アカネ・パラドックス

雲黒斎草菜

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【第三章】追 跡

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 船内を渡って来る奇妙な声に目覚め、発生源が第二格納庫にあるというのは司令室にやって来て初めて知った。呻(うめ)くように搾り出された甲高い声。時に切れがよく、時に重々しく尾を引く声。

 う~む。不気味だ。

「なぁ田吾よー。今日は魔女の集会でもあるのか?」
「サバトだスか?」
 と言って顔を上げたブタオヤジは、ののかちゃんのフィギュアをデスクにことりと置いた。

「今日は気の鍛錬(たんれん)らしいダ」

 やけに短いスカートを穿いたフィギュアへ視線が行こうとするのを押しとどめ、
「ガイノイドが鍛錬してどーすんだよ」
「知らないダ。でも玲子しゃんみたいになるんだって、アカネがきゃっきゃっ言ってたダよ」
「その『きゃっきゃっ』って言う段階で精神修行は無理だと思うんだが。なに考えて指導してんだ、あの世紀末オンナはよー」
 俺は声が聞こえてくる格納庫の方角をすがめて見た。

 第二格納庫──。
 暗黙的に、いや強制的と言ってもいい、玲子が私的使用することを黙認された聖地だ。

 銀龍の一番奥にある。自家用車が10台ほど余裕で並ぶ、宇宙船にしては広めの空間だが、銀龍全体から見れば、まだ小さな空間でもある。そこを優衣や茜の運動場として玲子は利用し、かつ本人たちも真剣に精神修行をするんだと主張するが、果たしてどうなのか。だいたい人工生命体が運動不足とかにはならんだろ。

 カエデに閉じ込められたトラウマがいまだに薄れない第一格納庫の広いスペースを通り過ぎ、一番奥の第二格納庫の前にやって来た。
 今は時空修正のミッションを随行中で、修行などに時間を裂いている場合では無いのだが。怪人エックスからの連絡がまだ入らないので暇なのだ。となるといかんせん、あのハゲオヤジはオンナどもに弱い。手玉に取られるのはよく理解できる。

 玲子が修行を積んで神の領域にまで腕を鍛え上げたのは、認めざるを得ない事実で、俺もその技(わざ)を何度か目撃したことがある。
 その時に必ず見せるのが、あの不思議なオーラだ。玲子は《気》だと説明するが、数日の訓練でそれをアンドロイドがマスターできるはずがない。



「精神修行は心と体にいいのよ。あなたもやってみなさい」
 武道万能のクセに、なんで体のラインがそんなに綺麗なんだ。と文句の付けどころがない容姿で現れた玲子は、正真正銘のジャージを着用。それなのに、息を飲む曲線から目が離せなくなる俺は、完全にこいつに弄ばれる運命(さだめ)を背負った男なんだと悟る──いや悟っちゃいかん。

 そんな気弱だから、いろいろな精神的苦痛から逃れられないのだ。
 たとえば……あれだろ。これだろ、それからあんなことや……。

 込み上げてくる数々の不平、不満を押し殺し、
「あの二人はガイノイドだぜ。ロボットだ。人工物だ。解るか? 腕立て伏せに何の意味がある。人工筋肉ってえのは鍛えられるのか?」
 腕立て伏せを黙々とこなす優衣と茜を見て俺はそう言ってやった。どう考えてもエネルギーの浪費としか思えない。

 胸元で組んでいた腕を腰に当て直し、玲子は眉根を寄せて俺を睨む。
「あなたは修行というものをカタチだけで見るからそう思うのよ。これは精神修行よ。目に見えない鍛錬をするのが目的なの」
「それは人間の場合に当てはまるものだ。いくら茜たちが優れていたからって精神は無理だって」

「あたしはそういうものにこだわらないの。みんな公平、みんな平等」

「だからって、ミカンはいくらなんでも無理だろ」
 丸っこいボディをした薄黄色に塗装されたこっちは完全にロボットだ。そいつが部屋の隅で腕立て伏せをしていた。

 玲子は渋面(じゅうめん)を見せて、
「あー。あの子は見学だけだったんだけど……、アカネの動きを見て真似てるだけよ」
「やれやれ。幼稚園だなここは」
「バカにしないで。いい。見ていなさい」

 一段と声に力を込めると。
「みんな。このバカに鍛錬の成果を見せるわよ。ユイ、アカネ、正面打ちをやってみて。教えた通り振り下ろして、打ち切るときに絞るようにして止める、分かった?」

「はぁぁい」と可愛らしい返事をして最初に立ち上がったのは茜で、優衣も長い黒髪を翻して体を起こすと、壁に立てかけてあった模造刀を握り、上段から振り下ろした。

 どしゅっ!

