潯 薫

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『瑠璃色の銃声◆元子爵令嬢の浪漫奇譚』裏話4 大正六年頃の科学捜査について

 明治時代になると、西洋から「科学捜査」という考え方が入ってきます。実際に捜査に導入されるには、司法制度の近代化を待たねばならず、指紋鑑定や血液型鑑定などの科学捜査技術が導入され始めたのは、明治晩年頃になります。
 正確な時期は調べきれなかったのですが、警視庁に鑑識課が設置されたのも1910年代頃のようですね。なお、沢口靖子さんで有名な科学捜査研究所の前身が設立され、本格的に科学的な犯罪捜査が始まったのは、1920年代~1930年代頃のようです。
 本作の舞台である大正六年(1917年)は、ちょうどその狭間。科学捜査が現場で活用され、その実績から実用性が認められつつある時代でした。
 ここで、線条痕(旋条痕)について触れてみたいと思います。発砲した際、銃の砲身部の内側に刻まれたライフリングよって、発射された弾には、らせん状の回転運動が加えられます。その際、弾には微細な発射痕が残ります。その痕跡から、弾がどの銃から発射されたかが特定できるというものです。
 世界的には、フランスの法医学者アレクサンドル・ラカサーニュが1880年代に銃弾の痕跡を顕微鏡で観察し、銃器の特定を試みたのが線条痕鑑定の初期(最初とは言ってない)の例とされているようです。
 そして、1898年、ドイツの科学者パウル・イェシュリッヒが、殺人事件の捜査で銃弾の線条痕を詳細に分析し、特定の銃器との一致を証明しました。これが線条痕鑑定が法廷で初めて証拠として認められたケースとされています。
 本作の時代(1917年)以前ですね。ドキドキします。
 しかし、その後、この線条痕を用いた捜査が技術的に確立し、標準化を経て、広く捜査に採用されるようになったのは、1920年代になってからでした。それが日本に入ってきたのは、1930年代になります。
 つまり、瑠唯子の活躍した時代には、まだ線条痕による捜査は行われていませんでした。行われていたら、第一話の「実は複数犯」ってのが事前に判明していたことになり、ストーリーを変更しないといけないところでした。あぶなかったです(笑)
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登録日 2025.05.24 17:07

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