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王宮から公爵家の馬車に揺られて三十分。
エリーが屋敷の玄関をくぐると、そこには案の定、憤怒の形相で待ち構える父・オルブライト公爵の姿があった。
「エリー! 貴様、王宮で一体何をやらかしたのか分かっているのか!」
広間に響き渡る怒声。
使用人たちが震え上がる中、エリーは優雅に、しかしどこか投げやりな動作で耳を小指で掻いた。
「お父様、夜分遅くに元気な発声練習ですわね。肺活量が素晴らしくて、私、感動いたしましたわ」
「ふざけるな! 王子殿下から早馬で連絡があった! 婚約破棄だけでなく、殿下を愚弄し、あまつさえマリア嬢を侮辱したそうではないか!」
公爵の額には、立派な青筋が何本も浮き出ている。
それを見たエリーの瞳が、プロの鑑定士のように鋭く光った。
「まあ、お父様。その額の血管の浮き出方、左右非対称で非常に芸術的ですわ。今の怒鳴り声で、さらに三ミリほど右側の血流が加速したように見えますけれど、高血圧にはお気をつけて?」
「黙れと言っているのだ! 公爵家の泥を塗りおって……! お前のような恥さらしは、もはや我が娘ではない! 今すぐこの家から出て行け!」
「あら、本当ですの? 言質、取らせていただきましたわよ?」
エリーは待ってましたと言わんばかりに、懐から手帳を取り出してサラサラとペンを走らせた。
公爵は呆気に取られ、口をパクパクとさせている。
「……何を、書いているのだ」
「え? 『本日付で、娘エリー・オルブライトを自由の身にする』という公爵様のご意志の記録ですわ。お父様、一度口にした言葉を翻すのは、貴族の矜持が許しませんわよね?」
「き、貴様……本気なのか? 家を追い出されれば、一文無しの平民になるのだぞ。お前のような贅沢三昧の令嬢が、外で生きていけるはずがなかろう!」
エリーはペンを止め、フッと鼻で笑った。
その笑みは、これまでの「おしとやかな令嬢」のそれとは正反対の、不敵で不遜なものだった。
「贅沢三昧? お父様、それは心外ですわ。私がこの十年、お父様の顔色を伺いながら、どれほど家計の無駄を省くための『ツッコミ』を我慢してきたか、ご存知ないのかしら?」
「無駄だと……?」
「ええ。例えば、あちらに飾ってある金ピカの壺。あれ、有名な作家の作だと騙されて三千金も払っていらっしゃいましたけれど、実際は隣町の工房で作られた量産品ですわよ。底に『メイド・イン・隣町』って刻印がありますもの」
「な、何だと……!?」
「それから、お父様が大事に隠している書斎の奥の秘密の引き出し。あの中にある『自作のポエム集』。あれも、韻の踏み方が独特すぎて、読み上げるたびに私がどれほど腹筋を鍛えられたか、想像もつかないでしょうね」
「……!! な、ななな、なぜそれを……!」
公爵の顔が、今度は真っ赤に染まった。
血管の芸術的な浮き出し具合が、さらに複雑な幾何学模様を描き始める。
「とにかく! 私は今日から自由ですの! お父様のポエムに無感情な拍手を送る日々も、王子の退屈な武勇伝に『さすがですわ』と微笑む苦行も、すべておしまいです! ああ、清々しますわ!」
「……後悔しても知らんぞ! おい、エリーの荷物をすべてまとめろ! 今すぐ門の外へ放り出せ!」
「いえ、結構ですわ。大切なものはもう、このバッグに詰めてありますの」
エリーは足元に置いていた小さな旅行鞄を、ひょいと肩に担いだ。
公爵令嬢らしからぬその身軽な動きに、執事のセバスチャンすら目を丸くしている。
「セバスチャン、今まで私の毒舌を黙って聞いてくれてありがとう。貴方の淹れる紅茶だけは、唯一の救いでしたわ」
「……お嬢様。どうか、お達者で」
「ええ、もちろん! あ、お父様、最後のアドバイスですけれど」
エリーは門へと向かう途中で立ち止まり、振り返って意地悪く微笑んだ。
「そのカツラ、少し左にずれていますわよ。激昂するとズレる癖、お直しになった方がよろしいかと。それでは、ごめんあそばせ!」
「ええい、行け! 二度と敷居を跨ぐな!!」
後ろで何かが割れる音がしたが、エリーは振り返らなかった。
夜風が頬を撫でる。
重いドレスの裾を自らナイフで切り落とし、動きやすい丈にしたエリーは、夜の街へと駆け出した。
(さあ、まずは今夜の宿ね。そして明日からは、この『口撃力』を金に変えてやるわ!)
