アカネ・パラドックス

雲黒斎草菜

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【第三章】追 跡

  アーキビスト(Archivist)  

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 モールの内部は想像どおりの摩天楼が広がっていた。くり抜かれた小惑星がどれほどの大きさなのかは、この空を見ればわかる。高くそびえるビル群のさらに上へと広がった空間はまさしく空だった。薄くたなびくのは水蒸気の塊と言うよりも、雲と呼んだほうがふさわしい。洞窟めいたイメージはそこに立った瞬間に消え去った。


「すげぇなぁ!」
「すごいわねぇ」
「ひろいですぅー」
 広大な景色を目の当たりにして出てくる常套句をそれぞれに吐いて、俺たちは空を仰ぎ見た。

「御上(おのぼ)りさん……」
 シロタマが嫌味をぽとりと落とし、そこを都会の喧騒が撫でて通った。

 ありとあらゆる異星人が混ざり合って歩く、あるいは小型の乗り物がそこをすり抜ける。その流れを滞らせている俺たちを人々は迷惑そうに避け、あるいはクラクションを浴びせながら通り過ぎて行く。

「ここで立ち止まっては迷惑になります。端に寄ったほうが」
 と優衣が注意するが、なかなか動かない俺に、
「ふん。アルトオーネの田舎から出てきた山猿には、こんな何でもない景色でも珍しんでシュね」
 毒々しいシロタマのセリフにやっと反応する。
「うるさい! アルトオーネにはこんなでっかい洞窟が無いから。それが珍しいだけだ」

 まだ口をぱかりと開けたまま空を見上げる玲子と茜を引っ張って、道路の端に移動。
「おい。いい加減にしろ。この田舎モンが……」
 自分のことは棚に上げるのが得意な俺さまだ──ほっとけ。

 ショッピングモールと呼ぶには大き過ぎる。いったいどこに行けば目的の物が手に入るのか、それよりまず自分の立つ場所すらどこだか解らない。銀龍に戻れるのだろうか、と言う心配は、ひとまず必要ない。こっちには優衣がいる。

「金物店ならここが有名です」
 彼女の誘導によって俺たちは一つのドームに入ったのだが、やっぱりその規模に驚愕する。

「カナモノって規模じゃねえぜ。ここだけで何もかも揃うんじゃね?」

「金物店って、金属専門店ですかぁ?」

 茜がたわけたことを言うので、
「ばーか。ホームセンターって言うんだ」

「なに売ってるんですか?」
「だから……その……えーと。食べられない物を売ってんだ」
 ちょっと変な説明をしたかな、と反省しているよ。でもさ、茜。そこまで真剣に悩まなくたっていいだろ。

 茜は胸の前で腕を固く組んで、クビが直角になるまで傾け、きゅーっと眉根を寄せて唸りだした。
「食べられない物を買ってどうするんでしょ? そんな物は無理して買わなくてもいいのでは?」

「とにかく付いて来い。見れば解る。ほらよ……うぉぉぉ!」

 球場のドームを数個包容する巨大な店舗内に入って仰天したのは俺のほうだ。
 だだっ広く開(ひら)けた空間に商品が無秩序にひしめきあっており、別の意味で驚いてしまい、しばらく立ち尽くした。プランナーはいったい何を考えて店舗のデザインをしたんだ、と叫んでやりたい。

 どういう規則で商品を並べてあるんだろ。どう見たって搬入された順に適当に並べました、としか思えない煩雑な状況に、呆れるというより、驚いてしまった。

 仕方が無いので、店舗案内(インフォーメーション)に出向き尋ねるものの、高飛車な態度はここでも同じで、トゲトゲした店員の態度に玲子が激高する寸前に、例のあれさ。優衣の魔法みたいな言葉、『アーキビスト』をちょろっとひけらかすだけで、店員の態度が反転するっていうやつさ。

 諸国漫遊のチリメン問屋のオヤジが、懐から取り出す煙草入れとか薬入れとか言われる装身具と同じ効能が、アーキビストという言葉にあるのはどういうわけだろう。

「なぁ。アーキビストって何だよ?」
 優衣は俺の質問を聞き、優雅に首をもたげる。
「アーキビストというのは、過去の歴史の記録を調査して正しい流れに沿っているか判断する人です。もし間違っていた場合は修正のお手伝いをします。今回の時空修正のミッションもこの人たちの働きがあったからです」

