23 / 68
3章 握り過ぎた手
3 - 1
しおりを挟む
「そうですか。息子さんは重い喘息で……それはお母さんも苦労されることでしょう」
「まあ、よその家庭よりは」
五十八歳の主婦、菊池信子《きくち・のぶこ》は、自宅の居間で、客人の男にお茶を出しながら答えた。信子はやや痩せ型の、歳相応の外見をしており、髪は長く、薄い茶色にカラーリングしていた。また、男はカジュアルなスーツを着ており、四十歳くらいで、穏やかな顔立ちをしていた。
「あ、そうだ。電話でも自己紹介させていただきましたが、改めてこちらを」
と、男は懐から名詞を出し、信子に差し出した。そこには「臨床心理士」という肩書きが書いてあった。信子は丁重にそれを受け取った。
「それで、息子さんの暴力の件ですが、どれくらいの頻度なのですか? また、どういったときに?」
「いつ、と、はっきり決まっているわけではないのです。私が何か話しかけると、たまにすごく気に入らないことがあるのか、暴れるのですわ」
信子はそう言うと、着ているカッターシャツの袖をまくり、二の腕を見せた。そこにはあざがあった。「それは、お母さんとしては非常にお辛いことでしょうね」と、男は同情の言葉を口にした。
「息子さんは、普段はどういう生活をされているのですか?」
「体が弱いので、ほとんど毎日家にいます。あの子、外に働きには出られないんです。一度就職したことがあったのですが、仕事中に喘息の発作が出てしまい、結局、働き続けるのができなくってしまって」
「なるほど。家ではどんなふうに過ごされているのですか?」
「ずっと自分の部屋にいますわ」
「では、お母さんとはそれほど一緒というわけでもないのですね」
「まあ、部屋に食事を持っていくときなどは、それなりに話をしますわ。あの子、根はすごく優しい子なんです。ただ、最近はちょっと感情的になることが多いみたいで」
「そうですか、では、家に閉じこもりきりの環境で、少しばかりナーバスになられているだけなのかもしれませんね。たまには、ご一緒に家の外を散歩するなどされてみては――」
「はあ? あなた、私の話を聞いてなかったんですか? あの子は体が弱いんです。だから外に出られないんです! それを、まるで無職の引きこもりみたいな言い方して! だいたい、家の外に出られないから心がだめになるって決まっているわけじゃないでしょう!」
「いえ、そういうつもりは……」
男は信子が突然激昂したことに、ひたすら戸惑っているようだった。
「や、やはり、こういうことは、お母さんだけではなく、息子さんからも話をうかがいたいものです。息子さんの体調が許せば、の話ですが」
「そうですか、あなたもやっぱり前の人と同じように、私が悪いって思ってるんですか?」
「え、前の人?」
「どうせ、心の中では、私があの子を甘やかしすぎなのがダメって思ってるんでしょう! 喘息持ちの子供を持つ母親の苦労なんて知りもしないで! あの子は、私が支えてあげないとダメなんです! 一人では生きていけないんです!」
「は、はあ。それはこちらとしても、十分理解しているつもりで――」
「じゃあ、なんで息子と話そうなんて言い出したんですか! 本当は、あの子の口から私が悪いってとれるような言葉を聞き出すつもりだったんでしょう! それで前の人と同じように私を責めるつもりだったんでしょう!」
「いえ、そんなつもりは、断じて――」
「もういいです、帰って下さい! あなたみたいな人では、話になりません! 違う人を探します!」
信子は激しくまくしたてると、うむを言わさず男を家から追い出してしまった。彼は、ほんの数分前に家に来たばかりだったのだが。
「なんで誰も、直春の喘息のことを理解してくれないのかしら……」
男を追い出した後、信子はため息をつきながら居間に戻った。また新しいカウンセラーを探さなくては、と考えながら。
と、そこで、居間のローテーブルの上に置きっぱなしだった新聞に目に止まった。その広告欄に、「あなたのお悩み、解決します。まずはお気軽にご相談を。ウロマ・カウンセリングルーム」とあったのだ。
「……次はこの人でいいかしら?」
信子はその広告をじっと見つめながらつぶやいた。
「まあ、よその家庭よりは」
五十八歳の主婦、菊池信子《きくち・のぶこ》は、自宅の居間で、客人の男にお茶を出しながら答えた。信子はやや痩せ型の、歳相応の外見をしており、髪は長く、薄い茶色にカラーリングしていた。また、男はカジュアルなスーツを着ており、四十歳くらいで、穏やかな顔立ちをしていた。
