アカネ・パラドックス

雲黒斎草菜

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【第四章】悲しみの旋律

  急募! レスキュー隊員  

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「むぎゅ。これ取れませんねぇ……」
 俺の目前で、茜が防護スーツのマスク相手に苦戦を強いられていた。
「ほらよ」
 大急ぎで外してやってから、俺は転送制御室にいる社長へと駆け寄った。

「社長! 玲子が落ちたっ!!」

 俺の声に反応したハゲオヤジのスロモーションみたいな動きに、ちょっと苛立つ。
「ウソじゃないって。玲子の足元が割れてその中に落ちたんだ!」

「裕輔。慌てなはんな! ワシも確認しとるワ」
 社長は俺の両肩を鷲掴みにすると激しく揺さぶった。
「何でそんなに落ち着いていられるんだよ。レイコが……玲子が滑落したんだぜ!!」
「何ベン言うたら気が済むねん、裕輔……」
 溜め息のような湿気った息を吐き、
「アカネ。よう見ておきなはれや。これが混乱して慌てふためいたオスの醜い姿やデ」

「はぁい」
 はんなりした茜の口調も気になるが、
「俺の話を信用してねえな。玲子が……」
「レイコ、レイコうるさいな」
 社長は呆れ返った素振りで通信マイクに語る。
「ほーい。聞こえてまっか? このスケベバカに何ぞゆうたってくれまへんか?」

《裕輔、恥ずかしいから大声出さないでよ》
「玲子! 無事なのか……」やっと我に返って。
「ぶ……無事だった……なるほど」

《なによ。無事で悪かったみたいな言い方ね!》
「お前なら空中ブランコの真っ最中に綱が切れたって無事だろうな。しかも安全ネット無しでだ」

《憎たらしい言い方するわね。もうちょっとイタワリなさいよ。5メートルは落ちたんだからね》
「イタを割るのはお前の得意分野だろ。格闘技の師範代をのしたくらいなんだからな」

《怪我をしていないか? とか言えないの? このスカタン!》
「あぁ、悪ぃ悪ぃ。無事なのか? 防護スーツの尻は?」

「どうやアカネ。醜いやろ。これが大人の男女の会話や。真似したらあかんでぇ」
「あ、は~い。お手本にはしませんよ。ねぇミカンちゃん?」
「きゅらりらりゅらりるりゅ?」
「違いますよぉ。これは言い争いって言うのです。喧嘩をしてるですよぉ」

「きゅりゅりゅろり」

 茜は焦点の合っていない真ん丸い目を社長に向けて訴えかける。
「ミカンちゃんが。お二人の会話からは特別な感情を受けるって言ってますけど、故障でしょうか?」
「さぁ。どうやろなぁ。ミカンは故障してんのか? 裕輔、玲子?」

「………………………………」
《………………………………》

「うははは。答えは出されへんやろ。そやろ」
 急激にマジな顔になると。
「玲子。現状報告がまだでっせ」

《す、すみません。落下は約5メートル。中はとても柔らかな物質が堆積していて、真綿の上に落ちたみたいで怪我はありませんし、防護スーツの自己診断でもオールグリーンです》

「ほんで、そのドームは何やと思う?」

《中は空洞ではなく。階層になっていたようです。おかげで数メートルの落下で助かりました。えーと……崩れ落ちた破片をよく見ると小麦粉の泡が固まったような構造です。目の前は四方を真っ白な壁で塞がれています。空間の広さは……そうですね。司令室ぐらいかな》

「バブルドームやな。その表面にヒビが入っていたか、たまたまそこだけが薄かったんや。せやけど階層になっててよかったがな。全体が空っぽの空洞やったらエライことになってましたデ」
 社長は俺に玲子の相手を任せ、
「パーサーと対策を練って来まっさかいに、あの子に動くな、ちゅうときなはれや」
 ガラス張りになっている奥の部屋へ歩み去り、制御パネルに張り付いていたパーサーと救出会議を始めた。

 マスクだけを外した防護スーツ姿のオレと茜だけが転送台に残され、部屋の隅ではミカンが何をするでもなし、俺の胸の辺りをぼんやり眺めている。
「で、どうなんだ?」
 やっぱ気にはなるもので……繋がったままの通信機に尋ねる。

