黒焔の保有者

志馬達也

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第Ⅱ話

Ⅱ ⑤

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 チャポンと水が蛇口か落ちる音が響く。
 温かいお湯が張られた浴槽に沈めるように入浴する。お湯の温度はちょうどで気持ち良いものだった。

「はあ……」
 舞の盛大なため息が浴室に響く。誰もいないとは言え、さすがに少し大きかったかなと思う。
 考えているのは今日のこと。
 とうとう小隊内で武現化ができていないのが自分一人となってしまった。もちろん茜が成功したのは本当に嬉しい。実際にあの時、目の前で成功したのを見て、本当に良かったとも思った。
 だけど、それ以上にみんなができているのに、自身ができていないことに劣等感を感じてしまった。
 悠一には、普通は武現化を成功させるのに二ヶ月ぐらいかかる。だから、今できなくても気にすることはない、と励ましの言葉をもらった。
 その時は気にしていないと返したのだが……果たして自分は上手く笑えていたのだろうか。気にしていないと返したが、たぶん悠一には見抜かれてしまっているだろうな。
 それにしても……自分が所属する309小隊は、身内で思うのも贔屓に思われてしまうかもしれないが……すごい人たちが集まっているなと改めて感じた。

 リーダーの佐久間は落ち着いていて、あれでいて全員のことを心配してくれている。この間、たまたま廊下ですれ違ったときに特訓のことを知っていたのかわからないが「無理はするなよ」と声をかけてくれた。普段、あまり喋らないためかそのときはビックリした。
 久遠さんはすぐに武現化を成功させていた。大和くんに先を越されてとても悔しそうにしていたけれど、それでも短期間で成功させるのはすごい。もっと仲良くなりたいのだけれども、何度喋りかけても一言だけで返事してくる。でも、そこもまた魅力なのだと思う。
 大和くんは小隊のムードメイカーだ。常にメンバーに話かけてくれる。そのためだろうか、小隊のメンバーが今のところ上手くやれているのは大和くんの存在が大きいと思う。最初の久遠さんとのあれも、今では何もなかったようになっている。
 茜は小隊の中でも、学園の中でも一番の親友と言ってもいいかもしれない。何でも話せるし、私も安心して小隊にいられるのは彼女の存在が大きい。
 そして悠一くんは……なんだろう。すごい人というか……なんだか、謎めいていると言ったほうが良いかもしれない。武現化も入学前からしていたみたいだし。今日の武現具を使った攻撃もなんだか普段から使い慣れているみたいだった。

「なんだろうね……」

 ポツリと呟いた。
 でも、なにかしらのことには関わっているのかもしれない。黒木先生とも前からv知り合いみていだったし……。
 考えるほど、わからなくなる。彼は何者なのか、高校入学前は何をしていたのか茜ちゃんと一緒の施設で育ったみたいだけども。
 というか、彼が何者かなんて舞には関係ないが、同じ小隊のメンバーとして一緒にやっていくためには知りたいという気持ちはある。
 だが、それ以上に気にしなければならないのは自分のことだ。
 小隊内で武現化ができていないのは舞だけとなった。しかも、だんだんと上手くできなくなっているのが自分でもわかる。
 原因はわかっている。でも、それは自身の気持ちの問題だ。誰かに何とかしてもらうということもできない。だからこそ、解決できるのは自分しかいない。
 どうしたものか……考えれば考えるほどわからなくなる。頭の中がゴチャゴチャになる。
 考えてもわからない……本来、気分転換のはずの入浴も逆に落ち込む時間となってしまった。
 もう考えるのは止めよう。
 そう、思い肩まで使っていたのを一気に頭までお湯に浸かった。




 それから一ヶ月が経過した。
 小隊のレベルは確実に上がっていった。ほぼ全員、武現化ができるようになっている。これは他の小隊と比べてみても大きな差がついていると言っても良いと思う。
 武現具を使用した攻撃も大まかだが、できるようになったと思う。特に久遠の成長スピードが著しい。まだ、完成形とは言えないが……それでも試験では大きな戦力となる。
 他のメンバーもこの調子なら試験までに完成できると思う。着々と戦力が整いつつある。これなら対処ができる。
 だが、一つ大きな懸念がある。それは、もちろん舞のことだ。
 彼女だけ、武現化が成功していない上に練習すればするほど悪くなっていると言っても良い。まあ、それでも普通の保有者よりかははるかにセンスがあるが……。
 本人もそれは分かっているようで、明るい性格はそのままだが、愛想笑いというか……元気がなくなっているのは俺にもわかった。
 どうにかしたいがどうにもできない。難しいジレンマに陥っていた。