「あ、そうだ。電話でも自己紹介させていただきましたが、改めてこちらを」
と、男は懐から名詞を出し、信子に差し出した。そこには「臨床心理士」という肩書きが書いてあった。信子は丁重にそれを受け取った。
「それで、息子さんの暴力の件ですが、どれくらいの頻度なのですか? また、どういったときに?」
「いつ、と、はっきり決まっているわけではないのです。私が何か話しかけると、たまにすごく気に入らないことがあるのか、暴れるのですわ」
信子はそう言うと、着ているカッターシャツの袖をまくり、二の腕を見せた。そこにはあざがあった。「それは、お母さんとしては非常にお辛いことでしょうね」と、男は同情の言葉を口にした。
「息子さんは、普段はどういう生活をされているのですか?」
「体が弱いので、ほとんど毎日家にいます。あの子、外に働きには出られないんです。一度就職したことがあったのですが、仕事中に喘息の発作が出てしまい、結局、働き続けるのができなくってしまって」
「なるほど。家ではどんなふうに過ごされているのですか?」
「ずっと自分の部屋にいますわ」
「では、お母さんとはそれほど一緒というわけでもないのですね」
「まあ、部屋に食事を持っていくときなどは、それなりに話をしますわ。あの子、根はすごく優しい子なんです。ただ、最近はちょっと感情的になることが多いみたいで」
「そうですか、では、家に閉じこもりきりの環境で、少しばかりナーバスになられているだけなのかもしれませんね。たまには、ご一緒に家の外を散歩するなどされてみては――」
「はあ? あなた、私の話を聞いてなかったんですか? あの子は体が弱いんです。だから外に出られないんです! それを、まるで無職の引きこもりみたいな言い方して! だいたい、家の外に出られないから心がだめになるって決まっているわけじゃないでしょう!」
「いえ、そういうつもりは……」
男は信子が突然激昂したことに、ひたすら戸惑っているようだった。
「や、やはり、こういうことは、お母さんだけではなく、息子さんからも話をうかがいたいものです。息子さんの体調が許せば、の話ですが」
「そうですか、あなたもやっぱり前の人と同じように、私が悪いって思ってるんですか?」
「え、前の人?」
「どうせ、心の中では、私があの子を甘やかしすぎなのがダメって思ってるんでしょう! 喘息持ちの子供を持つ母親の苦労なんて知りもしないで! あの子は、私が支えてあげないとダメなんです! 一人では生きていけないんです!」
「は、はあ。それはこちらとしても、十分理解しているつもりで――」
「じゃあ、なんで息子と話そうなんて言い出したんですか! 本当は、あの子の口から私が悪いってとれるような言葉を聞き出すつもりだったんでしょう! それで前の人と同じように私を責めるつもりだったんでしょう!」
「いえ、そんなつもりは、断じて――」
「もういいです、帰って下さい! あなたみたいな人では、話になりません! 違う人を探します!」
信子は激しくまくしたてると、うむを言わさず男を家から追い出してしまった。彼は、ほんの数分前に家に来たばかりだったのだが。
「なんで誰も、直春の喘息のことを理解してくれないのかしら……」
男を追い出した後、信子はため息をつきながら居間に戻った。また新しいカウンセラーを探さなくては、と考えながら。
と、そこで、居間のローテーブルの上に置きっぱなしだった新聞に目に止まった。その広告欄に、「あなたのお悩み、解決します。まずはお気軽にご相談を。ウロマ・カウンセリングルーム」とあったのだ。
「……次はこの人でいいかしら?」
信子はその広告をじっと見つめながらつぶやいた。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末
松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰
第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。
本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。
2025年11月28書籍刊行。
なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる