に配属になった新人だ。同じ開発課でありながら、あまり部屋にいない俺とはそれほど面識は無いが、先輩連中に教えられているらしく、俺の重要任務を理解していて意外と丁寧な態度だった。
「先輩。いつもご苦労様です。どうですか? 社長の最近の動向は?」
「動向? ああ。今のところ変化無しだな。でも気を許すな。ほんの些細なところでも目ざとく見つけてひっくり返されるぞ」
「聞いています。油圧コントロールチームの設計がやり直しになったらしいですよね」
「ああ?」
そうなのか?
全然知らないけど……まさか知らんとも言えんので適当に繕っておけ。
「あーあれな。俺が先に知らせたのに班長が強行したんだ。そしたら社長の目に止ってな」
「納期もあるのにお気の毒ですよ。今日も徹夜らしいですよ」
「あのハゲチャビンは容赦なしだからな」
インテリっぽい銀縁のメガネを指先で押し上げて、もう一人の男子が言う。
「こんなに厳しい会社なのに誰もやめようとしない理由……。オレ、最近分かる気がしてきました」
「へぇ。何か悟ったみたいだな」
「ナナちゃんしかり、レイコ先輩しかり、芳江先輩だって女優並みじゃないですか。こんなに綺麗な女性が揃った会社って、そう無いですよ。やっぱ女の人は綺麗でなくちゃ仕事がはかどりません」
「ば……バカ!」
慌てて首根っこを引っ掴んで黙らせる。
「セクハラまがいの言葉を吐くな!」
顎の先で玲子を示し、
「あいつに聞こえてみろ、秘書課のオンナどもが開発課に押し寄せて来るぞ」
ヤツはナナと会話中だったが、ぎろり剣呑な視線がこちらに振られていた。
「パラボラアンテナ見たいな耳をしてやがんな」
「いーじゃないですか。美人に囲まれるんでしょ?」
怖さを知らぬ若造め──。
「生きた心地がしねぇんだぞ」
「ナナちゃんも来ますかね?」ともう一人が言い。
「レイコさんの怒った顔もステキです」
銀ブチ男子もバカなことをほざく。
「あんな。玲子が怒ると空気が裂けるんだぞ」
「またまた冗談ばっかり……」
「マジだかんな。近寄るな、死ぬぞ」
放射性物質かっ!
「レイコ先輩の鉄拳なら受けてもいいな」
「あー。オレ、寝技がいい。思いきり掛けてもらいたい」
「ぅ…………」
ったく、どいつもこいつもヘンタイそろいかよ。
俺なんか、両方交互に週一で受けてんだ。バカめ……。付き合い切れんぜ。さっさと済ませて帰ろう。
「それで先輩。ナナちゃんの好きな物は何ですか?」
玲子から近づけないと思って、俺から攻めようってのか?
「あいつに好きなモノは無い」
「そんなこと無いでしょ。人間なんだから一つや二つ」
「人間じゃねえよ」
「え?」
「あ──っと。ブラックボックスって言う意味だ。謎だな、ナゾ。入力と出力があるだけさ。諸君なら解るだろ?」
「なるほど。わかりやすい例えです。つまり入力と出力の関係からその構造を推察して好みを探れと言うことですね。先輩。勉強になりました」
「帰ったらさっそく組み合わせアルゴリズムでも考えて質問内容を考えよう」
「そうだな。ナナちゃんの好み検索エンジンか。オレの得意分野だ」
それだけ回りくどいことが好きなら、シロタマの報告モードでも紹介してやったほうがいいな。
ひとまずファンクラブの連中が納得したので、さっさと仕事に戻る。
「で? 玲子、どれを運べばいいんだ?」
持ち帰る家具類はあらかじめ男連中が倉庫から出しているはずなので、トラックに詰め込めばいいだけなのだが。
玲子の指示によって、格納庫みたいな倉庫の前に車を移動させた。航空機か列車の整備が可能な規模を誇る建物だった。
その前に積み上げられていた荷物を凝視したのは俺だ。
「んだよ、これ?」
今日何度目の絶句だろう。喉が無性に渇いたぜ。
