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本編

第十五話   ☆リインカーネーション(2)※

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 呼び名をつけた夜以来、ゲツエイはときおり、トーマスに姿を見せるようになった。

 トーマスが悪夢にまとわりつかれていると、必ず起こしに現れる。
 けれど一度も他者に見つかることはなく、ゲツエイの存在には、トーマス以外誰も気付いていないようだった。




 ふたりが出会ってそれなりの年月が過ぎたある日。
 トーマスが城の二階を歩いていると、後ろから誰かに突き飛ばされて、そばの階段から落ちた。

 宙を舞う間に見えたのは。
 積み重ねた価値が、上り詰めた位置が、軽く奪われ灰燼かいじんと化すビジョン。
 どんなに努力を重ねても、どんな高みに登っても、相手のほうが強かったなら、落とされるのはほんの一瞬。自らを守る力がなければ。誰よりも、強い力が。




 幸いにも怪我は片足の捻挫だけ。手当をうけて、すぐに部屋へ戻れる程度で済んだ。
 部屋でひとり視線を落とせば、瞳が映すのは、痛みを具現化した白い包帯。

「今夜はうなされそうだ」
 周囲の何もかもが、陰鬱で、憂鬱で、億劫で。
「邪魔をする奴はみんな消えてしまえばいいのに」
 空中に呟いて、そのままベッドへ沈み込む。不確かで物足りない柔らかさ。もっと、強いものが必要だ、と思った。でなければ悪夢は止まないだろう。


 その夜、トーマスが夢にうなされても、ゲツエイは起こしに来なかった。




 翌朝。まだベッドから抜け出せないでいるトーマスの元へ、城の使用人が駆けつけた。

「トーマス様。王様からの伝言です。落ち着いて聞いて下さい」
「何事だ?」

「じ、実は、ハイブ様がお亡くなりになられました」

 ハイブ。それは、トーマスの兄の名。

「昨夜、何者かの手によって殺害されたらしく。現在ポリシア警察機関が捜査中です。危険ですから、許可が出るまではお部屋から出ないようにと。それ以降の詳細はまた追って伝えるとのことで。ひとまず数時間は……」

 続く情報を飲めば飲むほど、使用人の声がだんだん遠くなる。半分血の繋がった兄の訃報も、ベッドの上では、どこか他人事。噛んでも噛んでも味がしない、無味無臭の話。

「分かった」
 と、一言返せば、使用人は部屋を去る。

 内側からドアに鍵をかけて振り返ると、部屋のまんなかに黒い影。

「珍しいな。こんな時間に」
 近づいて、いつもと様子が違うことに気付く。
 
 臭いがする。
 普段は不自然なほど無臭のゲツエイから、強い、臭いが。

 どこかで嗅いだことのある――この臭いは、血? それと……。

 何が起きたか理解して、トーマスは目を見開いた。

「ゲツエイ……お前が……やったんだな」

 確信を持てば、ゲツエイは肉食獣らしく大きく口を開いて、発達した犬歯を見せた。


――肯定。


 その瞬間。
 トーマスのなかに湧き上がる、この原始的な感情は!
 歓喜。恐怖。安堵。高揚。苛立ち。決意。興奮。鮮やかに!

 

「邪魔をする奴は消えてしまえばいいのに」
 たった一言、それが引き金。力はすでに手中にあった。震えがおさまったなら、銃撃はもう止まらない。

「よくやった、ゲツエイ。けどこれからは無闇に殺すな。やりすぎると怪しまれるからな。俺様が指示を出したときだけにしろ」
 
 ゲツエイはコクリと頷いて、瞬くあいだに影へと戻った。血痕一滴、足跡ひとつ残さずに。




 バレる心配は無かった。
 
 ポリシアの手がゲツエイへ伸びることは無いだろう。誰の目にもとまらない透明な弾丸。存在が無いものの犯行を、証明できるはずが無い。
 事実、ハイブ殺害事件は迷宮入りすることになりそうだとトーマスの耳には届いた。


