1 / 28
1
しおりを挟む
「エリー・オルブライト公爵令嬢! 貴様との婚約を、今この場を以て破棄させてもらう!」
豪華絢爛な王宮の夜会、その中心で、ウィルフレッド王子が声を張り上げた。
その隣には、彼にしなだれかかる一人の少女。
男爵令嬢のマリアだ。
エリーは、持っていた扇子をパチンと閉じた。
周囲の貴族たちは息を呑み、静まり返っている。
「……婚約、破棄……でございますか?」
「そうだ! しらばっくれるな! 貴様がマリアに行った数々の嫌がらせ、証拠はすべて揃っているのだ!」
王子の言葉に、エリーはゆっくりと首を傾げた。
その瞳には、悲しみではなく、別の光が宿り始めていた。
(……ついに。ついに来たわ、この時が!)
エリーは、心の中でガッツポーズを決めていた。
彼女はこの十年間、完璧な公爵令嬢として、そして「格好の標的」としての悪役令嬢を演じ続けてきた。
すべては、この退屈極まりない婚約を円満に(?)終わらせるため。
そして何より、自分自身の「本性」を隠し通すためだった。
(ああ、もう我慢しなくていいのね。淑女の仮面を被って、一言喋るのに三分も考え抜くような地獄の日々は、今日で終わり!)
「エリー! 何か申し開きはあるか!」
王子の追及に、エリーは深く息を吸い込んだ。
そして、顔を上げた瞬間に、その表情から「淑女」の気配が完全に消え失せた。
「……申し開きというか、確認させていただいてもよろしいかしら?」
「ふん、往気際が悪いぞ。なんだ」
「まずその、殿下の『指差し』。非常にフォームが綺麗ですけれど、公衆の面前で女性を指差すのはマナー違反以前に、指の節々が少し乾燥していらっしゃいますわね。ハンドクリーム、お貸ししましょうか?」
「は? 何を言って……」
「あと、そちらのマリア様。殿下に寄り添う角度が四十五度なのは計算高いですが、右側のまつ毛が三本ほど取れかかっていますわよ。あとで鏡をご覧になるとよろしいわ。あ、それから殿下」
「な、なんだ!」
「婚約破棄の理由として『嫌がらせ』を挙げられましたけれど、私がマリア様の教科書を池に投げ捨てたという件。あれ、正確には『浮力と水の抵抗を物理的に証明したい』と仰ったマリア様に頼まれて、私が実演して差し上げただけですわ。結果、教科書は沈みましたけれど。物理ですわね」
エリーの口から、澱みのない言葉が滝のように溢れ出す。
周囲の貴族たちが呆然とする中、彼女の勢いは止まらない。
「マリア様に毒を盛ったという件もそうですわ。あれ、私が飲んでいた激辛のデトックススープを、彼女が『一口ちょうだい』と強奪して勝手に悶絶なさっただけではありませんか。毒ではなく、スパイスです。成分表、お出ししましょうか?」
「き、貴様……っ、今までそんな風に喋る女ではなかっただろう!」
王子が後ずさりする。
そう、今までのエリーは、何を言われても静かに微笑むだけの「お人形」だったのだ。
「ええ、そうですわね。公爵令嬢として、王家の婚約者として、私は自分の『実況・ツッコミ体質』を必死に封印しておりましたの。でも、婚約破棄とおっしゃるなら、もう私は公務に縛られる必要も、殿下の退屈なお話に『まあ、素敵ですわ』と相槌を打つ必要もありませんのよ!」
「退屈だと!? 私の話が!」
「ええ、特に三日前の『我が王家の歴史について』の講釈。あれ、途中で三回ほど年号を間違えていらっしゃいましたわ。指摘しようかと思いましたけれど、殿下のプライドを守るためにあえて寝たふりをして差し上げましたの。感謝してほしいくらいですわ」
エリーは扇子で口元を隠すことさえせず、快活に笑った。
その姿は、悲劇のヒロインとは程遠い。
「ああ、スッキリしましたわ! 殿下、婚約破棄のお申し出、喜んでお受けいたします! というか、こちらから願い出たいレベルでしたので、手間が省けました!」
「な……っ!」
「マリア様も、どうぞこの殿下をお引き取りください。彼、夜寝る時に時々すごい形相で歯ぎしりをなさいますけれど、愛があれば乗り越えられますわよね? 頑張ってくださいませ!」
「エリー、お前……正気か?」
王子の顔が青くなったり赤くなったりと忙しい。
その様子を、エリーは冷静に、かつ面白そうに眺めている。
(ああ、楽しい。これよ、これ。私はこうして、目の前の状況にツッコミを入れながら生きていきたかったの!)
