蒼月館の招待状

天音 翔杜

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第3章 閉ざされた回廊

第6話 反転する記憶

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 部屋を出たとき、廊下の空気がわずかに温かくなっていた。
 ただ、それが気温の変化だったのか、自分の感覚が狂っているだけなのか、翔にはわからなかった。

 先ほどまで確かに“逆回転”していた壁時計の映像が、頭から離れない。
 幻覚だと断じるには、それはあまりに滑らかで、現実的すぎた。

 階段を下りる。足音を抑えるつもりなどなかったが、なぜか音が鳴らない。
 耳を澄ませても、靴底が床に触れる感触はあるのに、その結果としての“音”が感じられないのだ。

 ——あるいは、音だけが遅れてやって来るのかもしれない。

 そんな考えが脳裏をかすめたときだった。
 視界の端で、誰かの影が動いた。

 振り返る。誰もいない。
 しかし翔は、視線の先、階段の踊り場に“ほんの一瞬だけ人が立っていた”という確信を持っていた。

「……気のせい、じゃないよな」

 独り言が空しく空間に落ちる。今度は、その声が微かに反響した。
 ——だが、その反響は、どこかで“別の声”にすり替わったように感じた。

 ロビーに戻ると、結衣が一人、ランプの下で椅子に腰掛けていた。
 読書でもしていたのか、彼女の手には薄い文庫本が握られている。けれど、ページは開かれていなかった。

「翔。……いま、西棟、行ってたよね?」

 問いかけに、翔はうなずく。
 結衣の声には、戸惑いと確信が交じっていた。

「あなたが戻ってくる、五分前くらい。あの廊下で、足音を聞いたの。だけど——」

 彼女は言い淀み、少しだけ目を伏せた。

「——その足音、階段を上って、扉の前で止まって。それから……“もう一人の足音”が、反対側から近づいてきた」

「……同時に、二人いたってこと?」

「わたしには、そう聞こえた。でもね……変だったの」

 結衣は唇を噛んだ。
 翔は、無言で続きを促す。

「二人とも、最後まで声を出さなかった。階段を上ってきた足音も、部屋の前で止まったまま。そして……もう一人の方の足音だけが、戻っていったの。……あなたの足音だったと思う。戻ってきたのは、翔だけだった」

 その瞬間、翔の背筋が凍りついた。

「——でも、それって、つまり……」

「ええ。“もう一人は、いまも部屋にいる”ってこと」

 ロビーに灯るランプの光が、一瞬だけ揺れた。
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