 信じがたいまでの、空気の炸裂音を聞いて超ビビる。
 格納庫の空気が渦を巻き、竹刀の先がまるで見えない。
「げげっ!」
 模造刀を尋常ではない勢いでしならせる迫力は凄絶だった。そこから人間離れした気迫が伝わって来る。
 実際、人間じゃないから人間離れしてていいんだけどな。

 どしゅっ!

「……………………」
 生唾を飲み込むしかない。

「どう? 試しに相手してみる?」
 玲子は黙り込んだ俺を挑発してくるが、遠慮させてもらった。

 しかしどう見ても不思議なオーラはカケラも放出されておらず、パワーだけで空気をかき乱すとしか思えない。
「気? そりゃあ無理よ。でもね、あの子たちは確実に感情を学習してるからね。その感情に支配されない、強健な精神が必要なのよ」
 自分の手のひらに模造刀をパシパシと当てながら俺に言い返す。

 世紀末オンナめ──。
 だいたい俺が優衣や茜のコマンダーなんだぞ。お前なんかがしゃしゃり出てくっから、俺の威厳が薄まるんだ。

「なによ? 文句あんの?」
 一言も俺は発していないのに、奴の美麗な面立ちはまるで心の奥まで見透かしてくるようだ。
 このうえテレパシーまで使われた日にゃ。

「はーい。降参」
 両手を伸ばして白旗を掲げる。

「それじゃぁ、がんばってくれたまえ。部隊長どの」

「そうねぇ。まっ、あなたには死んでも理解できないでしようね」
 玲子は赤い唇の端を少し持ち上げて嘲笑めいた笑みを浮かべ、人差し指で向こうへ行けと、ゴミでも弾くみたいな仕草をした。

 バカにしやがって……。

「あなたがあのヲタと飲んだくれた次の朝だって、あたしは鍛錬を怠って無いのよ。二日酔いで昼過ぎまで寝てるあいだにもね」
「く……」
 言い返す言葉が無い。
 同じだけ飲んでもこいつはケロリとして起床する。心臓だけでなく肝臓にまで毛が生えた化け物だ。

 にしたって気が滅入る奴だ。こいつの脳には男の尊厳を理解する分野が抜け落ちて消滅している。どうせファッションと剣術のことしか考えていない単細胞さ。


 こんな奴は相手にせず、さっさと退散するにかぎる。俺は片手を振って踵を返した。
「それじゃあな。ロボットたちに精神とやらを教え込んでくれたまえ。デバッガーに寝こみを襲われても悲鳴を上げないような強い精神力をな」


 精一杯の嫌味とも反駁(はんばく)とも言えない言葉を並べたくって、俺は司令室に戻ってから田吾に憤怒をぶちまけた。

「なんだあのオンナ。武道の達人だか知らないがエラソーに」

 田吾はメガネの奥に並べた目に笑みを溜めるだけで、俺を待ち構えていたのは社長だった。部屋に入るなり、こっちもニタリと笑った。

「どや。ごっつい迫力やったやろ?」

「いいんすか、格納庫を完全に私的に使ってますよ」
 皮肉も込めた眼差しをケチらハゲに向けるが、
「あほ、アマゾネスに逆らってみぃ、そのあとどうなるか分かるかい」
 社長からとは思えない返事を受けて力が抜けた。