「正気も正気、大正気ですわ! さあ、そうと決まれば長居は無用です。公爵家への報告は私がしておきますから、殿下はそちらの『物理実験大好きっ娘』と仲良く踊り明かしてくださいな!」
エリーはドレスの裾を華麗に翻すと、出口に向かって歩き出した。
その背中は、誰よりも堂々としていた。
(さようなら、窮屈な王宮! こんにちは、自由な私! 明日からは、この溢れ出るトークスキルを武器に、新しい人生を謳歌してやるわ!)
「待て! まだ話は終わって……!」
後ろで王子が何か叫んでいるが、エリーは耳を貸さない。
むしろ、門番の兵士の鎧が少し左に傾いているのが気になって、声をかけそうになったほどだ。
会場を出たエリーの前に、一人の男が立ちはだかった。
黒いマントを羽織った、近衛騎士団の副団長、カイン・ノリスだ。
「……派手にやったな、公爵令嬢」
「あら、カイン様。見ていらっしゃったの?」
「ああ。……面白いものを見た。貴女がこれほど弁が立つとはな」
カインの冷徹そうな瞳が、わずかに揺れている。
エリーは不敵に笑い、彼に向かってウィンクをした。
「これでも、かなり手加減した方ですわよ? カイン様、今度お会いした時は、貴方のその『鉄面皮』が何分で崩れるか、実況して差し上げましょうか?」
「……断る。だが、興味はあるな」
カインがわずかに口角を上げる。
それが、エリーの新しい物語の、幕開けの合図だった。
豪華絢爛な王宮の夜会、その中心で、ウィルフレッド王子が声を張り上げた。
その隣には、彼にしなだれかかる一人の少女。
男爵令嬢のマリアだ。
エリーは、持っていた扇子をパチンと閉じた。
周囲の貴族たちは息を呑み、静まり返っている。
「……婚約、破棄……でございますか?」
「そうだ! しらばっくれるな! 貴様がマリアに行った数々の嫌がらせ、証拠はすべて揃っているのだ!」
王子の言葉に、エリーはゆっくりと首を傾げた。
その瞳には、悲しみではなく、別の光が宿り始めていた。
(……ついに。ついに来たわ、この時が!)
エリーは、心の中でガッツポーズを決めていた。
彼女はこの十年間、完璧な公爵令嬢として、そして「格好の標的」としての悪役令嬢を演じ続けてきた。
すべては、この退屈極まりない婚約を円満に(?)終わらせるため。
そして何より、自分自身の「本性」を隠し通すためだった。
(ああ、もう我慢しなくていいのね。淑女の仮面を被って、一言喋るのに三分も考え抜くような地獄の日々は、今日で終わり!)