「それは完全に見失っとるな」

 目の前で園長が音を立てながら茶を飲む。
 場所は園長室。今度は俺からここに来た。この間、園長に頼んでいたことの報告を聞きに来たのだ。

「その舞という子は『治癒』の能力を持っておるんじゃろ? まあ、希少な能力だとは思うが……その分、やはり前例があまりないから、能力の使い方なぞわかりにくいということもあるじゃろ」
「まあ……それはあるだろうけども……」

 だが、舞のは明らかにそれではないと思う。確かに『治癒』の能力は希少だ。保有者もあまり聞いたことはない。
 だけど、どんな能力であろうと向き合うのは自分自身だ。それをしない限りその先には進めない。
 思うに舞は能力と向き合うのを拒絶しているのではないだろうか。

「なんにせよ。保有者となったその瞬間から能力とは自分の体の一部であり、切り離せないものじゃ。だからこそ、向き合わなければ上手く付き合うことはできん。その子は拒絶しているという部分もあるじゃろうが……大前提としてあるべきものがないということもあと思うがの」
「大前提……? なんだよそれ」
「自覚じゃよ。保有者として能力と向き合う。それは確かに大切なことじゃ。だがの、それは能力を持っていると自分で確認してからこそ初めてできることなんじゃ。自覚がなければ自分の能力と向き合うどころか把握すらできん。おそらくはそういうことだとワシは思うがな」

 再び、湯呑を手に取り茶を飲む。
 確かにそれもあるかもしれない。自分が能力を持っているということを自覚しなければ安定して能力を使用することはできないだろう。確かに園長の言うとおりそれは大前提としてあるべきものなのかもしれない。
 保有者としての自覚か……。

「たまには良い事を言うんだな」
「抜かせ。ワシはいつでも良い事を言っておるわい。それよりもじゃ……」

 横に置いていた茶色の封筒を俺の前に差し出す。

「頼まれていた資料と当日に動かせる部隊のリストじゃ。まあ、あの情報自体が眉唾ものと思われとるらしいから動かせるのはあいつの指揮する部隊の一部だけとなったがの……」
「ありがとう。それだけで十分だ」

 中の資料を確認する。
 そこにはあの時よりも詳細な情報が記載されていた。機密事項らしいが、どうやってこれごど調べあげたのだろうか……。やはり、引退しても大佐という階級はバカにはできない。
 それに動かせる部隊だが、二班のみとなっていた、だが、これだけでも下手な一般部隊よりかは1000倍戦力になる。

「じゃが、それ。ワシに頼む必要があったのか? お前から頼み込んでも良かったろうに」
「俺にそんな権限あるかよ……。それに身内とは言え一つの班を動かすのにどれだけ大変か、あんた知ってるだろ?」
「それを知った上でワシに頼みこむお前もどうかと思うがの……」

 懐からタバコを取り出しライターで火をつける。そして一服してから、灰皿にタバコを置く。その灰皿にはすでに何本もの吸殻があった。

「気をつけろ、悠一。この件には幹部が関わっておる。下手に動けば目を付けられかねん」
「そこは園長とあいつに任せる。どうせ、動けば遅かれ早かれ何か言われるだろうしな。といううか、学園側には何も言っていないのか?」
「ああ……まだ、決定事項ではなかったからの。それにワシから言うとややこしいことになりかねん。じゃから息子には悪いが当日まで黙っておくつもりじゃ」

 確かに機密事項を元大佐とは言え引退した人間が知っているとなればややこしいことになりそうだ。
 学園側には悪いが知らせない方が正解かも知れない。黒木先生が怒り狂わなければ良いが。
 こうして一つ懸念が解消された。これで、舞のことに専念できる。
 だが、これといった解決方法は思いつかない。
 さて……どうしたものか。
 試験まで二週間を切っている。あまり時間は残されていないのは確かなことだった。




 屋上は澄み渡るような青空がよく見える。それにこの季節の風はとても気持ちがよく。俺のお気に入りの場所だった。
 それなりに広いスペースで、ベンチも何個か設置してあり、真ん中には花壇もある。まさに憩いの場としては最適の場所だと思う。
 だが、昼休みだというのに俺しかいない。試験が近いということもあるのだろうか。それとも、ただ利用する人が少ないだけなのか。どちらにせよ、今の状況にはありがたいことだった。
 ガチャとドアが開く。そこから表れたのは舞だった。

