トベ・イツキ

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歴史小説を書いてます。三国志✕学園群像劇『学園戦記三国志』を小説家になろう・カクヨム・アルファポリスで連載中。他に『三国志 歴史解説』も執筆。

後漢の姜岐と蜀の姜維

先日、学園戦記三国志
https://www.alphapolis.co.jp/novel/227601892/691282124
の最新話として番外編その6[料理その2]を更新したのだが、その時しようと思ってた話忘れてたので今する。
この話では後漢の養蜂家として姜岐という人物が紹介されている。
彼は涼州の漢陽郡上邽の人だという。桓帝の時代(霊帝の一つ前の皇帝)、漢陽太守として赴任した橋玄(若い頃の曹操を評価したことで知られる)に召し出されたが、病を理由に応じなかった。(ちなみに姜岐が来なかったことに橋玄はぶちギレて、来ないなら姜岐の母を自分の嫁にするとまで言って脅迫したが、周りに止められて怒りを収めたそうだ。嫌な脅迫だな)
その後、姜岐は養蜂家として名をあげることになる。
さて、三国志で姜といえば蜀の姜維が有名だ。
彼は三国志の後半、まるで主役のように大活躍してくれる人物だ。
姜維は涼州天水郡冀県の人。一見、別の地域に見えるが、漢陽郡は魏の初めに天水郡と改称された。つまり同じ郡の出身である。
しかし、その後の地名が違う。冀県も上邽県も古くからあり、後に分割されてとかもなさそうだ。
中国では郡の方が大きく、その次に県がくる。
これは日本でいうと同じ県の出身だが、別の市の出身みたいな感じだ。地図でみると冀県の隣の隣が上邽県のようだ。
同郡同県の出身なら一族と言える可能性があるのだが、微妙にずれてる。
三国志に記載されている地名は正確には出身地ではなく本籍地、別の地域で生まれ育っても本籍地が移ることはない。
ただ、勢力の大きな一族は周辺の県に家を分散させる例もあったそうだ。
姜維の家は天水郡でも有数の名家として知られ、姜岐も地元で有名な名士として橋玄に呼び出されているので、名家であった可能性が高い。
もしかしたら後漢の姜岐と蜀の姜維は親戚かなという気もするんだが、確証のある話でもないので、本編では書かなかった。
まあ、そもそもこの学園戦記三国志に姜維は出てこないんだけどね。扱ってる時代的に。
もし、学園戦記三国志2(仮称)みたいな続編でも書くなら話は別なのだが…そんな予定は今のところない。
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登録日 2021.02.17 21:39

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