 優衣の説明の中に不可解な部分がある。
「手伝いって? 直接手を下さないのか?」
「はい。時空修正を行えるのは時間項となった人か、最上位の称号、『S』を持つアーキビストだけです。他のアーキビストはその手引きをするところまでが許可されています」
「まさかユイ……『S475』って、それがあなた?」
 絶句に匹敵するほど息を飲む玲子だが、ほんと美人は得だ。どんな顔したって崩れない。

「そうです。ワタシもその中の一人です」
「だから勝手に過去から茜を連れてきたり、無許可で武装したりできるというワケか……でもよ。それは450年未来での話だろう? なんでこの時代の人らが知ってるんだ?」

 新たな疑問が浮かんだのは、銀龍を誘導してくれた管制官がそれを知っていたことだ。

「全員が知っているわけではありませんが、S475と言うのはこの時代の管理者が時間監理局内で使用していた時間項に与えられる階級です。現代はまだ時空跳躍技術の創成期ですが。時間理論の実証はほぼ終盤に差し掛かり、実用化の一歩手前です。たしか、この先20年以内に最初の時間渡航が成功して飛躍的な進化をしたはずです」

 その件に関しては納得のいくところだが、また『時間項』なる単語が優衣の口から出てきた。
「もう一つ訊きたいことがあるんだ」
 この際だから訊いておこう。
「時間項ってよく出てくるけど、何だよ?」

「無限に存在する時間項ですが、今回のミッションについて言えば、歴史のジャンクション『大いなる矛盾』の分岐点を選択した人になります」

「うっそぉー」
 玲子が勢いよく振り返り、黒髪が俺の鼻先をなびいて通った。

「ちょっと待てよ。それって俺たちのことか?」
「いつ選択したの?」
 矢継ぎ早に質問するのは無理もない。そうさ。そんな自覚は無いからな。普通に朝起きて飯食って、会社行って、酒飲んで、寝て、の繰り返しさ。そんなご大層なことをやっちまった記憶が無い。

 優衣は微笑みを浮かべて言う。
「ドゥウォーフの人たちを助けた時です」

「でもそれはお前があそこへ転送したから……そうかあの星を選んだのは……」
「そうです。あの惑星を選んだのは、ユウスケさん、あなたです」
「それはそうだけど……あれは偶然だぜ」
「時空理論には偶然という言葉はありません。すべてが必然なのです」

「待ってよ、ユイ。あそこでドゥウォーフさんたちを助けなかったら滅亡していたのよ。そしたら管理者も存在しないのよ」
「はい……ですが、そのおかげで『大いなる矛盾』が……。ごめんなさい。これ以上は時間規則です。すみません」

 優衣は視線を落とした。この言葉が出たら何が起きてもその先を聞き出すことは不可能だ。たとえ脅迫されようと自白剤を飲まされようがだ。もっともアンドロイドの優衣にはどちらも利かない。

 でも幾分かは霧が晴れた。
「時間の流れを管理するから管理者っていう意味なのか。だけど好き勝手なことはできないんだろ? そんなことしたら宇宙がむちゃくちゃになるもんな」

「はい、宇宙そのものの動静にまで広がる重要案件を担っていますので、決定権はSの称号を持つ管理者だけで構成されています」

 玲子は深呼吸のような吐息をすると、
「でも見直しちゃったわ。あなたがそんな偉い人だったなんて……。これっぽっちも見せないからびっくりよ。そっか、だからみんなの態度が変わるんだね」

「すごいですねぇ」
 茜の視線もいつの間にか羨望の眼差しに変わっていた。
「エライとか立派とか……。そんなもん肩書きで決めるもんじゃない。いいかアカネ。将来お前が特上のアーキビストになるんだ。今からがんばらなきゃ、自分自身の時空修正をする羽目になるぜ」

「コマンダーのおっしゃるとおりです。ワタシは管理者の決めた地位になど興味はありません。ただ、皆さんと一緒にいたいだけでDTSD装着免許を取ったんです」

 出たー。胡散臭さ100パーセントのヤツだ。

「DTSDって時間を飛ぶことができる装置だろ?」
 思わず声を張り上げた──そこへ割り込む物体が。
「あ~。『たくし』ですよー」
 店員が呼んでくれたモーターカーがやって来て、茜が嬉々として手を振った。

