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第1章 あずみ

action 9 煩悶

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 バリバリッ。

 ムシャムシャッ。

 まるで骨付きのローストチキンを食い散らかすような勢いで生のカラスを食べ終えると、

「ふう」

 あずみはひどく満足げな吐息を吐いて、束の間目を閉じた。

「あずみ…おまえ」

 何と声をかけていいか、わからなかった。
 
 第一、今のカラス、いったいどこにいたんだ?

 ベランダにそんな大きなものがとまっていたら、いくらボンクラな僕でも気づくはずである。

 とすれば、窓の外を飛び過ぎようとしたやつを、素手で捕まえたとでもいうのだろうか。

 どちらにせよ、それも人間ワザとは思えない。

「あー、ちょっとおなかふくれた」

 可愛らしいげっぷをして、あずみが眼を開いた。

 カサブタが取れた分、頬のラインがシャープになって、美人度が増した感じがする。

 女子力がパワーアップしたというべきか。

「でも、カラスってあんまりおいしくないね。ふだんゴミばかり漁ってるせいかな、なんか苦かったよ」

 セーラー服に飛び散った黒い羽根を手ではたき落としながら、何でもないことのように、そう言った。

「ていうかさ」

 やっとのことで、僕は言葉を続けた。

「なんで生きたカラスなんて食べてるんだよ? いくら食べ物がないからって、何もナマで…」

「だよね」

 哀しそうにあずみが根を伏せた。

「目が覚めたら、すごくおなか空いてて、どうしても、生肉が食べたくてしょうがなくなって…」

 なるほど。

 今のこの状況で、生肉を所望するのは難しい。

 電気が止まっているから、冷蔵庫が使えず、ナマモノはすべて腐ってしまったに違いない。

 それこそ生きたやつを捕まえるしか、生の肉なんて、手に入れる方法はないだろう。

「あずみ、やっぱり、ゾンビになっちゃったのかな。あのおばあさんに、噛まれたせいで」

 頬の上で、長い睫毛が震えている。

 どうやら泣いているようだった。

「うーん、どうなんだろう?」

 僕は正直に言った。

「今まで見たり聞いたりした情報では、発病すると完全に理性を失って、ひたすら人間を襲う…それがゾンビってことだよな。現に俺が見た人たちもみんなそうだったし…。でも、おまえは明らかに違う。頭はしっかりしてるし、外見もほぼ元通りだ。だからあながち真正のゾンビとはいえないんじゃないかと思うんだが…」

「ハーフゾンビって感じかな? ほら、ファンタジーに出てくる、ハーフエルフみたいな」

「ハーフゾンビ? そんなの、聞いたことないぞ」

「あずみが怖いのはね。このままだと、いつか本当のゾンビになっちゃうんじゃないかってこと」

 涙で濡れた瞳が、僕を正面から見つめてくる。

「どこがどうとはいえないけれど、自分でも、何か変わったなって気がするの。何か、根本的なところで、大事なものが…。あずみ、このままだと、お兄ちゃんを襲っちゃうかもしれないって、そう思う。今度おなかが空いて、近くに食べ物がなかったら…。でも、それだけは、絶対に嫌なの」

 僕は最近出てきた自分の下腹のあたりをさすってみた。

 そして、さっきまで考えていた選択肢のひとつを思い出していた。

 カマキリのオスみたいに、ゾンビになったあずみに頭から齧られて死ぬ。

 それがお互いいちばん幸せなのかもしれないのだ。

「おまえに食われるなら、俺はかまわないよ。ほかのゾンビは願い下げだけど」

 ふっと肩の力を抜いて、僕はつぶやいた。

 この3日間で、なんだかどっと疲れてしまっていた。

 どうせセカイが終わるなら、ここで死ぬのもありかな、とふと思う。

 この部屋に籠城していてもいずれ餓死するだけだ。

 かといって、外に出ればそこは文字通り、弱肉強食の生き地獄だろう。

 無能なヘタレ学生の僕が、その生き地獄の中を生き延びられる可能性なんて、万に一つもない。

 小説やアニメみたいに、潤沢な銃火器なんてどこにもないだろうし、仮にあったところで使い方すらわからないのだ。

 物思いから覚めると、あずみが涙で濡れた目を見開き、唇をわななかせていた。

 じゃ、いただきまーす!

 と齧りついてくるかと思ったら、そうではなかった。

 あずみは僕をきついまなざしで睨むと、機関銃のような早口でしゃべりはじめたのだ。

「そんなの駄目だよ! あのね、この際だから告白するけど、あずみ、高校出たらお兄ちゃんの奥さんになるって決めてたんだよ! そんな、未来の旦那さんを食べるなんてこと、いくらハーフゾンビだからって、できるわけないじゃない! だからさ、そういう後ろ向きなこと考えるんじゃなくって、何か方法探そうよ! このゾンビ化を止める方法を!」

「は?」

 度肝を抜かれるとは、まさにこのことだった。

「おまえ、今、どさくさにまぎれて、変なこと言わなかったか?」

 奥さん、とかなんとか。

 そんな単語が聞こえたような気がするが。

「変じゃないよ。あずみはお兄ちゃんと結婚する。だから人間に戻らなきゃならない。以上、証明終わり!」

「だって…」

 僕はあんぐりと口を開けた。

「俺たち、兄妹なんだぜ」

「それがどうしたの?」

 挑むような眼であずみが言う。

「血はつながってないんだよ。だからあずみとお兄ちゃんは、ただの男と女なんだ」

 

 

















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