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第一部 四季姫覚醒の巻
第一章 夏姫覚醒 1
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一
西暦二〇XX年、三月末日。日本、愛知県名古屋市。
水無月 榎は、十二歳。この春、小学校を卒業したばかりだ。
数日後には中学校への入学を控え、新しい生活へ向けて、胸を躍らせていた。
夕刻。友人とたっぷり遊んで自宅へ戻った榎は、玄関に積み上げられた大量の段ボール箱に出迎えられた。
榎の家は不動産業を営んでいて、自宅と共に事務所も兼ねている。商売も上々で、近隣の住宅と比べてもかなり広い土地に、大きな家を構えていた。
玄関も、それなりに広い。なのに、今は謎の段ボール箱に埋め尽くされて、物置かと思えるほど狭かった。
「ただいまー。何、この山。誰かいないの? おかあさーん!」
家の中に向かって大声を張り上げた。返事はない。榎はピラミッドの如く高々と積まれた段ボールに、手を掛けてみた。
箱には中身がぎっしり詰まっているらしく、どっしりと安定していた。踏みつけても大丈夫だなと確認し、榎は箱の山をよじ登り始めた。
身軽な榎は、アスレチックを楽しむ気分で、段ボールの山を、ひょいひょいと登った。
「ヘヘヘっ、てっぺんとうちゃーく! うわー、家の中を高いところから見るって、面白いな」
ものの数分で頂上に到達し、初めて見る眺めを楽しんでいた榎だった。ところが、段ボールの上は不安定で、バランスをとるのが難しい。ちょっと気を抜いたせいで、榎の足元は一気に崩れてしまった。
悲鳴と共に、榎は段ボールの山と共に落ち、箱の下敷きになった。
激しい音が止むと、家の奥からパタパタとスリッパの足音が駆け寄ってきた。
「あららー、大変。さっき、榎の声が聞こえた気がしたけど?」
榎の母親、水無月 梢の声が聞こえた。榎は助けを求めるべく必死で声を出したつもりだが、背中が圧迫されて、低いサイレンみたいな声しか出せなかった。
「お母さん。榎姉ちゃん、埋まってるよー」
続いて、小学二年生の榎の弟、楓の声が聞こえた。楓の助け舟によって、梢は榎の居所を察知。段ボールの山を積み直し、救出してくれた。
無事に助けられて、ようやく榎は家の中へ入れた。気付けに暖かい茶を飲みながら、なぜ段ボールの下敷きになったのか、経緯を母に話した。
梢は呆れて息をついた。頭痛がしたらしく、額に指を当てていた。
「まったく、あんたって子は。どうしてそんなに、お転婆なのかしらねぇ?」
「だってさ、玄関が塞がれて、中に入れなかったんだよ。目の前に山があったら登るでしょ、普通」
「表から入れないなら、裏の勝手口を使えばいいでしょうに。わざわざ段ボールを登って乗り越えようなんて、女の子なら考えないわよ。もうすぐ中学生なんだから、少しはおしとやかさを身につけなさい」
びしりと言われ、榎は唇を尖らせた。
榎は外見も性格も、かなり男勝りだ。髪は短く、服装はいつもトレーナーとズボン。身長も小学生の平均より高めで、初見の相手には必ず、男の子と間違えられた。
毎日外に出掛けては、泥だらけになって野球やサッカーに興じた。親に怒られると分かっている無茶な行動を平気でやってのけるやんちゃっぷりも、榎が女の子だと周囲が分からない要因の一つだった。
「どーせ、あたしは女の子らしくありませんよ。普通じゃないなんて、あたしが一番よく分かってるもん」
榎はふてくされた。周りから女の子らしく、大人しくしなさいと言われる度に、榎は不機嫌になった。
なれるものなら、とっくになっている。榎だって、女の子らしくなりたいと、憧れや理想をもっていた。
ただ、他の子みたいに、女の子らしい格好や動作をしたいと思っても、どうやればいいのか、さっぱり分からない。
髪の毛を伸ばす? スカートを穿く? ちょっと外見を変えたところで、周囲から色気づいたと物笑いの種にされるのがオチだ。
本当に女の子らしくなんて、なれっこなかった。
中学に入れば、嫌でも制服のスカートを履く羽目になるだろうけれど、きっと根本的な部分は何も変わらないに決まっていると、諦めていた。
「だいたい、あの箱の山は何なのさ。誰か引越しでもするわけ?」
女の子らしさがどうこうと、いつまでも話を振られるのは嫌だった。なので、榎はすかさず、話を逸らした。
話題が箱に向いた途端、梢の表情が曇った。
「榎。今からすっごく大事な話をするから、よく聞くのよ」
「どうしたの? 急に畏まっちゃって」
「いいから、聞きなさい。最近の不景気でお父さんの会社、うまくいっていないの。今まで、なけなしの収入でやりくりしてきたけど、限界がきてしまったのよ」
「限界ってつまり、まさか……?」
嫌な予感に、榎の頬が引き攣った。梢は深く頷いた。
「会社が倒産したのよ。今住んでいる家も土地も、全て借金の形に入るから、手放さなきゃいけなくなったの。この家に住んでいる全員、引っ越すのよ」
「じゃあ、玄関の荷物、うちにあるもの全部?」
梢は領いた。榎のこめかみを汗が伝った。
周囲を見ると、台所の食器や、いつも居間に積み上げられている洗濯物が、綺麗さっばり消えていた。
母の話が嘘でも冗談でもないのだと、瞬時に察した。
「この家を出たら、あたしたち、どこに住むの!? 行くところあるの? 大所帯で小さなアパート暮らしなんて、嫌だよ!」
水無月家は家族が多い。榎には父と母、弟の他に、上に兄が五人もいた。
長男は既に独立して家を出ているが、あとはみんな、この家で暮らしている。兄弟で女の子は榎一人だけだ。男だらけの家系が、榎が男勝りな性格になってしまった要因の一つでもある。
そんな男ばかりで賑やかな家庭だが、大きな家で広々と生活しているから、平和に暮らせているのであって、環境が変わればストレスまみれになるだろうとは、目に見えていた。
「お父さんとお母さんと楓は、ひとまず知り合いの不動産屋さんのつてで、小さなアパートの空き部屋を借りる手筈になっているの。椚は大学のお友達の家にしばらく厄介になるっていっていたし、柳と楢と杉は、三人まとめて樹がマンションで面倒見てくれるって」
兄たちの名と行き先が、ひとしきり羅列された。だが、肝心な部分が抜けている。
榎の行き先について、一言も触れられなかった。
「……みんなの住む場所は分かったけれど、あたしの行くところは? あたしだけ住む場所ないの? ホームレスやれってわけ? 山でテント暮らし? サバイバル!?」
榎は、公園の水を飲んで雑草を食らい、人気のない場所でテントを張って、段ボールに包まって震える日々を送る姿を想像した。
考えなければ良かった、と後悔するほど、嫌だった。
「誰も、そんな生活させないわよ。どこも手狭だから、榎にはちょっと遠くへ疎開してもらいたいの」
取り乱す榎を宥め、梢は話を続けた。
「榎は京都のお母さんの実家、知っているわよね?」
「お母さんの実家って、お寺でしょ?」
榎は、幼い頃の記憶を手繰り寄せた。小さい時に一度だけ、遊びに行ったな、と思いだした。
「ピンポーン、正解。京都にある花春寺っていうお寺。榎には明日からしばらく、そのお寺で暮らしてほしいのよ、お願いね?」
手を合わせてお願いしてくる梢に、榎は難色を示した。
「じゃあ、学校も京都なの? 友達と別れるなんて、嫌だよー」
「なら、ホームレスしながら、名古屋の学校に通う?」
「……ぐぬぬ、ホームレスは嫌だ」
ストレートに返され、榎は歯ぎしりするしかなかった。
「数ヶ月の幸抱よ。生活の目処が立ったら、戻ってこられるように手配するから。ぎゅうぎゅうの部屋で息苦しく生活するより、ずっと気楽だと思うわよ」
気楽かもしれないが、不安だらけだった。
まだまだ喉の奥からでてきそうな愚痴を、榎はぐっと堪えて俯いた。
我侭を言ったところで、聞き入れてもらえる空気でもない。みんな大変で、不自由な思いをするのだから、榎だけ駄々をこねるわけにもいかない。
しぶしぶ、榎は頷いた。