「へ~。運転手さんがいませんよぉ」
 サンクリオ以来の乗り物に茜は喜び勇んで飛び込み、シロタマもその隙間を掻い潜って乗車すると、途切れた会話を繕(つくろ)うように語りだした。
『DTSD……。Dynamic Time Stretch Device.時間の流れを伸縮させて任意の時間域へ跳躍する装置です』
 狭っ苦しい車両の天井に張り付く球体をすがめる。
「解ったようなこと言うけどな。お前だって優衣の受け売りだろ?」

『いいえ。シロタマは時空理論をユイから教授されてマスターしています』
「自分でシロタマって言うな」

『報告モードは常に客観的に応対します』

「わかったよ。それじゃあ、訊くけどな。時間項って何だよ?」

『時間項とは因果律を構成するパラメーターの一つで、原因から結果までを結びつける重要なノードのことを示します。一度時間項が決定されると原因から結果までの一連の流れが変化したとしても、原因と結果は不変となります。つまり時間項以外を修正しても結果は変わらないという結末に終わります。時空修正とは時間項に手を加え不変である結果を変えてしまうことです』

 ぅぁぁ──訊くんじゃなかった。よけいにワケ解らんくなった。

 悔しいので言い返す。
「だから何だよ。偉いとでも言うのか。あー? 知識があれば人間性が無くてもイイってか?」
「オメエが訊くから答えただけじゃネーか』

「その物の言い方だ。それを人間性が薄いって言うんだ。ここの店員もそうだし。全員アンドロイドじゃないのか?」

「あーもー、うるさい裕輔。あなたのはただのやっかみじゃない。悔しかったらその何とかっていう理論を勉強すればいい」
「それができればこんなところで、オンナどものお付きみたいなことしてねえよ」

 玲子は瞬時にムッとなり、
「まずは女性を蔑(さげす)む視線からやめることね。人間性が無いとか負け惜しみを言う前にね。なんなら外に出てその腐った根性を叩き直してあげようか? いつでも相手になるわよ」

「くっ、なんでも力尽くかよ」
 呆れちまって何も言い返せない。でも玲子の地雷を踏んだのは俺だし。

「……世紀末め」

 気の毒そうな視線を注いでくる茜に愛想笑いを返しつつ、車窓の外を眺めた。
 無秩序に商品が並ぶ棚が千切れるように後方へ飛んでいく。白い筒状の商品が積み上げられた景色を見て思う。
「ん……デジャヴか? なんか見たことがあるぞ」
 そう。さっきもあの白い筒状の脇を走った記憶がある。

「なぁ。ユイ。さっきからずっと同じところを回ってないか?」
「そう言えば、まだ行き先を指示していませんでした」
「なぁーっ! どこまでおっとりしてんだお前? アーキビストなんだろ」
 とは言うものの、こっちもうっかりしていたし、涼しい顔して座席にケツを下ろす玲子もゆったりしたもんだ。

 茜にいたっては、車窓から流れ込む風に金髪をなびかせて気持ちよさそうな顔だし。周辺星域の行く末を握るアーキビスト御一行はとてものんびりしているのであった。

「はは。社長の怒った顔が浮かんでくるぜ。さっさと済まそう」

 誰もいない運転席に向かって、
「アークジェットの陰極カソードを売ってるところへ行ってくれ」

 無人のモーターカーはすぐさま方向転換して、ものの数分で俺たちを目的地に運んで停止した。

「なるほど……」
 商品の並びが不自然なのは、モーターカーに搭載された検索システムに対して都合のいい配置だからだと判明した。

 客の事情を無視して、ヒューマンエラーを排除したシステム向けに商品を並べたと言えば聞こえがいいが、店員の態度まで人間性が薄れるのは頂けない。それともこれも異星人との価値観の違いだと言うのだろうか。となると管理者の世界ではもっと気分の悪いことが待っていそうだ。

 てなことを考えながら、陰極カソードのぶっとい金属棒をつかむと、カートの中に突っ込んだ。

「買うのは2本よ!」
 後ろから玲子に念を押されつつ……。
  
  
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