アカネ・パラドックス

雲黒斎草菜

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【第三章】追 跡

  遠くて近きは 時間(男)と空間(女)の中  

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「く……ぬ……う……ぅ」
 優衣はいつまでも両手をシールドに捉えられたままで、動くたびに青白いスパークを飛び散らしていた。

「放せよ、ユイ。どうしたんだ?」
「そ、それが手が抜けなくて……。うん。くぬっ」
 体を捻って抜け出そうとするが、腕の周りで派手に電光が放出するだけ。猛烈な光で目がくらみそうになる。

「マジかよ。大丈夫なのか?」

「あ、はい。ダメージはほとんどありませんが、身動きが取れません」
「どうなってんだ?」

 床から天井へと張り巡らされた不可視の膜に目を凝らす。視覚的にはほぼ透明。斜めから注意深く見ると、陽炎(かげろう)に似た空気の歪みを見ることができる。わずかにゆらゆらする部分に指を当てると、激しく火花を散らして跳ね返してくる。力を掛けるほどその勢いも増し、
「痛ててて」
 それは無数の尖った針で突かれたような痛みを伴うため、すぐに戦意を失う。

「その痛みはやがて脳髄にまで達するぞ。生命体には耐え切れぬほどの痛みがな」
 再び鈍い空気の揺らぎを伴って、チビ野郎がこちら側に姿を現した。

「ちょこまかと……。ネズミか、こいつら」

 そいつはしゃがれた声で説明する。
「一番様が拵えたシールドは特殊仕様じゃ。生命体は透さず、アンドロイドは吸着して捕らえ、そこから逃れることはできない。ハエ取り紙の要領じゃな」
「そんな古いことを知っているアンドロイドも珍しいぜ」

 司令官はシールドの向こうから、憎々しげにマントを翻し、
「それにしても女王様。まさかこんな形で対面するとは……はて、そうすると我々は騙されていたと?」
 白々しくそう言って首をかしげるトパーズ色の目ん玉野郎。その傍(かたわ)らへと、俺の横にいた灰色の野郎が瞬間移動した。

「せっかく苦労して生命体を根絶やしにしたと言うのに、まだ生き残っていたとはのう」

 そいつが現れる場所に最初から視線を固定していた別の一体が、フードの裾(すそ)を勢いよく旋回させて、敵意丸出しの口調で言う。
「お主らみたいなのをゴキブリと言うんじゃ。害虫じゃ、害虫。有害以外何もない。そんなのは早急に退治せねばいかん!」

 床との間で乾いた摩擦音を出し、そいつが玲子の正面に俊敏な速度で移動した。
 が――。

 ドダァーン。

 大きな金属音と火花が散った。
 目にも留まらぬ速さだが、玲子は見切っていたようで、的確な位置に剣を振り落としてそいつの脳天をヒットした。

 あいつの動きには胸がすく思いだ。俺はたちまち爽快な気分になった。
「おらよっと。灰色のドブネズミ、いっちょありー」

 俺は身を躍らせ、玲子も楽しげに声を張り上げる。
「あたしの家にはネズミもゴキブリもいないからね」
「あーそうさ。男だって寄り付かねえんだぜ」
「うっさいわね!」
 間髪入れず睨まれた。

「じょ……冗談の通じねえ奴だな」

「ひゃぁっ、ひゃぁっ、ひゃぁっ」
 変な笑い声で応えたのは司令官だ。俺のギャグがウケたのかと思ったが、
「雌(メス)のダンスが見れる。おい、オマエらゆっくりやれ。ワタシは美しいものが死ぬ間際を見るのがいちばん楽しいのだ」

 趣味悪い野郎だな。ほんと……。
「美しいって褒めてくれてるからいいじゃん」と玲子。

 こいつも都合のいい耳をしてやがる。

「レイコさん。タスクたちも電撃ロッドを隠し持っています。気をつけて!」
 優衣だけは真剣だった。シールドに捉えられた両腕から激しいスパークを放出しながら告げた。

「タスク?」
 聞き慣れない言葉に振り返る玲子。正面に対峙した灰色も同じように優衣へ首をかしげた。

「これは面妖な。我らを 『タスク』 と呼ぶととは? なぜ女王にしか知らぬ情報をこのアンドロイドは持っておる?」
 一人の灰色が言い。
「勘違いするな。このアンドロイドが女王だったのじゃ」と言うのは、もう一人の灰色ぼろ雑巾。
「それは面妖な。女王は我々とほぼ同じ時をして誕生しておるはずじゃ」