 あとは戦略をたてるだけ。ひとつずつ綿密に計画を練り、確実に敵の息の根をとめてゆく。十の弾は狙い違わず見事に的をとらえ、最後の一撃を放ったそのとき。

 トーマスはついに、確固たる王となった。




***

『あるひのこと すばやいはりねずみと ももいろのまるが であいました。

「きみは ぼくから にげないんだね」
「どうして にげなければ ならないのか」
 ももいろのまるは とてもやわらかいので とげとげが いたくなかったのです。

「ぼくは おなかが すいている」
 ももいろのまるは すばやいはりねずみに いいました。

 すばやいはりねずみは ひとりでたべきれないぶんの たべものを ももいろのまるに あげました。

「たべもの もっと ほしい」
 ももいろのまるは いいました。

「いいよ ぼくは たべものをとるのが じょうずだから おともだちになってくれたら まいにち たべものを あげる」
「おともだち なる」

 そうして まいにち にひきは いっしょに すごしました。
 すばやいはりねずみは ももいろのまるのために たべものを とりました。
 ももいろのまるは ごはんのときいがいは すばやいはりねずみのとなりで ただ だまってじっとしていました。

 でも それでよかったのです。
 やわらかくて あたたかい ももいろのまるが となりにいるだけで すばやいはりねずみは しあわせだったからです。

 こうしてふたりは おともだちとして ずっと しあわせに くらしました。

 おしまい

――あなたにも、大きな愛で包み込んでくれる人との出会いが、訪れますように。』


***

 お部屋のなかですることがなくて、カミィは絵本といっしょにだいじにしてる薔薇を両手でこちょこちょ。
 ずっと元気な真っ赤なお花が、指のあいだでくるくるまわる。
 薔薇をくれた王子様のお姫様になりたくて、なれなくて。かわりにおとなになってみたら、毎日悲しい味がする。

「おとなじゃないものになりたいな。どうしたら良いんだろう?」
 別の何になれば良いのかわからなくて困っていると、着替えを持ってきたメイドが絵本を指差した。

「あら? その絵本は……トーマス様にいただいたのですか?」
「ううん。おうちから持ってきたんだよ」
「お好きなんですね。その作者は、トーマス様のお母様なんですよ」
「ほわぁ? じゃあ、これを書いたのは王妃様?」
「いいえ。トーマス様のお母様は貴族ですらありませんでした。トーマス様は城下で誕生され、物心つく前にお城に引き取られたのです」
「トーマス様は、ママを知らないの?」

 メイドはちょっと悲しそうな顔をして、
 
「ええ。トーマス様はお城にひきとられたあと、ご兄弟から、母親の身分のせいで随分辛くあたられておられたのです。王様もご多忙でしたから、お気づきになることも無く。ですので、幼い頃からおひとり、熱心に学業に励んでいらっしゃいました」
「ひとりで……」
「ですが今は王様になられて、国をおさめられている。度重なる不幸で王家の方々が亡くなられ、最後のおひとりになったのに泣き言ひとつ言わず、本当に立派な方。幸せになって頂きたいと思います」


 メイドがお部屋から出ていったあと、カミィはベッドに座って、もう一度絵本を見てみる。

 ずっとひとりぼっちのはりねずみ。絵本のなかで、すばやいはりねずみは、さみしいって思ってた。
 トーマス様のママは、トーマス様がお城でひとりぼっちだったって知ってたのかな?

「あっ! そうだぁ!」

 カミィは薔薇を手に、おもちゃ箱から写真フレームを探す。
 見つけたフレームに大きな薔薇の花を全部そのままいれて、いつでも見えるところへ置いた。

 王子様がいないから、お姫様にはもうなれないけど。それじゃあ次になりたいのは、おとなじゃなくて。

「わたし、ももいろのまるになろう」

 そのためにできること。
 最初は、はりねずみさんとお友達になるところから。

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