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将星墜つ
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信長引退より3年。彼は縁側で昼寝をしている間に息を引き取った。孫が声をかけたところ返事がなく、医師が確認したときにはすでに完全に息が止まっていた。
戦国の魔王として末路は部下に裏切られての討ち死にしかないと言われていた。安国寺恵瓊は信長の時代はこれから数年は続く。官位などを得てその権威を高めるが、思わぬところから転んで立ち上がれなくなるだろう。部下の藤吉郎というものはさりとては取って代わるかもしれない。と毛利本国に書き送っていた。結果として、信長の陰にいた秀隆の暗躍によって、信長の行き過ぎた部分は抑えられ、より効率的な政策がもたらされたた。恵瓊は毛利輝元の挙兵に応じ、流罪となっている。
閑話休題、信長の死は改めて衝撃をもって日ノ本を駆け巡ったが、結果として動揺は起きなかった。織田幕府の体制は盤石になりつつあり、今更騒動を起こしてもひっくり返ることはないという認識が広まっていた。また働く先として南北の外地があり、言い方は悪いが戦しかできない人材の受け皿となっていたのである。
信長の葬儀は父と同じ万松寺にて執り行われた。すべての官位を辞し、一布衣であったが、諸国より様々の人が訪れ、荼毘に付された後の墓所にも参る人が後を絶たなかった。また朝廷より正一位の散位が追贈された。また夫人の帰蝶にも従一位が贈られた。これは天下統一をなした信長の功績を朝廷が正式に認めたということである。諡号として総見院殿贈大相国一品泰巌大居士を贈られ、のちに京都に神社が作られた。建勲社の名を下賜された。
帰蝶は落飾し、万松寺にて尼となり、信長の菩提を弔った。墓所のそばに総見庵という小さな家を建て、2年後の死去迄そこで静かに暮らしたという。
信長の死に最も衝撃を受けたのはともに戦い抜いた秀隆であっただろうか。彼も信長に倣い、全ての官職を辞し、那古野の町で子供に手習いと算盤を教えていた。時には妻とともに出かけたり、孫たちが訪ねてくることもあったという。
釣りに出かけることもあり、まれに魚を持って帰ると家人や妻女が驚いたと言われる。
ときには旧友が訪ねてくることもあった。前田のご隠居とか柴田のご隠居とか羽柴のご隠居とか、やたら偉い人ばかりなのはまあ、人脈というべきだろうか。そもそも息子が尾張の領主だったりする。
佐久間のご隠居とは碁敵で、よく碁盤を囲んでいる。横からほかのご隠居があーだこーだと口出しを去れ、うるさいとか声を上げることもあったが、とても楽しそうであったという。
信長の死からさらに数年。次々と彼とともに世を駆け抜けた武将が後を追うように亡くなってゆく。柴田勝家、佐久間信盛、徳川家康、池田恒興、川尻秀隆、蜂谷頼隆、浅井長政。
そして時は流れ、幕府は3代将軍の御世を迎えていた。秀隆は遠乗りに出かけた。と言っても早駆けではなく、馬を歩ませのんびりと尾張領内を見て回るのだ。
秀隆は付近の光景にふと懐かしさを覚えた。そして違和感を覚える。ここは松川の渡しであった。そして唐突に左肩に激痛が走る。それは半世紀近く前に受けた矢の古傷である。
「そうか、元に戻るんだな。是非に…及ばず」
秀隆は落馬し、そのまま動かない。しばらくして帰りが遅い主を探しに来た家人が、倒れた秀隆を見つけ彼の家に担ぎ込んだ。
だがすでに秀隆は息を引き取っていたという。あとには妻の泣き崩れる声が残された。
暗闇の中を落ちてゆくような感覚のみがある。落馬したはずが痛みがなく、これが死かと冷静に思い出した。そして信長が逝った日の夢を思い出していた。
「喜六郎よ。ひとまずおさらばのようじゃ。世話になったのう。一足先にお主が来たときの果てにて待つ」
「兄上? それはどういう意味ですか!?」
「ふ、後になればわかる。再開が今から楽しみじゃ。わっはっはっはっは!」
そして秀隆の意識は闇に包まれていった。
戦国の魔王として末路は部下に裏切られての討ち死にしかないと言われていた。安国寺恵瓊は信長の時代はこれから数年は続く。官位などを得てその権威を高めるが、思わぬところから転んで立ち上がれなくなるだろう。部下の藤吉郎というものはさりとては取って代わるかもしれない。と毛利本国に書き送っていた。結果として、信長の陰にいた秀隆の暗躍によって、信長の行き過ぎた部分は抑えられ、より効率的な政策がもたらされたた。恵瓊は毛利輝元の挙兵に応じ、流罪となっている。
閑話休題、信長の死は改めて衝撃をもって日ノ本を駆け巡ったが、結果として動揺は起きなかった。織田幕府の体制は盤石になりつつあり、今更騒動を起こしてもひっくり返ることはないという認識が広まっていた。また働く先として南北の外地があり、言い方は悪いが戦しかできない人材の受け皿となっていたのである。
信長の葬儀は父と同じ万松寺にて執り行われた。すべての官位を辞し、一布衣であったが、諸国より様々の人が訪れ、荼毘に付された後の墓所にも参る人が後を絶たなかった。また朝廷より正一位の散位が追贈された。また夫人の帰蝶にも従一位が贈られた。これは天下統一をなした信長の功績を朝廷が正式に認めたということである。諡号として総見院殿贈大相国一品泰巌大居士を贈られ、のちに京都に神社が作られた。建勲社の名を下賜された。
帰蝶は落飾し、万松寺にて尼となり、信長の菩提を弔った。墓所のそばに総見庵という小さな家を建て、2年後の死去迄そこで静かに暮らしたという。
信長の死に最も衝撃を受けたのはともに戦い抜いた秀隆であっただろうか。彼も信長に倣い、全ての官職を辞し、那古野の町で子供に手習いと算盤を教えていた。時には妻とともに出かけたり、孫たちが訪ねてくることもあったという。
釣りに出かけることもあり、まれに魚を持って帰ると家人や妻女が驚いたと言われる。
ときには旧友が訪ねてくることもあった。前田のご隠居とか柴田のご隠居とか羽柴のご隠居とか、やたら偉い人ばかりなのはまあ、人脈というべきだろうか。そもそも息子が尾張の領主だったりする。
佐久間のご隠居とは碁敵で、よく碁盤を囲んでいる。横からほかのご隠居があーだこーだと口出しを去れ、うるさいとか声を上げることもあったが、とても楽しそうであったという。
信長の死からさらに数年。次々と彼とともに世を駆け抜けた武将が後を追うように亡くなってゆく。柴田勝家、佐久間信盛、徳川家康、池田恒興、川尻秀隆、蜂谷頼隆、浅井長政。
そして時は流れ、幕府は3代将軍の御世を迎えていた。秀隆は遠乗りに出かけた。と言っても早駆けではなく、馬を歩ませのんびりと尾張領内を見て回るのだ。
秀隆は付近の光景にふと懐かしさを覚えた。そして違和感を覚える。ここは松川の渡しであった。そして唐突に左肩に激痛が走る。それは半世紀近く前に受けた矢の古傷である。
「そうか、元に戻るんだな。是非に…及ばず」
秀隆は落馬し、そのまま動かない。しばらくして帰りが遅い主を探しに来た家人が、倒れた秀隆を見つけ彼の家に担ぎ込んだ。
だがすでに秀隆は息を引き取っていたという。あとには妻の泣き崩れる声が残された。
暗闇の中を落ちてゆくような感覚のみがある。落馬したはずが痛みがなく、これが死かと冷静に思い出した。そして信長が逝った日の夢を思い出していた。
「喜六郎よ。ひとまずおさらばのようじゃ。世話になったのう。一足先にお主が来たときの果てにて待つ」
「兄上? それはどういう意味ですか!?」
「ふ、後になればわかる。再開が今から楽しみじゃ。わっはっはっはっは!」
そして秀隆の意識は闇に包まれていった。
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