 副主任と同じ疑問を浮かべるので、三人の雑巾に言い放ってやる。
「お前らの頭じゃ考えられねえよ。もっと複雑な時間の流れを女王は拵えたんだ。へっへーだ」

「「「時の流れとな?」」」
 三人の視線が俺へと向き、すぐに玲子の摺り足がわずかに動く。

 同時に左へスライドした1匹の灰色野郎が、瞬く間もなく俺と玲子を遮断するシールド面のすぐ近くに出現。
 だがその動きよりも速く、玲子の剣が奴の眉間辺りを突いた。
「サァイッ!」

 バァーン!

「うっぎゃーっ!」
 忽然と青白い閃光が激しくほとばしり、でかい金属音がホールを響き渡る。

「すっげぇ」
 俺の意識が移るよりも早く動く玲子に圧倒だ。

 ぼろキレ野郎は一旦シールドに弾き飛ばされ、火花を散らして司令官の足元近くまで滑って行った。

 それを目で追ってはしゃぎまくる司令官。
「おほぉぉー。これはいいぞ。ヒューマノイドにはあり得ない見事な動きだ。こら四番。そんなところで寝てる場合ではない。もっと機敏に動かぬか。このバカもの」

 こっちだって玲子の切れのある妙技は見ていて気分がいい。
「おーら、よっと! どうだこの動き。もういっちょあがりだ! これでトータル2匹目だぜ」

「うひゃひゃひゃ。いいぞ、いいぞ。ワクワクしてきた。もっと私を楽しませてくれ」
 司令官は身をくねらせ、トパーズ色の瞳を煌めかせて歓喜にまみれている。

 ぼろキレ野郎は何事も無かったようにムクリと起き上り、それぞれ三方へ散ってフードの中から不気味な赤い目でこちらを睥睨した。

 続いて妙な間を空け、いきなり床を滑って来た。
「ゴキブリは早急に退治せねば、ぐわぁー」
 セリフと共に優衣の近くに瞬間移動するものの、やっぱり先に察知されていたらしく、そいつは玲子に後頭部を蹴られて祭壇のど真ん中に吹っ飛んだ。

「ど、ぐわっ! がっ! んがっ!」
 悲鳴なのか怒声なのか、切れのいい声を連発して祭壇を粉砕しながらその奥へと転がって行った。

 2秒もしないうちに、
「やれやれ、就任式が台無しじゃわい」
 半瓦礫と化した祭壇の深部で、ガシャガシャと破片を踏みつけながら平然と起き上がった。

「ゴキブリはあんたたちよ!」
 そのネズミ野郎に玲子が怒鳴る。

 それにしてもあいつらは大きな攻撃を仕掛けるわけでもなく、ちょっかいを掛けるみたいに玲子の周囲へ現れては蹴散らされるだけだ。
「きっと疲れさせてから襲う気です」

 司令官は銀白のマントをなびかせて立ち上がると、不敵な笑いを浮かべた。
「うるさい小バエと元気のいい虻(あぶ)はここに捕らえてある。さぁ帝国軍は反乱グループを征圧するんだ!」

 せっかく玲子が壊滅状態にまで追い込んだ帝国軍だったが、再び大勢の兵士や検非違使が奥から出て来て、進軍の足音も高らかに、たじろぐ俺たちをぐるりと取り囲んだ。

 前方は不可視のシールドで閉じ込められた玲子と張り付いて動けない優衣。後方は帝国軍の大勢の兵士、あいだに挟まった反乱軍は徐々に焦りの色を濃くしてきた。

「いったい検非違使は何体あるんだよ?」
 圧倒的な数に、つい弱気になるのは当然だ。

「検非違使のシリアル番号は十種しかありませんが、次々とコピーが生まれますので、カーネルを止めない限りエネルギーが切れるまで出現します」
 意外と渋い声でそう言ったのは、同じ検非違使の恰好をした反乱軍の男性ヒューマノイドだった。

