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第一部 四季姫覚醒の巻

第七章 姫君召集 10

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 月麿の、神通力による急な乱入に、榎は驚いて声をあげた。同じく、髪飾りを経由して声を聞いた椿と柊も、吃驚(びっくり)していた。
「どうしたんだよ、麿。ひょっとして、話を聞いていたのか?」
 いつの間にか、通信が繋がったままになっていた。今までの了生との会話を、麿は全て把握している様子だ。
「……急に、どないなさったんですか?」
 会話が聞こえない、了生と周(あまね)は、不思議そうな顔をして榎たちを見ていた。
 現状を説明しようにも、榎たちにも事態がよく分からない。
「少し席を外します。待っていてください」
 榎たち三人は立ち上がり、そそくさと部屋の外へ出た。
『嚥下(えんげ)家の、末裔……。あやつら、千年もの時を、血を絶やさずに生き長らえておったのか……』
 月麿はぶつぶつと、一人で呟いていた。憎しみに満ちた声色だ。
「いったい、どうしたんだ、麿。後で報告するって、言っておいたのに」
『少し、胸騒ぎがしてな。この時代で、伝師一族以外に四季姫の存在を知る者となると、ある程度は絞り込める。じゃが、よりにもよって、嚥下の者とは……』
 月麿は、嚥下家について、詳しく知っていそうだ。
 でも、四季姫に協力的な一族なのに、やたらと毛嫌いしている気がするのは、なぜだろう。
「嚥下って家は、前世の四季姫と深い関わりがあったんだろう? 封印石を作ったって言っていたし、一緒に戦ってくれた恩人じゃないのか?」
 疑問をぶつけると、月麿は鼻で笑った。
『お主らはお人好しじゃからの。それらしい話を聞くと、すぐにころっと騙されよる。まあ、事情を詳しく知らぬのじゃ、致し方ないが』
 月麿の馬鹿にした物言いに、少し、カチンとくる。
「どういう意味だよ? 了生さんが嘘を吐いているって、いいたいのか?」
『いかにも。奴らの話術は非常に巧みじゃ。同じく千年前にも、四季姫たちは、まんまと騙されおった』
 榎たちは困惑する。詳しい事情を知るためにも、月麿の話を、最後まで聞こうと決めた。
『先程、説明を受けておったな。嚥下家は、陰陽師の大勢力、賀茂家と先祖を同じとする、修験者の一族じゃ。よって、悪霊を祓ったり、封じる力は、本職の陰陽師には劣るとはいえ、かなりのもの。じゃが、その曖昧(あいまい)な立場ゆえ、平安の京(みやこ)では、陰陽師や仏僧よりも、低い扱いを受けておった』
 嚥下家はたしか、役小角(えんのおづぬ)なる有名な人物の子孫だった。だが、本流となる賀茂家とは袂(たもと)を分かち、違う系統の家柄を引き継いできた。立場の弱い、分家といった感じの扱いなのだろう。
『京が平城から平安に移った後、増え始めた妖怪たちを独自に退治しておったらしいが、帝から感謝の意も受けられぬ境遇に、不満を抱いておったらしい。何とかして取り入ろうと、奴らは四季姫たちに取り入って、自らが作った封印石を献上したのじゃ』
「そのお陰で、平安時代の平和は守られたんだろう? だったらいいんじゃないのか?」
 結果的に、世界は救われたのだから、問題ない気がする。安楽的にいうと、再び、月麿は呆れた息を吐く。
『甘いわ。主らは、宵月夜が封じられておったあの黒神石が、なぜ千年経ったこの時代に壊れ、封印が破られたのか、考えた試しはあるか?』
 意味深な問いかけ。榎たちは、視線を交わして、色々と考える。
「……まさか、封印石が欠陥品やったから、なんて言うんやないやろうな?」
 嫌な予感がする、といいたげに、柊が口の端を引き攣らせた。
『まさしく、その通りじゃ! 奴ら、不完全な封印石を押し付けて杜撰な封印を行わせ、伝師の名に泥を塗りおったのじゃ!』
 月麿は、大々的に肯定し、鼻息荒く怒鳴り始めた。
『しかも、封印石に不備があると気付いたときには、既に四季姫たちには封印をやり直すだけの力は残っておらず、嚥下の者どもも、どこかへ姿を晦まし、行方が分からなくなっておった!』
「完璧に、詐欺の手口やな……」
 柊の呆れた声に、月麿も強く同意した。
『得体の知れぬ封印石なんぞ使ったから、封印が不完全となり、宵月夜はこの時代に復活してしまった! 腹立たしいかぎりなのでおじゃる!』
「でもさ、千年前の文明の水準を考えれば、どんな封印であっても完全にってわけには、いかなかったかもしれないし。白神石のほうは、結構しっかりしていたし……」
『不完全なものを押し付けてきた時点で、詐欺もいいところでおじゃる! 伝師の力を持って、完全なる封印を行っておったなら、今頃、封が破られたりはせんかった! 陰陽師の真なる力を、侮(あなど)るでない!』
 知識人の月麿には、何を言っても敵わない。榎のフォローなど、無意味に終わった。
「つまり、きちんと封印できていれば、椿たちも、四季姫として覚醒しなくても済んだし、妖怪たちと戦わなくても、よかったかもしれないのね?」
 そういう話になってしまうと、身も蓋もないが。けれど、現代に妖怪たちの脅威が訪れる心配は、なかったのかもしれない。
 ひとしきり文句を述べた月麿は、興奮を落ち着けていた。気持ちが静まると同時に、通信の向こうから、洟水を啜る音が聞こえてきた。