《何が?》
「本当に怪我は無いのか?」

《心配してくれてんの?》
 やけに高いテンションにちょっと引く。

「しないわけ無いなんてことを言うつもりは無いなどとは宣言しない」
《どっちなのよ?》

「やっぱ天才アスリートを怪我させるわけにはいかんだろう。監督としては」
《何を意味のわからないこと言ってるのよ。それよりさ。早く救助してくんないかな。誰も居なくて……ちょっぴり心細いわ》

「ぐわはははは。そんなわけねえだろ。そこらで腕立て伏せでもするか、エアー空手でもしてりゃあいいんだ」
《覚えておきなさい。帰ったらあなた相手に格闘の技、百八の型を披露してやるからね》

「おー、いいぜ。かかってきやがれ」

「ほんま素直ちゃうな、おまはんら……」
 肩口から声を掛けられ、ピョンと跳ねる俺。
「うわぁぁ~お。もう戻ってきたんすか社長。もうちょっとゆっくりしてたらいいのに」
「なに言うとんねや。クルーが穴に落ちて救助を求めてんのやで。ノンビリできまっかいな。おまはんも『オレが何とかしてやる』とか、気の利いた言葉の一つでもかけるのがオトコやろ』
 とさんざん唾を飛ばした後、「アホちゃうか」と締めくくりやがった。

「で、どうするんすか?」
 さっさと話を逸らす。

「パーサーが言うには、チャフのせいで穴の底まで転送ビームの焦点が絞られへんそうやワ」
「たったの5メートルだぜ。だめなの? じゃあさ。マグネットポッドかグラップラーを垂らせて引き上げたらいいんだよ」
「そのアイデアも出たんやけどな……これがまたむずかしいんや」
「なんで?」

 その理由は機長が船内通信で説明してきた。
 それによると、大気に含まれる不純物の密度がとても高くて、リアクターの重力中和が不安定になり、空中静止ができないらしい。かといって逆噴射でホバリングをすると、風圧でよけいに崩れるか、表面が吹き飛ばされて崩壊する可能性があると言う。


「過去の銀龍と協力し合うワケにはいかんわな」

 社長の独りゴチにシロタマが報告モードで対応。
『歴史が変わってしまうだけでなく、多重存在中の物質が対面すると重複共振が起きます』
「何やそれ?」

『意識や感情は時間とともに変化する経験や学習結果から起きる脳内の活動であり、外的刺激から生じる表情は個人ごとに異なるものです。それらは原子の配列が大きく関与しています。同じ配列になることはあり得ずここに個人が決定されるのですが、多重存在になるとそれがあり得ることになります。次に、自我を持つ生物は一つしか存在できないという自然界の摂理があり、まったく同一の生物が同一空間に存在すると、この辻褄合わせをするため、互いに一つになろうと不思議な波動で共鳴しあう融合現象が起きます。これを重複共振、あるいは重複融合共振と呼んでいます。この共振の強さは個々の時間差と距離に比例して激しくなります』

「よくそれだけの説明を息継ぎも無く言い遂げやがったな」

 俺も社長もポカンだった。
 茜はキョトンだな。ミカンは「きゅ?」だし、玲子は、
《たいくつだよぉ。ねえ、裕輔。面白い話をしてよ》

「お前ねぇ。今遭難してんだぜ。なんだぁ? その余裕は……」
《シロタマの話を聞いても意味解んないもん》
 だろうな。俺だって意味ワカメだ。

「にしたって、怖いって感情は無いのか、鉄仮面かよ?」
《うっさいわねぇ。あのね。酸素もまだ2時間近くあるし、穴の中は柔らかくて光を反射して真っ白で明るいんだけどさ。何もやることが無いのが辛いわ。だからさ、喋ってると気が休まるの》

