夢=無王吽

夢=無王吽

『むもん』と読みます。

善悪論。

『善人』と『悪人』って、
人によって感覚の違いがあるので、
区別や定義が難しいですよね。

なぜかというと、個人的には、
『善人=いい人』という感覚が、
皆のなかにあるからではないかと思ってます。

善人とは法を守る人であったり、
マナーを守る人である場合も、
または、人助けをする人である場合も、
御人好しという意味である場合も、
ただそう見える、
顔つきだけで決められる場合すらある。
だからややこしいと考えるわけです。
善悪の評価が、
人によって真逆になる理由がこれではないかと。

だから、善人か悪人かではなく、
この人は『悪人か否か』で考えると、
もう少しスッキリすると思います。

そこでぼくが考えたのが、
『先生理論』です。

簡単に言うとこれは、
教師と医者以外を善人かどうか見分けるための、
方法論であり、
逆に言えば教師と医者は、
善人でなければ成立しない。
悪人となった時点で、
もう医者でも教師でもないという、
前提のもとに唱える、人種区別理論です。

たとえば現役で人の命を救っている医師。
それを卒業または引退し、
経営や政治的な仕事に従事する。
もう医師としては働いていない立場の人間に、
「先生」と呼びかけたとします。

その人が本当に現役でなく、
患者を診ていない立場の人だとして、
「先生」という敬称を受け入れたとしたら、
ぼくのなかではその人はもう『悪人』です。

つまり、
弟子が師匠を呼ぶときと、
患者が担当医を呼ぶとき以外、
「先生」という呼称は、
相応しくないとしたうえでの、
見分け方というわけです。

だってぶっちゃけ、そうじゃないですか?

なにかを教わる尊敬すべき師匠か、
自分や家族や友人を救ってくれる恩人。
以外の人を「先生」と呼ぶ場合、
その敬称は、べんちゃらじゃないですか?
そんなのは世辞。
言葉の『賄賂』です。

賄賂を受け取る人を、
イコール『悪人』とする。

これが、ぼくの提唱する、
『先生理論』です。

試しに誰かを明日にでも、
「先生」と呼んでみてください。

生徒でも患者でもない相手からそう呼ばれ、
平然としている相手は、
あなたにとって害となる恐れのある人間で、
今後、その関係性を継続するに値しない、
人として失格と言って過言でない人です。

性格の善し悪しを人間性の善し悪しとするなら、
有効な方法論だと思います。
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登録日 2022.02.27 03:12

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