蒼月館の招待状

天音 翔杜

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第3章 閉ざされた回廊

第8話 記録されない来訪者

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 西棟の廊下は、さきほどよりも暗く、静かだった。

 翔と結衣は、言葉少なに歩を進める。
 壁のランプは明滅し、その下をくぐるたび、影が長く伸びては歪んだ。

 部屋の前まで来て、翔は一度深呼吸をした。
 扉は閉じている。鍵がかかっているようには見えないが、なぜか“開けてはいけない”という直感が胸を塞いでいた。

「……もし中に誰かいたら」

「そっと、話しかけよう。……それでも返事がなかったら、そのまま閉める」

 結衣の声は、震えてはいなかった。
 けれど翔は、彼女の右手が冷たく湿っているのを感じていた。

 ゆっくりと、扉に手をかける。
 押すと、わずかな音を立てて開いた。音は、今度はあった。——だが、その直後、世界の音が止んだように感じた。

 部屋の中は、誰もいなかった。
 少なくとも、目で見える範囲には。

 照明は点いていない。カーテンも閉ざされていた。
 だが、窓の隙間から入り込む月の光が、机の上に何かを浮かび上がらせていた。

「……ノート?」

 翔が近づき、それを手に取る。
 表紙は無地で、何のタイトルもない。中を開くと、ところどころに細い文字が走っていた。

『今夜も声が聞こえた。誰もいない廊下から、同じ靴音。それは、私が歩いているはずの音と——重なっていた』

『何が本当だったのか、わからなくなってくる。最初に館に入ったとき、私は“誰に案内された”のだろう?』

『名前が、呼べない。記録できない。何度書いても、翌朝には消えている。それでも、私は——その“声”を忘れたくない』

 ページの最後にだけ、筆跡の違う文字が残されていた。

『記録されない来訪者がいる。扉を開けた時、誰もいなかったとき。それでも確かに、そこに“いた”という記憶だけが、残っている』

 翔が顔を上げたとき、部屋の隅に結衣の姿はなかった。
 慌てて振り返ると、彼女は部屋の入口に立ち尽くし、こちらを見つめていた。

「翔……今、私……。誰かとすれ違った、気がするの」

 その言葉と同時に、廊下の奥から、かすかな足音が一つ、遠ざかっていった。
 誰もいないはずの廊下で。

 足音は、こちらを振り返ることもなく、やがて——消えた。
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