「そうか。5分としてじっとできない奴には苦痛だろうな。どれ面白い話をしてやろう」
《いいわねぇ》

「真っ白い犬がいました」
《どこに?》

「どこでもいいだろ。黙って聞け」
《はいはい》

「全身が白い毛で覆われているので……。尾も白い」
《………………なにそれ?》

「あきゃきゃきゃきゃ!」
 笑い出しのは茜だった。

《アカネ……そんな大昔の笑い話でウケないの。今どき子供だって笑わないわよ》
「だってぇ。『尾っぽが白い』と『おもしろい』を合わせたんですよね。あきゃきゃきゃ」

「きゅららー」
「あっ、きゃぁぁ、きゃきゃきゃ!」
 腹を抱える茜に、
「ミカンは今なんて言ったんだ?」と尋ねる俺を笑いながら見て、

「"フトンが吹っ飛んだ" "内臓がないぞ~" ですって。おもしろいですねぇ。あっ! 尾も白いだぁ。あきゃきゃきゃきゃ!」

 きゅららー、のひと言しか発していないミカンの言葉に、それだけの情報がどこに詰め込まれていたのか。こいつらのコミュニケーションはさっぱり理解できん。というよりも、長いあいだ真空の空間に滞在すると、ロボットもオヤジ化するという事実のほうが、すごくね?
 やっぱり宇宙は謎に満ちているんだ。

「玲子がこんな時に……アホかおまはんら」
 笑いこける茜を胡乱な目で見て、俺と社長は肩をすくめた。

 茜は「でも……」と口を開いてから、
「危機的状況の時にこそ、余裕のある態度を取るのが理想だと思いますよ」
「…………っ」
 アンドロイドに真面(まとも)なことをほざかれて、しばらく言葉を探していた社長だったが、
「そりゃあ。どっかのアホみたいにパニックになって騒ぎ立てるよりマシやけどな」
 ハゲオヤジめ、何で俺を見る。

「しょうーもないこと言うより、何かええアイデア考えるほうが先決や。何か無いんかい?」

「ききゅりゅるりゅあーりゅり」
「ミカンちゃんが行くそうです」
「どこへ?」と社長は茜に尋ね。

「そうだ。すっかり忘れていた」
「なにを?」今度は俺に首を捻る。
 首の据えないオモチャみたいな社長へ、
「あのさ。ミカンは救命ポッドなんだぜ。玲子を助けに行けばいい」

「あ、せやな。普段のミカンを見とるからすっかり忘れとったワ。行ってくれるんか、ミカン?」
「きゅりゅー」
「行くと言っていまぁす」

 通訳する茜に社長はうなずき、
「ほな転送台に乗ってくれるか?」
 途中から天井の端に張り付いて冷たい空気を放出していたシロタマが、社長の鼻先に急降下し、そしてゆっくりと静止した。まるで蜘蛛が天井から吊り下がって来たようだった。

「ミカンは転送できないよ」
「なんでやねん?」
 そういえばミカンを転送したことは一度も無い。何しろこいつは言うなれば、一人乗りの小型艇なのだ。

『内部を解析されないように特殊なフィールドに包まれています。転送バッファーに構造データがスキャンされないはずです』
「ほんまかいな?」
 と不審げな目でシロタマを見た後、ミカンを転送台に立たせた社長は、パーサーにスキャンを命じて自分もディプレイを覗いた。

「ほんまや。解析不能と出まんがな。転送できひんワ」

 天井の照明を反射したスキンヘッドが眩しい。
「しゃあない。遠回りやけど、ドッキングベイから飛行して行けまっか?」

 ミカンは悲しそうに丸い目をくるりと回してから首を振った。
「きゅらーりるりりぃ」
 全員の視線が茜に集中する。

「……え?」
 このバカは少しの間キョトンとして、なぜ見つめられているのか、一通り思案してから、
「あ……あは。えっと。金属粉の混じる大気を長距離飛ぶのは無理だと言っています。航行装置がマヒするそうでぇす」
 ちょっとの間が空き、
「転送できひん、飛ぶこともできひん……あかんがな」

