アカネ・パラドックス

雲黒斎草菜

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【第三章】追 跡

  底が抜けた酒樽オンナと眠れる美少女  

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 1時間ほど掛かってクルマはとある岬に到着した。昔から海水浴ができる砂浜が近くにあって小規模だが観光地となっている岬だ。

 ほとんどシャッターを閉じた十数件の土産物屋が並ぶ小さな通りを抜けると、ひと山越えて道はビーナスラインに出る。そこから心地よい揺れに体を任せること数分で、岬の先に突き出した崖に差し掛かった。

 黒い海と少し色の異なる暗い空の境目に、船舶の光の粒をまばらに並べた景色。それをぼんやり眺めていたら、
「ここですぜ」
 ハンドルを握った手から、人差し指だけを伸ばして示した人気(ひとけ)の無い建物。マンションというよりは城に近い威容を誇る立派なものだった。

 駐車場へとヤスはクルマを滑り込ませてブレーキをかける。
「さ、着きやしたぜ、あにい」
「ぬぁぁにぃ。もう着いたの? はえ~じゃぁねぇぇぇか~」

 玲子はマサの頭をポカリとやって、
「ほらマサ。しっかりしてよ。アレだけのワインでもう酔ったの?」
「アレだけじゃない。10本近く空けてんだ。誰だって酔うワ」
 呆れ口調で言い返す俺は素面(しらふ)のまま。しかも対策案は白紙状態。

 当たり前だ。後ろから寒風がびゅーびゅー入ってくんだ。お前は毛皮のコート羽織っているけど、俺はなんも無しで寒くてアイデアなんか出て来るもんか。

 先に降りたマサはふらふらしながら数歩進んで、
「おりはよぉ。よおおっていまへんよ。ほらあねご。ね。しっかりあるけるれしょ。ん? あねご? 硬いっすね。どうしたんすか?」
 って、おい。壁に向かってなに言ってんだこのオッサン。

「ねぇぇ。よぉおぅぅってぇぇ?」
 もう一人酔っ払いがいたのを忘れていた。

「でも……」とヤスは切り出して、
「姐(あね)さんは酒強いっすね。美人でいくら飲んでも乱れない。憧れるなぁ」
 玲子を熱い視線で見つめた。

「あら、嬉しいわね。注いでくださる?」
 まだ飲む気かよ。

 駐車場からエントランスまで続く植え込みの隙間で見つけたベンチに腰掛け、再び宴会が始まろうかという雰囲気だったが。

「ここは寒いし暗い。部屋に行って朝まで飲めばいいですぜ」

 朝までいねえよ。

「ワインあるの?」
「ありやすぜ。あにいはワイン党ですからいくらでもありやす」

「じゃ行くぅ」
 ベンチから腰を上げた玲子はグラス片手に毛皮のコートをひらり。ミニから白い美脚を大胆に曝け出し、大人の色気を満たした妖艶な雰囲気を一段とアップさせて、俺であってもドキドキする。

「おいおい……」

 クルマの中で「魅惑的なあたしの作戦を見てて」と小声で宣言していたが、自分で魅惑的なんて言うところが胡散臭いんだけど、まぁ嘘は言ってない。真実なのがちょっと悔しい。

 さらにわざとらしく長い黒髪をほぐし、風になびかせて。あーあ。いい香りだ。
 ちょっとやり過ぎのような気がしないでもないが。でも、小魚は餌を突っつき始めていた。

「姐(あね)さん……」
 玲子の蠱惑的(こわくてき)な姿にヤスは溜め息混じりでうっとりと見惚れ、すっかり伸びた鼻の下をおっぴろげていた。

 恥ずい奴だぜ──釣られるとも知らないで。
 ウキの下にぶら下がったミミズに集まる魚の気が知れんね。そんなもの匂いだけなんだ。中身はな……俺なんて……。

 色々と苦悩に満ちた日々が浮き出て来て、それを思うと急激に肩が重くなってきた──と感じ始めたのは、茜がこっちに寄りかかって来たからだ。ほとんど俺が引き摺るようなもんだ。

「おい。みんな、ちょっと待ってくれよ」

 正確に言うと茜の体重は問題ではない。こいつが肩に担ぐ銃がクソ重いのだ。さっきから滝のような汗を垂らして、俺はフラフラしながら茜をアシストするのに四苦八苦だ。

「アカネー。じゃない、シズカ。頼むから自力で歩いてくれよ。俺にはこの銃を持つのは無理なんだ」
「あるいてまふよー。はい。おいちにー、おいちにー」
 粒子加速銃のボディが、マンションの壁をガリガリと擦って深い溝を掘っちまった。

「知~らね」

 マサはマサで、まっすぐに歩けば数秒の道のりをあっちでごつん、こっちでごつんとジグザグに進む姿はまるでピンボールの転がる道筋みたいだ。

「あにい。こっちですよ」

 ヤスは辛抱強くそれを誘導し、その後ろをワイングラス片手にちびりちびりとやりながら玲子が追う。

 俺はというと、動きの鈍くなった茜を引っ張り、
 ──ん?
 黒っぽくて得体のしれない物体が後ろから追従して来る気配を感じて振り返った。

「ぬぁぁっ!」と、目を剥く。
 根こそぎ引き抜かれた街路樹が銃のストラップに引っかかっているのにもかかわらず、茜はそれを平気で引き摺っていた。
 急いで絡まった枝葉を引き千切り、ついでに茜の頭を一発小突きつつ、汗だくでエレベーターを目指す。