 月麿が、泣いている。
 榎たちは動揺して、顔を見合わせた。
『……あやつらが、封印石をちらつかせて四季姫たちを唆(そそのか)し、妖怪の封印などさせなければ、麿は時渡りなどせずとも、済んだはずでおじゃる。不完全な封印が、後の世に訪れるであろう脅威を生み出す、元凶となった。伝師の力で完全な封印を施しておれば、何の苦労も問題も、なかったはずなのに……。無事に、陰陽(いんのようの)家の主として天寿を全うし、住み慣れたかの地で、安らかに……』
 月麿の声は、完全に震えていた。上下の前歯が打ち合う音まで、鮮明に聞こえてくる。
 鼻息の荒さから感じ取れる、悔しさ、辛さ。榎の心は、締め付けられた。
 月麿は常に、気丈な態度で、何も分からず困惑していた榎たちを、先導してくれた。隠し事は多いが、最後にはきちんと話をして、力を貸してくれた。何事にも動じず、目的のためならば迷いもなく一直線に、強気な勢いで、榎たちを引っ張ってきてくれた。我儘も多く融通の利かない性格だが、榎たちは月麿の存在に、とても頼ってきた。
 でも、月麿だって心細かったはずだ。たった一人で、何も分からない未来にやってきて、全てを他人のために注いで、命を張ってきた。
 だが、使命だからと強気に言っていたものの、きっと心から望んでの行動では、なかったのだろう。暮らしてきた時代が違うとはいえ、同じ人間だもの。技量や能力、精神には、限りがある。
 本当は、現代になんて来たくなかった。こんな重い使命、任されたくなかった――。沢山の我慢を、押し殺していたのかもしれない。
 そのきっかけを作った嚥下家を、恨んでも当然だ。
 千年前に、もし、宵月夜を完全に封印できていたなら。
 将来、封印が解け、妖怪たちが再び襲ってくる危機なんて、訪れなかった。そんな恐怖に、怯える必要もなかった。
 何事もなければ、月麿は平安時代で、平和に穏やかな生活が送れていたはずなのに。
 月麿の心境になって考えると、なんともやるせない気持ちになる。
 月麿の気持ちも考えずに、文句を言いながら当たり前に過ごしてきた日々を、榎は初めて、悔いた。
『すまぬな、愚痴を吐いて。決して、お主たちを責めておるわけではない。全ては、運命だったのじゃ。過ちを嘆くよりも、この先の未来に、満足のいく結果を残さねばならぬ。今度こそ、伝師の力を使い、使命を全うさせてみせる。そのためにも、お主たちが再び、嚥下なんぞに騙される失態を、指を咥(くわ)えて見ているわけにはいかんのじゃ』
 月麿は、少し呼吸を落ち着かせて、前向きに意気込んだ。
 これらの言葉が、月麿の本音だ。この時代で果たしたい、最大の目的だ。
 榎たちは、月麿が大義を成すために、月麿と出会い、覚醒した。知恵や力を、与えてもらった。
 だったら、榎たちは、他ならぬ月麿のために、月麿の願いを叶えるために、頑張らなくてはけない。
「分かったよ、麿。何も知らないのに、勝手な価値観で色々と決めようとしていたあたしたちが、悪かった」
 榎は静かに、侘びを述べた。
「麿は、たった一人でこの時代へやってきて、毎日がとても大変だったと思う。あたしも、一人でいきなり京都に放り出された境遇だから、住み慣れた家に帰れない気持ちって、よく分かるんだ。本当に、大変だよね。けど、そんな不安だらけの世界で、麿は、あたしたちの味方になってくれたんだ。すごく、感謝しているよ」
 伝わっているかは分からないが、榎は一生懸命、素直な気持ちを伝えた。月麿も、黙って話を聞いてくれた。
「あたしは、麿と出合って力を覚醒させた。その後も、麿に色々と教えてもらって、仲間を増やして、戦ってこられたんだ。麿がいてくれたから、今まで道に迷わずに済んだ。この大きな力を、間違った方向に使わずにいられた。麿は、あたしたちの恩人だ。だからこの先も麿の力になれる方法を、選んでいくつもりだ」
『榎、お主……』
 消え入りそうな、月麿の声が響いた。榎の必死の気持ち、少しは伝わっただろうか。
「あたし一人の、意見なんだけどね……。みんなは、どうかな?」
 好き勝手に我論を述べたが、榎一人で、勝手に決めていい話でもない。
 事後になったが、榎は遠慮がちに、二人の仲間に視線を送った。
 榎と月麿の会話を、黙って聞いていた椿と柊は、満足そうな笑みを浮かべていた。
「椿も、えのちゃんに賛成! 色々あったけれど、麿ちゃんには、いつも助けてもらっているもの。ちゃんと、お礼をしたいわ」
「訳の分からん連中に振り回されるより、身近な上司の指示に従うほうが、何を成すにも確実やからな」
 四季姫の意見は、一致した。
「あたしは、陰陽師として、誰よりも麿を信じているからさ。最後まで、麿の考えについていくよ」
『……当然じゃ! お主らは、黙って麿の背中についてくればよい! 何も問題はないぞ、必ずや、四季姫を揃えて、使命を、遂げてみせる……! ちゃんと、追いかけてくるのじゃあ! よいな!』
 月麿は、普段の調子で、勢いよく声を張り上げ、回線を切った。
 通信が完全に切れるまで、洟水を啜る音が聞こえていた。
 榎たちは顔を見合わせて、月麿の表情を想像しながら、笑いあった。
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