「エリー! 何か申し開きはあるか!」
王子の追及に、エリーは深く息を吸い込んだ。
そして、顔を上げた瞬間に、その表情から「淑女」の気配が完全に消え失せた。
「……申し開きというか、確認させていただいてもよろしいかしら?」
「ふん、往気際が悪いぞ。なんだ」
「まずその、殿下の『指差し』。非常にフォームが綺麗ですけれど、公衆の面前で女性を指差すのはマナー違反以前に、指の節々が少し乾燥していらっしゃいますわね。ハンドクリーム、お貸ししましょうか?」
「は? 何を言って……」
「あと、そちらのマリア様。殿下に寄り添う角度が四十五度なのは計算高いですが、右側のまつ毛が三本ほど取れかかっていますわよ。あとで鏡をご覧になるとよろしいわ。あ、それから殿下」
「な、なんだ!」
「婚約破棄の理由として『嫌がらせ』を挙げられましたけれど、私がマリア様の教科書を池に投げ捨てたという件。あれ、正確には『浮力と水の抵抗を物理的に証明したい』と仰ったマリア様に頼まれて、私が実演して差し上げただけですわ。結果、教科書は沈みましたけれど。物理ですわね」
エリーの口から、澱みのない言葉が滝のように溢れ出す。
周囲の貴族たちが呆然とする中、彼女の勢いは止まらない。
「マリア様に毒を盛ったという件もそうですわ。あれ、私が飲んでいた激辛のデトックススープを、彼女が『一口ちょうだい』と強奪して勝手に悶絶なさっただけではありませんか。毒ではなく、スパイスです。成分表、お出ししましょうか?」
「き、貴様……っ、今までそんな風に喋る女ではなかっただろう!」
王子が後ずさりする。
そう、今までのエリーは、何を言われても静かに微笑むだけの「お人形」だったのだ。
「ええ、そうですわね。公爵令嬢として、王家の婚約者として、私は自分の『実況・ツッコミ体質』を必死に封印しておりましたの。でも、婚約破棄とおっしゃるなら、もう私は公務に縛られる必要も、殿下の退屈なお話に『まあ、素敵ですわ』と相槌を打つ必要もありませんのよ!」
「退屈だと!? 私の話が!」
「ええ、特に三日前の『我が王家の歴史について』の講釈。あれ、途中で三回ほど年号を間違えていらっしゃいましたわ。指摘しようかと思いましたけれど、殿下のプライドを守るためにあえて寝たふりをして差し上げましたの。感謝してほしいくらいですわ」
エリーは扇子で口元を隠すことさえせず、快活に笑った。
その姿は、悲劇のヒロインとは程遠い。
「ああ、スッキリしましたわ! 殿下、婚約破棄のお申し出、喜んでお受けいたします! というか、こちらから願い出たいレベルでしたので、手間が省けました!」
「な……っ!」
「マリア様も、どうぞこの殿下をお引き取りください。彼、夜寝る時に時々すごい形相で歯ぎしりをなさいますけれど、愛があれば乗り越えられますわよね? 頑張ってくださいませ!」
「エリー、お前……正気か?」
王子の顔が青くなったり赤くなったりと忙しい。
その様子を、エリーは冷静に、かつ面白そうに眺めている。
(ああ、楽しい。これよ、これ。私はこうして、目の前の状況にツッコミを入れながら生きていきたかったの!)
「正気も正気、大正気ですわ! さあ、そうと決まれば長居は無用です。公爵家への報告は私がしておきますから、殿下はそちらの『物理実験大好きっ娘』と仲良く踊り明かしてくださいな!」
エリーはドレスの裾を華麗に翻すと、出口に向かって歩き出した。
その背中は、誰よりも堂々としていた。
(さようなら、窮屈な王宮! こんにちは、自由な私! 明日からは、この溢れ出るトークスキルを武器に、新しい人生を謳歌してやるわ!)
