たとえ愛がなくても、あなたのそばにいられるのなら

魚谷

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 初夏を迎えて間もなく、王家主催の夜会が開かれることになり、公爵家にも招待状が届けられた。
 そしてその日の午後には、見知らぬ女性が使用人に付き添われて部屋を訪ねてくる。

「そちらは?」
「公爵様よりご依頼を受け、ドレスを仕立てに窺いました」
「ドレスならもう何着も作ってもらっているのだけど……」

 結婚して間もなく、ドレスを何着か仕立ててもらっていた。

「このたびは王家主催のパーティーに合った特別なドレスを、と指示を承っております」
「あ……確かにそうでね」

 流行遅れのドレスではそれこそ公爵家の家名を傷つけてしまいかねない。
 そもそも必要か否かをハイネが決められるような立場にはない。
 アーサーの判断が最優先だ。

「分かりました」
「では奥様、夏の流行りを取り入れたデザイン画をお持ちいたしましたので、ご覧ください」

 分厚いデザイン帳を開けば、描かれたドレスはどれもこれも素晴らしいものだった。
 装飾一つとってかなり混んでいる。
 今シーズンは、袖口や胸元に生地でボリュームを出すものが、主流のようだ。
 ハイネは悩みながらそのうちの一着を選んだ。

「かしこまりました。では、次に宝飾品のデザインを」
「それもアーサーの指示?」
「左様でございます」
「奥様もお気づきの通り、宝飾品はより凝ったデザインのものが流行ですので」

 ドレスや宝飾品選びはそれこそ一日仕事だっただけに、完成品は見事な出来映えだった。 いよいよ夜会当日を迎える。
 ハイネが選んだのは真夏の青空を思わせる鮮やかな青いドレス。
 袖口には薔薇の花のように幾重にもフリルを重ね、胸元には薔薇を思わせる精緻な飾りを配し、白い手袋には控え目にリボンがあしらわれる。
 洗練さと、暑気を忘れさせる涼しげな装いはデザイン帳の見本を越える見事な出来映え。

「さすがは奥様でございます。よくお似合いです!」

 支度を手伝ってくれるメイドたちが口々に褒めそやす。

(とても素敵だわ)

 他のドレスもそうだが、伯爵家ではとても手が届かない品物ばかり、と姿見の前に立ちながら思う
 さらに耳元のイヤリングは、ドレスと色を合わせたラピスラズリに銀細工を施しているものをつけている。

「公爵様もきっと、目を奪われるに違いございません」

 褒められながらも、それはないだろうことは分かっている。
 愛情を抱けぬ女がどれほど着飾っても、アーサーは気にもしないだろう。

(それにどんな豪華なドレスも、イザベラ様には敵わないわ)

 それでも使用人に気を遣わせまいと笑顔で「そうだといいわね」と相づちを打つ。
 そこへ別の使用人が現れ、「公爵様が玄関でお待ちでございます」と声をかけてくる。

「今、行くわ」

 ハイネは部屋を出ると、階段を下っていく。
 玄関前にいるアーサーは軍服の正装で、胸元のクラバットは誕生日プレゼントとして贈ったものだった。

(……つけてくれてるんだ)

 自然と口元が緩みそうになり、慌ててきりりと引き結んだ。
 たとえ形式だけの妻としてでも、想い人がプレゼントしたものを身につけてくれているのはとても嬉しかった。
 彼は整髪料で髪をととのえ、いつも以上にその顔立ちは鋭く研がれた印象があった。
 足音に、アーサーが目を上げた。

「……どうかしら」


 ハイネは様子を窺うような眼差しと共に尋ねた。

「悪くない」

 そう一言呟き、アーサーは目を背けてしまう。
 悪くない。それだけで今のハイネにとっては十分すぎるほどの賛辞だった。

「……アーサーもとても素敵だわ」
「無理に褒める必要はない」
「無理なんて……」
「さっさと行くぞ」

 使用人たちに見送られ、ヘレナたちは表に止まっている馬車へ乗り込んだ。



 公爵家の妻として野次馬たちが何を言おうとも心を乱すこともなく、夜会を乗り切ること。
 馬車に揺られながら、ハイネは気持ちを強く持とうと自分自身に言い聞かせた。

(大丈夫。それくらい簡単だわ)

 王宮へ到着すると、先に降りたアーサーが手を差し出してくる。
 その手を取り、馬車から降り立つ。
 エスコートを受けながら王宮へ踏み入れた。
 ヘレナを見て、男も女も変わらず囁きあう。

「見て、来たわよ」
「ラウーロ様が亡くなってまだ一年だというのに。その弟にも手を出すだなんて節操がなさすぎだわ」
「恥知らずの悪女だな」

 聞くともなしに聞こえてくる悪意の数々。
 全て予想できた言葉だ。

(反応して、私が悪口を気にしているなんて思われたくない!)

 こちらが反応すればするほど野次馬たちはさらに悪口を言い立てるだろう。
 彼らの暇つぶしに消費されたくなんてない。
 ハイネは背筋をしゃんと伸ばし、胸を張り、堂々と歩き続け、下らない噂話など歯牙にもかけぬことを体現して進む。

「悪女も結局は哀れなものだ。正妻とは名ばかり。公爵は毒蛇のほうに入れあげているのだからなぁ」

 自分のことはどれだけ言われても構わないが、アーサーのこととなれば別だ。
 ハイネは声の聞こえたほうを睨み付ける。
 話をしていた男たちがばつが悪そうな顔をし、口をつぐんだ。
 すでに夜会の会場には大勢の貴族たちが出そろっている。
 何人もの貴族が近づいてきたかと思えば、アーサーの姿に尻尾を振る犬よろしく媚びるような眼差しと言葉で挨拶を述べる。
 アーサーはそれを無表情で受け止め、二言三言言葉を交わす。
 ヘレナもまた同じように、挨拶をする貴族たちの言葉に笑顔で応え、相槌を打った。
 挨拶を一通り済ませた頃に、先触れが国王夫妻の到着を知らせた。
 奥の扉から現れた国王夫妻を、ヘレナたちは深々と頭を下げて、出迎えた。

「顔を上げよ。今季も皆の顔が見られて嬉しく思う。今宵は心ゆくまで楽しむように。乾杯っ」
「乾杯!」

 国王の温度に合わせ、貴族たちはシャンパンの入ったグラスをかかげ、唱和した。
 楽団が演奏を始め、早速とばかりに中央のダンスフロアでは何人かが踊りはじめる。
 ハイネは久しぶりの夜会ということもあってか、人に酔ってしまった。

「……お化粧を直してくるわ」



「公爵」

 イザベルが近づいてきた。

「今日も一段と素晴らしく、凛々しいわね。そのクラバットが特に。それ、奥様からのプレゼント?」
「……だったらどうした」
「可愛い子よね、ハイネ様。いじらしくて、健気で。それでいて見目も良いんだから。特に今日のドレス姿はとても素敵だったわ。美しい銀色の髪と、空色のドレスがとても合っていて」

 それはアーサーも思っていたことだ。
 ドレス姿のハイネを見た瞬間、見とれた。
 本当ならば彼女の美しさを褒め、抱きしめたかった。
 そうできないのは、ハイネが、アーサーのことを愛していないことを知っているからだ。

「……お前が女を気に入るのは珍しいな」
「私もびっくりしているの。きっとハイネ様が高慢で色事のことにしか興味のない頭が空っぽな令嬢じゃないということも大きいんだと思うわ。ハイネ様のファンになっちゃったの。彼女、面白いんですもの」
「あいつと話したのか」
「ええ。街中でばったり出会ってね。お茶を楽しんだの」
「何も聞いてないぞ」

 思わず殺気だってしまうが、イザベラは不敵な笑みを絶やさず、余裕のある姿勢を崩さない。

「愛人とお茶を飲んだことをいちいち、夫に話す訳ないでしょう。ねえ、何を話したと思う?」
「もったいぶってないでさっさと教えろ」

 イザベラは、アーサーの反応がたまらないと言わんばかりにクスクスと笑う。

「どうでもいいと言うかと思ったけど、その目、本当に知りたいのね。彼女、あなたのことを話す時、とても優しい顔をしていたわ。あなたを本当に好きなのね。少し嫉妬しちゃうわ」
「ハッ、蛇も見る目がないな。あいつは俺のことなんて好きじゃない。好きなのは兄上のことだ」

 アーサーは鼻で笑ってしまう。

「あなた、まだそんなことを……。本人とちゃんと話して、今もまだラウーロ様を愛しているって聞いた訳じゃないでしょ?」

 傷つくと分かって、そんなことを聞けるはずがない。
 そもそもラウーロが生きていた頃の仲睦まじい二人の姿を見ていれば、亡くなったからと言って忘れられるはずがないということは分かる。

「無駄話をするために来たのか?」
「そんな訳ないでしょう。こっちに来て」

 イザベラに引っ張られるようにしてバルコニーに出た。

「一週間後、オーウェルの地下オークションで大量の子どもたちが売買されるわ。一網打尽にして」
「ずいぶんな大捕物になりそうだな」
「難しそう?」
「第二騎士団を甘くみるな。俺たちは第一騎士団みたいな張り子の虎じゃない」
「頼もしいわ。そんなあなたが、たった一人の心から愛した女性のこととなると手も足も出なくなるのだから……」
「余計なことを言うな」

 一足早くバルコニーから広間に出て、ハイネはまだ戻ってきていないようだ。
 化粧直しにしては時間がかかりすぎている。
 不安に駆られたアーサーは広間を飛び出した。
 角を曲がった次の瞬間、信じられない光景に息を呑んだ。

「っ!」

 ハイネが、クリフォードに抱きしめられていたのだ。
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