 俺には丁寧な言葉でそう言うと、副主任に近寄った。
「ご苦労だったな、MS9(エムエスナイン)」

「まさかこうしてまた会話ができるとは……タノーマル殿。ご無事で何よりです」

「はは。どうだ。みんな当時のままだぞ。見てみろ、ノジマのひょうけた顔もそのままだ」
 一人の男を引き寄せる、その人物は片眉を妙な形に吊り上げて見せ、
「やあ、MS9。60年ぶりだな。元気していたか?」
「ノジマ先生。生きていて本当にうれしいです。また緊急医療処置の講義をお願いします」
「ああ。これが済んだらいつでもやってやるさ。オレもアンドロイドに向かって講義できるのが嬉しい。これもすべて女王様のおかげさ」

 MS9というのが、副主任の正式な呼称だと分かったが、部外者の俺にはとても入りずらい空気がある。

「六番はどうした。お前の師匠だろ?」
 副主任は急激に瞳の光量を落とした。
「六番様は遺伝子操作のトリックを暴いたらしいのですが……2ビットの連中に破壊されました」
「そうか。一歩遅かったのか……悔しいな」

 声を掛けていいのか、ますます入りずらい。
「あ、あの……」
「これはマイスター様」
 検非違使の恰好をしたレジスタンスのヒューマノイド、つまりこの星のもとの種族。クロネロアシティの本当の住民たちが俺の前で片膝を突いた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺はアルトオーネと呼ばれる星の者でさ、裕輔って言うんだ。別にこの星に移り住もうなんて思っていない」

「あなたがコマンダーだということは女王様からうかがっております。我々からしたらあの方は救世主。そのお仲間ですから、もう感謝の言葉も浮かびません。本当にありがとうございます」

「いや、そういうセリフはこの戦いが終息してからにしようぜ。こっちだって、ほら、仲間二人がシールドに捕らえられたままなんだ」
 シールドの外で両腕を拘束されてもがく優衣と、その中で3人の賢者と睨み合う玲子たちを顎で示す。

「しかしあの黒髪の女性の活躍はすばらしいですな」
「あんまり自慢したくないけど……俺の上司なんだ」
 なんでそんなことを言ったのか、これは永遠の謎だな。

 そこへ衣服も着けていないアクチュエーター剥き出しのアンドロイドが副主任の前に飛び出し、ひれ伏した。
「七番様。先ほど無礼な言葉を数多く発しましたことを深く反省しております」

「おいおい拾六番、頭を上げろ。あれでいいんだ。お前の真に迫る演技のおかげで司令官にバレずにここまでシーケンスが進んだんだ。逆に感謝している」
「まさかこのような展開が待っていたとは思ってもおりませんでして。再びノジマ様やタノーマル主宰……エミリ様と……」
 二人は閉じ込められた玲子と優衣を祈るように見つめている一人の女性へ、そろって視線を滑らせた。

「ああぁ。妹も昔のままだ。見ろ美しいだろう」
「………………」
 長く風になびく緑かかったブロンドと透き通った瞳、端正な面持ちに幼げな雰囲気が残る女性だ。
 拾六番は視線を固定して言葉を詰まらせ、ノジマさんも目を細める。

「ほら、後ろから帝国軍の兵が迫って来るぞ」と副主任に促されて、
「そ、そうだ。マスターを守るのはオレたちの命(めい)だ。よ――しっ、みんなオレに続け、カーネルから独立を勝ち取るぞっ!」
 威勢よくロッドを振り回して、バトルの渦中へ飛び込んで行った。

 熱意に燃える後ろ姿を目で追いながら、
「拾六番はエミリ様の従者に昇格して喜んでいた……たったの五日間だけど……でも死んだと思っていた人が生きていて、また従者に戻れるんだ。あいつ張り切りるぞ」
 副主任の言葉が痛く熱く伝わった。死んだと思っていたあこがれの人が生きていたんだ。さぞかし嬉しいだろう。


 ところで、こっちの世紀末オンナはどうなった?