「らりぃーきゅりゅりらぱりゅりるぃらゃりゅらりぃぃ」
「試して欲しい、って言ってます」

「今エライ長いこと喋ってましたデ。ホンマにそれだけでっか?」
 ミカンの言葉の長さと茜の解釈は、どうにも信用がおけないのだ。

「アカネ。お前の通訳は正しいのか?」
 俺だって懐疑的になる。

『アカネは学習していない単語を翻訳していません。今のを正確に訳すと、スピリチュアルモジュレーターを使い、目視飛行で現場まで誘導してくれれば可能だと言っています』
 茜は首をコクコク。

「つまりパイロットを差し出せ、ちゅうてまんのやろ?」
「機長は銀龍で手一杯だし。誰が……え? また俺?」
 俺は顔の前で手のひらを縦にして左右に振る。
「ムリムリ無理。パイロットの経験ねえもん。探査プローブの操縦が精一杯だ。それにミカンの言葉は理解できん」

「思うツボでしゅ」
「こらタマ! 言葉の使い方が間違ってんぞ」

『ミカンのグレードアップした機能を試す絶好の機会です。ユースケはその約束をしています』
「今朝のあれか?」
 ぞぞぞと背筋が寒くなった。俺が実験台にされる、あの話か……。
 でもこの話には無理がある。
「ミカンは一人乗りだ。玲子を乗せるスペースが無い。別の方法を考えよう。やっぱマグネットポッドだな」

『ギンリュウから滑落現場までのコースを裕輔が誘導し、ミカンにルートを記憶させます。表面に着いたらユウスケを降ろし、無人状態でレイコを救助。同じ飛行ルートたどればギンリュウへ戻ることができます』

「回りくどいな……。で? 表面に残された俺は?」
『捨てて行きます』

 ぶふぁっ!
「お前なぁ。報告モードでも変わらん性格してんな」

「その作戦で行きましょか」と社長が言うので、
「おいおい。俺は? 玲子の犠牲になるのかよ」
「アホか。表面やったら転送で戻れるがな。さっき戻って来たトコやろ?」
 本気でバカを見る顔を向けやがった、このハゲ茶瓶め。

「まだ無理がある。ミカンの言葉が俺には理解できん。何かあっても対処できない。シロタマを連れて行こう」
『危険なことはお断りします』

「な……」
 呆れて声が出ない、と言うタイトルプレートを俺の足元に置いて欲しいほど固まってしまった。

「あ、じゃぁ。わたしを表面に転送してくらさーい。お役にたちますよぉ」
 凝り固まった空気を砕くように、茜が明るい声を落としたが、いまいち役に立つような気がしない。

 まだ誰も何も言っていないのに、
「さ。行きましょ、ミカンちゃん」
「りゅりゅー」
 楽しげにスキップを踏んで、ドッキングベイへとミカンを連れて行く茜の後ろ姿を不安げに目で追う俺であった。


「何、ぼぉーっとしてまんねん。愛する人の救助に行くんや。気張りなはれや」

 なんだかやけに引っかかる言葉に、無線を通した玲子の声が重なる。
《ほら、裕輔。早く救助に来なさい》

「ちっ、まだ繋がったままだったのか」
 ちゅうより否定せんか、こんバカめ。




 重たい足を引き摺って、後部フロアーの階下にあるドッキングベイへと入ると、浮かれた連中が騒いでいた。
「ミカンちゃん。初めての船外任務ですよ。よかったですねぇ」
「きゅーりゅりりぃ」
「しっかりお努めしてお給料をもらいましょうね」

 働かざる者には給料をやらん、と常日頃からけしからんことを社長が言い続けるからだ。

 俺たちが給料制なのは、あのオヤジの社員だからして当然だけど、実際にお金が支払われるわけではなく数字として加算されて、このミッションがすべて済んで会社に帰った時に精算すると言う約束だ。

 だが銀龍で使った日常品、嗜好品などの代金、それから食事代の半分はそこからきっちり引き落とされている。どうだい、すげえだろ。ケチらハゲめ。

 やけにはしゃぐ茜たちに問う。
「お前らの給料って何を貰う約束になってんだよ?」
 二人は揃って明るい声を閉じると小首を傾けた。
「知りません。あの、お給料って何ですか?」
「きゃりゅりゅりゅら?」


 力抜けるねぇ。きみたち……。
  
  
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