「ごめん、遅くなって……待った?」

 トテトテと少し小走りにこちら側へ来る。

「いや、そんなに待っていないから大丈夫」

 よく使われる文句だが、この時は本当にそんなに待っていない。
 舞には今日の朝に昼休み屋上へと来るように呼び出しておいた。そろそろ本気で解決しなければと思ったからだ。

「悪かったな、急に呼び出して」
「ううん、そんなことないよ」

 隣に舞が座る。その時に少しだけ良い匂いがして、なぜかドキドキしてしまう。
 ほら、と言って缶のミルクティーを渡す。ありがと、と言いながら受け取った。
 そこから少し沈黙になる。おそらく、舞も呼び出された理由は察しているだろう。
 なら、あとは進むだけだ。

「あのさ」

 緊張して声が少しだけ高くなる。

「俺がこんなこと言うのはどうかと思うんだが……気を悪くしたらすまない」
「……うん」

 本当に気が引けるが、ここで止める訳のはいかない。
 先へ進むには俺も舞と向き合わなければ、舞自身も能力と向き合えない。そんな気がした。

「その……舞は自分の能力のこと……嫌い……なのか?」
「………………」

 黙り込んでしまう。やはり聞いてはいけない部分だったのだろうか。
 風が強く吹く。さっきよりも寒く感じた。
 舞の返答を待ってみる。きっかけは作った。あとはなるようになるだけだ。

「うーん……ちょっと違うかな……?」

 ミルクティーを少し飲んだ。そして俺の方をジッと見る。

「悠一くはさ……どうしてそう思ったの?」
「どうしてって……」

 突然の質問。逆に聞かれるとは思っていなかったために虚を突かれたような感じた。

「あの時……二人で特訓している時に光が一つひとつ消えていったろ? 普通、失敗した時は霧散するはずなんだ。だから、その時に舞自身が能力を拒否しているからだと思ったんだ」
「そうか……やっぱりすごいね、悠一くんは」

 ベンチから立ち上がり、目を閉じて両手を横に伸ばす。
 そこから深呼吸をしているのが聞こえた。

「ねえ、悠一くんは能力を使って怖いと思ったことある?」

 振り向かずに聞く。

「それは……」

 今まであまり考えたことがなかった。
 この能力は使い方を間違えれば人を傷つけることにもなる。それに万が一、暴走してしまったら、手がつけられないものとなってしまう。
 そのため、多くの保有者は暴走しないように徹底的に自分の能力の把握に努めるし、制御できるように練習もする。今や能力を怖いと思う人はほぼほぼいないだろう。
 だけど……俺は知っている。一歩間違えれば、怪我だけじゃすまないことも、暴走を起こした保有者がどうなったかも。
 それを知っているからこそ、舞に対しての返事は決まっている。

「ああ……ある」
「そうなんだ……」

 少しだけ、沈黙があったあと。舞がやっとこちらに振り向く。

「悠一くん、ちょっとだけ……話をしても良いかな?」

 いつもの彼女とは違う儚い雰囲気。
 それは何か覚悟を決めたようでもあった。

「ああ」

 短く答える。
 それを聞くと笑いながら、ありがと、と言って隣に座る。

「私ね……五人家族だったんだ」

 舞が話す。表情は笑いながらなのは、自分のためだろうか。それとも俺に気を使っているのかはわからない。
 ただ、これから話されることは決して軽いものではないだろう。なら、俺も聞くと決めた以上は覚悟を決めなければならない。

「お父さんとお母さん、それに下に妹と弟が一人ずつ。両親とも仲が良かったから私たち兄弟も本当に仲が良かった」

 遠く見つめながら、舞は話を続ける。

「私が小学二年生の時に『治癒』の保有者だと分かったの、Cランクだったけど。家族は怖がらずに喜んでくれた。お母さんの方は少し心配そうだったけど、それでもわかってしまった以上はどうしようもないから……。弟と妹はものすごく喜んでた。『お姉ちゃん、すごい』って言いながら何回も能力を見せてってせがまれたこともあった。本当はダメだけど、少しくらいのケガだったら、私が能力を使って治したこともあったな」

 一旦、手にあったミルクティーを飲む。
 平然を装っているが、その手は震えていた。今にも缶を落としそうだった。
 それでも舞は話すことをやめなかった。まるで、懺悔をするみたいに。