 優衣は艶かしげに尻を振ってシールドから逃れようとし、特殊危険課の課長はいつものようにがなりあげていた。

「ほらー! 雑巾バカ! あんたらの動きなんか見切ってるわよ」
 玲子は次々と襲ってくる三人の賢者をことごとく蹴り上げ、あるいは真紅の剣で叩きのめしていた。

「すごいな。レイコくんの動き」とは副主任。
「あいつは修業を積んだ気功遣いなんだ」

「しかしこのままではまずい」
 横から伝えてきたのはタノーマル主宰だ。ノジマと呼ばれる男と同じでふさふさの金髪で、男性は身長も高くがっしりした体格ぞろい。女性は丸みを帯びたほっそりした肩に長めのブロンドヘアーを泳がし、量感のある胸ははち切れんばかり、すぐに目が留まってしょうが無い。

「このシールドを外すには最上位のプロセスを止めるか、スーパーバイザーであるカーネルを停止させるしかありません」
 ノジマと言う男はシステムにも詳しらしく、具体的なアイデアを持っているようだ。早くしないと、いくら超人的な玲子でも一方的に攻められては、疲れが出るのは必然だ。

「どうしたらいいんすか? 俺、なんでも手伝いますんで……」
 副主任は捕らえられた優衣のほうが気になるようで、 
「ユイさん、大丈夫か?」
「ワタシはまだ余裕があります。でもレイコさんをバイオスキャンしたところ、空腹状態みたいです」

 タノーマル主宰が角ばった顎を擦りつつ、
「やはりこのシールドを外すのが先決だな」
「コントロールポートはどうなっている?」
「この100年のあいだに、2ビットの連中は自分たち以外にカーネルを制御できないようにする改造を施してからポートを破壊しました」
「制御不能か……」

 さすがに心配になって来た。
「まずいっすよ。あいつ朝から何も食って無くて……」
「それならお供え物に食事が載っています。今朝作られたばかりのものですよ」
 破壊を免れた祭壇の端に山盛りのフルーツや調理済みの料理が並んでいた。

「玲子! 祭壇に食い物がある。あれでひと息つけろ」
 俺の声はシールドを突き抜けて、奴の耳に届くようだが、
「やだよー。ミミズのパスタがあるじゃない。あれ見た途端、全部が同じに見えてくるんだよー」
 右手から立ち現れた灰色雑巾野郎に、肘鉄を食らわしながら顔を歪める玲子。

「ミミズとは何か知らないが、あれはライムタルムと呼ぶ食べ物です。高たんぱくで、すぐにエネルギーに変換される優良食料ですぞ」とタノーマル主宰。
「だとよ。玲子、食え!」
「やだ!」
 この野郎、一言で拒否りやがったな。

「死にたくなければ食うんだ」
「うげぇぇぇ」
 真剣に拒否の姿勢を表明する玲子だが、こればっかりは俺も同情の念を禁じ得ない。どこからどう見ても環形動物だもんな。

 それでも片手で剣を振り回しつつ、祭壇に歩み寄り、後ろ手に紫色の果物を掴んで艶やかな口に頬張る。
「うん。これはいけるわ。ジュースよ、ジュース」
 妖艶な唇の隅から果汁がしたたり落ちた。

「よ、よし。水分補給はそれで行け、次にやっぱ力がいるだろ、そのミミズを食ってみろ」
 コーチになった気分だ。女子総合格闘技のな。
「ミミズって言うな、裕輔!」
「す、すまん。ライムなんとかって言う優良食料だった。きっと美味いぞ。そうだ。今の果物と一緒に食うと美容に良い。ああ。ぜったいそうに決まってるって」

「やだやだ。絶対食べない」
「ば、バカ野郎。食うんだ。そうしないと力が出ないだろ。食え!」

「あたしは美食家なのよ! ゲテモノを食べる趣味は無いわ」

 高級レストランの常連客だと豪語するだけはあるほどの金持ちだからな。だがこいつの舌は壊れている。
 美食家が雑巾の絞り汁みたいなお茶を淹れるワケがない。
 オムライスを作っていたはずが、いつの間にか謎の物体エックスに変質させる能力は美食家とは異なるジャンルにカテゴライズされる。

 玲子に力を与える食事を探り、かつ優衣を解放させるべきこのシールドを解く手段を探る。一石二鳥の画期的な方法……。
 ああ。何かいいアイデアはないか?
 というより、いつから俺はこいつらのマネージャー的存在になっていたたのだろうか。そのほうが気になるぜ。
  
  
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