翌朝。必要最低限の手荷物だけを持って、榎は名古屋駅から新幹線に乗り込んだ。
西暦二〇XX年、三月末日。日本、愛知県名古屋市。
水無月 榎は、十二歳。この春、小学校を卒業したばかりだ。
数日後には中学校への入学を控え、新しい生活へ向けて、胸を躍らせていた。
夕刻。友人とたっぷり遊んで自宅へ戻った榎は、玄関に積み上げられた大量の段ボール箱に出迎えられた。
榎の家は不動産業を営んでいて、自宅と共に事務所も兼ねている。商売も上々で、近隣の住宅と比べてもかなり広い土地に、大きな家を構えていた。
玄関も、それなりに広い。なのに、今は謎の段ボール箱に埋め尽くされて、物置かと思えるほど狭かった。
「ただいまー。何、この山。誰かいないの? おかあさーん!」
家の中に向かって大声を張り上げた。返事はない。榎はピラミッドの如く高々と積まれた段ボールに、手を掛けてみた。
箱には中身がぎっしり詰まっているらしく、どっしりと安定していた。踏みつけても大丈夫だなと確認し、榎は箱の山をよじ登り始めた。
身軽な榎は、アスレチックを楽しむ気分で、段ボールの山を、ひょいひょいと登った。
「ヘヘヘっ、てっぺんとうちゃーく! うわー、家の中を高いところから見るって、面白いな」
ものの数分で頂上に到達し、初めて見る眺めを楽しんでいた榎だった。ところが、段ボールの上は不安定で、バランスをとるのが難しい。ちょっと気を抜いたせいで、榎の足元は一気に崩れてしまった。
悲鳴と共に、榎は段ボールの山と共に落ち、箱の下敷きになった。
激しい音が止むと、家の奥からパタパタとスリッパの足音が駆け寄ってきた。
「あららー、大変。さっき、榎の声が聞こえた気がしたけど?」
榎の母親、水無月 梢の声が聞こえた。榎は助けを求めるべく必死で声を出したつもりだが、背中が圧迫されて、低いサイレンみたいな声しか出せなかった。
「お母さん。榎姉ちゃん、埋まってるよー」
続いて、小学二年生の榎の弟、楓の声が聞こえた。楓の助け舟によって、梢は榎の居所を察知。段ボールの山を積み直し、救出してくれた。
無事に助けられて、ようやく榎は家の中へ入れた。気付けに暖かい茶を飲みながら、なぜ段ボールの下敷きになったのか、経緯を母に話した。
梢は呆れて息をついた。頭痛がしたらしく、額に指を当てていた。
「まったく、あんたって子は。どうしてそんなに、お転婆なのかしらねぇ?」
「だってさ、玄関が塞がれて、中に入れなかったんだよ。目の前に山があったら登るでしょ、普通」
「表から入れないなら、裏の勝手口を使えばいいでしょうに。わざわざ段ボールを登って乗り越えようなんて、女の子なら考えないわよ。もうすぐ中学生なんだから、少しはおしとやかさを身につけなさい」
びしりと言われ、榎は唇を尖らせた。
榎は外見も性格も、かなり男勝りだ。髪は短く、服装はいつもトレーナーとズボン。身長も小学生の平均より高めで、初見の相手には必ず、男の子と間違えられた。
毎日外に出掛けては、泥だらけになって野球やサッカーに興じた。親に怒られると分かっている無茶な行動を平気でやってのけるやんちゃっぷりも、榎が女の子だと周囲が分からない要因の一つだった。
「どーせ、あたしは女の子らしくありませんよ。普通じゃないなんて、あたしが一番よく分かってるもん」
榎はふてくされた。周りから女の子らしく、大人しくしなさいと言われる度に、榎は不機嫌になった。
なれるものなら、とっくになっている。榎だって、女の子らしくなりたいと、憧れや理想をもっていた。
ただ、他の子みたいに、女の子らしい格好や動作をしたいと思っても、どうやればいいのか、さっぱり分からない。
髪の毛を伸ばす? スカートを穿く? ちょっと外見を変えたところで、周囲から色気づいたと物笑いの種にされるのがオチだ。
本当に女の子らしくなんて、なれっこなかった。
中学に入れば、嫌でも制服のスカートを履く羽目になるだろうけれど、きっと根本的な部分は何も変わらないに決まっていると、諦めていた。