「ある時……家族で旅行をしよう、ということになったの。お父さんはそれなりに忙しい人だったから、みんなすごく喜んだ。ガイドブックを見ながら、どこに行こう、何を買おうって決めたりし……あの時は本当に楽しかったな。この旅行を楽しくしようといろいろ買い物に行ったりした……」

 いつも明るいその声が今は、潤んで、震えていた。
 その先のことを言ってしまうのが怖いのだろう。微かに目元も涙で滲んでいる。

「旅行の日……お父さんの運転する車で旅行先へ行ったんだ。車の中はみんなで楽しく喋っていた。弟なんかはあれをするこれをするってずっと言っていた。お父さんは久しぶりの家族の時間だったからかもしれないけど、嬉しそうに……本当に嬉しそうにしていた。もう少しで到着と行ったところで……あいつらに……ゴーストに遭遇したの」

 缶を握りしめた手に力に入る。

「かなりの大群だったかな……それがいきなり目の前に現れの。だから、ものすごく混乱した。その場には私たち以外にも大勢の人たちがいたから……。必死に逃げようとしても人が人を邪魔して逃げられない。そしてそれをゴーストが喰っていく。本当に地獄のような光景だった」

 容易にその光景が想像できた。
 ゴーストは人だけを狙う。奴らにとって人は餌かなにかにしか思っていないだろう。

「私たちも逃げようとした。車は使えなかった。たぶん、前の方の人たちが乗り捨てたんだと思う。だから、道は動かない車だらけだったな。だから、私たちも車から降りて逃げた。全力で走った。後ろからたくさんの悲鳴や食われる音が聞こえたけど、振り向かないで……幸いというかゴーストとの距離はけっこう離れていたから、十分に逃げられるはずだった……だけど、そんなことはなかったの……私たちの前にもゴーストが現れた。囲まれたの」

 舞の目から涙がこぼれ落ちる。

「逃げ場がない、どうでしようもなかった。けど、その時お父さんが『お前たちは逃げろ』って言って素手でゴーストに向かっていった……。そのあとには骨が折れるような音とお父さんの悲鳴。私たちは泣きながらその場に崩れおちたの……お母さんは弟と妹は抱き抱えていた。だけど、ゴーストはお母さんごと弟と妹を切り裂いた。目の前で血が飛び散ったのは覚えてる。お母さんはそれからピクリとも動かなくなっていたけど、弟と妹は小さな声で痛い、助けてって言っていた」

 辛そうに語る。声がだんだんと震えているがそれでも最後まで話そうとしていた。
 俺にできることは黙って聞くことしかった。

「私は……弟と妹の手を取って必死に『治癒』の能力を使った。今にも消えそうになっている命をつなぎ止めようと全力で。でも……だんだんと冷たくなっていった。それでも、あの時の私は能力を使い続けていた。自分が何をしているのかわからないくらいに」

 その時、舞の気持ちはどうだったのだろう。
 大切な人を、家族を目の前で惨殺され、自分の能力で助けようとしても力が及ばない。
 これほど、辛い現実はないだろう。

「気づいたら、日本支部に保護されていたの。どうしてここにるのか、あの後はどうなっているのか最初は理解できなかった。あとで、教えてもらったけど。あの場での生き残りは私だけだったみたい。ほかの人たちは……」

 言葉が途切れる。
 どうなったのかは言わなくても容易に想像できる。

「身寄りを失った私を引き取ってくれたのは父方の叔父さんだった。とても可愛がってくれて、本当に感謝してる。でも……あの時のことは未だに忘れられない。お父さんのこと、お母さんのこと、弟と妹のこと……。結局、自分は能力があっても誰一人助けられなかった……。だから、自分の能力は嫌いというよりは怖いのかな……? 何も救えなかった自分に、この能力に……」

 能力を持っていながら、何も救えなかった。それは舞にとってやりきれないことだろう。
 力を持っていながら、大切な人を目の前でなくす。それはきっと武現化にも影響しているのだろう。
 つまりは能力を信じられないのだろう。それで向き合うということができないということなんだろう。
 舞はそれ以上、口を開かなかった。疲れたのだろうか。明るかい彼女のその裏には抱えているものが大きいことを知った。
 屋上で二人きり。俺もどう声をかけて良いかわからないため、黙ったままだった。
 遠くで昼休みの終を告げる予鈴の音が聞こえる。だが、二人とも動かずそのままベンチに座り続けていた。
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