婚約破棄で悪役令嬢を辞めたので、今日から素で生きます。

黒猫かの

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「エリー・オルブライト公爵令嬢! 貴様との婚約を、今この場を以て破棄させてもらう!」


豪華絢爛な王宮の夜会、その中心で、ウィルフレッド王子が声を張り上げた。


その隣には、彼にしなだれかかる一人の少女。
男爵令嬢のマリアだ。


エリーは、持っていた扇子をパチンと閉じた。
周囲の貴族たちは息を呑み、静まり返っている。


「……婚約、破棄……でございますか?」


「そうだ! しらばっくれるな! 貴様がマリアに行った数々の嫌がらせ、証拠はすべて揃っているのだ!」


王子の言葉に、エリーはゆっくりと首を傾げた。
その瞳には、悲しみではなく、別の光が宿り始めていた。


(……ついに。ついに来たわ、この時が!)


エリーは、心の中でガッツポーズを決めていた。
彼女はこの十年間、完璧な公爵令嬢として、そして「格好の標的」としての悪役令嬢を演じ続けてきた。


すべては、この退屈極まりない婚約を円満に(?)終わらせるため。
そして何より、自分自身の「本性」を隠し通すためだった。


(ああ、もう我慢しなくていいのね。淑女の仮面を被って、一言喋るのに三分も考え抜くような地獄の日々は、今日で終わり!)


「エリー! 何か申し開きはあるか!」


王子の追及に、エリーは深く息を吸い込んだ。
そして、顔を上げた瞬間に、その表情から「淑女」の気配が完全に消え失せた。


「……申し開きというか、確認させていただいてもよろしいかしら?」


「ふん、往気際が悪いぞ。なんだ」


「まずその、殿下の『指差し』。非常にフォームが綺麗ですけれど、公衆の面前で女性を指差すのはマナー違反以前に、指の節々が少し乾燥していらっしゃいますわね。ハンドクリーム、お貸ししましょうか?」


「は? 何を言って……」


「あと、そちらのマリア様。殿下に寄り添う角度が四十五度なのは計算高いですが、右側のまつ毛が三本ほど取れかかっていますわよ。あとで鏡をご覧になるとよろしいわ。あ、それから殿下」


「な、なんだ!」


「婚約破棄の理由として『嫌がらせ』を挙げられましたけれど、私がマリア様の教科書を池に投げ捨てたという件。あれ、正確には『浮力と水の抵抗を物理的に証明したい』と仰ったマリア様に頼まれて、私が実演して差し上げただけですわ。結果、教科書は沈みましたけれど。物理ですわね」


エリーの口から、澱みのない言葉が滝のように溢れ出す。
周囲の貴族たちが呆然とする中、彼女の勢いは止まらない。


「マリア様に毒を盛ったという件もそうですわ。あれ、私が飲んでいた激辛のデトックススープを、彼女が『一口ちょうだい』と強奪して勝手に悶絶なさっただけではありませんか。毒ではなく、スパイスです。成分表、お出ししましょうか?」


「き、貴様……っ、今までそんな風に喋る女ではなかっただろう!」


王子が後ずさりする。
そう、今までのエリーは、何を言われても静かに微笑むだけの「お人形」だったのだ。


「ええ、そうですわね。公爵令嬢として、王家の婚約者として、私は自分の『実況・ツッコミ体質』を必死に封印しておりましたの。でも、婚約破棄とおっしゃるなら、もう私は公務に縛られる必要も、殿下の退屈なお話に『まあ、素敵ですわ』と相槌を打つ必要もありませんのよ!」


「退屈だと!? 私の話が!」


「ええ、特に三日前の『我が王家の歴史について』の講釈。あれ、途中で三回ほど年号を間違えていらっしゃいましたわ。指摘しようかと思いましたけれど、殿下のプライドを守るためにあえて寝たふりをして差し上げましたの。感謝してほしいくらいですわ」


エリーは扇子で口元を隠すことさえせず、快活に笑った。
その姿は、悲劇のヒロインとは程遠い。


「ああ、スッキリしましたわ! 殿下、婚約破棄のお申し出、喜んでお受けいたします! というか、こちらから願い出たいレベルでしたので、手間が省けました!」


「な……っ!」


「マリア様も、どうぞこの殿下をお引き取りください。彼、夜寝る時に時々すごい形相で歯ぎしりをなさいますけれど、愛があれば乗り越えられますわよね? 頑張ってくださいませ!」


「エリー、お前……正気か?」


王子の顔が青くなったり赤くなったりと忙しい。
その様子を、エリーは冷静に、かつ面白そうに眺めている。


(ああ、楽しい。これよ、これ。私はこうして、目の前の状況にツッコミを入れながら生きていきたかったの!)


「正気も正気、大正気ですわ! さあ、そうと決まれば長居は無用です。公爵家への報告は私がしておきますから、殿下はそちらの『物理実験大好きっ娘』と仲良く踊り明かしてくださいな!」


エリーはドレスの裾を華麗に翻すと、出口に向かって歩き出した。
その背中は、誰よりも堂々としていた。


(さようなら、窮屈な王宮! こんにちは、自由な私! 明日からは、この溢れ出るトークスキルを武器に、新しい人生を謳歌してやるわ!)


「待て! まだ話は終わって……!」


後ろで王子が何か叫んでいるが、エリーは耳を貸さない。
むしろ、門番の兵士の鎧が少し左に傾いているのが気になって、声をかけそうになったほどだ。


会場を出たエリーの前に、一人の男が立ちはだかった。
黒いマントを羽織った、近衛騎士団の副団長、カイン・ノリスだ。


「……派手にやったな、公爵令嬢」


「あら、カイン様。見ていらっしゃったの?」


「ああ。……面白いものを見た。貴女がこれほど弁が立つとはな」


カインの冷徹そうな瞳が、わずかに揺れている。
エリーは不敵に笑い、彼に向かってウィンクをした。


「これでも、かなり手加減した方ですわよ? カイン様、今度お会いした時は、貴方のその『鉄面皮』が何分で崩れるか、実況して差し上げましょうか?」


「……断る。だが、興味はあるな」


カインがわずかに口角を上げる。
それが、エリーの新しい物語の、幕開けの合図だった。
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