アカネ・パラドックス

雲黒斎草菜

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【第三章】追 跡

  タクシーで繰り出そう  

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 これまでのちんけな人生をひっくり返してセレブの仲間入りができたかもしれないとこだったのに……悔しいったらありゃしない。
 この悔しさを言い表すとしたら──森を歩いていると湖があったんで、小石を投げ込んでみた。すると中から女神様が出てきて、金、銀、オパール、ダイヤモンドのオノをずらりと目の前に並べて、全部やるからここまで泳いで来いと言われたのに、自分はカナヅチだったので行けなかったようなもんだ。

 なに?
 解りにくいだって?
 そうさ。こんな理解不能な悔しさはこれまでに味わったことない。37億7300万だぜ。

「あー。もったいないコトしたかもなー」
 我ながらちょっとシツコイとは思うが、その賞金は天文学的な数字なんだ。

「はあーーぁ」
 溜め息混じりにエントランスの豪華なガラスドアを開けた。そこから吹き込む乾いた風を顔面に受けながら、力なく外の景色へ視線を巡らせる。磨き上げられた巨大な一枚ガラスの向こうに、何台ものタクシーが並んでいた。

「あの小型の宇宙船はどこから来たんですか?」
 茜はそれに興味が湧いたようで、その中の一台を指差した。

「あ? あぁ、あれは空を飛ばないんだ、地面を這って移動する乗り物でお金を払って目的地へ運んでもらうクルマで、タクシーっていうんだ」
「たくし、ですか…」
「タクシーね……これは語尾を伸ばしていいんだぜ」
「たくしぃぃぃぃー?」
「今度は伸ばし過ぎだねアカネ。お前と付き合ってたら虚しさ倍増だよ」
 はぁあ。疲れるぜ、まったく。

 外は黄昏だった。ようやく傾きだした太陽は赤とオレンジのグラデーションで辺り一面を染めていた。
 真紅の太陽は若々しく、超新星爆発前の赤黒く淀んだ死に逝く前のガイアとは異質のもので、力強い夏の夕日が街の喧騒を深く包み込み、熱くざわめき合っていた。

 俺たちの正面にはホテルのスロープが交差点に向かってなだらかに合流しており、そこでは何十台ものクルマが行き交い、観光客でごった返した歩道がクロスするアルトオーネとなんら遜色ない光景があった。

「ぁぁん…」
 茜が小さな声を漏らした。
 少し怯えたように俺の袖にしがみ付き、身体を寄せて来ると物言いたげにじっと俺の顔を仰ぎ見た。

「何だよ?」

 茜は短い銀髪をふるふると揺すって、
「こんなに大勢の人と乗り物が同時に行き来するのは想定外なの。衝突が起きないルートを計算するのに時間が掛かり過ぎて、歩けましぇん。衝突判定処理がオーバーロードしそうです。どうやって回避コースを計算してるんですか?」

「あぁ? しち面倒臭いことを訊くなぁ? こいつ、何が言いたいんだ、ユイ?」
 未来体へと助けを求める。

「事故が起きないのは、皆が秩序を守って動くからよ。でたらめに動いていないから、すべての物体、生命体との動きを処理、計算する必要は無いの。まずはクルマの動きをルール化しなさい」

 さすがに450年分多くの学習をしているだけに、茜の教師としては優衣が最適だ。俺には当たり前のこと過ぎて、どこを疑問に思うのかさえ、解らなかった。

「なるほど、そういう意味か……。よく見てみなアカネ。クルマは歩道には上ってこないし、進行方向が変わる時はあらかじめ合図を出すんだ。人も前後左右のある範囲しか衝突検知をしていないだろ?」
 意味が通じたのだろう。透明で純粋な目を俺に注ぐと、にっこり笑ってからゆっくりと周りを見渡した。

 ついでに補足しておく、
「それと前みたいに、全員の顔認識をする必要は無いからな。記憶デバイスを無駄に使うなよ」
 俺の忠告にうなずく茜を見て、優衣は自分の思い出を語るみたいな口調で言う。
「ドゥウォーフの開拓地は乗り物と人がこんなに接近することもなく、広くていつも静かでした」

「そうか。お前の記憶でもあるんだったよな」
 理解したつもりだったが、なかなか浸透しない。

「それでさ。どこ行く? ギャンブルはダメよ」
 と、またもや念を押す玲子。

 ギャンブルで得たあぶく銭はギャンブルに返すのが一番いいのだが、そんなことしてさらに増えたら困るし。
「あぁ。こんな心配したことねえぜ」
 なぜか知らないが、短く刈り込んだ頭をガシガシする。
 だんだん短髪に慣れてきた自分にちょっと驚く。

 関係無いか…………。



「こういう時は、タクシーの運転手さんに訊くのが一番よ」
 という玲子の意見に賛同して、俺は近くで客待ちをしていたタクシーに歩み寄り、運手席のガラス窓を軽く叩いてみた。

 しゅっと開いて、細長い顔の男が首を伸ばし、
「旦那ぁ。綺麗な女性を大勢連れてぇ。うらやましいっすね」
 優しげな視線で俺たちをさらりと見た。

 妙にノリの軽い奴だと思ったが、さっきのバカ丁寧な支配人よりも爽やかで、付き合いやすそうだ。
「俺たちこの星は初めてなんだ。どこか面白いトコへやってくれよ」
「観光っすね。了解しやした」
 と言うと、後部座席と助手席の扉を同時に開け、
「美味しい料理と酒のコースってのはどうっすか?」

「あいにく、あたし一滴も飲めないの」
 と、超特大のウソをかます玲子を横目ですがめ、
「料理はホテルで済ませたんだ」
 満腹度を示すために、腹を擦って表現してやる。

 運ちゃんはチラッと俺の腹を見て笑った。
「それじゃあ。スポーツはどうっすか? 女性にも人気の場所があるんすよ。いま流行のシューティングクラブってのがいいんじゃねえっすか?」

「シューティング?」
「へい。実弾が撃てるガン倶楽部ですよ」
「そんなとこ、」
 行きたくない、と言おうとした俺を後ろから玲子が蹴り倒した。反動で俺はクルマの正面に転がっていた。

「そんなとこダメだ!」と、クルマのバンパーに怒鳴ったところで誰も聞いていない。虚しささらに倍増、どーん。

「そこがいいわ。面白そうじゃない。あたしストレスたまってたのよ」
 膝を擦りつつ立ち上がった時には、行き先が決まっていた。

 アマゾネスは開け放たれた後部座席に飛び込み、助手席を開けたまま今にも走り出しそうなクルマに俺も飛び乗る。

「ばかやろー。置いて行くな」
 と、ひと言文句を垂れておく。
「金払うのは誰だと思ってんだ」とも付け足した。



「旦那ぁ。どっから来られたんっすか? 見たところオレとそう変わらないようですけど」
 爽やかというより、やたら人懐っこい奴だった。

「俺たちはアルトオーネからだぜ」
 この星からどれぐらいの距離があるのか、どっちの方向にあるのかさえ知らないけどね。

「へぇ? 聞いたこと無いっすね。オレは地球から来たんですよ、知ってます?」
「地球?」
 田舎者の俺たちには聞いたことの無い星だった。

 それにしても、異星人どおしの交流が当たり前のサンクリオでは、まるで故郷自慢(ふるさとじまん)をするかのような口調が、まだ慣れないけれども面白いと思う。

「地球ってどこかしら?」
 と言う玲子に、
「ここから2400光年先にありやしてね。太陽が一個、惑星がえっと何個だっけ。すい、きん、ち、か、もく、どってん……、あれ、どっかい、てん……だっけ?」

 なんだか呪いみたいな言葉を列挙するので、優衣が代わる。
「ここから2400光年先にある、主系列星 V2Gに分類される恒星の第三惑星です。惑星は8個、準惑星が5個です」

「おぉ、お嬢さん詳しいっすね。そうか。昔は地球も有名だったからねぇ」
「だったって、いまは有名じゃないのか?」
 運転手はバックミラー越しに優衣と意味ありげに視線を合わせてから、助手席の俺に首をねじった。
「旦那、ほんとに知らないんすね……」
 そして沈黙。

 なぜそこで黙り込むんだろう。
 俺と玲子は戸惑い、茜は好奇な色で染めた瞳を外の景色に泳がせるだけ。重く沈んだ車内の空気を察した優衣は、地平線に沈んでいく赤い太陽を眩しげに見つめながら言う。

「地球は核分裂発電所の相次ぐ事故で自滅したんです」

「核分裂って! なんて無茶なことを……」
 思わず声を上げた玲子に、黙っていた運転手も同意を求める口調で続ける。

「でしょ。誰だってそう思うでしょ。CO2が出ないとか、変な理由をこじつけちゃって……あの星はそれをやっちまったンす。自滅したってしょうがないですよ。いまや宇宙のゴミっすよ。怖がっちゃって誰も寄りつかないし、住んでた人類は難民となって宇宙に散っちゃって」

 男は赤信号の手前で速度を落としながらこっちを見た。
「でもオレなんかまだいいほうっすよ。タクの運ちゃんやって何とか女房子供を養って行けてやすから」

「でもそりゃぁ、たいへんだったな」
 何となく気の毒になってきた。

 俺たちのアルトオーネでは、W3Cが統治するおかげでそんな危険な発電施設が作られるはずがないが、まさか自滅の道を歩んでしまったとは……。愚かなのか、それともそこまで切羽詰まっていたのか、そう考えると気の毒になる。

「お、ラッキー。信号変わった」
 停止線に着く前にタクシーは再加速し、軽快なエンジン音と共に太い幹線道路を滑らかに走り続けた。


 夕やみ迫る気だるい時間帯とも重なって、自然と声が落ちて沈黙が浸透しておりタクシー内は無言だった。

「ところで……知ってやすか、ダンナ?」
 気を遣ったのか、その割に声を潜めた運転手が俺へと尋ねた。
「今日、ザリオンの連中が降下して来るのを見たんすよ。気をつけたほうがいいっすよ」

「喧嘩早い連中なんだって?」とは優衣からの受け売りだが。
「早いどころじゃねえっすよ。あいつら管理者を敵視して星間協議会に入ってないから、サンクリオの入星手続き無しで降りてくんだ。気をつけないと銃をチラつかせてきますぜ」

「そんなやばい連中をこの星の警察はよく黙ってるな」
「それが悪賢いんすよ。上手く警察の目を逃れて動くんすよ。それと連中の腕力は超人的だし、その上乱暴者と来てる。報復が怖くて通報しない人が多くて、警察も手出しができないんだ」

「怖ぇぇな」
「やな連中っすよ」

 俺の脳裏を過(よぎ)った恐怖はザリオンに対するものではない。腕力だけで物事を片づけようとする、そういう輩(やから)を心底毛嫌いする変な正義感を持ったオンナを一名ほど知っているからだ。

 案の定、玲子も聞き耳を立てていたようで、
「見つけたら、あたしたちが退治してあげるわ」
「あははは。頼もしいっすね。サンクリオの平和のためにおねがいしますよ、お客さん。あははは」

 あのね、運ちゃん。笑い事ではないのだよ。



 再び浸透しかけた沈黙を払拭するようにクルマは減速し、
「へい旦那。着きやしたよ」
 と言う声に続いて停車した。

「なぁんだ、こんなに近かったのか。こりゃ悪いことしたな」
「なに言ってんすか。距離は関係ない。タクシーってそういうもんすよ」

 近場の移動にもかかわらず、愚痴の一つもこぼさず、気持ちよく対応してくれた心意気に感謝して、俺は求められたの料金より、かなり多めの金を支払った。

「わぁお、旦那。羽振りがいいんすね。それじゃあ、帰りもアッシを呼んでくださいよ」
 男はそう言うと満面に笑みを浮かべて、ついでにタイヤの音まで軋ませて街へ戻って行った。



「あんなに払っちゃっていいの?」
 玲子が俺の胸を突っつく。
「なんか気の毒になっちゃって、あの人故郷を無くしたんだぜ。そう思うとな」
「そっね。そのお金はパァーッと使った方が気晴らしになるものね」
 あくまでも玲子は明るかった。

「ぱぁ~~です」
 うーん。茜の言い方は何か気に触るね。

 タクシーから降りた真ん前にそびえる店の壁には、ど派手な電飾に飾られた看板が眩しいほどに輝いていた。
 一般人の銃所持が認められていないアルトオーネと同じで、このサンクリオも特別な場所でないと銃を持てないらしいが、まぁ。こいつらの目の輝きようはどうだ。中でも玲子は猛獣の檻の前に肉塊でも置いたような騒ぎだ。

「ほら、裕輔。はやく早く。わーすごい。結構設備が整ってるわ。あー、スラッグも撃っていいんだぁ」
 なんだよスラッグって──。

 それよりちょっと待て。
「ユイ。この星でも銃の所持が認められないんだろ? こいつこっそり持ち込んじまってるぜ」
 玲子を指差す。ただでさえでかい胸の膨らみが、さらに増すのは、そこに隠し持っているからで。無理やりにでも開いてやりたいが、即行で命が無くなる可能性があるので、指で示すだけで留めておく。

「レイコさんは特別の許可を頂いています」
「いつ? 誰に?」
「入星検査官さんに伝えてあります」
「入星検査ってフリーパスだったじゃないか」

 何も問われていないし、書類らしき物も提出していない。優衣が持っていた紙切れみたいなペラペラしたものを一枚見せただけだった。

「あの紙みたいなの、何?」
「ワタシの……まぁ。身分証明書ですね」
 今ちょっと躊躇したのが気になる。

「それだけでいいのかよ」
「はい。それだけですべてがフリーパスになります」

 俺は優衣の返事で唖然となった。
「お前……何者?」
 何とも遠い国の人に感じたね。実際遠い国どころから遠い未来から来てんだけどな。

「ワタシは管理者製のFシリーズのガイノイドです。アーキビストと言う称号を持っていますけど」
「なんだそれ?」
「そのうち解りますよ」

「ねぇ。なに小難しい話してんのよ。ほら。財布係さん。早く遊びたいんだからさっさと料金払って来てよ」
「くそ。人使いの荒い奴だな」

 俺は銃なんか撃ちたくないのだ。

 無気力、無感動、無関心さ。だるだるした態度でカウンターへ出向き料金を支払う。人数分のチケットらしいカードを受け取り、ホールの奥へと。

 ガラス張りのグランドを前方にして、その中で銃を撃ちまくる数人の男が見えた。
 完全防音になっており、それぞれの銃から派手に白煙が噴き上がるが、こちらには何も聞こえてこず無音だった。

 玲子は子供みたいに前へ飛び出し、
「すごい。会社の射撃場より立派だわ」
 そのままガラスが割れるのではないかと思うような勢いで、両手を使って表面を叩いた。

「当たり前だ。うちの会社はコンピュータメーカーだぜ。射撃倶楽部があるだけでも社長の懐の深さがわかるってモンだ」 
 とは言うものの、ケチらハゲの思惑を俺は知っている。オリンピック選手を育てて、そのコマーシャル効果を狙うつもりなんだ。タダで起きるハズがない。

「すごいですねー。おユイさん」
 優衣と茜も銃を撃つ光景に釘づけだった。
「お前らもコレしか眼に入らねぇもんな。学習型のアンドロイドと言うのがよくわかるぜ。きっちり玲子に教育されちまいやがって」

 三人はすぐに銃を借りにと、レンタルガンが棚にずらりと並んぶアーチカットされたカウンターへ向かうが、
「どれも小さいのばかりね」とか、玲子が文句を垂れたあと、
「あたしはこれでいい」と自分のハンドキャノンを取り出そうとするのを怒鳴り散らし、大型の物もあるからと告げる係員の指示に従わせる。
 優衣と茜は聞き分けがいいが、ほんとうにこの銃器馬鹿オンナは苦労するぜ。こんなところでハンドキャノンをぶっ放したら、天井が吹っ飛ぶだろ。


 優衣と茜は大型のスラッグ弾が撃てるでっかいショットガンを選び、玲子は銀白色の銃が気に入ったようで、リボルバー式の弾倉ドラムをシャラシャラと手のひらで回転させていた。

 優衣も片手でショットガンを振り下ろして、中折れ式の弾倉口を開いたり中を覗いたり、興味深そうだ。

 遊園地と大差ない射撃場で銃をぶっ放す趣味感覚な客と、こいつらを見比べたら、慣れた手つきは隠しようが無い。星域滅亡を企てる輩と、小さな衛星なら吹っ飛ばすほどの破壊力がある銃を何度も撃ち合うだけのことはある。


 そんな彼女らの前に一人の男が現れた。

「ぬぁぁぁぁぁぁぁ」
 俺は上げそうになった悲鳴を噛み殺す。

 ま……まじかよ。
 これは──男って言っていいのか?

 いや女でないことだけは解る。
 もう一度、目ん玉ひん剥いて再確認。

「ねぇちゃんらは、初めてか?」

(ワニだ!)
 黙っていられず、小声が出ちゃった。
 相手には聞こえなかったようで安心したが。

 長く突き出した口は赤く裂け、唇も無い。そこから何本もの牙が上下から突き出し交叉している。頭の天辺から首筋へ、そしてミリタリー風の半そでワイシャツから出た腕は爬虫類のようにゴツゴツした皮膚だった。

 簡単に言うと、尻尾のないワニが軍服を着て歩いて来たと思ってくれ。
 それもでかい。2メートルはゆうに超えてんだろね。

 角質化した堅そうな鱗で覆われた顔には、オレンジ色のガラス球みたいな目玉がぎょろりと動き、瞳の奥が縦長の楕円形をした、まさしく爬虫類顔ってぇヤツだ。口と鼻が俺たち一般のヒューマノイドと比べると、異様に前に飛び出しており、どう見ても人相は悪く、ひどく凶暴そうだ。

「──いい銃を選んだじゃねぇか」

(わおぉぉ)
 ワニのオッサンはもう一人居た。遅れて入って来たほうが玲子の握る銃を指差して喋りかけて来た。

 玲子はたじろぎもしないで、
「この中で、コレがいちばんあたしの手に馴染んだのよね」
 クルクルとトリガーガードの輪っかに指を突っ込んで、数度旋回させると、すとんと、グリップを握った。

「ははっ! こっちのお嬢ちゃんらには、その銃じゃ少し重過ぎるぜ」
 最初に喋りかけて来たワニオッサンが、笑いながら茜に言った。
 幼げに見える茜には、確かにでっかく見える。

「こう見えてもわたしたち意外と力持ちなんですよー」

 誰が見たって怯みそうなワニオッサンに、茜も腕をくの字に曲げて平然とチカラコブを見せる仕草を披露するが、その純白ドレスにそのでっかい銃はおかしいだろ。着替えて来たほうがよかったんじゃないのか、という俺の意見なんか、
「「ぶあはっはっはっはっはっ」」
 臭そうな唾液を撒き散らして、爆笑する声でかき消されていた。

「お嬢ちゃんら、ついて来な。オレが手本を見せてやるから」
 ワニ革のオッサンらは、俺の存在を完全に無視していた。

 オッサンちょっと待ちやがれ、と進言したいところだが、俺は一目見た時から怖気づいていた。
 猛烈な威圧感と凶暴で暴力的な雰囲気を撒き散らす連中に、抗う勇気が湧く奴がいるのなら、出てきてほしいね。俺は遠慮しておく。

 二人の男は玲子たちを引き連れ、ガラスドアの内側に入って行く。このまま放ってはおけない。
 理由は相手がワニだからではない。承知だろうけど、優衣は平気で軽トラを引き摺るパワーがあるから、コマンダーとしてはワニ相手にムチャなことをやらかさないか監視する必要があるんだ。中でも玲子が最も暴走しやすいので危険だ。

 仕方が無いので俺も付いて行く。手ぶらで。

 防弾ガラスの内側にはバーカウンターとロッカールームがあるだけで、その大半は人工的に作られた広大なグランドが広がっており、うっそうとした雑木林が奥に造られている。手前の地面はきれいに芝生が植えられていて、ちょっとしたゴルフ場みたいだ。

 軽い音がして、グランドの空中に30センチほどの白い円盤状のものが打ち上げられ、

 ドンッ、ドンッ、ドンッ、ドンッ。

 隣で撃つ空薬きょうが、こっちにまで飛んでくる。白い円盤は無傷で向こうの雑木林の奥に消えて行った。

「はっ! へたくそ! あんな特大のクレーを外してやがるぜ」
 ワニ革のオッサンが鼻の穴を大きく膨らまして、荒っぽい言葉を吐き捨てた。

 唸るような低音の声に気付いた客が胡散臭そうな目を向けたが、ワニだと気付くと、さっと目を逸らして、そそくさとグランドを退出。

 なんだろ?

「今の客、なんで帰っちまったんだ? まだクレーがあんなに残ってんのに……」
 疑問が膨らむ視線でクレーの射出ポイントに残る白色の円盤を見つめていたら、優衣がこう言った。

「彼らがザリオンです」
「なにぃ──っ!」
 意表突かれて俺は固まった。たちまち顔を曇らせ、優衣は鋭い視線で奴らを睨みつけていた。

 奴らの眼光は射竦(いすく)める圧力を放出するオレンジ色のレーザーに匹敵する剣呑さだ。睨まれたら誰だって黙り込んでしまう。
 それにあの太い腕で一撃を喰らったら、命まで危ぶまれそうだ。

「こいつらがそうか……」
 タクシーの運ちゃんがくれた忠告めいた言葉が、脳裏をバタバタ駆け巡った。

「嫌なことが起きそうな気配がものすごくするんだけど……」
 胃袋がきゅーっと絞られる鈍痛にも似た感触を覚えた。

 俺だけホテルに帰ることはできないかな。
  
  
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