早川 翠

早川 翠

若い頃は漫画家を志していましたが、絵の才能がなく断念。その後派遣社員をしながら、文章の書き方や物語の構成方法などを手探りで学習し、今は趣味で自作の小説を書いています。

頼られると断れない性格が災いに?!将門公が謀反人として処刑されるまで その2

10月17日に、小説「兵どもが夢の跡 第一部 ~鞍馬天狗の化身 編~ 第2章 鞍馬寺 その2」を投降しましたので、お時間のある時にぜひご覧ください。

親族連中からの攻撃をこどごとく制して、関東に実力と名声を轟かせていた将門の元に、ある日武蔵国(現東京都・埼玉県)の国府である「武蔵竹芝」という人物が、トラブルの相談にやってきました。

彼によると、武蔵権守であった「興世王」と、武蔵介であった「源経基」という人物との間で、朝廷に年貢を納めた後の自分たちの取り分について揉めている最中に、経基らが竹芝の役所を襲って略奪を行ってきたと言うのです。

将門が早速3人の仲介に乗り出した結果、興世王と竹芝は和解した後酒宴を催しましたが、経基はその間も不服として比企郡の狭服山に立てこもっていました。

ところがその酒宴の最中に、竹芝の兵が勝手に経基の陣営を包囲したため、経基は慌てて京に逃げ帰り、将門・竹芝・興世王が謀反を企てているとして朝廷に訴えました。

将門が、「謀反は事実無根」とする証明書を朝廷に提出した所、全面的に認められ、逆に経基の方が虚偽の申し立てをしたとして罪に問われる事になりました。

この事で一連のもめ事が一段落したのですが、今度は藤原玄明という者が、常陸国(現在の茨城県中部・北部)の国司に逮捕されそうになった所を、下総国(現在の茨城県南部・千葉県北部)まで逃れて将門に庇護を求めにやって来ました。

この人物は、もともと租税を一切納めなかった挙句、官営の穀物倉庫を襲撃し略奪したという酷い理由で追撃されていたため、本来ならば、彼を捕らえて国府に引き渡すべきでしたが、将門自体が頼られると断れない性格だったらしくて、ひとまず彼の庇護に応じた後、双方の仲介に入って穏便に済ませようとしました。

ところがこの将門の一連の行動を好機ととらえた平貞盛が、常陸国の国府の息子と結託して、兵を集めて将門を攻撃しようとしたため、将門側もやむおえず自軍の兵で彼らを撃破し、常陸国府の印綬を略奪したのでした。

この事で、不本意ながら朝廷から常陸国を奪い取ったとされ、謀反人としての烙印を押されてしまった将門は、その後関東一帯を巻き込んだ反乱の首謀者となっていくのでした。
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登録日 2026.10.19 10:48

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