「これって、お前の嫁入り道具じゃね?」
「冗談言わないでよ。子供の頃から使っていたお古よ」
「な! これが、お古なの?」
ほんと喉が渇くなぁ。
鏡台に食器棚、高級クローゼット三点と布団、洗濯機や冷蔵庫に……電子レンジ。
「軽トラにこれだけ物が積めるのか?」
ビビったぜ。これではまるで引越しだ。
「裕輔。も少しクルマをこっちに寄せてよ」と玲子が手を振り、
「あーいいぜ」
移動させようと運転席へ向かう俺。
「てぇぇ──っ!? ナナ、片手でクルマを引き寄せるんじゃない!」
荷台の縁を持ってズルズル引き摺り、地面にタイヤの筋が入っていた。
驚いて目を剥いている場合ではない。急いで森の奥を指差す。
「あ──っ。みんな見ろ!」
「え?」
「諸君。ブラキオサウルスが森の向こうを歩いてるぞ」
「ほんとダすか?」
田吾までで釣られて振り返る。そのあいだに俺はナナに説教だ。
「お前は手を出すな。クルマは俺が動かす」
「どうしてですか? このほうが早いですよ?」
「あ……あのな。えっと、地面が掘れるからだ」
そういう理由からではないが、咄嗟にそれしか思いつかなかった。
ゆったりとした時が過ぎ──こっちはのんびりしてねえぜ。土の上に残ったタイヤの跡を足で消していると、銀縁メガネの男が振り返った。
「恐竜が歩いてるわけないですよ。先輩!」
当たり前だ。
「さぁ。男性諸君。ナナの前で強い男を演じるのよ!」
俺の苦労など微塵も察してくれず、玲子は楽しげに声を張り上げた。
「ほらそこのメガネ! じゃんじゃん積み込んでいきなさい」
「あ、あの。オレはマウスより重い物を持ったことが無いので……」
「ボクも指を怪我すると、業務に支障が出ますので、この辺りが適度かと……」
おいおい。戦力にならんヤツを連れて来たもんだな。
「あのねぇ。洗面器や洗濯パンなんか最後にしなさいよ」
玲子が怒りだすのも当然だ。
「抽選ダすからな」と言う田吾は滝のような汗を垂らし、疲労感立ち込める青白い顔。
どうやら倉庫から出すのもこいつが一人でやっていたようだ。
人の良い田吾をとっ捕まえて問いただす。
「どんな抽選をしたんだ?」
「ナナちゃんのプロマイドに抽選券を入れたダ」
「それって無料(ただ)じゃねえだろ。この野郎、副業やってんのか?」
田吾はぬけぬけと言う。
「社長にバレたときの保険ダすよ。お金になるって言ったらどうなると思う?」
「そりゃ即効で認可されるだろな」
「ダすよな」
なるほど。ブタの割りに賢いじゃねえか。
「俺も便乗させろよ」
「だったら、積み込むのを手伝ってくんろ」
「しょうがねえな。手伝ってやるよ」
何のために活きのいい連中を集めたんだろ。情けなくなってきた。
「あ、それじゃワタシも手伝います」
とか言って、いきなり三点クローゼットの中でも最もでかいヤツをひょいと持ち上げるナナ。
「うわぁぁ! ちょっと待て! 一回下(お)ろそう」
飛びついた俺まで一緒に持ち上げており、とんでもなくおかしな格好になっていた。
「バカ、力の入れ過ぎだ! クローゼットと一緒に俺まで上がっちまったじゃないか! お前は手を出すな。あいつらみたいに小物を運べ、小物」
小声で怒鳴ってようやく地面に下された。
詰まるところ。抽選で呼び寄せられたナナファン倶楽部の二人は洗面器と洗顔道具の入ったケースを持ってウロウロするだけ。最終的に玲子の嫁入り道具一式は俺と田吾で積み込むこととなった。
「嫁入り道具じゃないからね!」
何度も念を押さなくても、お前に不必要なものだと言うのは重々承知しているぜ、玲子。
は──疲れた。
応援ありがとうございます!
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