「だいたい、あの箱の山は何なのさ。誰か引越しでもするわけ?」
女の子らしさがどうこうと、いつまでも話を振られるのは嫌だった。なので、榎はすかさず、話を逸らした。
話題が箱に向いた途端、梢の表情が曇った。
「榎。今からすっごく大事な話をするから、よく聞くのよ」
「どうしたの? 急に畏まっちゃって」
「いいから、聞きなさい。最近の不景気でお父さんの会社、うまくいっていないの。今まで、なけなしの収入でやりくりしてきたけど、限界がきてしまったのよ」
「限界ってつまり、まさか……?」
嫌な予感に、榎の頬が引き攣った。梢は深く頷いた。
「会社が倒産したのよ。今住んでいる家も土地も、全て借金の形に入るから、手放さなきゃいけなくなったの。この家に住んでいる全員、引っ越すのよ」
「じゃあ、玄関の荷物、うちにあるもの全部?」
梢は領いた。榎のこめかみを汗が伝った。
周囲を見ると、台所の食器や、いつも居間に積み上げられている洗濯物が、綺麗さっばり消えていた。
母の話が嘘でも冗談でもないのだと、瞬時に察した。
「この家を出たら、あたしたち、どこに住むの!? 行くところあるの? 大所帯で小さなアパート暮らしなんて、嫌だよ!」
水無月家は家族が多い。榎には父と母、弟の他に、上に兄が五人もいた。
長男は既に独立して家を出ているが、あとはみんな、この家で暮らしている。兄弟で女の子は榎一人だけだ。男だらけの家系が、榎が男勝りな性格になってしまった要因の一つでもある。
そんな男ばかりで賑やかな家庭だが、大きな家で広々と生活しているから、平和に暮らせているのであって、環境が変わればストレスまみれになるだろうとは、目に見えていた。
「お父さんとお母さんと楓は、ひとまず知り合いの不動産屋さんのつてで、小さなアパートの空き部屋を借りる手筈になっているの。椚は大学のお友達の家にしばらく厄介になるっていっていたし、柳と楢と杉は、三人まとめて樹がマンションで面倒見てくれるって」
兄たちの名と行き先が、ひとしきり羅列された。だが、肝心な部分が抜けている。
榎の行き先について、一言も触れられなかった。
「……みんなの住む場所は分かったけれど、あたしの行くところは? あたしだけ住む場所ないの? ホームレスやれってわけ? 山でテント暮らし? サバイバル!?」
榎は、公園の水を飲んで雑草を食らい、人気のない場所でテントを張って、段ボールに包まって震える日々を送る姿を想像した。
考えなければ良かった、と後悔するほど、嫌だった。
「誰も、そんな生活させないわよ。どこも手狭だから、榎にはちょっと遠くへ疎開してもらいたいの」
取り乱す榎を宥め、梢は話を続けた。
「榎は京都のお母さんの実家、知っているわよね?」
「お母さんの実家って、お寺でしょ?」
榎は、幼い頃の記憶を手繰り寄せた。小さい時に一度だけ、遊びに行ったな、と思いだした。
「ピンポーン、正解。京都にある花春寺っていうお寺。榎には明日からしばらく、そのお寺で暮らしてほしいのよ、お願いね?」
手を合わせてお願いしてくる梢に、榎は難色を示した。
「じゃあ、学校も京都なの? 友達と別れるなんて、嫌だよー」
「なら、ホームレスしながら、名古屋の学校に通う?」
「……ぐぬぬ、ホームレスは嫌だ」
ストレートに返され、榎は歯ぎしりするしかなかった。
「数ヶ月の幸抱よ。生活の目処が立ったら、戻ってこられるように手配するから。ぎゅうぎゅうの部屋で息苦しく生活するより、ずっと気楽だと思うわよ」
気楽かもしれないが、不安だらけだった。
まだまだ喉の奥からでてきそうな愚痴を、榎はぐっと堪えて俯いた。
我侭を言ったところで、聞き入れてもらえる空気でもない。みんな大変で、不自由な思いをするのだから、榎だけ駄々をこねるわけにもいかない。
しぶしぶ、榎は頷いた。
翌朝。必要最低限の手荷物だけを持って、榎は名古屋駅から新幹線に乗り込んだ。
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