「待て! まだ話は終わって……!」
後ろで王子が何か叫んでいるが、エリーは耳を貸さない。
むしろ、門番の兵士の鎧が少し左に傾いているのが気になって、声をかけそうになったほどだ。
会場を出たエリーの前に、一人の男が立ちはだかった。
黒いマントを羽織った、近衛騎士団の副団長、カイン・ノリスだ。
「……派手にやったな、公爵令嬢」
「あら、カイン様。見ていらっしゃったの?」
「ああ。……面白いものを見た。貴女がこれほど弁が立つとはな」
カインの冷徹そうな瞳が、わずかに揺れている。
エリーは不敵に笑い、彼に向かってウィンクをした。
「これでも、かなり手加減した方ですわよ? カイン様、今度お会いした時は、貴方のその『鉄面皮』が何分で崩れるか、実況して差し上げましょうか?」
「……断る。だが、興味はあるな」
カインがわずかに口角を上げる。
それが、エリーの新しい物語の、幕開けの合図だった。
1,453
あなたにおすすめの小説
《完結》氷の侯爵令息 あなたが子供はいらないと言ったから
ヴァンドール
恋愛
氷の侯爵令息と言われたアラン。彼は結婚相手の伯爵令嬢にとにかく冷たい態度で接する。
彼女は義姉イライザから夫が子供はいらないと言ったと聞き、衝撃を受けるが気持ちを切り替え生きていく。
【完】あの、……どなたでしょうか?
桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー
爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」
見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は………
「あの、……どなたのことでしょうか?」
まさかの意味不明発言!!
今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!!
結末やいかに!!
*******************
執筆終了済みです。
《完結》「パパはいますか?」ある日、夫に似た子供が訪ねて来た。
ヴァンドール
恋愛
嫁いですぐに夫は戦地に赴いた。すると突然一人の男の子が訪ねて来た「パパはいますか?」
その子供の顔は戦地に行った夫にそっくりだった。
幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。
灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。
曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。
婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。
前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。
【完】愛しの婚約者に「学園では距離を置こう」と言われたので、婚約破棄を画策してみた
迦陵 れん
恋愛
「学園にいる間は、君と距離をおこうと思う」
待ちに待った定例茶会のその席で、私の大好きな婚約者は唐突にその言葉を口にした。
「え……あの、どうし……て?」
あまりの衝撃に、上手く言葉が紡げない。
彼にそんなことを言われるなんて、夢にも思っていなかったから。
ーーーーーーーーーーーーー
侯爵令嬢ユリアの婚約は、仲の良い親同士によって、幼い頃に結ばれたものだった。
吊り目でキツい雰囲気を持つユリアと、女性からの憧れの的である婚約者。
自分たちが不似合いであることなど、とうに分かっていることだった。
だから──学園にいる間と言わず、彼を自分から解放してあげようと思ったのだ。
婚約者への淡い恋心は、心の奥底へとしまいこんで……。
第18回恋愛小説大賞で、『奨励賞』をいただきましたっ!
※基本的にゆるふわ設定です。
※プロット苦手派なので、話が右往左往するかもしれません。→故に、タグは徐々に追加していきます
※感想に返信してると執筆が進まないという鈍足仕様のため、返事は期待しないで貰えるとありがたいです。
※仕事が休みの日のみの執筆になるため、毎日は更新できません……(書きだめできた時だけします)ご了承くださいませ。
※※しれっと短編から長編に変更しました。(だって絶対終わらないと思ったから!)
【完結】悪役令嬢ですが、断罪した側が先に壊れました
あめとおと
恋愛
三日後、私は断罪される。
そう理解したうえで、悪役令嬢アリアンナは今日も王国のために働いていた。
平民出身のヒロインの「善意」、
王太子の「優しさ」、
そしてそれらが生み出す無数の歪み。
感情論で壊されていく現実を、誰にも知られず修正してきたのは――“悪役”と呼ばれる彼女だった。
やがて訪れる断罪。婚約破棄。国外追放。
それでも彼女は泣かず、縋らず、弁明もしない。
なぜなら、間違っていたつもりは一度もないから。
これは、
「断罪される側」が最後まで正しかった物語。
そして、悪役令嬢が舞台を降りた“その後”に始まる、静かで確かな人生の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる