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第3章 閉ざされた回廊
第7話 閉じる足音のほうへ
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その夜、翔と結衣は眠らなかった。
二人はロビーの隅、照明の下で向かい合って座り、会話もなく、ただ耳を澄ませていた。
誰かの足音が、再び聞こえるのではないかと。
けれど、時間は静かに、そして冷たく過ぎていく。
ランプの明かりは一定のまま、時計の針だけが進んでいく……ように、見えた。
だが、翔はその針が“わずかに速く”進んでいるような錯覚を抱いた。
「……あれ、さ。さっきより……」
呟いた翔の言葉に、結衣は黙ってうなずいた。
彼女もまた、同じ違和感に気づいていた。
「今夜はもう、眠れないかもね」
乾いた冗談のつもりだったが、結衣は笑わなかった。
そのかわり、わずかに視線を横に向けた。
「……ねえ、あの人、いつからあそこにいたのかな」
翔は目を向ける。
ロビーの柱の陰に、相川達也が背をもたせかけるようにして立っていた。腕を組み、目を閉じている。
「ずっといたのか?」
「わからない。……でも、わたし、声をかけた記憶がないのに、最初から“いたことになってる”みたいな……」
その言葉に、翔の胸に冷たいものが走った。
さっきから感じていた違和感が、形を帯び始める。
——“本当に、ここにいる人たちは、最初から揃っていたのだろうか”。
そのとき。
ロビーの天井、空調口の奥から「カタン」という硬質な音が落ちてきた。
二人が同時に顔を上げる。
その間に、相川が不意に目を開けた。
「……誰か、歩いてるよ。上で」
そう言った彼の顔は、どこか遠くを見ていた。
だがその目の奥に、“今この瞬間の空気に属していない何か”が見えた気がして、翔は思わず結衣の手を探った。
「音、したよね?」
「した。でも……」
言葉を途中で切ったのは、聞き覚えのあるドアの開閉音が重なったからだった。
西棟の廊下。先ほど翔が訪れた、あの部屋の方角。
扉が、再び閉じられた音——それは、確かに、誰かが出ていった音ではなく、“何かが内側から鍵をかけた”ような音だった。
翔は立ち上がった。
何かが、そこにいる。もしくは、閉じ込められている。
あるいは——外に出てこないよう、鍵を“かけられている”。
「行こう、結衣」
「うん。でも、もし——開かなかったら?」
彼女の問いに、翔は黙って頷いた。
そのとき、柱の陰にいたはずの相川が、いつの間にか姿を消していることに、二人はまだ気づいていなかった。
二人はロビーの隅、照明の下で向かい合って座り、会話もなく、ただ耳を澄ませていた。
誰かの足音が、再び聞こえるのではないかと。
けれど、時間は静かに、そして冷たく過ぎていく。
ランプの明かりは一定のまま、時計の針だけが進んでいく……ように、見えた。
だが、翔はその針が“わずかに速く”進んでいるような錯覚を抱いた。
「……あれ、さ。さっきより……」
呟いた翔の言葉に、結衣は黙ってうなずいた。
彼女もまた、同じ違和感に気づいていた。
「今夜はもう、眠れないかもね」
乾いた冗談のつもりだったが、結衣は笑わなかった。
そのかわり、わずかに視線を横に向けた。
「……ねえ、あの人、いつからあそこにいたのかな」
翔は目を向ける。
ロビーの柱の陰に、相川達也が背をもたせかけるようにして立っていた。腕を組み、目を閉じている。
「ずっといたのか?」
「わからない。……でも、わたし、声をかけた記憶がないのに、最初から“いたことになってる”みたいな……」
その言葉に、翔の胸に冷たいものが走った。
さっきから感じていた違和感が、形を帯び始める。
——“本当に、ここにいる人たちは、最初から揃っていたのだろうか”。
そのとき。
ロビーの天井、空調口の奥から「カタン」という硬質な音が落ちてきた。
二人が同時に顔を上げる。
その間に、相川が不意に目を開けた。
「……誰か、歩いてるよ。上で」
そう言った彼の顔は、どこか遠くを見ていた。
だがその目の奥に、“今この瞬間の空気に属していない何か”が見えた気がして、翔は思わず結衣の手を探った。
「音、したよね?」
「した。でも……」
言葉を途中で切ったのは、聞き覚えのあるドアの開閉音が重なったからだった。
西棟の廊下。先ほど翔が訪れた、あの部屋の方角。
扉が、再び閉じられた音——それは、確かに、誰かが出ていった音ではなく、“何かが内側から鍵をかけた”ような音だった。
翔は立ち上がった。
何かが、そこにいる。もしくは、閉じ込められている。
あるいは——外に出てこないよう、鍵を“かけられている”。
「行こう、結衣」
「うん。でも、もし——開かなかったら?」
彼女の問いに、翔は黙って頷いた。
そのとき、柱の陰にいたはずの相川が、いつの間にか姿を消していることに、二人はまだ気づいていなかった。
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