 この苦しみを簡単に表現すると、ガソリンが切れたクルマを押す気分だな。夜中にやるには相当きつい。助けを求めて玲子を睨むが無視だし。

 エレベーターの前で俺と茜を待っていた一同に、さっきからずっと気になっていたことを訊いてみた。
「なぁ。このマンションには他に人が住んでいないのかい? やけに森閑としてるよな」

 ヤスは、ああ、とうなずいてから、
「ここは御大が脅し取った物件で住民は全員追い出されたんす。間もなくぶっ潰してリゾート地にするらしいです。海も近いしい景色もいいし……」
 脅したって……。まともな商(あきな)いしろよな。

「じゃあ。住んでるのはあんたらだけなのか」
「そうっす。それも今日までで、明日からオレらお城暮らしさ」

 高い塀で囲まて、オリ付き鍵付き、看守付きな。

「あぬにぃ~。のふぁ~」
 フラフラになった茜が何か訴えるが言葉になっていない。俺が支えないと立つこともできない状態だ。

「こんなに嗅がせやがって……えらい酔ってるぞ」
 一滴も飲んでいないので、嗅がせた、が正しい。なははは。

 ビィィィィィィィィー。

 エレベーターに乗った途端。耳障りな音が鳴り響いた。
「重量オーバーだ。誰でやんすか? 姐御ですかい?」
 つまらんよ、ヤスくん。面白くもなんともねえな。重量オーバーは粒子加速銃に決まってんだろ。

「やす~。うるせぇろ~。おれが黙らひてやるからな~」
 ふらふらしながらマサは懐から拳銃を出すとブザーを狙って撃った。

 大きな音がマンション中に響いたが、この辺りには民家は無いからこいつら気にもしてない。遠く岬まで渡った銃声も岩に打ち寄せる波の音でかき消されるのだろう。

 しかも酔っているくせにちゃんと当たるからすごい。一瞬でエレベーターを黙らしてしまった。

 でっかい銃声が轟き、思わず首をすくめていた俺の前で、
「センサー解除でいきやすね」と言って、ヤスは停止階を示すパネルを外して、奥のほうへ手を突っ込んだ。
「よし。これでいい」
 その言葉に従ったかのように、エレベーターの扉が閉まった。

 安全装置を外して大丈夫なのかと、不安に駆られて天井を仰いでいたら、クンと体重の変化を感じた途端。どんっと落ちた。
 衝撃はほとんどなかった。落下したというよりは、昇りかけたカゴにワイヤーが耐え切れず、即行でブチ切れた、そんな感じさ。

「あー、あにい。ワイヤーが切れやした」
 ヤスは平然と言うが、ワイヤーが切れるなんてことあるのか?
 俺と玲子はすかさず茜が担ぐ物体に鉛色の視線を振った。

「ボロいエレベーターだぜ」とか言って、ヤスはマサを連れて階段へと向かい、その後ろ姿を恨めしそうな目で見る俺。
「アカネを連れて階段を行くのか?」
 どっと疲れが出たのは、言うまでもない。



 ひーひー言う俺の後ろから涼しい顔をしてついて来る玲子を睨みつけながら、
「いつまでも飲んでんじゃねえよ」
 苦言めいた文句を垂れてやるが、ヤツは気にも留めない。

「早く、お前の作戦を遂行しろ!」
 玲子は小声で怒鳴る俺の目を見つめたまま、小さな舌をぺろりと出して、またひと口、ワインをぐびりと流し込んだ。

 このヤロウ。挑発しやがって。舐められたもんだぜ。
 それにしても、飲み始めてから一度もグラスを放さないなんて、呆れた奴だな。


 噴き出す汗を拭い、茜と粒子加速銃を3階まで持ち上げた俺の前に現れたのは、3LDKの普通の一室だった。

 他に誰も住んでいないというのは本当のようで、ところどころ玄関が開けっ放しになっていて、真っ黒な洞穴が並ぶようだ。こんな不気味な場所に住んでいて、よく平気だと思う。


「へい。あにいはここに座って」
 ヤスは面倒見がいい。へべれけのマサをちゃんとソファーに座らせて、俺たちにも気さくに接してくる。
「男所帯で汚ねえトコですが、ゆっくりしてくだせえ」
 その割にきっちりと片づけられていて、意外ときれいな部屋であった。

 粒子加速銃を担いだ茜を長ソファーに座らせたところ、座席が信じられない変形をしてギシギシと軋んだので、慌てて銃だけを後ろに隠させた。

「これなんれふふぁぁ~。うごかないれすぅ」
 何と勘違いしたのだろうか。椅子が動くはずがないが、茜は執拗にひじ掛けの辺りを突っついては、
「ありゃ。ろうしてうごかないのれすか?」
 意味の解からない言葉を繰り返していたが、椅子は動くものではない。酔っ払いのたわ言であろうと思われる。

 ま、それはそれとして、茜は何度か首を傾けていたが、そのうちうつ伏せに倒れて眠り込んでしまった。


 とりあえず一休みだ。近くの椅子に体を沈ませる。極上の座り心地に感心する。こいつら悪銭をこういうところに使うんだ。
 悔しいような、羨ましいような気分で部屋の設えを見渡す。

 正面に鎮座するでっかい画面のテレビ。海外製の豪奢(ごうしゃ)な食器が並んだキャビネット。白で統一された家具が並び。どこが汚いっていう話なんだ。汚いと言うのは俺とか田吾の部屋みたいなのを言うんだ、いやほんと。


 玲子はうつ伏せになった茜を仰向けに転がし、毛皮のコートを脱いで上から羽織らせた。自分は深くソファーに座ると、おもむろに脚を組む。それは照明の光を妖しく反射させたセクシーなクロスだった。

 ヤスの目が派手に泳いだ。
 そりゃそうだわな。健康な男子たるものそれでいい。俺だって一瞬、視線を彷徨わせたが、後の仕返しが怖いので見つかる前に逸らした。本当ならばムシャブリつきたいところだね。

 そんな俺に玲子が目くばせをするので、ヤスが用足しに立ったのを見計らって近寄った。するとやけに色っぽい仕草で俺に口元を寄せて言う。
「あたしの魅惑的作戦がうまくいきそうだわ。いい? あの男の相手してるから、あなたはダイヤを元の場所に返して来るのよ」
「ええ? 俺ひとりでか?」

「外に出たら携帯でタクシーを呼べばいいわ。飛ばせば銀行まで往復2時間もあれば帰ってこられるもの」

「だけどよ、アカネをこの酒臭い部屋に置いておけば、いつまで経っても酔いが醒めないぞ。酔ったまま反転転送されるのがもっともまずい。社長に何を言われるか」

「そうね。じゃ、歩ける程度になんとか覚まさせて、一緒にタクシーで行きなさい。この時間帯だったら酔った女の子と一緒でも珍しくもなんとも無いわ」
 と言いつつも、
「寄り道したらダメだからね!」
 酒臭い息と一緒に怖い顔をした。

「どこへ寄るってんだ。俺の人生が掛かってんだ。変なことを言うな!」
「あなただから言うんじゃないの」

「うっせぇ。俺は田吾じゃねえ」

 玲子はふっんとまたもや酒臭い息を俺に吹っ掛け、
「男なんか、みんな同(おんな)じよ」
 その言葉を受けて、俺は寸刻、玲子の目を見る。

「お前、過去に何かあったの?」

 玲子は呆気に取られたように目を丸めて、
「あるわけないじゃない! 早くアカネを何とかしなさい!」
 厳しい声だが、ヒソヒソ話はまだ続く。

「何とかって? どうすんの?」
「あなた開発課の人間でしょ。アンドロイドには詳しいんじゃないの?」
「管理者製のアンドロイドなんか知るかよ。リロードボタンすらねえんだぞ」
「あたしは秘書課よ。もっと知らないわ」

「あ──。逃げたな。こいう時だけ秘書課に戻りやがって」

「とにかくアンドロイドのメンテナンスはあなたの役目でしょ」
「だから。こいつらのメンテナンスは……」

「難しそうなお話しの途中、すみやせん」
 ヤスが割り込んできた。

「わ~~お」
 吃驚(びっくり)して俺は口ごもり、玲子は黙って目をつむった。

「と……とにかく部屋の隅を借りるぜヤスくん。シズカを寝かせるから」
 ヤスはさっと直立して、
「奥の寝室を使ってくださえ。オレらはこのマンション全部が自分の家ですので、使い放題なんだ。奥の寝室だって誰も使っていやせんから、気兼ね無しでどうぞ」

「だめ。この子は大事な舞黒屋の商品なの。こんな下衆な男と二人っきりにするのはあたしが許さない。そのソファーの後ろでいいわ」
「えらい言われようだな。俺をチカンかなんかと思ってんのか?」

「それ以下よ」

 あー。腹が立つ。
 何が《あたしの魅惑的作戦》だ。お前はひたすら酒を飲みたいだけじゃないか。

 ヤスは、あまりに無下な言い方をされて言葉を失った俺をかばうかのように、
「シンスケの旦那がそんなお方ではないことは目を見りゃわかります。じゃぁ。こっちの隅に毛布でも引いておきますので、大師匠をお休みさせてくだせい」
 チンピラのくせになかなかできた青年ではないか。この鬼瓦女(おにがわらオンナ)よりすいぶん人間ができているぜ。

 玲子はふんっとか言って、自分でワインを開けるとグラスに八分目まで注ぎ足し、俺はその行為を横目で睨みながら、茜を部屋の隅に移動させた。

 こんな酒臭い部屋で、どうやってこいつの酔いを醒まさせろってんだ。
 文句タラタラ。俺の憤懣はもうすぐ爆発するところだった。
  
  
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