街の灯りが見えてくる。
エリーの足取りは、羽が生えたかのように軽かった。
しかし、彼女はまだ気づいていなかった。
屋敷の影から、彼女の「脱出劇」を静かに見守っていた人影があることに。
「……やはり、ただの令嬢ではないな」
低い声が漏れる。
それは、王宮のバルコニーで見かけた、あの近衛騎士カイン・ノリスだった。
「面白い。追え。彼女がどこへ向かうか、すべて報告しろ」
カインは部下に命じると、闇の中に消えていった。
エリーの「ガヤの達人」としての新しい人生が、今、本格的に幕を開けようとしていた。
エリーが屋敷の玄関をくぐると、そこには案の定、憤怒の形相で待ち構える父・オルブライト公爵の姿があった。
「エリー! 貴様、王宮で一体何をやらかしたのか分かっているのか!」
広間に響き渡る怒声。
使用人たちが震え上がる中、エリーは優雅に、しかしどこか投げやりな動作で耳を小指で掻いた。
「お父様、夜分遅くに元気な発声練習ですわね。肺活量が素晴らしくて、私、感動いたしましたわ」
「ふざけるな! 王子殿下から早馬で連絡があった! 婚約破棄だけでなく、殿下を愚弄し、あまつさえマリア嬢を侮辱したそうではないか!」
公爵の額には、立派な青筋が何本も浮き出ている。
それを見たエリーの瞳が、プロの鑑定士のように鋭く光った。
「まあ、お父様。その額の血管の浮き出方、左右非対称で非常に芸術的ですわ。今の怒鳴り声で、さらに三ミリほど右側の血流が加速したように見えますけれど、高血圧にはお気をつけて?」
「黙れと言っているのだ! 公爵家の泥を塗りおって……! お前のような恥さらしは、もはや我が娘ではない! 今すぐこの家から出て行け!」
「あら、本当ですの? 言質、取らせていただきましたわよ?」
エリーは待ってましたと言わんばかりに、懐から手帳を取り出してサラサラとペンを走らせた。
公爵は呆気に取られ、口をパクパクとさせている。
「……何を、書いているのだ」
「え? 『本日付で、娘エリー・オルブライトを自由の身にする』という公爵様のご意志の記録ですわ。お父様、一度口にした言葉を翻すのは、貴族の矜持が許しませんわよね?」
「き、貴様……本気なのか? 家を追い出されれば、一文無しの平民になるのだぞ。お前のような贅沢三昧の令嬢が、外で生きていけるはずがなかろう!」
エリーはペンを止め、フッと鼻で笑った。
その笑みは、これまでの「おしとやかな令嬢」のそれとは正反対の、不敵で不遜なものだった。
「贅沢三昧? お父様、それは心外ですわ。私がこの十年、お父様の顔色を伺いながら、どれほど家計の無駄を省くための『ツッコミ』を我慢してきたか、ご存知ないのかしら?」
「無駄だと……?」
「ええ。例えば、あちらに飾ってある金ピカの壺。あれ、有名な作家の作だと騙されて三千金も払っていらっしゃいましたけれど、実際は隣町の工房で作られた量産品ですわよ。底に『メイド・イン・隣町』って刻印がありますもの」
「な、何だと……!?」
「それから、お父様が大事に隠している書斎の奥の秘密の引き出し。あの中にある『自作のポエム集』。あれも、韻の踏み方が独特すぎて、読み上げるたびに私がどれほど腹筋を鍛えられたか、想像もつかないでしょうね」
「……!! な、ななな、なぜそれを……!」
公爵の顔が、今度は真っ赤に染まった。
血管の芸術的な浮き出し具合が、さらに複雑な幾何学模様を描き始める。
「とにかく! 私は今日から自由ですの! お父様のポエムに無感情な拍手を送る日々も、王子の退屈な武勇伝に『さすがですわ』と微笑む苦行も、すべておしまいです! ああ、清々しますわ!」
「……後悔しても知らんぞ! おい、エリーの荷物をすべてまとめろ! 今すぐ門の外へ放り出せ!」
「いえ、結構ですわ。大切なものはもう、このバッグに詰めてありますの」
エリーは足元に置いていた小さな旅行鞄を、ひょいと肩に担いだ。
公爵令嬢らしからぬその身軽な動きに、執事のセバスチャンすら目を丸くしている。
「セバスチャン、今まで私の毒舌を黙って聞いてくれてありがとう。貴方の淹れる紅茶だけは、唯一の救いでしたわ」
「……お嬢様。どうか、お達者で」
「ええ、もちろん! あ、お父様、最後のアドバイスですけれど」
エリーは門へと向かう途中で立ち止まり、振り返って意地悪く微笑んだ。
「そのカツラ、少し左にずれていますわよ。激昂するとズレる癖、お直しになった方がよろしいかと。それでは、ごめんあそばせ!」
「ええい、行け! 二度と敷居を跨ぐな!!」
後ろで何かが割れる音がしたが、エリーは振り返らなかった。
夜風が頬を撫でる。
重いドレスの裾を自らナイフで切り落とし、動きやすい丈にしたエリーは、夜の街へと駆け出した。
(さあ、まずは今夜の宿ね。そして明日からは、この『口撃力』を金に変えてやるわ!)
街の灯りが見えてくる。
エリーの足取りは、羽が生えたかのように軽かった。
しかし、彼女はまだ気づいていなかった。
屋敷の影から、彼女の「脱出劇」を静かに見守っていた人影があることに。
「……やはり、ただの令嬢ではないな」
低い声が漏れる。
それは、王宮のバルコニーで見かけた、あの近衛騎士カイン・ノリスだった。
「面白い。追え。彼女がどこへ向かうか、すべて報告しろ」
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