「でもあの迫力はすごいダスな」
「あぁ、竹刀があんなにしなるなんて確かにすげぇよな。ジェット機でも叩き落しそうな迫力だったぜ」

 通信機から目を離し、田吾はメトロノームみたいに左右に指を振る。
「あれは竹じゃないダスよ」

「よく見てなかったけど、何だよ」
「チタン合金だス」
 平然と口にする田吾の顔を凝視する。

「え゛っ! 超硬合金じゃねぇか! あぶねえ。マジで相手させられていたら頭蓋骨陥没骨折だぜ」
 改めて俺は思う。
「チタン合金の棒切れが、あんなに弓なりにしなるってどんなパワーだ。金属バットより堅いんだぜ。もしそれが頭に当たったら……」
「ほぉーや。骨折で済みまへんデ。マジで当たったら水風船みたいに木っ端微塵や。そやけどな、そんなモン振り回すユイらに玲子の奴は木刀で平然としてまっしゃろ。チタン相手に木刀やで」

「ですが……社長。あのチタン金属は銀龍の隔壁の一部なんです。何本も取り去ると剛性に問題が起きます」
 横から語りかけて来たのは機長だ。この人が司令室に顔を出すのはとても珍しいことで、何か起きたのかと、ほんの少し不安が走ったが、田吾にこっそり聞いたところ、機長は何やら社長に相談を持ってきたようだった。

「ほんで……、なんの話しやった?」
 二人は再び膝を突き合わせて話を始め、俺と田吾は耳を澄ませる。

「はい、銀龍のイオンエンジンの陰極カソードが削れてきて、シロタマの効率改善処理を通しても、そろそろ限界なんです」
「そうそう、藩主がケチってDCアークのイオンエンジンなんかを付けるからですワな」

「こんなに長期に渡って深宇宙を航行するとは思ってもいませんでした。それでもシロタマの考えた点火アルゴリズムは素晴らしく高効率で、おかげでここまでやってこれたんですが、もう限界ですね」

 機長の言葉をよく噛み締めてみると、まるでシロタマを絶賛していないかい?

 俺は大いに眉をひそめる。
 こっちに対する日々の屈辱と銀龍への貢献度が比例するという事実だ。どうやら、あの野郎はせっせと銀龍を磨きつつ、その憂さ晴らしに俺を辱(はずかし)めて喜んでいやがるんだ。


「他にもいろいろ欲しいモノがあるでしゅ」
 戻ってきやがったのか……。
 玲子たちがいた道場の天井に張り付いていたのは確認していた。

「何がほしいんや?」
「ナノプローブアレイだヨ」
「なんだそりゃ? どんな店に行けば売ってんだよ」
 突拍子もない物を言い出すもんだから、つい口を挟んでしまった。

 するとこいつは報告モードに切り替わる。
『ナノ単位の形状をした送信プローブです。到達距離は短いですが、接続ノードが無限に取れますので、ギンリュウ全体のあらゆる情報がリアルタイムに取得できます』

 迷惑そうな物だな。

「そう言えば、アカネの野菜栽培計画の道具も買(こ)うたらなあかんし……」
 社長はシロタマへうなずいて見せ、
「よっしゃ、タマ。優衣を呼んで来てんか」

「いいよー」
 素直に格納庫へ飛んで行いくシロタマを目で追っていた田吾が半身を振り返らせて期待に燃える目をした。

「アルトオーネへ帰るんダすか?」

「アホな。いまのアルトオーネは2年前のアルトオーネやで。のこのこ帰ってみぃ、藩主が大騒ぎを起こして、何もかも無茶苦茶になりまんがな」
 ハゲオヤジは鼻から力を抜き、腕を組んで思案顔。
「どこぞのスーパーでもエエから立ち寄ることはできまへんやろか? 機長……」
 オッサン。ここは宇宙だぜ、宇宙。

「このあいだみたいにリゾートホテルがあるぐらいですから、商売の盛んな惑星もあるでしょうね」
 機長が真面目に答え、社長も目の色を濃くして言う。

「ほんまやな。何か売るもん持ってきたらよかったでんな」

 天下の舞黒屋が出稼ぎをする気だぜ。さすが商売人だ。銀龍を宇宙船に改造するときに、藩主の前で見せた商魂をヒシヒシと思い出させてくれる言葉だった。
  
  
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